学外研修後半初日。
準備運動でぐるっと森を一周させられた後、俺たちは建物の中に集められていた。
全員が注目しているのは一点。
説明している先生、ではなく、その横に侍るモンスターだ。
「これは魔道具によって生成された疑似モンスターだ。能力は元となったモンスターを模しているが、攻撃力はほとんどない。あくまで訓練用に開発されたものだ」
「へぇ~ 便利な魔道具もあるんだな」
「ああ、僕も初めて見るよ」
話に聞く限り、最近になって新しく開発されたものらしい。
最先端の魔道技術を用いられるのも、魔術学校の生徒に与えられた特権だ。
先生が続けて内容を説明する。
「今からチームに分かれ、森に入ってもらう! 森には百の疑似モンスターが放たれているから、それを全て討伐してほしい」
一年生では全部で四十二チームある。
今回はチームごと、さらに六つのグループに分かれて行う。
モンスターにはそれぞれポイントが割り振られており、模したモンスターの強さでポイントも異なる。
百体全てが討伐されるまで続け、最終的にチームごとに撃破数、ポイント数を競いあう。
大体のルールはこんな感じか。
ちなみに、各人には専用の腕輪が配布される。
ポイントの換算の役割とは別に、モンスターから一定以上攻撃を受けると光り、リタイアとなる仕組みだ。
「最初の七チームは前へ!」
「俺たちだな」
「ああ。今回は競争……というわけにはいかないな。残念だが」
ガッカリそうにするグレン。
相変わらず負けず嫌いな奴だと笑ってしまう。
「待機者はここで戦闘の様子が中継される! 見ることも大切な訓練の一つだ。自分たちの番に活かせるよう、しっかり観察するように」
待機室には巨大な四角い版がある。
森には使い魔が飛んでいて、視界をここに映し出せる。
それを聞くと、シトネが不服そうな顔を見せてぼそりと呟く。
「み、見られるのかぁ」
「今さらだろ? 特に俺たちにとってはさ」
「あー確かにそうかも。じゃあいっぱい倒して目立っちゃおうよ」
「ははっ、そうだな」
俺もシトネも、悪い意味で注目を浴びてきた。
この間の親善試合で、俺に対する周囲の視線は緩和されたが、シトネに対してはまだまだ微妙だ。
特にシトネにとっては良い機会だろう。
俺だけじゃなくて、彼女も魔術師として優秀などだと、周囲に教えるために。
今回の訓練ではもちろん魔術が使える。
ただし、他チームを傷つけたり、妨害してはならない。
それさえ守れば、あとは好きなように戦って良い。
「リンテンス、目標はどうする?」
「う~ん、とりあえず半分は狩りたいかな」
「半分か。ならば休んでいる暇はなさそうだな」
そうして訓練が開始される。
バラバラのスタート地点から森へ入り、出会ったモンスターを狩る。
モンスターは種類豊富だ。
ゴブリン、ウルフ、ワーウルフ、ジャイアントマンティス、グレートスネーク。
森に生息しているモンスターを模していて、基本的に大きい個体のほうが強いから、ポイントもそれに合わせて決められている。
「皆様、前方よりウルフとゴブリンの群れが接近しております」
「後ろからマンティスが来てるよ!」
セリカとシトネが接敵を知らせてくれた。
前後を挟まれた形になっている。
「僕とセリカで前を」
「じゃあ後ろは俺とシトネで任せてくれ」
「ああ、任せた」
簡単に割り振りをして、各々の敵に目を向ける。
ジャイアントマンティスは、その名の通り巨大なカマキリだ。
見た目も能力も、カマキリを大きくしただけだが、強靭な鎌は岩をも斬り裂く。
とても強力なモンスターだ。
「藍雷――二刀」
「二匹きてる。私が左と戦うね」
「了解、右は俺だな」
俺は藍雷で剣を作り、シトネは腰の剣を抜く。
「いくぞ!」
「うん!」
俺とシトネは同時に突っ込む。
接近により振り下ろされる鎌を回避し、懐にもぐりこんで鎌の付け根を狙い斬りする。
鎌は強力だが、これを無力化できれば勝ったも同然。
あとは逃げられる前に、腹と頭を斬り裂き倒す。
対してシトネは剣を使っていた。
入学試験では使わなかった変わった形の剣。
名前は刀というらしい。
シトネは刀でマンティスの鎌を受け、流れるように付け根へ刃を届かせる。
うっすらとだが、刀の刃が光を纏っていた。
光属性の魔術によって切れ味を高めている。
さらに――
「旋光!」
斬撃が光をそのまま纏い、マンティスの胴体を斬り裂いた。
あれこそシトネが独自に編み出した術式。
光を斬撃として飛ばしたり、鞭のようにしならせて攻撃したりできる。
彼女自身の剣技と合わせれば、どんな敵にも対応可能という汎用性の高い術式だ。
「倒したよ!」
「こっちも終わった。さすがだな、シトネ」
「えっへへ~」
俺が褒めると、シトネは嬉しそうに尻尾を振る。
パチンとハイタッチした様子も、クラスメイトは見ているのだろうか。
俺とシトネがマンティスを相手にしている間、グレンとセリカも戦闘を開始する。
二人の相手は、ゴブリンとウルフの群れ。
ウルフにゴブリンが騎乗して迫ってきていた。
ゴブリンは時折、ウルフを飼って従えていることがある。
グレンはやる気十分に炎を生成して言う。
「一気に片を付けよう」
「お待ちください。森の中で炎を使えば、木々に引火してしまいます。特にここは背の高い草も多いですから、いかにグレン様でも」
「そうだな。少し気がはやっていたよ」
グレンはそう言って炎を納める。
「任せていいかい?」
「はい」
代わりにセリカが前へ出る。
グレンのメイドであるセリカは、普通の魔術師ではない。
「ウィンネ」
名を呼び、彼女の肩に風が集まる。
集まった風は黄緑色の光を纏って、一匹の小動物へと変化した。
狐とイタチの中間のような見た目に、鮮やかな黄緑色の毛並み。
あれは動物ではない。
風の精霊だ。
「風よ――」
セリカが唱えると、肩に乗っていた風の精霊が高らかに鳴く。
鳴き声に抗するように風が生成され、ゴブリンたちを宙に浮かす。
「巻き上げ、斬り裂け」
さらに風は強まり、鋭い刃となってゴブリンたちを攻撃した。
竜巻と風の刃の合わせ技によって群れは全滅する。
「終わりました。グレン様」
「ああ、完璧な手際だったよ」
「ありがとうございます」
セリカ・ブラント。
彼女は精霊魔術師だ。
精霊とは、大自然から生まれた生物とは異なる存在。
魔力を持っているのは、俺たちのような人間だけに限らない。
動物、虫、魚類やモンスターはもちろん、植物や木々、大地といった自然にも魔力はこもっている。
それらが徐々に漏れ出し、意思を持つ魔力の集合体となったものを、精霊と呼んでいた。
精霊魔術師は、大自然から生まれた精霊と契約し、その力の一端を使役する者。
セリカの場合は、風の精霊ウィンネと契約し、大気を自在に操ることが出来る。
何より特異的なのは、精霊魔術の発動には、自身の魔力を消費しないということ。
「凄いよね~ 私精霊って初めて見たよ」
「ああ、俺もだ」
精霊魔術師はとても希少な存在だ。
新入生でも、セリカ一人だけらしいし、世界中探しても百人に達しないと聞く。
秘めた才能という点では、俺やグレンより上だろう。
精霊と契約している彼女は、独特な気配を持っている。
まるで自然と一体化しているような。
そこにいるようで、いないような不思議な気配。
鬼ごっこの時に、彼女の接近を感知できなかったのは、彼女が精霊魔術師だからだと予想できる。
「お二人とも警戒を。次が来ます。それも今度は――」
セリカが上を見上げる。
「上空です」
そこには三匹の飛竜がいた。
灰色の翼を広げ、グルグルと飛び回っている。
グレンが
「ワイバーンか!」
「そのようです」
グレンとセリカが確認し合う。
ワイバーンは小型のドラゴンで、山岳地帯や火山などに生息している。
現存する飛行モンスターでは、上位に位置する強敵だ。
おそらくこの訓練では、最高のポイント配布だと予想される。
「リンテンス君!」
「ああ」
シトネが光の弓を、俺が藍雷で弓を生成。
どちらも通常の二倍の大きさで、ワイバーンのいる上空を狙う。
「一匹は遠い。二匹を俺たちで落とすから、後は任せる」
「わかった」
「よし。もういけるか? シトネ」
「うん! いつでもいいよ!」
狙いはすでに定めてある。
後へ射抜くのみ。
ワイバーンは空中で旋回している。
俺の弓も、シトネの弓も、それぞれ魔術によって生成されたもの。
その速度は、どちらもワイバーンを射止めるには十分だった。
藍雷と光の矢が放たれ、それぞれのワイバーンに命中。
片翼を射抜かれて、高度を大きく落とす。
「セリカ、僕を打ち上げてくれ」
「かしこまりました」
剣を構えるグレンを、セリカの風が吹き飛ばす。
風の力で一匹へと向かい、そのまま炎を纏った剣で斬り裂く。
さらに斬り裂いたワイバーンを踏み台にして、もう一匹に狙いを定める。
だが、ワイバーンもただでは死なない。
顎を大きく開き、炎のブレスを吐き出した。
「真紅」
その炎を、グレンの炎は呑み込み燃やし尽くす。
炎すら燃やす炎、それこそ真紅。
「空中であれば、周りを気にする必要もないからね」
「さすが」
ワイバーン二匹を難なく倒し、グレンが地面に降り立つ。
グレンは剣をおさめる。
「お疲れグレン。さすが余裕だったな」
「なに、みんなの支援があったからこそだよ」
謙遜だな。
と、心の中で呟く。
「あと一匹いたよな?」
「ああ。出来れば僕たちで狩りたいね」
「距離がありますね」
「じゃあ他の倒しながら行こうよ!」
そのまま四人で次のターゲットを探す。
目標の半数を達成するため、作戦を練りながら進む。
順調。
きわめて順調な滑り出しだった。
次の瞬間。
空を漆黒が覆うまでは――
俺とグレンが空を見上げる。
「これは……」
「何だ?」
黒い闇が青空を覆い隠す。
その場にいた全員が上を見上げていた。
立ち止まり、訓練も忘れている。
「黒い……雲?」
シトネはそう言いながら首を傾げる。
続けてセリカが言う。
「雲ではなさそうです。ウィンネが怯えている」
風の精霊が震えている。
突如、それは何の前触れもなく出現した。
雲ではなく、見た目は沼に近い。
ドロドロとしているようで、落ちてはこないけど、何だか汚らしい。
そして――
漆黒のそれは、同じく漆黒の影を呼び出す。
ワイバーンと同じ形状をしている。
ただし、大きさはワイバーンの十倍を超え、迫力は似て非なるもの。
黒い翼を羽ばたかせ、ギロっと赤い目で睨まれれば、誰もが死を悟るだろう。
ほとんどの者たちが初対面。
俺は……久しぶりだ。
ドラゴンが声をあげ、翼をばさりと開く。
その迫力を前に、誰もが動けない。
森にいた全員が声を忘れ、戦うことも忘れてしまっていた。
ただ一人を除いて――
「蒼雷」
青い雷を纏い地面を蹴る。
そのままドラゴンの頭部を、思いっきり殴り飛ばした。
「リンテンス君!」
「全員下がれ! こいつは俺が倒す!」
俺が大声で叫ぶ。
シトネたちはもちろん、他のクラスメイトにも言ったつもりだ。
ドラゴンが相手では、さすがにみんなを庇いながら戦えない。
それに今回は、ドラゴンの中でも最強と評されるブラックドラゴンだからな。
ドラゴンには種類がある。
簡単な色分けで、黒と白がもっとも強い個体とされ、次が赤、黄、青、灰色の順だ。
俺が中間試験と言われ戦ったのはレッドドラゴン。
冒険者として追い払った群れは、青と赤の混合だった。
ドラゴンの尾が、空中の俺を叩き落とす。
吹き飛ばされた俺は、地面に叩きつけられた。
蒼雷を纏っているから平気だが、尻尾だけでかなりの破壊力を持っているようだ。
「ちっ、黒は初めてだな」
今の一撃だけでわかる。
他の色とは明らかに異なる強さだ。
本気で戦うべきだと悟り、大きく深呼吸をする。
ドラゴンも俺を敵として定めたのか、こちらを睨んでいる。
いつの間にか、さっきの黒い影は消えていた。
おそらく転移系の魔術で、人為的に送り込まれたのだろう。
色々と疑問はあるが、今やるべきことは一つだ。
「まず、お前を倒す」
右腕を前に伸ばし、左手で支える。
「赤雷!」
放たれる赤い稲妻。
言わずもがな、最大威力で放った一撃だ。
対してドラゴンは顎を開き、黒いブレスを放つ。
黒い砲撃と赤い稲妻。
二つがぶつかり合い、中央で爆発する。
「くっ……」
ブレスも桁違いだな。
赤雷で競り負けそうになったぞ。
ドラゴンは上空で毅然と待ち構えている。
まるで、ここまで来いと言っているように見えた。
上空対地上。
分があるのは上空だ。
ならばこちらも、同じフィールドで戦うまで。
色源雷術黄雷――
「鳳」
黄色の稲妻が走り、頭上で一つへと集結する。
集まった雷は形を変えていき、大きな雷の鷹となった。
黄雷は意思を持つ雷を生み出す。
召喚魔術の術式と掛け合わせることで、精霊のような存在を生み出す術式に進化した。
俺は鳳に飛び乗り空へあがる。
「藍雷――大槍」
そのまま藍雷で巨大な槍を生成。
ドラゴンの腹目掛けて投げ飛ばすが、硬い鱗に覆われていて、貫けず弾かれる。
「さすがに硬いか」
レッドドラゴンなら、今ので貫けたんだがな……
藍雷の貫通力では、ブラックドラゴンの鱗は貫けない。
加えて――
こいつは動きも速い。
頭も回るのだろう。
翼と尻尾を巧みに使い、俺を叩き落とそうとしている。
俺は回避しながら、赤雷と藍雷の弓を駆使して応戦。
しかし、どちらもブラックドラゴンにダメージは与えられない。
ノーモーションからのドラゴンブレス。
今度は赤雷が間に合わず、回避に徹した。
もし一撃でも受ければ、蒼雷を纏っている状態でも大ダメージを負う。
「さて……」
どうする?
俺は思考を回らせる。
ブラックドラゴンの鱗を貫く方法。
考えられるパターンはあるが、どれも時間がかかってしまう。
それを悠長に待つほど、ドラゴンものんびり屋じゃない。
一番可能性の高い手の中で、一番短い時間では使える手段。
それでも十秒はかかるだろう。
つまり、十秒の足止めがいるということ。
ならば――
「ドラゴンの相手は、ドラゴンに任せよう」
俺は両手を上にかざす。
「色源雷術黄雷――竜」
発生した膨大な雷撃が、一本の線を引くように伸びる。
さらにグルグルと雷が巡り、巨大な蛇のような形へ変化した。
同じドラゴンでも、こっちのはモチーフが違う。
神話や童話に登場する架空の生物としてのドラゴンであり、神の使いとも呼ばれる。
名を神竜という。
とぐろを巻いた竜が、俺と共にブラックドラゴンを睨む。
「さぁ、始めようか」
バリバリと雷が走る音が鳴り響く。
そして――
「行け」
黄雷で生み出した神竜が、黒き邪竜へ突っ込む。
弧を描くような軌道で、ドラゴンへと迫る。
ドラゴンは躱そうと翼を羽ばたかせるが、神竜のほうが速い。
一瞬で間合いを詰め、ぐるりとドラゴンに巻き付いた。
雷が走り、苦しそうにしているが、それでも致命傷には遠いだろう。
「さて、ここからだな」
俺は左腕を前に突き出す。
「藍雷――大弓」
藍雷によって弓を生成。
大きさはこれまでの比ではなく、ドラゴンと同規模のサイズで展開する。
藍雷の弓は、光魔術の弓とほぼ同じだ。
威力をあげたいなら、弓そのものを大きくすればいい。
光魔術の弓の場合は、大きくするほど精度が落ちてしまうが、藍雷はそのデメリットがない。
しいて言えば、莫大な魔力を消費するだけだ。
ふと、懐かしい記憶が脳裏によぎる。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「リンテンスはさ。モンスターと戦うより、人と戦う方が弱くなるね」
「は?」
修行中のことだ。
何の脈絡もなく、師匠からそんな指摘を受けた。
突然だったからか、反応も荒っぽくなる。
「おいおい、そう怒らないでおくれよ」
「あ、いやすみません。どういう意味でしょう?」
「言ったまんまだよ。君は人を相手にする方が弱くなる」
二度同じことを言われたが、俺は意味がわからなくて首を傾げた。
モンスターのほうが戦いやすいかと言われると、別段そうでもない。
そんな俺を見て、師匠はやれやれとジェスチャーをする。
「なるほど、自覚なしか」
「……」
「仕方ない、教えてあげよう。リンテンス、君は人が相手だと無意識に手加減しているんだよ」
「手加減……本気でやってないってことですか?」
「うん」
即答する師匠。
そんな自覚はない。
誰が相手だろうと、全力で戦っているつもりだった。
でも、師匠の目にそう見えているのなら、正しいのだろうとも思う。
師匠は続けて理由についても話す。
「原因は君の優しさだ。君はとても優しい。裏切られても、蔑まれても、根っこの部分の優しさは消えない。人を相手にすると、その優しさが滲みでてしまう。冒険者の依頼で盗賊退治をやっただろう?あの時も君は、殺さないように力をセーブしていたよ」
「そう……だったんですね」
「落ち込む必要はないさ。別に悪いことじゃないからね。人は殺したら死んでしまう生き物だ。強くなると忘れてしまいがちなことを、君はちゃんと理解しているだけだよ」
師匠は微笑みながらそう言ってくれた。
だけど……
「ただ、それは甘さとも言い換えられる。聖域者になるなら、その甘さを制御できるようにならないとね」
「制御ですか?」
てっきり捨てろと言われるものだと思った。
師匠はこくりと頷いて言う。
「そう、制御だ。手を下すべきとき、情けをかけるとき。それらを感情ではなく、思考で選択できるようになりなさい」
「悪には容赦するな、という意味ですか?」
「まぁ大体そんな感じかな。匙加減は君次第だけど、ようするにちゃんと考えられるようになれってことだよ」
「考える……難しそうですね」
「うん。捨ててしまうほうが楽かもしれない。でも、その優しさは君らしさでもある。捨ててしまうのは勿体ないし、何よりそれをなくせば、ただの人でなしになる」
そうして、師匠は最後にこう言った。
「だからリンテンス、君は優しいまま強くなりなさい」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
師匠に言われたことを思い出して、ふいにため息がもれる。
そういえば、同じことを最近グレンにも言われたっけ。
すみません師匠。
俺はまだまだ、自分の感情を制御できていないみたいです。
だから今は、ほっとしている。
「人じゃなくて安心したよ」
ドラゴンは神竜に巻き付かれ身動きがとれない。
この隙に、あれを倒せる一撃を構えよう。
藍雷で生成された巨大弓の威力は、一撃で山を穿つほどに達している。
ただ、おそらくこれでも足りないだろう。
ブラックドラゴンの鱗は、赤雷の最大出力でも容易には貫けない硬さだ。
威力を底上げしても、ダメージ止まりになる。
もっと貫通力が必要だ。
ならば――
「赤雷」
藍雷の矢に赤雷を纏わせる。
色源雷術最大の貫通力を誇る赤雷。
単体で倒せないなら、こうして混ぜ合わせれば良い。
これこそ、術式の応用。
対する標的は、未だ神竜に阻まれ動けない。
狙いはまっすぐ。
矢の先端を、ドラゴンの心臓部に向ける。
色源雷術――混。
「梔子一射」
赤黄色の一撃が放たれる。
稲妻は流星のごとく軌道を残し、ドラゴンの心臓を貫いた。
悲鳴をあげ、黄雷が拡散する。
ぽっかりと開いた穴から全身へ、雷撃が走った。
「ふぅ」
ほっと息をはく。
力尽きたドラゴンは、ゆっくりと地面に落下していった。
地に落ちた黒きドラゴン。
空から地上を見下ろし、そのまま視線をあげる。
広がっているのは雲一つない青空だ。
ただ、一時的に暗闇が襲ったことを思い出し、眉間にしわを寄せる。
「さっきのあれは一体……」
おそらく転移系の魔術だろう。
しかし、あんな術式は見たことがない。
少なくとも、俺が知っている転移系術式には当てはまらない。
そもそも、ブラックドラゴンを送り込んできた時点で……
「あれを手懐けていたというのか?」
その後、言わずもがな研修は中断された。
ドラゴンが出現してしまったのだから仕方がない。
明らかに人為的な犯行だったが、敵の正体も目的も不明。
王国の魔術師団が調査に当たることとなった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
初めて耳にしたのは噂だった。
単なる噂でしかないと、その時は深く聞かなかった。
だけど、噂は知らせとなって、俺の耳にも入ってくる。
聖域者の一人が死亡した。
もう一人は重傷を負い、現在意識不明の状態。
俺はその情報を、魔術学校の教室で聞いた。
「聖域者が?」
「嘘だろ……一体何があったんだ?」
ざわつくクラスメイトたち。
シトネも不安そうな表情で、俺に目を向けてくる。
ことの発端は十日ほど前。
大陸の東西両端にて、モンスターの大侵攻が起こった。
魔術師団が現場に急行したが、その後に連絡が途絶えてしまう。
緊急事態と考えた王国は、それぞれに聖域者を派遣、この対処にあたった。
聖域者は王国の最大戦力であり、最高の魔術師の称号。
彼らを派遣した時点で、この問題は解決したと思われていた。
しかし、最悪の事態となる。
モンスターの侵攻こそ止まったが、二人の聖域者が犠牲となってしまった。
噂と真実が混ざり合って、すでに王都中に広まっている。
聖域者が敗れたのだ。
それはつまり、聖域者をも凌駕する存在の証明。
人々の不安は高まっている。
王国を揺るがす緊急事態。
昨日のドラゴン襲来と重なって、先生たちも大忙しの様子。
その日の授業は午前中で終わり、午後は帰宅し待機するよう言い渡された。
俺とシトネは屋敷へ帰ることにした。
グレンとセリカも、今日は一緒に来てくれるという。
二人とも、俺を心配してくれたのだろう。
「屋敷に戻らなくて良いのか?」
「ああ」
「そうか」
屋敷に戻っても、暗い雰囲気が続く。
帰り道でも噂を耳にして、どんよりとした気分だ。
それを拭い去るように、俺は口にする。
「大丈夫だ。師匠は絶対に負けない」
「そ、そうだよね? アルフォース様が負けるなんてぜーったいないよ!」
「ああ。あの方は聖域者でも別格の強さをもっている。正式に誰がという発表がないだけで、アルフォース様ではないよ」
「私もそう思います。おそらく他の聖域者でしょう」
俺の意見に合わせるように、三人が口に出して言った。
そう、師匠は別格だ。
あの人が負けるなんてありえない。
俺の師匠だぞ?
世界で一番強い人なんだ。
絶対に大丈夫だと、俺は信じている。
だけど、そう言い聞かせながら、俺の心には雲がかかっている。
信じていながら、漠然とした不安は消えない。
何より王国の対応も不可解だ。
聖域者の訃報……それが事実なのはもはや間違いないとして、誰がという部分を発表していない。
それが更なる不安をあおっている。
そういえば、師匠は王国からの依頼で旅立ったのだった。
時期は今回の話と一致している。
もしかして……
駄目だ。
悪いことばかり想像してしまう。
師匠を信じているのに、どうしても考えてしまう。
未だ帰らない師匠の身に、何かが起こったのではないかと。
俺が感じている不安はきっと、国民たちが抱いているものとは違うのだろう。
どうか、どうか無事であってほしい。
「師匠……」
「おやおや、深刻そうな顔をしているね?」
不意に、後ろから声をかけられる。
一人ぼっちで訃報に暮れていたあの日のように、彼はふらっと現れた。
変わらぬ笑顔を見て、思わず俺は――
「師匠!」
そう叫んだ。
瞳からは、涙があふれる寸前だったよ。
「アルフォース様!」
「ただいま、みんな揃っているようだね」
何事もなかったかのように、師匠は自分の席に腰をおろした。
よいしょとおじさんくさい一言をそえて。
さっきまでの暗い雰囲気が、一瞬でいつも通りに引き戻されるようだ。
「師匠……無事だったんですね」
「うん。その様子だと、事情は一部分だけ伝わっているようだね」
師匠はため息交じりに言う。
「まぁことが重大だし、仕方がないのだろうけどね。それにしても、まさか負けたのが僕だと思われていようとは……」
「ち、違いますよ! 師匠が負けるはずないじゃないですか!」
「う~ん? だってさっき落ち込んでたでしょ?」
「そ、それはそうですけど……」
「はっはっはっ! 冗談だよじょーだん。心配してくれていたのだろう? ありがとう、リンテンス」
まったくこの人は、とあきれる。
不安だった心は、もう忘れてしまっていた。
師匠の声を聞いて、心にかかった雲が晴れたみたいだ。
「さてさて、色々と疑問はあるだろう。それについては安心したまえ。今から私がする話を聞けば、大方の疑問は解消されるはずだからね」
「その口ぶり……やはり師匠もこの件に関わっているんですね」
「もちろんだとも! と言いたいところだが、半分正解で半分違う」
半分?
と心の中で呟き、次の言葉に耳を傾ける。
「君も知っての通り、僕は王国からの依頼で留守にしていた。それを今回の件だと思っているなら間違いだよ」
「そうなんですか?」
てっきりそうなのだと思い込んでいた。
師匠は頷き、続きを説明する。
「うん。僕が受けていたのは別の依頼でね。この件とは全くの無関係だった。ことの顛末を知ったのもついこの間のことだよ。たぶん、君たちより数時間早い程度の差でしかない。もちろん、君たちよりは細かく事情を知っているけどね」
師匠は話しながら、テーブルの上のカップを手にかけ、紅茶を一口含む。
落ち着いたため息をこぼして、カチャリとカップを置く。
そして、唐突にこんな質問を投げかけてきた。
「リンテンス、以前に悪魔の話をしたことを覚えているかい?」
「えっ? あ、はい。覚えていますよ」
確か、悪魔がいるのかどうかの話だっけ?
俺はおとぎ話の生き物だと思っていたけど、師匠はいると断言していた。
それから……
悪魔と出会う時までに、戦えるようになっていてほしい。
師匠は俺にそう言ったんだ。
その記憶が脳裏をよぎり、師匠の言葉と繋がる。
「東西で確認された未確認生物……その正体こそ悪魔だった」
「なっ……本当なんですか?」
「うん、間違いないよ。戦った本人からの情報だからね」
「本人?」
聖域者の二人のことか。
でも一人は死亡して、もう一人も意識不明だと聞いている。
「生き残った一人、アベルがさっき目覚めたんだよ。両脚と左腕を失っていたが、命は何とか繋ぎとめていた。残念ながらシュレトンさんは、遺体も発見できなかったよ」
アベル・レイズマン。
師匠より後に聖域者となった男性で、家は騎士の家系。
太陽神ミトラの加護をもち、太陽の下では無限に等しい魔力量と、魔術センスを得られる。
類まれなる剣術の才能があり、太陽の騎士と呼ばれていた。
シュレトン・マーシャル。
現存していた聖域者では最年長のご老公。
御年六十二歳を迎えたが、まだまだ魔力も肉体も衰えることなく現役だった。
その源は、地母神レアの加護を受けていたからだろう。
大地を自在に操り、植物から生命力を分け与えられていたから、肉体の老化も緩やかだったに違いない。
師匠の師であるナベリウス校長の同期でもある。
「師匠、校長の所へは」
「うん、わかっているよ。さすがに後で顔を出すさ」
「そうですね。それが良いと思います」
きっと落ち込んでいるはずだ。
なんてわかった風に言うのは失礼かもしれないけど。
師匠も心配していることが伝わる。
そのまま師匠は詳しい説明を続けた。
東西を侵攻していたモンスターの群れ。
その群れを率いていた将こそ、悪魔だったという。
悪魔たちはモンスターを使い、近くにあった街や村を襲っていた。
モンスターたちに下されていた命令は『鏖殺』。
アベル様が到着した時には、女子供も無関係に、一人残らず殺されていたそうだ。
そして、モンスターの群れを一掃した後、悪魔と交戦した。
激しい戦いの末、アベル様は重傷を負ってしまう。
しかし、相手も傷を負い、止めを刺される前にどこかへ消えた。
シュレトン様のほうは詳細はわからない。
ただ、戦いの激しさを物語る痕跡が残されており、アベル様と同様の結果だったと予想されている。
「その後は大きな被害が出ていない。二人はちゃんと、人々を守るという役目を果たしたんだ。さすがだよ」
「……はい」
俺に合わせて、シトネたちも頷く。
師匠と俺の会話を邪魔しないよう、みんなは空気を読んで黙ってくれているようだ。
「師匠、聞いてもいいですか?」
「何だい?」
「悪魔ってそもそも何なんですか? 前に話した時も、具体的なことは話さなかったですよね? でも……」
師匠はたぶん、知っている。
悪魔という存在のことを、本に書いてある内容以上に。
そんな予感がして、俺は質問していた。
師匠は答える。
「そうだね。あの時はまだ……いや、今は話すべきだね。君の言う通り、僕は悪魔を知っている。というより、僕の中には悪魔の血が混ざっているんだ」
「えっ……」
「良い反応だね。普段なら喜ぶところだけど、今は調子に乗らず話を続けよう。混ざっているといってもほんの僅かだ。僕の祖先はね? 悪魔と人間の混血だったんだよ。その関係なのか、大昔の記憶が断片的に残っている」
そうか。
師匠の話を聞きながら察した。
以前、悪魔に会ったことがあるのか尋ねた時、師匠は半分正解だと言った。
半分と言うのは、そういう意味だったのか。
「当時、世界はとても平和だった。本の歴史だと種族同士で争っていたって書いてあるけど、あれは間違いなんだ。本当の歴史は別にある」
時を遡る。
今からざっと数千年以上前の話だ。
世界は今よりずっと平和で、今よりもっと栄えていた。
人口も現在の倍以上いて、国や街の数も多かった。
多数の種族が共に生き、助け合いながら生活していたという。
しかし、そんな平和を脅かす存在が地獄より現れてしまった。
「それが悪魔……地獄っていうのは?」
「おっと、そこも説明していなかったね」
うっかりしていたという感じに話す師匠。
そのまま続ける。
「実はこの世界ってね? 四つの世界が重なって出来ているんだよ」
四つの世界?
そんな話は聞いたことがない。
いろんな文献を読んでいるけど、チラリとも見かけなかった。
師匠は続けて説明する。
「四つの世界。昔は行き来も簡単だったらしいけど、今は事情が変わってしまったようだね。天使や神々が住まうという天界。僕たちが生きる現世。死した魂が還る冥界。そして、悪魔たちがいる地獄だ。彼らは地獄から現世に侵攻を開始した」
「目的は何だったんですか?」
「単純だよ。現世を支配することだ」
「何のために?」
「そこはいろんな事情が絡んでいるよ。まぁ当時の支配者が、支配欲に溺れていたことも原因だろうね」
地獄には三人の支配者がいる。
皇帝ルシファー、君主ベルゼビュート、大公爵アスタロト。
彼らは絶大な力を有し、荒れ狂っていた地獄をまとめ上げた。
地獄の統一を成し遂げた彼らが次の標的に定めたのが、現世だったという。
「侵攻は突然始まった。平和だった世界は一瞬でひっくり返ってしまったよ」
三大支配者を筆頭に、部下の悪魔たちによる大侵攻。
服従するなら慈悲を与え、抵抗するなら容赦なく殺す。
利用価値が低い老人は、服従の意思を示しても、モンスターの餌にされた。
「酷い……」
シトネから声が漏れていた。
非情、残忍、冷酷……その言葉がピッタリくる存在なのだろうと、俺は頭の中で想像する。
想像するだけで、吐き気がしそうな悪だ。
人々は抵抗した。
種族同士で手を取り合い、悪魔たちと戦った。
しかし、悪魔たちの力は常軌を逸していた。
特に三大支配者と、その直轄の部下である【六柱】と呼ばれた悪魔たちは、たった一人で大国を滅ぼせる力をもっていた。
そんな彼らに対抗できたのは、神々の加護を受けた者たちだけだった。
「今でいう聖域者。僕たちのような存在が、当時にもいたんだよ。彼らを主軸として戦い、何とか退けていた。たくさんの犠牲を払いながら……ね」
挑めば死ぬ。
それが当たり前のように、プチプチと踏みつぶされる命。
こんなにも命は軽かったのかと思い知らされるような光景だった。
そう、師匠は受け継いだ記憶を覗きながら話す。
「劣勢が続く中、神々の助力が得られることになった。ようやく重い腰をあげたんだ。もっと早くしろって、僕なら直談判に行っていたよ」
呆れながらそういう師匠。
師匠なら本当にそうしそうだ。
神が相手だからって、いつもの通りに振舞いそうな予感すらある。
「ともかく助力を得て、形勢は持ち直した。一瞬で逆転とはいかなかったようだけど、徐々に押し戻して、最終的に地獄と現世の境界で、最後の戦いが起こったんだ」
当時の聖域者たち七人と、三大支配者による激闘。
激しい戦いは三日三晩続いたという。
そうして勝利を納めたのが、聖域者たちだった。
三人の支配者を倒したことで悪魔たちは地獄へ撤退していった。
そして――
「全ての悪魔が戻ったあとで、聖域者たちは神々の協力の元、地獄に大きな蓋をしたんだ」
「蓋? 魔術的な結界とかですか?」
「大体そんな感じかな。僕もその辺りの記憶はあいまいでね。とはいえ、その蓋によって悪魔たちは現世に来れなくなった」
「なるほど……でもじゃあ、今いる悪魔はどこから来たんです?」
「無論地獄からだよ。何千年と経っているからね。蓋は緩んできている。一人や二人が出てくるくらいは出来る程にね。まぁそれと、三人の支配者が復活したことも関係しているかな?」
「えっ、復活……したんですか?」
「うん。間違いないね」
師匠はキッパリと言い切った。
師匠曰く、悪魔には完全な死は存在しないらしい。
一度滅んでも、長い年月をかければ復活できる。
そもそも蓋は、彼らが復活することを見越して作られたものだろうと師匠は付け加えた。
「とはいっても、今の状況では現世に来れない。緩んだ蓋の隙間も、絶大な力をもつ彼らでは小さすぎて通れないのさ。ただ、蓋を維持しているものを破壊すれば、その限りではない」
「じゃあ彼らの目的は、蓋の核を破壊することですね?」
「その通り。だからこそ、彼らは無作為に人々を襲い、二人を呼び寄せたんだ」
その時、頭に電流が走ったような感覚がした。
師匠の言葉と、過去の歴史。
それらをまとめると、彼らの狙いは――
「もうわかるよね? 聖域者こそ、蓋を維持する核なんだ。彼らの目的は聖域者の全滅と、聖域者を生み出す装置の破壊。つまり……」
「ここ?」
魔術学校に、悪魔が攻め込んでくる。
「聖域者を倒した悪魔が、この学校に攻め込んでくるんですね?」
「うん。彼ら自身がそう言っていたらしいよ」
悪魔と戦ったアベル様が、会話の中でその情報を引き出した。
いずれお前たちの城を落としに行く。
残りの楔共も集めておけ。
そして精々足掻いてみせろ。
去り際、悪魔はそう言い残したそうだ。
城と言えば王城だが、師匠の話を聞いた後では受け取り方も変わる。
残りの楔というのも、聖域者のことだろう。
彼らの目的は、師匠が教えてくれたことで間違いなさそうだ。
問題は……
「いつですか?」
「僕の予想だと、一週間以内かな。どれだけの傷を負ったのかにもよるし、最悪もっと早い」
現在、王城では急いで戦力を集めているそうだ。
とは言え、聖域者で叶わなかった相手に、魔術師や騎士を何人集めたところで意味がない。
死体の山を築くだけになってしまうだろう。
「じゃあ……師匠が戦うんですね」
「もちろんさ。そもそも僕以外では止められない相手だ。国王や重鎮たちもそれをわかっているから、もの凄く丁寧にお願いされたよ」
師匠は笑いながら語る。
笑い事ではないのだが、師匠らしくて安心する。
「師匠なら負けませんもんね」
「おうとも! と、言いたいところなのだがねぇ~」
笑顔からの落差。
急に深刻そうな表情を見せ、自分の頭をポンポンと叩きながら言う。
「正直に言うと、ちょっと厳しいかな」
「厳しいって」
「君も知っての通り、僕はこう見えて強い」
知っている。
この世界で最高の魔術師なのだから。
「悪魔が相手でも戦える。ただ相手は聖域者を倒したほどの手練れ……それも二人で攻めてくる可能性が高い。加えて学校を守りながらの戦いだ。一人なら何とかなるけど、二人はちょっとしんどい」
「師匠でも……ですか?」
「うん。だから――」
師匠が俺の眼を真っすぐ見つめる。
俺に何かを伝えようとしている眼だ。
この時点で俺は、師匠がこれから何を言うのか、何となく察した。
「一緒に戦ってくれる仲間がほしくて、ここへ立ち寄ったのさ」
言葉より先に、視線が雄弁に語る。
それは……お前だと。
「リンテンス、僕と一緒に悪魔と戦ってほしい」
「――!」
全身に稲妻が走ったような感覚に襲われる。
身が震えた。
恐怖ではなく、武者震いというやつだ。
「わか――」
「待ってください! アルフォート様!」
返事をしようとした俺の声を、グレンの声が遮る。
大きな声で怒鳴るように口を挟んだ彼に、全員の視線が向けられる。
「なぜ彼なんですか? 相手は聖域者すら倒すほどの強さなのでしょう? いくら何でも危険すぎます」
「グレン……」
グレンは俺のことを心配して言ってくれている。
口にした内容も正しい。
彼はさらに続けて進言する。
「協力を仰ぐのであれば、残る二名の聖域者に求めるべきではありませんか?」
「残念ながらそれは無理だよ」
「なぜです?」
「う~ん、ほとんど説明しなくてもわかると思うけどな~ ボルフステン家の人間なら、聖域者の事情にも詳しいはずだろう?」
師匠がそう言うと、グレンは黙り込んでしまう。
図星だったのだろう。
それでも、わかった上で聞くしかなかったのだと思う。
納得できないという表情は変わらない。
そんなグレンに、師匠はあえて説明する。
「僕以外の聖域者は二人。うち一人は数年前から行方不明。さすがに生きているとは思うけど、どこで何をしているかわからない。もう一人、彼女に協力を求めた所で、確実に拒否されるよ」
「どうしてですか?」
と聞いたのはシトネだった。
師匠は優しく答える。
「彼女は聖域者だけど、あまり戦闘が得意じゃないんだ。得ている加護も戦いに向いていない。彼女自身がそれを一番理解している」
「そう……なんですね」
「うん。もちろん聖域者だから、その辺の魔術師とは比較にならない強さだよ? それでも悪魔には及ばない。だから勝てない戦いには出てこない。そもそも彼女は隠れるのが得意でね。探すのがまず一苦労なんだよ」
聖域者にもそれぞれ事情があるようだ。
要するに、現状で戦える聖域者は、師匠ただ一人。
「聖域者に協力は頼めない。残された魔術師の中で、僕が知る限り一番可能性を持っているのはリンテンスなんだよ」
グレンたちの視線が俺に向く。
心配そうに見つめる彼らを見てから、俺は師匠に視線を戻して尋ねる。
「俺なら……悪魔に勝てるんですか?」
「僕はそう思っているよ」
師匠の答えを聞いて、心の中で決心がつく。
いや、決心なら最初からついていた。
師匠に頼られた時点で、回答なんて一つしか思いつかない。
「わかりました」
俺はまっすぐに師匠の眼を見つめながらそう答えた。
すると、師匠は嬉しそう微笑む。
「ありがとう。君ならそう言ってくれると思ったよ」
「師匠の頼みですからね。弟子として、断るわけにはいきませんよ」
「はっはっはっ、さすが僕の弟子だ」
師匠は笑っている。
俺の隣では、対照的に不安そうな顔をするグレンとシトネ。
「ありがとう、グレン」
「……本当にいいんだな?」
「ああ」
「そうか……」
グレンは言葉を呑み込んで、拳を俺の胸に当てる。
「死んだら絶交だ」
「おう」
男の約束を交わす。
せっかくできた友達と絶交なんて嫌だな。
これは意地でも勝つしかない。
それに……
「シトネもごめん。心配しなくて良い……って言っても無理だよな?」
「うん。心配するよ」
「……ごめん」
「ううん。信じてるよ」
「ああ」
心配してくれる人がいる。
一人ぼっちじゃないと教えてくれた人たちがいる。
だから俺は、負けるわけにはいかない。
決意を胸に、俺は立ち上がる。
いや、身体はもう立っているけど、心がという意味で。
「よーし! それじゃさっそく始めようか」
「始めるって、何をです?」
「もちろん修行だよ。それも初めての……ね。特別なことをする」
師匠が特別なんて言い方をすると、なぜだか無性に不安が過る。
続けて師匠は俺に言う。
「君には一番可能性があると言ったね? でも、今の君じゃ確実に負ける」
「えっ……負けるって」
さっきと話が違うような?
「当然だろう? 相手は聖域者ですら勝てなかった悪魔だよ? 神の加護も権能も持たない魔術師では戦えない。だから修行して強くなってもらう。これから、最短時間で」
悪魔の襲撃まで最大でも一週間。
これもただの予想でしかなく、もしかすると明日や明後日という可能性もゼロではない。
それほど短い時間で、俺に聖域者以上に強くなれと言っている。
「そんなことが出来るんですか?」
「出来るさ。僕にはそのための秘策がある」
師匠は胸にトンと手を当ててそう言った。
これまで師匠から色々と教わっているけど、その秘策とやらに心当たりはない。
考えらるとすれば、師匠の持つ権能だが……
「リンテンスは僕についてきて。他のみんなはすまないけど、ここに残ってもらえるかな?」
「わかりました」
「うん。なら行こうか」
師匠につれられ屋敷を出る。
向かった先は、魔術学校の闘技場だった。
すでに鍵を借りていたらしく、中へ入って明かりをつける。
当然のことながら、他には誰もいない。
二人きりの貸し切り状態なんて、中々味わえないことだが、今は素直に喜べなくて残念だ。
「さてさて、説明を先にしておこうか」
師匠はクルリとこちらを向き、改まって話し出す。
「さっきも言った通り、今の君では悪魔には勝てない。単純な戦闘能力だけなら、君より強い人は何人か知っているしね。それでも君を選んだのは、君の中に可能性が眠っているからだ」
「可能性……何度もそう言いますけど、可能性って何なんですか?」
「うーん、言い換えるなら潜在能力? いや、魔術師としての到達点か。改めて説明しようと思うと難しいね。結論だけ言ってしまうと、未来の君なら悪魔にも勝てる力をもっているんだよ」
「未来?」
唐突に、思いもよらない単語が跳び出して、思わず声に出てしまった。
「未来、あるいは将来、君は魔術師としての極致にたどり着く。僕の眼は特別製でね? 色々なものが見える。君の中にある本当の力は、君が思っている以上に凄いんだよ」
そう言って、師匠は俺の起源を指さす。
師匠の眼には、人の起源が見える。
本来見えないものが見える眼。
神の権能の一つとして与えられたものだと聞いた。
師匠の眼は、未来すら見えているのだろうか?
「厳密に未来を見ているわけじゃないさ。ただわかるんだ。そうなるってことがハッキリわかる」
師匠は話しながら、左腕に魔力を集める。
すると、白い花びら生成され、一本の杖を生み出した。
師匠が普段、武器として使っている魔術の杖だ。
見た目は派手な装飾の施されたタダの杖だけど、なぜか剣より斬れたり、硬い岩を粉砕できたりする。
師匠曰く、師匠のイメージによって強化されているらしい。
その杖を持ち出し、コンと地面をたたく。
「今から君には【夢幻結界】という場所に入ってもらう。そこは僕の権能で生み出した全く別の空間だ」
「何度か修行で使っている空間とは違うんですか?」
「違うよ。系統は同じだけど、こっちは色々とアレンジしてあるから」
「そうなんですね。それで俺は、その空間で何をすればいいんですか?」
「戦うんだよ。未来の自分とね」
「えっ……」
師匠の言葉に驚き口を開ける。
まったく今日は驚かされてばかりだな。
「正確には、君の起源から読み取った情報を基に作られた幻影だ。君が将来たどり着く姿を具現化し、投影する」
「それと戦って、勝てばいいんですか?」
「そうだとも。勝利すれば、君は未来の自分の力を手に入れられる。その力をもって、僕と一緒に戦ってほしい」
「わかりました」
即答した俺に、師匠は呆れたように微笑む。
そうして続けてこう尋ねる。
「最後に一つ確認するよ。この修行は一度始めれば止められない。幻影か君、どちらも残っている限り、空間からの脱出もできない。次にこっちへ戻ってくるときは、勝ったときだけだ。負ければ当然死ぬ」
俺はごくりと頷く。
「相手は未来の君だ。確実に強い……負ける可能性のほうが高い。それでもやるかい?」
「今さらですね。師匠はそれでもやれって言うんでしょう?」
「よくわかってるじゃないか。どの道、悪魔に負ければ終わりだ。命をかけるのが今か、この後かの違いだよ。それに僕は信じている。僕の弟子なら、この程度の試練は簡単に超えてみせると」
「そうですか……なら、弟子として師匠の期待に応えてみせます!」
師匠が出来ると言ったんだ。
それなら間違いなんてない。
今までも、そうして強くなってきたのだから。