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結んだ手に、重なる陽の目。
凪いだ青を、包んでいく橙色の透明感。

うそつきだったあのときは、つかみそこねてしまったものたち。


思っているよりも、世界はやさしさであふれていること。甘酸っぱさと一緒にがんばって教えてくれたのに、あのとき、わたしは何も言えなかった。

うそのままにしたくなかった。向き合わないといけなかった。ここで“いつか”を叶えるためなら、いくらでも待っていられた。



会いたかった。

気になっていた。


ずっと、言いたかった。




「木本くん。あのとき、やさしくしてくれてありがとう」




文化祭が終わってから、足しげく東屋に通った。あの男の子が来てくれることを願って、来る日も来る日もひとりで、夕日が沈んでいくのを惜しんでいた。


高校に入学して、背の伸びたきみを見つけたときは、ものすごくびっくりしたんだよ。名前を知ったりすれ違ったりするだけで、一喜一憂してたこと、なんとなく照れくさいから秘密にしておくね。


話しかけようともしたけれど、わたしのことを憶えていないようだったし、きっかけを作るに作れなかった。クラスメイトだったらと何度考えたことか。1組と6組じゃあ、接点がなさすぎる。


偶然知り合って、偶然仲良くなって、偶然東屋に来たりしないかな。そんなふうに、去年のうちはそれなりに期待を描いていた。


あぁ、やっとだ。

けっして短い時間じゃなかった。待って、待って、待って……待ち焦がれた瞬間が、今、本物になった。


やっと……きみに、言えた。




「傷つけてごめ」


「ん」


「……??」




ひとこと謝ろうとしたら、口にストローを差しこまれた。つい吸い上げてしまう。みずみずしい果実の後味に酔いしれる。100点のおいしさ。今はふたりだから、200点だね。


……ん? あれ?
これ……わたしのオレンジジュースじゃない。木本くんのだ。えっ、なんで? 木本くんが間違えた?


いろんな意味をこめて謝り直そうとする。が、眼力に食い止められた。ほのかに微熱が点している。怖くはない。怒ってるわけでもなさそう。そこはかとなくほろ甘く感じた。




「おれ、たしかによくここに来るけど……ここっつうのは、東屋のことじゃなくてさ。試合んときとか、必勝祈願で神社によく来てたんだよ」


「……あ……神社のほう、だったんだ……。会えないわけだ……」


「あんときは、たまたま、東屋を見つけたんだ」


「偶然、か」


「ああ」


「すごいね。神さまのお導きかも」




ああ、そうかもな、と木本くんはやわくまぶたを伏せる。わたしが口をつけたばかりのストローをそのまま自分の口に放りこむ。瓜二つのおいしさを感じ取っていた。

あのとき神さまにお祈りした効果かな。こんなに偶然が重なると、信仰心というのも生まれてきそうだ。今度、ふたりで、神社にお参りしに行きたいね。




「まひる。これ……好きか?」


「え?」


「きらいか?」




わたしの手元を木本くんは見つめる。手のひらサイズの、これ。主張の激しい、安っぽいデザイン。酸味の強い匂い。夏めいた気候にすっかり温められ、味の鮮度は消えかけている。


好きか、きらいか、と訊かれたら。聴いてくれるなら。

きらいだと、突っぱねたうそを、やり直したい。


これが、わたしの、本当の思いだよ。




「好き。一生好きだよ」


「体調は?」


「ばっちしです!」


「無理してねぇか?」


「してないよ!」


「これは、まひるのためになったか?」


「うん、なった。今でもなってるよ」


「大丈夫、なんだな?」


「大丈夫! わたしは、大丈夫だよ」




うそのない晴れやかな答えを、木本くんはひとつずつ満足げに噛みしめた。交差する指を撫でながら締めると、ゆるやかにほころんだ。


『オレンジ100%』


わたしの、いちばん。大好きなジュース。何があってもきらいになれない味。とびきりのやさしさをくれる、お守りのようなもの。とっておきの宝物。

木本くんのおかげだよ。




「なら、いい」


「いい、って……?」


「謝んな」


「え、でも……」


「十分すぎるくらい伝わってる」




大事にしてきた思いほど、言葉にしなくても届いていた。知らぬ間に、わたしと木本くんは、それくらい近い距離にいた。


言わなくてもわかる。そんな関係にもなれたらいいね。でも、たまには言葉にしたいし、してほしい。もっと木本くんのことが知りたいんだよ。届けたら、応えてね。やな思いをしたときは逃げておいで。わたしと、大丈夫になろうよ。




「まひる」




ベンチが軋んだ。たった数ミリのすき間がなくなる。だんだんと昼光の当たる範囲が広がっていく。

わたしと木本くんの太ももが、触れそうで触れない。ふたりのちょうど真ん中で、手と手がくっつき合う。そういえば離すタイミングを失っていた。まあいいか。今はまだ、見つからないままがいい。




「木本くん?」


「まひる」


「……? ……き、……朱里、くん?」




ためらいがちに呼んでみた。ちょっと声がうわずる。ドキドキどころじゃない。ドックンドックン、って、再発したんじゃないかってくらい心臓がおどり狂う。そりゃあ赤くもなるよね。


額の横あたりに重みを感じた。隣を向かずとも、横目にきれいな顔立ちがドアップで映る。長いまつ毛があと少しで目元をくすぐりそうだ。また熱を測ってくれているのかとうろたえてしまう。


木本――朱里くんは、涙ぐみながら一笑していた。どぎまぎとした余裕のなさが、一瞬にして落ち着きを取り戻し、和やかなよころびに変わる。




「おれのこと、あきらめないでくれて……よかった」


「わたしも……。出会えてよかった。幸せだなって思うよ」




3文字はよくても、5文字は伝えさせてほしい。古傷も後悔も、ぜんぶ、大切だから。いとおしみながら守っていくよ。


ねぇ、朱里くん。
わたしはきみのひだまりになれたかな。