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 かくして僕は篠崎の未練を消す手伝いをすることになった。
 のは、まあいいのだが。
「お願い! 私のノートを取って来て欲しいの!」
 帰宅直後、手のひらを合わせお願いのポーズをしてくる篠崎に僕は深い溜め息を吐いた。
「絶対に嫌だ」
「そこを! どうか!」
「あのさ、僕はたまたま何の因果か篠崎のことが見えるからいいけど、お前の家族は見えないんだろ? まだ日も浅いし、傷口広げるようなことしたくないんだけど」
 いくら幼馴染みと言えども、死んで一週間ほどしか経っていないのに「部屋見せてください」なんて言って訪ねられる訳がない。それくらい考えたらわかるだろ。
「てか何、ノートって」
「こう見えて私も、いっちょ前に『死ぬまでにやりたいことリスト』なるものを書いてたの。そのノート」
 王道に王道を重ねた終活だ。そうか。やっぱりそういうものを書いてしまうものなのか。僕も篠崎のような状況になったらノートにしたためるだろうか。考えてみたけど、全然想像がつかなかった。僕は案外、この世界に対してドライなのかもしれない。
「で、そのノートを取って来いと」
「だって未練って言われて思いつくの、そこに書いたやり残したことくらいしか思いつかないんだもん」
「だからって取りに行く必要あるか?」
「それは、その、ほら、ちょっと内容確認したいっていうか」
 何で内容を憶えていないんだよ。あくまでも死ぬまでにやりたかったことだろ。そんな大事なこと忘れるなよ。それともあれか。死んでもう叶えられなくなったから忘れたとか、そういう感じのことなのだろうか。
「ていうかさ、篠崎が自分で取りに行けばいいじゃん。ほら触れるかもしれないし」
 篠崎は生前自分の所有物だったリストバンドには触ることが出来た。ということは、彼女のものであれば触ることが出来るのではないかというのが、僕の立てた新たな仮説だ。これまで全部外れているから今回も当たっている気はしないけど、当たっている可能性だってまだある。
「でも、あ、えっとネガティブなこと言おうとしているんじゃなくて」
 前回このパターンになったときに、僕が怒ってしまったからか篠崎が弁明の言葉を前置きしてきた。何か申し訳に気持ちになってしまう。
「いいから、言ってみろよ」
「じゃあ言うね」
 軽く息を整えて、篠崎が言う。
「もし駄目だったとき、二度手間じゃない?」
 僕は言葉が出なかった。
「だって私が行って持って帰って来れたらいいけど、駄目だったら結局洸基にお願いすることになっちゃうし」
 篠崎は至って真面目な顔で続ける。
「それなら二人で一緒に行った方がいい気がするんだけど」
「………………ああ、もう、それでいいよ」
 僕は頭を抱えながらそう返した。
 もうずっと篠崎に振り回されっぱなしだ。
「いいよ、行ってやるよ。で、いつ行く?」
 こうなればやけだ。どうせ僕は幽霊が見えるようになってしまったうえに、触れるという常軌を逸した存在だ。それに手伝うとも言ってしまったし、大人しく篠崎の力になろう。
「今から、はさすがに駄目だよね」
「駄目に決まってるだろ。バカ」
 もう夕方だし、連絡もなしにいきなり訪ねるとかそれこそ非常識だ。僕は確かに人間離れはしてしまったが、まだ常識だけは捨てていないつもりだ。
「じゃあ普通に土曜とかかな? 土曜ならお母さんいると思うし」
「なら土曜だな」
 僕は篠崎の連絡先しか知らないが、母さんならおばさんの連絡先を知っているだろう。あとで篠崎の部屋に入れてもらえるような、何か適当にそれらしい理由を作っておばさんに連絡してもらおう。
「今さらだけど、篠崎の部屋入っていいのか? 見られたくないものとかさ、もう隠せないからな」
「大丈夫だよ。私、洸基と違ってやましいものとか持ってないし」
「おい、待て。僕だってやましいものなんて一切持ってないからな」
「男の子なのに?」
「性別とか関係ないだろ」
 むしろ今どき女子の方が見るっていう噂をちらほら聞くから、男だから持っているというのは偏見だ。というか僕は本当に、まじで、一切、その手のものは持っていない。だいたい買える年齢じゃないし。いや、買える年齢でも買うつもりはないけど。
「洸基ってむっつりなの?」
「違う。断じて違う」
 確かに押し倒され事件のときはちょっと心拍数上がっちゃったけど、それは誰だって同じだろ。つまり僕は悪くない。むっつりじゃない。
「つまり普通に手出すってこと?」
「出さねえよ!」
 どうしてこうも僕を変態にしたいんだ。
「えーでも小学生のとき、よく私のスカート捲ってきたくせに」
「……その節はまじで申し訳ないと思ってる」
 あの頃はそれしか気を引く方法が思いつかなかったんだよ。残念な子供だった。心の底から反省している。
「でもあれ別にパンツ見たかった訳じゃないし」
「じゃあ何で?」
 僕のしたことで困る → 僕を気にかけてくれる
 という思考回路をしていたことなんて死んでも言えない。困らせたいとか、それこそ変態みたいじゃないか。
「ただのいたずらだって。深い意味はないし、もう二度とやらないから」
「それは心配してないけど、洸基は根っこがいたずらっ子だからなあ」
 僕の性根が腐ってるなんて、百も承知だ。そもそも根が真面目とか優しければ、好きな子いじめなんて絶対にやらない。
「とにかく今の僕はあの頃とは違うから、許可なく女の子に手を出したりしないし、変な本とかも見たりしないから」
「ならロマンチストなんだね」
「もうそれでいいよ」
 どうしてそこでそう繋がるのかまるでわからないが、変態と思われるよりはロマンチストと思われる方がまだましだ。
「てか何でこんな話になってるんだよ」
「洸基が私の部屋にやましいものがあるんじゃないかって言いだしたんでしょ」
「いや僕はそういう意味で言ったんじゃなくて、もっと大きい意味で言ったんだ。単純に人に見られたら恥ずかしいものってあるだろ。例えば昔の落書き帳とか、何かそういうの」
 少なくとも僕は絶対に見られたくない。
「うーん。そういうのも特にないかな。私のお願いしてるノート『死ぬまでにやりたいことリスト』だよ。その時点でないも同然だよね」
「それもそうか」
 『死ぬまでにやりたいことリスト』ほど、自分の心の内を曝け出しているものはないだろう。だってそれは、自分が死ぬまでの日記帳と同じようなものなのだから。
 篠崎は一体どんなことを思いながら、そのノートを書いていたのだろう。いつか叶えられると思って書いていたのか。それとも駄目だとわかったうえで書いていたのか。もっと別のことを考えながら書いていたのか。どうなんだろう。
 僕には死にかけた経験はない。大きな怪我一つしたことがない。だから僕は篠崎の気持ちを、心の底からはわかってあげられない。
「なあ篠崎」
「何?」
 お前は死ぬとき、何を思ったんだ?
「…………いや、何でもない」
 そんなことを死んだ人間に聞こうとするなんて、やっぱり僕は性根が腐っている。
 無神経で、なんて最低なやつなんだろう。

 土曜日。
 僕達は篠崎の家に来ていた。
 僕と篠崎の家は自転車で十分くらいの距離にある。だから今日も本当は自転車で来たかったのだけど、篠崎が自転車に触れられず二人乗りをすることが出来なかったので徒歩での移動を余儀なくされた。まあ元々歩くのは結構好きだし、毎朝駅まで歩いて行っているからたいして苦ではなかった。
 インターホンを押せば、すぐにおばさんが出てきて中に入れてくれた。
「すみません。まだ全然日も経っていないのに来てしまって」
「いいのよ。洸基くんなら、椿もきっと喜ぶと思うから」
「お母さんただいまー」
 その喜ぶとされている相手は今普通に僕の隣にいるだなんて口が裂けても言えない。
「先に椿に会うでしょ」
「あ、はい」
 ちらりと篠崎を見る。ここに篠崎がいるというのに、彼女の仏壇の前に行くのは何だか気が引けた。でも篠崎は気にしていないという意味なのか、僕に笑顔を見せてくれた。それが救いだった。
 篠崎の仏壇は和室の居間にあった。
 正座をし、真正面から仏壇と向き合うと、遺影の中にいる篠崎と目が合う。
 その篠崎は高校の制服を着ていた。学生証用に撮った写真だろうか。綺麗に写っていた。今と何一つ変わらない笑顔を浮かべていて、胸が痛んだ。
 線香に火をつけて、両手を合わせ、目を閉じる。
 ああ、嫌だ。気持ちが悪い。
 篠崎はまだここにいるのに。僕のすぐ近くにいるのに。どうしてこんなことをしているのだろう。祈りを捧げる相手は目の前じゃなくて、隣にいるというのに。何で。何で。
「洸基」
 名前を呼ばれてはっとなる。
「大丈夫?」
「何が」
 幸いこの空間には僕しかいないし、この時間は僕が篠崎の仏壇に語りかけるためのものとされている。多少声を出しても怪しまれはしないだろう。
「目」
「目?」
 言われて、僕は自分の目を触ってみた。
 僕の目はほんの少し濡れていた。
「大丈夫?」
 もう一度、篠崎が聞いてくる。
「大丈夫。ほら、今日の目的はノートだろ。さっさと済ませよう」
「……うん」
 居間から出ると、すぐにおばさんと目が合った。
「もういいの?」
 僕は頷いた。
「そう。えっと、それで椿の部屋だったかしら」
「はい。しのざ……椿に貸していたものがあって、ちょっと探させてもらいたいんですけど」
「全く。あの子ったら、そういうことはちゃんと言っといてもらわないと」
「全部嘘だけどね」
 この空気を読まない発言を聞いているのが僕だけで良かったと心底思う。
「あの子の部屋、入院する前から何も動かしていないの。でも気にしないで好きに探して」
「……ありがとうございます」
「部屋の場所は大丈夫よね?」
「大丈夫です」
「良かった。じゃあ私はここで待ってるから、用が済んだらまた声をかけて」
「わかりました」
 軽く一礼をして、篠崎の部屋に向かう。
 最期に入ったのは中三の夏頃だったろうか、篠崎の部屋は本当に何も変わっていなかった。女子らしい、白とピンクが融合したような部屋。本棚に並んでいるのはほとんどが少女漫画で、小説はライトノベルが数冊あるくらい。ベッドの上にはぬいぐるみがいくつも並んでいる。
 時が止まってしまったかのようなこの部屋にまた胸が痛くなる。
 駄目だ、と首を振る。これ以上考えるな。また篠崎の前で泣くつもりか。
「それで、ノートは何処にあるんだ?」
 いつも通りを装って、篠崎に聞いてみる。
「たぶん机の引き出しの中じゃないかな」
「たぶんって、おい」
「だって死ぬ少し前まで使ってたんだもん。何処に片付けたのかなんて、私知らないよ」
「ここにないって説は?」
 おばさんはさっき「入院する前から何も動かしていない」と言っていた。だとしたら、入院時に使用していたものはまた別の場所に保管している、ということはないだろうか。
「なら私が他のとこ探してみるよ。といっても触れないだろうから、軽く見るだけになっちゃうけど」
「そうするか」
 篠崎の家族は篠崎の姿を見ることが出来ない。だから篠崎が自由に動き回っても気付かれることはない。
「じゃあ、一通り見終わったら戻って来るね」
「わかった」
 篠崎が部屋から出ていって、僕一人になる。
「よし、探すか」
 とりあえず篠崎の言っていた机の引き出しを開けてみる。中には何冊かノートが入っていた。表紙を捲って中身を確認してみたが、どれも違っていた。中学のときの授業用ノートだった。僕はもう全部捨ててしまったのだけど、篠崎はその選択すら出来なかったということなのだろう。
 次に本棚を見てみたが、別に変ったものはなく、ただ普通に本が並べられているだけ。
「クローゼット、はさすがにないか」
 服と一緒に『死ぬまでにやりたいことリスト』が入れられていたら、ちょっと引く。
「やっぱり収納スペースか?」
 あそこなら後からいくらでも入れられるし、篠崎の部屋の配置を動かしたりする必要もない。もしそこになければ、別の場所に置いていると踏んで間違いないだろう。
 収納スペースの扉を開けると段ボールがいくつかあった。埃を被った段ボールが多い中、ただ一つだけ綺麗なままの真新しい段ボール。僕はそれを引っ張り出し、開封した。
「……これか?」
 パジャマにぬいぐるみ、漫画、それからゲーム機と闇鍋のような箱の中に、ノートが一冊入っていた。そのノートを手に取って、僕は顔をしかめた。
 いや、たぶん、これなのだろう。一応中を拝読させてもらうと、一ページ目にとても大きな字で『死ぬまでにやりたいことリスト』と書かれていた。大丈夫。これであっている。ただ、一つ言わせてもらいたい。
「何でこのノートの名前が『デスノート』なんだよ!」
 あいつデスノートの意味知らないんじゃないのか。デスノートって書いたら死ぬやつだぞ。何で書いたら死ぬノートに行きたい場所とかやりたいこと書くんだよ。行けば死ぬし、やったら死ぬだろ。
「……ああ、もうバカ過ぎんだろ」
 あまりの衝撃に身体の力が抜け、その場にへたり込む。
「本当、何なんだよ」
 どうせ何も考えず「死ぬまでにやりたいことを書く用のノートだから、じゃあデスノートだ」みたいなノリで名前をつけたに違いない。何でも英語にしたらかっこよくなるとでも思っているのだろうか。何だそれ、中学生男子か。
 こういうちょっと頭が足りないところ、全然変わっていない。
 篠崎がその場にいるだけで皆が自然と笑顔になる。そういう不思議な力が彼女にはあった。
 好きだった。
 篠崎の作る空気が。皆の中心で笑っている彼女が。
 ずっと、好きだった。
 彼女は変わらない。この先もずっと、彼女で在り続ける。
 何故なら彼女の時間は、止まってしまったから。
 たとえ幽霊として戻ってきたのだとしても、彼女の時間は動かない。永遠に死んだときの姿のまま。成長することなく、この世界に取り残され続ける。
 彼女が成仏し、次の人生を歩まない限り。
「篠崎」
 さっき一度泣いてしまったからか、簡単に涙がこぼれそうになってしまう。乱雑に目を擦り、その痛みでどうにか堪える。
 大丈夫だ。今のこの状況自体が何かのバグのようなもので、篠崎はもうとっくに死んでいるのだから、消えていなくなった世界こそが正常なんだ。僕達はその正しい世界に戻そうとしているだけ。ただ、それだけ。
 わかっていたはずだろ。手伝うと決めたその瞬間から、僕達が行きつく果ては見えていたはずだ。なのにいざこうして、そのための道標に成り得るものをみつけたら思ってしまった。
 篠崎に、ここにいて欲しいって。
 こんなの間違っている。わかっている。全部全部わかっている。
 それでも僕は。
「こーきー」
 僕の名前を呼ぶ声がして振り返ると、篠崎が残念そうな顔をしながら部屋に入ってきたところだった。
「一通り見てきたけど、何処にもなさそうだったよ。そっちはどうだった?」
 僕は。
「洸基?」
「……いや、こっちにもなかった(、、、、、、、、、)
 みつけたノートを鞄の中に隠す。篠崎は僕の鞄には触れられないから、僕が下手をしない限り気付かれることはない。
「簡単に触れないところに置いてるのかもな」
「そうなのかな」
 篠崎が僕のところに辿り着く前に段ボールの蓋を閉じる。そして元の場所よりもやや奥にしまい込んだ。扉を閉めて、篠崎と向かい合う。
「てか、別にノートに頼らなくても、今の篠崎が行きたいところとかやりたいことをすればいいんじゃねえの。書いたけど憶えてないやつって、きっとその程度で本気でやりたかったことじゃないんだって」
 何とか誤魔化そうという思いから、つい饒舌になってしまう。そのことに気付いてしまった瞬間、心臓の動きが速くなった。締め付けられるような苦しい感覚に、冷や汗が背中を伝った。
 どうか篠崎に不審に思われませんようにと強く願う。そう思うのは、やっぱり僕のしたことがどうしようもなく間違っているから。
「洸基の言う通りかもしれないね」
 その言葉を聞いたとき僕は心の底から安堵した。気付かれなくて良かったと、そう思ってしまった。本当に救いようがない。
「何がしたいのか、ちょっと考えてみろよ」
「そうするー」
「今日はもう帰ろう。あんまり長居するのも悪いし」
「えーでもここ私の部屋なんだけど」
「じゃあ置いて帰る」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 篠崎椿は変わらない。この先も、きっとずっと、彼女は彼女のまま。あの頃のまま。
 そして僕も。
 あの頃と何一つ変わっていない。また篠崎を困らせる選択をしてしまう。
 本当に消えた方がいいのは。
 僕の方なのではないだろうか。

 篠崎の家を出て、僕達は並んで歩く。
「あーあ。結局、進展なかったなあ」
「なかったけど、どうするかの方針は決まったんだからそれでいいだろ」
 スマホで電話をするふりをしながら、そう返事する。学校とかでは出来ないけど、街中や道を歩いているときならこの方法を使えば会話出来るとついさっき気が付いた。
「まあそうなんだけど」
 何処か納得のいかないという顔をする篠崎を見て、ズキズキと心が痛む。あの頃もそうだった。やってしまってから事の重大さに気が付いて、一人、罪悪感に苛まれる。
「……で、やりたいこと思いついた?」
 それでも僕は引き返さない。
 僕は今、この瞬間に篠崎といられる時間を選ぶ。
「それが難しくて」
「やり残したこと沢山あるんじゃなかったのかよ」
 篠崎がそう言ったから、こうして未練を消していこうってなったんだぞ。これでもし「何もない」なんて言われたら、僕は一体何のためにノートを隠したのかわからなくなる。
「あるけど、いざ聞かれるとなあ」
「何でもいいから言ってみろよ」
「あ、じゃあ」
「椿?」
 呼ばれるはずのない彼女の名前を呼ぶ声がして、僕達は同時に振り返ってしまった。
 そこにいたのは僕もよく知っている子だった。彼女は目を見開いて、茫然とその場に立ち尽くしている。
「…………桃花(ももか)?」
 篠崎が彼女の名前を呼ぶ。
「やっぱり椿だ。何で南波と一緒にいるの。どうして。だって椿は」
 彼女の目に涙が滲む。口に手を当てて、うわ言のように「どうして」と言い続けている。
「椿……」
 次の瞬間、彼女が走り出す。
 篠崎の方にではない。篠崎のいない方に走り出したのだ。僕達に背中を見せて、彼女は僕達から離れていく。
「待って、桃花!」
 篠崎が彼女を追いかける。
「ちょ、おい、篠崎!」
 その篠崎を僕が追いかける。
「桃花、止まって。お願い!」
 篠崎が彼女に向かって手を伸ばす。
 そして。
 彼女の腕を、掴んだ。
「え」
 短い小さな声が二つ重なる。
 二人が固まっている間に、ようやく僕は追いついた。
「ちょっと、どういうこと。何で。ねえ南波! あんた何か知ってるんでしょ!」
 酷く動揺した彼女の怒りの矛先が僕に向けられる。でも仕方がないと思う。僕は篠崎と一緒に道を歩いていて、それを見られてしまった。挙句の果てには篠崎が彼女の腕を掴んでしまった。問い詰められるだけの理由は充分に揃っている。
「答えなさいよ!」
「わかったから少し落ち着けよ」
「これが落ち着いていられると思う!?」
 彼女の気持ちはわからなくもない。
 だって彼女は。
「桃花、あのね」
「ていうか椿もそろそろ手離してよ」
「でも」
「もう逃げないから。南波もいるし」
「……わかった」
 篠崎が掴んでいたその手を離す。宣言通り彼女が逃げることはなかった。
「それで、これはどういうこと」
 怒気を孕んだ目が僕を捕らえる。
「ここじゃあれだから、僕の家に行こう」
「わかった」
「篠崎も別にいいよな」
「私は全然大丈夫だけど」
 気まずい空気だった。
 どうしてこんな空気になっているのか、僕にはわからなかった。
 だって彼女は。
 結城(ゆうき)桃花は。
 篠崎の親友だったから。