「もっと心を込めて」


6歳の時に母親になんとなくで通わされたピアノは、先生の言っている意味がわかることの無いまま8年続けて、それから辞めた。



心を込めて弾くピアノってどんなもの?


私には楽器に込める気持ちが浮かばなかった。つまらない。時間の無駄だ。そう思いながら通っていた8年間、ピアノの先生には数え切れないほど 「貴方の演奏には感情が無い」と言われた。怒られてもどうでもよかった。ピアノは私には合っていなかったのだと、自分の中ではもうとっくに答えが出ていた。


辞めなかったのは、母親に「辞めたい」と言い出すことが面倒だったからだ。反対されると思っていた。辞めたところで他にやりたいことがあった訳でもないので続けていただけだった。

ピアノを習っていたから、当たり前に吹奏楽部に入った。「意外と部費がかかるのよね」と母が酔っ払って愚痴を零していたのを、いつかの夜に聞いた。



中学3年生になり、部活を引退したあと、受験勉強に集中したいから とそれらしい理由をつけてピアノを辞めたいと母に言った。母は、「やる気がなかったわりに続いたわね」と、辞めることをあっさり許してくれた。



​「習い事、何か1つでもさせておかないと教育上あまり良くないでしょう」


私がピアノを習わされた理由はそんなものだったらしい。辞める直前に初めて言われた。母に対して何も感じなかった。ただ、時間の無駄だったな、とだけ思った。




そんな感じで成長していった私は、特に趣味も特技も持たないまま 親が照らす道を辿った。「こことかどう?」という軽い提案に頷いて受けた高校で、「吹奏楽部はお金かかるから出来ればやめて」と母に言われた私が選んだのは映画同好会だった。


活動頻度は月に2回、第2月曜日と第3月曜日。顧問は居らず、視聴覚室の使用許可だけが降りていた。3年間所属していたけれど、新しく入ってくる人はおらず、終始部員は私ともう1人​───真木くんだけだった。


第2月曜日は真木くんが選んだ映画、第3月曜日は私が選んだ映画を見る。同好会なので部費はなかったけれど、旧作DVDはレンタルショップで100円でかりられるので全く問題はなかった。


時には恋愛、時にはホラー、時にはサスペンス。私たちが3年間で共に見た映画はどのくらいあるだろう。月に2回、12ヶ月、3年間。計算しようと思えばできるけれど面倒だったからやめた。真木くんに質問をしてもきっと同じ答えが返ってくると思う。


月に二度映画を見るだけの、同好会仲間とも言えない間柄だった。思い返せば、映画を見終わって互いに感想をいうわけでもなければ一緒に帰るなんてことも無かった。「面白かったね」「怖かったね」「なるほどって感じ」そんな感情だけを分かち合い、どちらともなく目を逸らし、視聴覚室を出る。


真木くんとは同じクラスだったけれど、クラス内で話したことはほとんどなかった。だからといって、別に何も感じたことは無かった。



全部終わる。

この辺じゃ可愛いと有名だったセーラー服も、テスト範囲のプリントの答えを写し合うための友達も、仲良くもない男の子と二人で映画を見るだけの時間も、だれかに敷かれたレールを渡るだけだった空っぽの人生も​、つまらない私も。


───全部、終わりにしてみようか。