侯爵夫人と自動人形

 变化は皇族が使える十大秘術のひとつとされている。皇族や貴族などの支配階級と平民の決定的な差はなにか? それは魔術の才能や血に流れる強い魔力の有無だ。彼らの父祖は、かの魔王戦争で魔族と戦かった魔術師たちである。特に初代皇帝リュディスは、鉄壁の魔王城に竜に変身して乗り込んだと伝えられている。
 もちろん、他にも变化を使える貴族はいるが、もっとも精巧に変身できるのは皇族とされていた。

「末席ではありますが、皇位継承権を持っております」

 皇族と言ってもだれもがリーンのように大きな権威を持っているわけではない。四百年続いたヴルフニア皇帝の血は、数多の分家を生み出し、その多くは皇族とは名ばかりの生活を送っていた。
 アンナと親しかった官僚派のメンバーにも、そういった末席の皇族たちが何人もいる。皆、貴族派の専横に対抗するために、アルディス陛下の呼びかけに応じた者だった。

(となると、マルムゼの背後にいるのは官僚派?)

 シンプルに考えれば、アンナがクーデターを起こして最も得をするのは、同じ理想のもとに動いていた官僚派のメンバーとなる。その可能性は高い。

「この他に、人の認識をずらす幻惑の術も心得ております。これらを組み合わせれば、皇宮に入ることは可能かと」

 なるほど。あの飛竜が誰に見つかることもなく、この塔に行き来できた理由もわかった。そして恐らく、アンナが留守のときはこの男がアンナに偽装して自動人形をやり過ごしているのだろう。

「……どういうおつもりです? 私には協力しないのではなかったかしら?」
「はい。ですが、あなたが納得するまで調べさせた方が、第六兵団へ連れて行きやすい、そう思い直しました」

 マルムゼは言う。やはり抑揚のない口調で、本心は見えない。もしこの男が官僚派ならば、アンナに協力するのはクロイス家への敵対心から、とも考えられる。

「ただしお気をつけを、御存知の通り、クロイス家は破幻の術が得意な家系。王妃の邸内にも侵入者対策として術が施されているでしょう。皇族の術で寵姫が邸内に入ったことが露見すれば、水面下にあった皇家と公爵家の対立が表面化しかねません」
「わかりました。塀さえ越えればあとはなんとかします。そこで術が切れるようにして下さい」
 そして翌日。皇帝アルディス3世の帝都凱旋まで、あと6日。

 昨日と同じく、飛竜で帝都近郊まで近づく。手頃な森に着陸し、木々の間に竜を潜ませると、アンナは帝都から少し離れた郊外を目指した。
 オルシュード宮殿は、先帝が建設した世界最大規模の宮殿だ。その総面積は、昨日訪れたメティル宮とは比較にならない。鹿狩りが可能なほど広大な森林庭園と、その各所に建つ無数の城館。その中の一つが、王妃の住む邸宅だ。

「よし、通れ」

 宮殿内に通じる検問。事前にマルムゼがかけてくれた变化と幻惑の術で、アンナの姿は役人や兵士からは、食品納入業者に見えているはずだ。この辺りの区画は、警備の目もそこまで厳しくはない。まずは第一関門突破だ。

 周囲の目を盗み、食品商人に化けたアンナは馬車の影に隠れた。すぐに術が解ける。事前の手はず通り、マルムゼがかけた術は宮殿敷地内に入った所で解けた。

(さて、次は第二関門ね)

 アンナは、監獄内で働く女性型自動人形の服を拝借し、身につけていた。幸いにもその服は、宮殿内の侍女のものと色やデザインが似ている。遠目には区別がつかないだろう。ただし、近くで見れば明らかに違う。
 だからアンナはまず、洗濯工場へと向かった。宮殿の使用人の制服はすべて支給品であり、この工場内で洗濯されている。その中の一枚を盗み出し、誰かに見つかる前に着替えるのだ。それが成功したら、いよいよ第三段階となる。

(よし、アンナ。ここからが勝負よ……)

 首尾よく、侍女の制服を入手したアンナは、いよいよ王妃の居館へと足を向ける。森の中にある、自分の住まいだった居館を訪れたい気持ちもあったが、そんな時間はない。馬も使わずあそこまで行こうとすれば、それだけで日が暮れてしまう。それほどこの宮殿は広いのだ。皇后の居館に忍び込み、皇帝暗殺に関わる手がかりを探すことに集中しなくてはならない。

(大丈夫。あの頃と同じようにやれば、誰にも怪しまれない)

 心の中でつぶやく。もともとアンナは侍女としてこの宮殿で働いていたのだ。アルディス陛下に見初められ、職人の娘が皇帝の寵姫となったあの夜まで。皇妃の館に出入りした事もある。侍女たちの仕事は一通り心得ているし、彼女たちが休息を取る時間帯、気を抜く場所、各部屋の誰もいなくなるタイミング、すべて覚えている。彼女たちに怪しまれずに調べ回ることが出来る自信はある。

 木々の間から赤い屋根が見えてきた。あれが皇后の居館だ。そこに近づくごとに、魔術的な警備が厳しくなっているのがわかった。警備用の自動人形が歩き回り、各所に飾られた彫刻には、幻惑を解除する「破幻の魔術」が施されている。どちらもクロイス公爵家が用意したものだろう。やはり、マルムゼの術だけでここまで来なくてよかった。

「まぁ! 嫌ですわ伯爵夫人。ふふふっ」

 軽やかな笑い声が、風に乗って流れてきた。アンナは足を止める。館の前庭にテーブルが広げられている。そこに十数人の貴婦人たちが座って談笑していた。中心にいるブロンドの女性……間違いない。ルコット皇后陛下だ。

「…………」

 知った声を聞いたことで、このまま歩みを進めて良いのか、迷いが生じた。館の中に入るには前庭を通らねばならない。

(ううん、大丈夫よ)

 言うなれば、正妻と愛人の関係である。彼女と直に話したことは一度もない。宮廷の公式行事でも、離れた席に座っていた。大丈夫。彼女たちは私の顔なんて殆ど覚えていないはずだ。それに宮殿(ここ)いいるなんて思いもしないだろう。今の私は宮殿の侍女。貴族や皇族は、侍女の顔なんて一人覚えているわけがない。

 そうだ。大丈夫だ。覚悟を決めて、庭に足を踏み入れる。

「あら、フィルヴィーユ侯爵夫人? そのような姿で何をしていますの?」

 心臓が止まりかける。皇后は庭に入ってきた侍女を見て、まっ先に尋ねてきた。
「フィルヴィーユ……?」
「どういう事……?」

 皇后の取り巻きの夫人たちがざわつき始める。扇で口元を隠し、こちらを見ながらひそひそと何かを話している。

「こ……皇后陛下。お言葉をおかけすることをお許し下さい」

 まずは侍女の作法にのっとって頭を下げる。皇族に対しては、会話をすることの許可を求めねばならない。

「あら嫌ですわ。そのような庶民の真似事をなさって」

 ルコット皇后は目を細めて笑う。冷や汗が首筋を伝った。

「失礼ですが、ど……どなたかとお間違えでは……?」

 平静を装いながら話す。どうして? どうしてバレたの? それもこんなに早く! これも、クロイス家の破幻の術なのか? 高速で頭を回転させるが、答えは出てこない。

「陛下。フィルヴィーユ夫人がこんな所にいるはずがありませんわ」
「確か今は……監獄島ではありませんこと?」
「いいえ! 間違いありません!」

 両脇に座っていた夫人たちの言葉を、皇后は否定する。

「私、人の顔を覚えるのが得意ですの。一度見た方の顔を間違えることなんて、絶対にございませんわ!」

 取り巻きたちのざわめきが一層強くなった。

「……一体何しに来たの」
「ここがどこだか分かってるの?」
「下賎の娘が、初心に戻って侍女からやり直す気?」
「まさか私達のお茶会に参加したい、とかではないわよね?」
「大臣閣下はカフェで政治談義でもしていた方がお似合いでなくて」
「ていうか脱獄よね。帝国の秩序を乱す重罪じゃない!」

 口さがない言葉が、アンナにめがけて次々と投げつけられる。終わった……警備の兵が来るのも時間の問題だ。

「おやめなさい、皆さん!! 私と侯爵夫人は親友なのですよ?」

 ………………は?

  皇后の口から思いがけない言葉。何を言い出すのだ?

 ルコット皇后は席から立ち上がると、何重にも折り重なって膨らんだスカートを持ち上げて、ゆっくりとアンナに近づいてきた。思いがけない言葉だったのは、取り巻きたちも同じようで、彼女らも凍りついたように固まって皇后の動きを見守っている。

「お部屋で、ゆっくりお話しましょう。侯爵夫人」
「へ……陛下。一体どうして……」
「どうしてって……私達、二人共アルディスを愛しているでしょう?」

 不思議そうな表情でルコットは、アンナの顔を覗き込む。 

「愛した殿方が同じ……これって二人の価値観がとても似ているという事だと思うの。お互いが独占欲を出さなければ、私達って良いお友達になるのではなくて?」
 思ってもいない展開になっていた。クロイス家の総本山と言うべき、皇后の居館への侵入には成功した。しかし考えていた形とはあまりにもかけ離れている。ルコット皇后の正式な客人として、皇后の手ずからの歓迎を受けるなんて、どうして予測できる? どうやってこの応接室から動き、各部屋を一つずつ確認していく? まさか彼女に直接頼むわけにも行くまい。

「フフ~ン♪ フンフンフ~~ン♪」

 皇后は呑気に鼻歌を歌いながら、もてなしの茶を入れていた。ガラスのポットにお湯を注ぐと、まるで花が咲くように茶葉が開き、豊かな香りが部屋中に広がる。

「どうぞ。東洋より取り寄せた最高級の茶葉ですの」

 そう言ってニコニコしながら、湯気の立つガラスカップをアンナの前に差し出してきた。

「…………」

 アンナがそれに手を付けないでいると、ルコット皇后は怪訝(けげん)そうな顔をする。

「あら? 毒なんて入ってませんよ? それとも、お茶は苦手だったかしら。やはり殿方の集まりのように、珈琲をいれましょうか?」

 入ってる可能性を考えないわけにいかないだろう。アンナは胸の奥でつぶやく。……しかし、それは権力闘争に明け暮れる男の世界にいた者の論理なのか? この方にはまったく縁のない考え方なのか? この笑顔を見ているとそんな気もしてきた。

「……本当に、私が憎くないのですか?」
「あら? どうして?」

 きょとんとした顔。この方が本当に、官僚派が潜在的に敵と思い定め、出し抜こうと考え続けてきた、貴族派の最重要人物だというのか?

「私は……あなたからアルディス陛下を奪った人物なのですよ? 今でこそ、私の立場は変わりましたが、あなたから恨まれているという思いは常にございました……」
「怒りの感情を持ち続けて、それが何になります?」

 ルコット皇后は、アンナの目の前においたばかりのカップを手に取り、一口その中身を含んだ。ほんの僅かでも毒の可能性を疑った自分を恥じずにはいられない。

「もしかしたら、政治や戦争で他者と戦わなければならない殿方には、その感情が必要なのかもしれません。けど妻の役割とは、そんな感情に振り回された最愛の人を笑って出迎えることではないですか? 私は政治に疎く、侯爵夫人のようなご活躍が出来る頭脳も持ち合わせておりません。けど、笑うことで陛下に協力できる。ずっとそう考えているんです」
「陛下……」

 自らを卑下する言葉が含まれているにも関わらず、卑屈さや悲壮感は欠片ほどもなかった。心の底から夫である皇帝陛下の事を想い、彼のために自分ができることをなんて考え続けている女性の言葉だ。なんて美しい人だろう。かなわない。素直にそう思った。

「失礼しました。いただきます」

 アンナは、皇后が手元に置いていたカップに手を伸ばし、それを飲んだ。お互いのカップを交換する形で喫茶の時間は始まった。


 実際に話してみれば、皇后陛下は本当に天真爛漫な人だった。明るく気さくで、笑うことが何よりも好きな太陽のような女性。

「特にここの所、父の陛下に対する干渉が大きくなっています。それについて心を痛めておられるので、責任を感じているのです」
「そうでしたか……」
「もし父とアルディスが協力し、そこにあなたとリーンが力を合わせれば素晴らしい国になると思うのです。父が外交を、あなたが内政と戦争を、そしてリーンが文化芸術の奨励をになうの。いかがかしら、私の改革案は?」

 政治には疎いと言いながら、父クロイス公爵と陛下の関係を的確に見抜き、心を痛めている。この国の主要人物を得意分野を肌で理解し、理想の未来を描ける。リーン皇弟は彼女の事を、聡明さのないつまらない女性と評したが、とんでもない誤解だ。

「そうだ! もしよろしければ、アルディス=レクスに会っていきません? まだアルディスの息子と会ったことはないでしょう?」
「…………」

 悪意のまったくない言葉に、さすがに言葉が詰まった。まさか皇太子と会っていけ、とは……。天真爛漫は時に人を傷つける。聡明であっても、人の闇を知らない方なのだ。

 アンナは子供を産む事ができない。それは陛下に見初められた後、すぐに分かった事だった。陛下はそれでも構わないと言ってくれたが、アンナは思い悩んだ。
 結果、彼女が歩き始めたのは政治の道だ。もともと陛下が掲げる身分制度改革が、平民出身のアンナには好ましく思えたというのもあり、その理想に協力することにした。必死で勉強をし、必死でそれを実践してきた。
 陛下との間に子がなせないのであれば、せめて国家を二人の子として(いつく)しもう。そう決めたのだ。
「陛下……」
「あらマータ。良いところに来てくれたわ」

 皇后の私室に、一人の女性が入ってきた。

「紹介します。アルディス=レクスの乳母、マータよ。もともと父の侍女だったのだけど、息子が生まれてからは彼の居館を任せているの」
「皇太子殿下の乳母、マータと申します。以後、お見知りおきを」

 女性は、うやうやしくアンナに一礼した。貴族は赤子が生まれると、すぐに近しい女性に預けて親と別々に暮らすという習わしがある。実母と離れると、高い魔力が育つと信じられているのだ。

「殿下のことでご報告があって参ったのですが」
「それでしたら後で伺いますわ。ねぇ、それよりも今から二人でそちらにいってもいいかしら? 夫人と息子を会わせてあげたいの」
「フィルヴィーユ夫人を……ですか?」

 マータも皇后陛下の提案に、さすがにとまどったようだ。どうしたら良いかわからないという顔で、アンナの方を見てくる。

「あまり彼女をいじめてあげますな。私は結構ですよ。いずれアルディス=レクス殿下とはお会いしとうございますが、またの機会……に……」

 何気なく見た乳母の右手に、視線が釘付けになった。小指の付け根に大きめのタコが出来ている。あれは……。

「夫人? どうなさりました?」

 ルコット皇后が、言葉をつまらせたアンナを見つめてきた。

「い、いえ……なんでも、ありません……」

 間違いない。「職人の手」だ。自動人形を調整するときにシリンダーがぶつかる場所に出来るタコ。それに、薄っすらと機械油の色紙が沈着して黒ずんでいる指先。監獄島で作られたアンナの手と同じものが、マータの手にもあった。

「長居してしまいました。そろそろお暇いたします」
「あら、もっとゆっくりしていけばよろしいのに」
「懐かしさが募り、宮殿(ここ)に来てしまいましたが、そろそろ監獄島に戻らないと、皇帝陛下に叱られてしまいます」

 アンナはわざとおどけるように言った。

「フフ……そうですか。今日は本当に楽しかったわ。やっぱり、あなたとは親友になれそう。ぜひまた遊んで下さい」
「ええ、是非……」
 陽がだいぶ西に傾き、オルシュード宮殿の大庭園は茜色に染まっていた。

 十分な収穫だった。あの乳母は間違いなく、自動人形に関わっている。やはり黒幕はクロイス公爵だったのだ。恐らく、ルコット皇后は何も知らない。父君とあの乳母がすべてを握っているのだろう。

「あと少しです……あと少しで真相に近づけます、陛下」

 アンナは拳を握り、それに願いを込めるように、陛下への言葉を念じた。それにしても、なんて幸運なのだろう。監獄島で、看守の自動人形を触ってなければ気づかなかっただろう。以外な所に、手がかりが潜んでいたものだ。

「いや……」

 違和感。まて。違う……。アンナは握った拳を開く。職人の手。だけどあの乳母のものと違う。親指のつけ根に育ちつつあるタコ。そうだ、彼女の手は違った。彼女のタコは小指の外側。つまりアンナの指にできたものと配置が間逆だった。ということは、監獄島のあの部屋に配備されている皇室用の自動人形とは、別の機構を持つということだ。それはつまり、同系型のシリンダーを持つ、皇帝陛下の自動人形とも異なるということを意味する。

「なんてこと……せっかく掴んだと思ったのに、全く関係が無いじゃない」

 迂闊なミスだ。ただ職人の手というだけで、ぬか喜びをしてしまった。
 いや、しかし……それなら何故、あの乳母の手にタコがあったのだ? 陛下に成り代わった自動人形は無関係としても、何か理由があるはずだ。クロイス公爵家と自動人形。一体何が……

「あ……」

 頭の中で、何かがはまる音がした。今まであちこちで抱いてきた違和感。それが凄まじいスピードで一本の道へと整備されていく。真実へ到達する道へ……。

「そうか……そういう事なのね」

 確認する必要がある。しかし……マルムゼは駄目だ。この考えを彼に伝えるわけにはいかない。今、アンナが最も安全に助力を乞えるのは……そして帝国の行く末を任せられるのは……。
 翌朝。皇帝アルディス3世の帝都凱旋まで、あと4日。

 マルムゼとの約束の日だ。今日中に、皇帝暗殺の犯人が突き止められない場合、アンナは第六兵団に合流し挙兵しなければならない。
 昨日は一日中、この塔にいた。マルムゼには考えをまとめる時間が必要と説明したが、実はやれることは全てやっている。今日は結果を待つだけだ。

「……来た」

 窓の外、黒い飛竜が近づいてきた。心なしか、いつもより速い速度で接近しているように見えた。さて、帝都は今、どうなっているか?


「どういう事です!?」

 これまでのマルムゼからは想像できないような動揺ぶりだった。血相を変え、声を荒げる。とても同一人物とは思えなかった。

「何をしました? 貴女が絡んでいることは明白だ!!」
「……何のことでしょう?」
「とぼけないで下さい! クーデター……いや違う、あれは革命だ!!」

 マルムゼは、感情をむき出しにした言葉で、帝都の状況を語る。今朝、メティル宮付近で暴動が発生し、またたく間に帝都全域へと拡大した。警官隊と市民が衝突する中、エルージア大公は武装した手勢を率いてオルシュード宮殿向かった。正門では近衛部隊と衝突仕掛けたが、その時皇弟は()()()()を掲げ、近衛部隊を無力化させた。

「短剣です……リュディスの短剣をなぜリーンが持っているのです!?」
「おわかりでしょう? 私があなたから受け取ったものを、彼に託したのです。それ以外に考えられます?」

 アンナは悪びれることなくそう答えた。そうか、リーン殿下は動いたか。それはつまり、アンナの推測が正しかったことを意味する。オルシュード宮殿を出た後、真っ先にメティル宮のカフェへ向かったのは正解だった。

「なぜ、そのようなことを……これでは帝国はあの男のものになってしまう」
「良いではありませんか」

 アンナは笑った。愕然とした顔で見つめてくるマルムゼ。

「……ご説明を。私が納得できる説明をお願いしたい!」
「もちろんそうしたいのですが……時間がございません」
「は……?」
「皇宮の近衛兵を掌握した後、リーン殿下は第六兵団へ向かう手はずとなっています。もちろん短剣を持って。そして飛竜部隊をこの監獄島へ差し向ける事となっています」
「貴女はそこまで手回ししているのか?」
「飛竜部隊の目的は、私や下層域に投獄されている政治犯たちの救出です。じきに飛竜の大軍がこの島を包囲するでしょう。その時、ここにいるはずのない正体不明の男が皇帝寵姫のそばにいたら、どうなります?」
「それは……」
「まだ間に合います。お逃げなさい」

 マルムゼはしばらく押し黙っていたが、やがて言葉にならない怒りを叫び、テーブルを叩いた。そして部屋のドアへと向かった。

「マルムゼ殿」

 ドアノブに手をかけたマルムゼのうしろ姿に、アンナは声をかけた。

「あなたを欺いたこと、お詫びいたします。ご説明は必ずするつもりです。それと、"あの丘で待っていて下さい"と。……そう()()にお伝え下さい」
「…………」

 マルムゼは何も応えず、黙って部屋を出ていった。
「お迎えに上がりました姉上!」

 マルムゼが立ち去って数時間後、第六兵団の飛竜部隊が監獄島を襲撃した。四方が海で、囚人に脱獄される危険が少ないこの島には、兵力らしい兵力が殆どない。防衛用の自動人形数体が破壊されると、監獄島はまたたく間に陥落した。
 リュディスの短剣を携え、「帝国軍臨時元帥」という即席の役職を名乗った皇弟リーンが、アンナの部屋を訪れた。

「ご苦労さまでした、大公殿下。あなたが動いたということは、やはり……?」
「はい。実に残念ではありますが……宮殿を捜索し、クロイス公爵の目論見はすべて明るみに出ました。彼ら貴族派の、帝室に対する叛逆は明白です」

 クロイス公爵家は皇族の最重要人物を自動人形にすり替え、傀儡としていた。その事実はごく一部の人間にのみ知らされ、そのもの達によって帝室と国家は私物化されようとしていた。

「……念の為に伺います。その重要人物とは?」
「皇太子殿下です」

 やはりそうか。アンナは目をつぶる。我が子、アルディス=レクスの話を嬉しそうに語るルコット皇后の顔が浮かび上がった。
 恐らくは……アルディス=レクス皇太子は、病気などで早世したのだろう。しかしクロイス公爵は、皇太子の祖父という立場を失うことを恐れた。だからその事実を隠し、自動人形の影武者を立てた。
 あの乳母の指に作られたタコは皇太子の偽物を世話するときに付いたのだろう。ヴルフニア皇族とクロイス公爵家では自動人形の術式にも差異が出る。その差異は、アンナと乳母のタコの位置という形で現れたのだ。

「これより我が軍は、東方の国境に駐留中の第2、第5兵団と合流し、帰還中の親征軍に対処します」
「内戦となりますか?」
「もし指導部が、クロイス家に殉ずる道を選ぶのなら……」

 やむを得ない。国が生まれ変わるときに無傷でいられるはずはない。すべて私が引き起こしたことだ。その罪は、背負わねばならないだろう。

「皇后陛下はどうしています?」
「近衛部隊からの連絡では、半狂乱状泣き叫ぶばかりのため尋問のしようもないと……。いずれ死罪になるかと思いますが、それまではどこかに幽閉しておくことに……」
「なりません!」

 アンナは強い口調で、リーンの言葉を遮った。ルコットは何も知らないだろう。我が子が機械じかけの人形と入れ替わっていること知りつつ平然としていられるほど、彼女は無恥でも愚かでもない。彼女の預かり知らぬ所で、全てが進んでいたに違いなかった。そしてつい先程、残酷な真実を知ったのだ。泣き叫ぶ彼女を誰が責められる?

「もはや対抗勢力も、クロイス家の者を旗印には出来ないでしょう。皇后としてのすべての特権を停止し、どこか辺境の館に隠遁させれば、それで十分です」
「それは、確かにそうですが……。いえ、わかりました。姉上がそう仰るのでしたら……」
「ありがとう」

 アンナは微笑んでうなずいた。最愛の息子を失ったのだ。彼女はこれ以上不幸になってはならない人間だった。

「さてと、それでは私は参ります。飛竜を一匹、貸して下さい」
「え……? 姉上、どちらへ? これから共に帝都へ戻るのでは?」
「いいえ、私は全てを終わらせに参ります」
「一緒に来てはいただけないのですか!?」

 リーンは大きく瞳を見開いた。

「貴女が立つと聞いたから、私はこうして……」
「私に出来るのはここまでです。ここから先は、皇族であるあなたが主役となるべきよ」
「そんな……姉上! 私は……私はあなたを!!」
「それ以上言わないで!」

 アンナはリーンを拒絶する。帝国軍臨時元帥は泣き出しそうな顔で、アンナを見つめてきた。

「ひどい女なのは自覚しています。あなたの想いを知りながら、私の目的を達成するために利用してしまった。恨んでもいいです」
「そんな……恨むだなんて」
「でも、ごめんなさい。私が愛すべき方は一人だけなの」

 皇帝アルディス3世。彼こそが、アンナの生きる理由だった。だから、この一週間あまり動き続けたのだ。

「さようなら。公式記録には、私は今回の革命に巻き込まれて死亡したと、そう書いて下さい」
 夕方、アンナが乗った飛竜はクラナハの村に到着した。数日前に皇帝暗殺未遂事件が起きた場所だ。上空から見下ろすと、村の郊外には大規模な軍隊が野営した痕跡が、まだはっきりと残っている。第六兵団から借りた飛竜を村の後ろにそびえる丘の頂上へと降下させた。

「もう待っていらっしゃるのね」

 丘の上には既にもう一匹の飛竜がいた。あの黒鱗種の子だった。そこに並べるように自分の竜を着地させ、アンナは草原の上に降り立った。

「……綺麗」

 思わずつぶやいた。丘から西の方角を眺めると、落ちかけた太陽が空を茜色に()いていた。そして村の近くにある大小いくつもの湖が、夕日に照らされて黄金色に輝いている。
 アンナはこの丘から眺める夕焼けが大好きだった。あの頃とちっとも変わらない美しい光景だ。

「ひとつ、朗報です」

 夕焼けに見とれていると、背後から声をかけられた。振り返ると、マルムゼが立っていた。

「ここに来る前に、親征軍の様子を見てきました。彼らは戦わずに降伏するようです。近日中に皇帝の死と、皇弟リーンの即位が発表されるでしょう」
「そうですか」
「まったく。思惑が完全に狂わされました。さすがはフィルヴィーユ伯爵夫人だ」

 塔の上での動揺しきった表情は落ち着きを取り戻し、いつもの感情を見せない顔がよみがえっていた。しかし、私が話をしたいのはこの男ではない。

「もう良いでしょう。正体をお見せ下さい、陛下」
「……ふ。そうですね」

 マルムゼの身体が、白く光る。その光の中で、男の顔が、身体が、ぐにゃぐにゃと歪み始めた。変化の術が解かれる。黒い長髪の青年の顔は消え去り、太陽のような赤毛を持つ男性が正体を表した。ヴルフニア帝国皇帝アルディス3世、その人である。

「いつから分かっていた、アンナ?」
「確信したのは、かなり後になってからです。けど、今にして思えば、最初からヒントがございました」
「ああ。例えばこの丘のことかな?」

 アンナはうなずいた。

「ここは陛下と最初に二人だけで訪れた場所です。あの日も、今日みたいな燃えるような夕焼けでした」