(コレって、純也さんと話してたことと何か関係あるのかな……?)
愛美はふとそう思った。確信はないけれど、何となくそう思ったのだ。
珠莉は何か、純也さんの秘密を知っている。それが何なのかはまだ分からないけれど。そして多分、彼女はその秘密を自身の口からは教えてくれないだろう。叔父が自ら打ち明けるまで。
(本人が打ち明けてくれるまで、待つしかないか……)
モヤモヤしながらも、愛美は自分の恋がほんの少しだけ進展を見せかけていることに喜びを感じていた。
****
『拝啓、あしながおじさん。
お元気ですか? わたしは今日も元気です。
今日の放課後、珠莉ちゃんの叔父さんが寮に遊びに来ました。高級パティスリーで買ってきたっていう、チョコレートケーキ1ホールを持って。
チョコスイーツ好きのさやかちゃんはもうそれだけで喜んじゃって、わたしも純也さんが会いに来て下さったのが嬉しくて。そのままわたしたちのお部屋で、四人でお茶会をしようってことになりました。
ケーキは純也さん自らが切り分けて下さって、一人二切れずつ頂きました。
純也さんはわたしが冬に入院してたことを、珠莉ちゃんから聞いてたらしくて。心配して来て下さったそうです。でも、わたしの元気な姿をご覧になって、ホッとされたみたいです。
みんなで色んなお話をしました。っていっても、ほとんどわたしと純也さんばかりお喋りしてたんですけど(笑)
農園でのこと、純也さんの子供の頃のこと、わたしの小説がコンテストで大賞を頂いたこと、そして純也さん自身のこと……。
純也さんは、おじさまのことをご存じみたいです。同じNPO法人で活動されてるっておっしゃってました。おじさまが初めて女の子を援助されることは伺ってたけど、それがわたしのことだと知って驚いたって。こんな偶然ってあるんですね。
そして、純也さんは「楽しかったよ」っておっしゃって、すごく上機嫌で帰っていかれました。
珠莉ちゃんが言うには、「純也叔父さまがあんなにご機嫌なのは愛美さんのおかげ」だそうです。わたし、すごく嬉しくて、ますます彼のことを好きになっちゃいました。
あのね、おじさま。わたし、今日純也さんのおっしゃってたことで、すごく心に残ってる言葉があるんです。それは、「世の中に当たり前のことなんてないんだ」ってことです。
今の日本って、法律で色んな権利が守られてるでしょう? でも、それを当たり前だって思ってちゃいけないんだな、って。一分一秒、自分が生かされてるこの瞬間に感謝しなきゃいけないな、って。
わたしだって、今当たり前に学校に通えてるわけじゃない。両親が亡くなってから、わたしを育ててくれたのは〈わかば園〉のみなさんだし、おじさまがいて下さらなかったら、わたしは高校に入れなかった。だから、純也さんのおっしゃった意味が、わたしにはよく分かるんです。
彼ご自身も、恵まれた境遇に生まれ育ったことを当たり前に思うことなく、私財をなげうって困ってる人たちの支援をなさってます。それって、なかなかできることじゃないですよね。でも、彼はそのことを「当たり前のことをしてるだけだから」ってサラッと言っちゃうんです! すごいと思いませんか?
わたしもいつか、純也さんみたいな人になりたいです。そんなに大げさなことじゃなくていいから、困ってる人を見つけた時、そっと手を差し伸べられるような人になりたいと思ってます。
ごめんなさい、おじさま。なんか純也さんのことばっかり書いてますね。もうこれくらいでペンを置きます。 かしこ
四月 十二日 おじさまのことも大好きな愛美 』
――それから数週間が過ぎ、G.W.が間近に迫った頃。
「相川さん、お疲れさま。もう部活には慣れた?」
文芸部の活動を終えて、部室を出ていこうとしていた愛美は、三年生の部長に声をかけられた。
彼女は前部長が卒業するまでは副部長をしていて、三年生に進級したと同時に部長に昇格した。お下げの黒髪がよく似合い、シャレた眼鏡をかけているいかにもな〝文学少女〟である。名前は後藤絵美という。
「あ、お疲れさまです。――はい、すっかり。すごく楽しいです」
「よかった。あたしも冬のコンテストの大賞作読んだよー。すごく面白かった。さすが、千香先輩が見込んだだけのことはあるわ」
「いえ……、そんな。ありがとうございます」
愛美は何だか恐縮して、控えめにお礼を言った。――ちなみに、前部長の名前は北原千香というらしい。
一年生の新入部員の子たちと一緒に入部した愛美は、最初の頃こそ「相川先輩」「愛美先輩」と呼ばれ、一年生たちから少し距離を置かれていたし、愛美自身も一年下の〝同期〟にどう接していいのか分からずにいたけれど。
最近では一歳くらいの年の差なんてないも同然で、一年生の子も気軽に声をかけてくれるようになった。敬語は使われるけれど、同じ小説や文芸作品を愛する仲間だ。
「来月に出す部誌は、新入部員特集号だから。巻頭は相川さんの作品を載せることにしたんだよ」
「えっ、ホントですか!? ありがとうございます!」
愛美も今度は、思わず大きな声でお礼を述べた。
新入部員とはいえ、自分は二年生だから、一年生の子に花を持たせてやりたいと思っていたのだ。
「うん。あの作品、みんなから評判よくてね。満場一致で巻頭に載せるって決まったの」
「そうなんですか……。なんか、一年生の子たちに申し訳ないですけど、でもやっぱり嬉しいです。――じゃあ、失礼します」
後藤部長に会釈して、愛美は親友であるさやかと珠莉の待つ寮の部屋に帰った。
それぞれ陸上部と茶道部に入った二人(さやかは陸上部・珠莉は茶道部)は、今日は部活が休みだと言っていたのだ。
「――ただいまー」
「あ、愛美。お帰りー」
部屋に入ると、すでに長袖パーカーとデニムパンツに着替えていたさやかが出迎えてくれた。
珠莉はスマホを手に、誰かと電話している様子。
「部活はどう? 楽しい? ――はい、コーラどうぞ」
スクールバッグを床に置き、勉強スペースの椅子に腰を下ろした愛美に、さやかは炭酸飲料の入ったグラスを差し出す。
「ありがと。――うん、楽しいよ。一年生の子たちとも、だいぶ打ち解けてきたかな。さやかちゃんの方は?」
「楽しいよ。まあ、練習はしんどいけど、走ってるとスカッとするんだ。記録も縮まってきてるし、うまくすれば来月の大会に出られるかも☆」
「へえ、スゴ~い! わたし、その時は絶対応援しに行くよ☆ ……ところで珠莉ちゃん、誰と話してるの?」
愛美は電話中の珠莉をチラッと見ながら、さやかに訊ねた。
「ああ。なんかねえ、ほんのちょっと前に純也さんから電話かかってきてさ。もう、ホントについさっき」
「純也さんから?」
彼の名前が出た途端、愛美の胸がザワつく。
この部屋で、四人でお茶を飲んでからまだ数週間。こんなにすぐに、また彼の名前を聞くことになるなんて思ってもみなかった。
(……純也さん、わたしに「電話代わって」って言ってくれたりしないかな……なんて)
こっそり、淡い期待を抱いてみる。自分から「珠莉ちゃん、電話代わって?」と言うのも、何だか厚かましい気がするし……。
「――えっ、愛美さんに代わってほしい? ……ええ、今帰ってきたみたいですけど」
その期待が、純也さんにも伝わったんだろうか? 彼と電話中だった珠莉が急に驚いた様子で、愛美の方を振り返った。
(……えっ? ウソ……)
愛美の胸が高鳴った。早く純也さんと話したくて、待っている時間がもどかしい。
「ええ、今代わりますわ。――愛美さん、純也叔父さまがあなたとお話ししたいそうよ」
「……あ、うん」
彼からの指示だろうか、珠莉がスピーカーフォンにした自身のスマホを愛美の前に置いた。
「もしもし、純也さんですか? わたし、愛美です」
『やあ、愛美ちゃん。純也です。こないだはありがとう。元気にしてる?』
「はい、元気です。――今日はどうされたんですか? お電話、わざわざわたしに代わってほしいなんて」
大好きな純也さんの声に胸がいっぱいになりながら、愛美はこの電話の用件を彼に訊ねた。
『うん、愛美ちゃんとまた話したくなったから』
「え…………」
『……っていうのも、もちろんあるんだけど。実はね、連休中に東京で公演されるミュージカルの前売りチケットが買えたんだ。四枚あるから、よかったら一緒に観に行けないかな、と思って。珠莉も、さやかちゃんも一緒に』
「ミュージカル……。っていうか、東京!? いいんですか!?」
純也さんのお誘いに、愛美は目を瞠った(テレビ電話ではないので、純也さんには見えないけれど)。
『うん。ついでにみんなで美味しいものでも食べて、買いものがてら街を散策するのもいいね。横浜からなら日帰りで来られるだろうし。――そうだな……、五月の三日あたり。どうかな?』
「えーっと……、ちょっと待って下さいね。二人にも都合訊かないと。――どうする?」
〝相談する〟といっても、スピーカーフォンなので愛美たちの会話の内容は純也さんに筒抜けである。
「あたし、久しぶりに東京で遊びたい! 冬休みには、ウチの実家に帰る途中で品川でゴハン食べただけだもんね」
「私にとっては、東京は庭みたいなものですけど。大事なのは愛美さんの意思ですわ。あなたはどうしたいの?」
二人はどうやら行く気満々らしい。――もしも純也さんと二人きりで会うとなったら、愛美は躊躇していたかもしれない。
(でも、さやかちゃんたちも一緒に行けるなら……)
「わたし、東京に行きたいです。来月三日、よろしくお願いします」
『分かった。ミュージカルの開演時刻とかは、また珠莉のスマホにメールで送っておくから。当日、気をつけておいで』
「はい!」
『僕も楽しみに待ってるよ。二人にもよろしく。じゃあ、また』
「――あ、待って純也さん。珠莉ちゃんに代わりましょうか?」
『う~~ん、……いいや。じゃ』
ツー、ツー、ツー……。――呆気なく通話が切れた。
「切れちゃった……」
「もう、叔父さまったら何ですの!? 私の携帯にかけてきておいて、愛美さんと話し終えたら私に代わることなく切ってしまわれるなんて!」
なんとなくバツの悪い愛美。珠莉はプリプリ怒っている。――ただし、怒りの矛先は愛美ではなく、叔父の純也さんらしいけれど。
「もしかして、ホントは愛美に直で連絡したかったんじゃないの? でも連絡先知らなかったから、珠莉にかけたとか」
「そうなのかなぁ?」
そういえば、愛美はまだ純也さんと連絡先を交換していない。愛美は純也さんのアドレスを知らないし(珠莉も教えてくれないだろうし)、当然彼の方も愛美の連絡先を知らないわけだ。
「…………そうかもしれませんわね」
さっきまでの怒りはどこへやら、珠莉はあっさり納得した。
「……? 珠莉ちゃん、どうしたんだろ? 純也さんが遊びに来てから、なんかずっとヘンだよね」
あの日から、珠莉は絶対何かを隠している。そして、急に愛美に対して親切になった気がする。
「まあねぇ、あたしもちょっと気にはなってた。でも、あのプライドの高い珠莉のことだから、訊いても教えてくんないと思うよ」
「そうだねぇ……。まあいいか」
相手が話しにくいこと、話したがらないことをムリヤリ聞き出すのは、愛美の性分じゃない。話したがらないなら、本人が話したくなるのを待つしかないのだ。
「それよりさ、愛美。早く着替えなよ。晩ゴハンの前に、早いとこ英語のグループ学習の課題やっちゃお」
「うん」
愛美は勉強スペースの隅にあるクローゼットに向かい、私服のブラウスとデニムスカートを出して制服を脱ぎ始めた。
****
――その日の夜。夕食も入浴も済ませ、まだ消灯時間には早いので、三人は部屋の共用スペースで思い思いにのんびり過ごしていた。
「――あ、そうだ。わたし、おじさまに手紙書こうかな。純也さんに『東京においで』って誘われたこと、おじさまに知らせたいの」
愛美はそう言って、テーブルの上にレターセットを広げた。
最近はただ手紙を出すだけではなく、レターセットにも凝るようになってきた。シンプルなものよりも、季節感のあるものを好んで使うようになったのだ。
「うん、いいんじゃない? あたしたちはジャマにならないように、静かにしてるから」
「あ、ううん。そんなに気を遣わないで。普通にしてて大丈夫だよ」
「そう? オッケー、分かった。――ねえねえ珠莉、東京に行くときの服なんだけどさ、こんなのとかどう?」
さやかは珠莉を手招きし、手にしていたティーン向けのファッション誌のページをめくって彼女と話し始める。
愛美は普段通りの二人の様子にホッとして、改めてペンをとった。
****
『拝啓、あしながおじさん。
お元気ですか? わたしは今日も元気です。
二年生になってから、もうすぐ一ヶ月。去年の今ごろはまだ、わたしはこの学校に慣れてなくて、自分は浮いてるんじゃないかと思ってました。
でも今は、ごく普通にこの学校の雰囲気になじんでいる気がします。
文芸部の活動にも慣れてきました。一年生の新入部員の子たちとも仲良くしてます。学年は違っても、おんなじ新入部員ですから。
来月に出る部誌の新入部員特集号には、わたしの小説が巻頭に載るそうです! おじさまにも読んで頂きたいな……。
話は変わりますけど、今日の夕方、純也さんから珠莉ちゃんのスマホに電話がかかってきました。「来月の三日、珠莉ちゃんとさやかちゃんと三人で東京においでよ」って。
なんでも、東京の大きな劇場で公演されるミュージカルの前売りチケットが買えたから、一緒に観たいってことだそうです。で、そのついでに美味しいものを食べたり、ショッピングしながら街を散策するのはどうかって。
珠莉ちゃんはもちろん東京出身だし、さやかちゃんもお家は埼玉で東京はお隣だから、中学時代はよく東京で遊んでたらしいんですけど。わたしは本格的に東京の街を歩くのは初めてです。そして舞台鑑賞も初めて! すごくワクワクしてます。
そして何より、純也さんとお出かけできるのがわたしには嬉しくて。その分、ドキドキもしてますけど……。
もちろん泊りじゃなくて、日帰りですけど。連休中だから、帰りが遅くなっても大丈夫だし。もちろん外出届は出します。
そういえば、さやかちゃんが言ってたんですけど。純也さんは本当はわたしに直接連絡を取りたかったけど、連絡先を知らないから珠莉ちゃん経由で連絡してきたんじゃないか、って。もしそうだったら、これって立派なデートのお誘いですよね? でも二人きりじゃないから、わたしの考えすぎ?
とにかく、来月三日、楽しんできます♪ 帰ってきたら、また報告しますね。ではまた。
四月二十七日 愛美 』
****
――書き終えた手紙を封筒に入れて宛て名を書き終えると、あと十分ほどで消灯時間だった。
「愛美、終わった? そろそろ寝よ?」
「私、先にやすみますわ……」
「うん、今書き終わったよ。じゃあ電気消すね。さやかちゃん、珠莉ちゃん、おやすみ」
共用スペースの明かりを消し、愛美も就寝準備を整えて寝室のベッドに入った。
「――三日はどんなの着て行こうかな……」
****
――そして、待ちに待った五月三日。お天気にも恵まれ、絶好のお出かけ日和。
「叔父さまー! お待たせいたしました」
「やあ、みんな。よく来てくれたね」
東京は渋谷区・JR原宿駅前。愛美・さやか・珠莉の三人は、そこで純也さんに迎えられた。
三人とも、今日は張り切ってオシャレしてきた(珠莉はいつもファッションに気を遣っているけれど)。普段着よりはファッショナブルで、それでいて〝原宿〟というこの街にも溶け込めそうな服を選んだのだ。
愛美は胸元に控えめのフリルがあしらわれた白のカットソーに、大胆な花柄のミモレ丈のフレアースカート。そこにデニムジャケットを羽織り、靴は赤のハイカットスニーカー。髪形もさやかにアレンジしてもらい、編み込みの入ったハーフアップにしてある。
さやかは白い半袖Tシャツの上に赤のタータンチェックのシャツ、デニムの膝上スカートに黄色の厚底スニーカー。
珠莉は淡いパープルの七分袖ニットに千鳥格子の膝丈スカート、クリーム色のパンプス。紙には緩くウェーブがかかっている。
「こんにちは、純也さん。今日はお招きありがとうございます」
純也さんにお礼を言った後、愛美は彼の服装に見入っていた。
(わ……! 私服姿の純也さんもカッコいい……!)
愛美の知っている限り、いつもはキチっとしたスーツを着ている彼も、今日は何だかカジュアルな格好をしている。
清潔感のある白無地のカットソーにカーキ色のジャケット、黒のデニムパンツに茶色の編み上げショートブーツ姿だ。
「あら、叔父さま。今日は何だかカジュアルダウンしすぎじゃありません?」
「あのなぁ……。原宿歩くのに、スーツじゃいくら何でも浮くだろ?」
いつもは紳士的な口調の純也さんも、姪の珠莉が相手だと砕けた物言いになるらしい。