「友達?マユとシキだっけ?」

 「そう、水着買いに行く約束したの」

 「そうなの、あとで防水加工見直さないとね」

 エレーヌの部屋に初めて入った日はかなり驚いた。どちらかというと大人っぽい彼女の部屋はぬいぐるみが沢山いたからだ。あとで聞いたら元々自分が持ち込んだのは最初の一つの猫のものだけであとは全部ショーンがどこかしらから調達してきて好きだろうって渡してくるのだそうだ。

 「今日はねークリームティーにしたの」

 何か言いたそうなのがよくわかる。報告した時も憂いた表情でそうなの、とだけ言っていた。もちろん喜んではくれたけれど彼女なりの心配事だってあることだろう。

 「あのね、エレーヌ。エレーヌの言う事ならなにも悪い意味にとらえたりしないから。だから気になってることがあるなら教えてほしいの」

 「………弟くん、レイっていったわね」

 「うん」

 一旦間を開けて、エレーヌは視線をさまよわせた。ティーカップを支える指先がとつとつとカップの縁をたたいている。いつだってエレーヌは私のことを考えてくれているように思う。ダメなときはデータを消す、本来私はそんな立場のはずなのに。

 「気を悪くしないでほしいんだけど、レイのことはジュンイチにも話しておいたほうが良いと思うの。あとでバレて火が付くようじゃ大変だから…もちろんみんなに根回ししてからとかでいいから」

 「うん」

 「私は、私研究をやめたほうがいいのかもしれない」

 「えっ、なんで」

 今日のエレーヌはなんだか様子がおかしい。元々優しいけれどいつもはもっと言いたいことをさらりと言うほうなのになにか言いよどんでいるような。迷っているようにも、悲しんでいるようにも見えた。

 「私の父は、ロシアで、普通のサラリーマンなのだけど最近あんまり具合がよくないそうなの。だから帰ったほうがいいのかしらとか、同じロシア人と結婚したほうがよろこぶかもしれないとか。それに私、キヨハに肩入れしすぎてるから。私たちは保護者的役割を持つけれど基本はオブザーバーでいないといけないのに、キヨを見てると、つい研究のことなんて忘れるわ」

 つまり、親御さんが心配で私が研究材料に見えないから研究者として日本でやっていくのが不安だとそういう事か。家族の概念が根本的に希薄な私はエレーヌの気持ちに寄り添うのは難しいけれど私が研究材料に見えていないのは、前から言っている通りジュンイチも同じことだ。
 ショーンのことはどうするのだろう。

 「ショーンのことは」

 顔に出ていたのか、私のほうを見てやるせない声で言う。

 「諦めるわ、同じ研究所でそんなごたごたしたくないものね。国に帰ろうかとも思っているし、もうやめるわ」

 「本当にそれでいいの?」

 「だってほかにうまい方法とか私わからないし、そんなに器用でもないから」

 「ショーンには何も言ってないの?」

 「うん、スピカとマリアには考えてるってことだけ言ってある。ルイさんにもまだいってないけど」

 「私エレーヌに後悔してほしくない」

 私のことも、エレーヌのことも、何一つ妥協したくない。だって好きなように好きなことをしろって私は「命令」されたのだ。初期設定の段階で、私には諦めるっていうのが難しくなっている。

 人間が諦めても私が諦めないように、私の研究が止まらないように。エレーヌは今まで私の背中を押してきた。自分のことだけをすんなり諦められてしまっては困る。私のためにも、エレーヌにはここに居てほしい。

 「家族のことは、私にはよくわかってあげられないけれど大切なことなのはわかるよ。それともショーンのことは嫌いになっちゃったの?」

 「そんなことない! じゃなきゃ私の部屋にこんなにぬいぐるみ置いとかないわよ。だって諦めるしかないじゃない、いっぺんに一人で全部はできないもの」

 「だってよ、ショーン」

 「え」

 部屋のドアを開けると壁にもたれかかるようにショーンが立っていてばつが悪そうにこちらを見ていた。エレーヌは目を白黒させて私とショーンを交互に見ている。

 「キヨにハメられるとは思わなかったな」

 「お節介はアカリに似たかもね」

 自分がアンドロイドでラッキーだったなと思う。パソコンやタブレットみたいな端末がなくても私は自分の体の中に通信媒体を持っているし、私の耳はマイクで目は義眼とはいえ中身はカメラだ。ショーンの端末にテレビ通話でつなげるのなんて何も難しいことじゃない。見るかどうかは賭けだったけれど、そこは結果オーライだ。

 余計なことをしたかもしれないけれど、子供でも年下でもないエレーヌに頻繁にぬいぐるみを寄こしてくる理由なんてほかに考えろってほうが難しい。だったらもう悩んでいることを強制的にやめさせてしまえばいい。ショーンがエレーヌとまごついてなければ問題の一つは解決するのだから。

 「あー、エレーヌさ、一人でできないんだったら二人でやろうぜ」

 「だって、でも」

 「私もう疲れたから部屋戻るね、ショーンあとよろしく」

 「…手間かけたな」

 「ちょっと、キヨ!」

 入れ替わるようにショーンがエレーヌの部屋に入って後ろ手にドアを閉めた。私のことも聞いてほしいけれど、それよりはまずエレーヌだ。だってエレーヌがいなくなったら私は恋愛相談できる貴重な相手をひとり失ってしまうのだから。