『あんないきなり振られたらさすがにフリーズするよ』
「ごめんってば、悪気はなかったの」
夜になってレイから電話がきた。呆れたような笑ったような声色で、よかった怒ったりはしてないみたいだ。
『あれからあたし質問攻めでカラオケに連れ込まれちゃったわーみんな強引なのよー』
「でもレイならうまくかわしたでしょ」
『なんかキヨハの中での俺への評価絶対上がったよね』
先月の私は、たしかにジュンイチの血縁だとか、軽く見えるとかで勝手に思い込んで忌避していたかもしれないけれど蓋を開けてみればなんてことないただの同級生で、なんなら多分本性はおとなしいほうで避けたり嫌ったりする理由がないだけだ。
評価自体は最初からしている。ジュンイチの弟で、関係性はどうであれジュンイチがあれだけ絶賛していたんだから軽んじる理由なんかない。私の意見ではないにせよ、私のベースが信頼する男が言うんだからそれくらいは信用したっていいだろう。
『そういえばさ、八月の頭にそっちでお祭りあるでしょ』
「あるよ、八王子まつりのことでしょ?」
『それ一緒に行こうよ、マユたちには内緒で』
「レイの家って目黒区のほうだよね、遠くない?」
『そうだけど、別にいいよ。だれも何も言わないんだし』
さもうちは自由ですみたいなトーンで言うけれど、実際のところお父さんであるタカシロ マサチカが家にいないってだけだろう。ジュンイチの古い情報でしかないけれど、週に一度か二度くらいしか帰ってこなかったそうだから今だってそれが続いているのかもしれない。代議士ってそんなに多忙な職業なんだろうか。
『俺さ』
「うん?」
『転校してきたときキヨハのこと嫌いだった』
「え、なにそれ」
『うちの特進入れるってめっちゃ頭いいじゃん、そんで顔もかわいくて自己紹介でも厭味ったらしい感じもなくて、なんかもう完璧だなって。ロボットかよって思った』
「…そんなわけ、ないでしょ」
『そうだったらよかったのにってこと。同じ人間でそんな出来上がってるの見たらさ、頑張ってんのとかアホくさくなるだろ。だからなんか、ふざけんなって』
ああ、なんだ、私レイの劣等感刺激してたのか。嫌いって言われた瞬間息が止まるかと思った。いや、止まったところで支障なんか何一つないけど。アカリの最後の追体験をした日と同じくらい胸が詰まった感じがした。声が喉の奥で突っ張ているみたいで、うまく話せなかったんじゃないかって背中が寒くなって、寒いなんて感覚も本来は持ってないはずなのに。
『俺の一方的な逆恨みなんだけどさ、なんか悔しかったんだよなあ』
「ごめんね、かわいくて頭もよくて」
『お、今のはケンカ売っただろ?』
「ばれたか。今は? 今も嫌い?」
『俺は嫌いな奴と遊ぶ約束するほど人間出来てないよ』
体が軋んでいるような気がする。何度も何度もポンプとパイプの臓器が痛いって感じている。好きって感覚は相変わらずわからない。それでも、痛いと思ったときに考えていたのがジュンイチやアカリや、レイのことだというのはマユの言う「好きかな」って感覚なのかもしれない。
生身の人間はきっともっと痛いだろう。自分のなにがいけないのかとか、どうしたらいいのかとかそんな途方もないことを考えて誰かを好きになったりするんだろうな。
生憎、アカリはなあなあでアキトさんと付き合っていたようだからそういう純粋なときめきだとか緊張だとかを私は感じなかったけれど、ジュンイチといたときのアカリはいつも苦しそうだった。
罪悪感とか、思慕だとかそういうものを全部ごったまぜにしてそれでもジュンイチと綺麗な関係で付き合っていきたいのにって強く願っていた。今も私は彼女の三十年分の記憶をスライドショーのように見ることができるけれど初めてジュンイチと会ったあの日の記憶だけがいつまでたっても色濃く主張している。
なんて衝撃的な青年だろう。
凡庸な顔立ち、眠そうな声色、気だるげな姿勢と、お世辞にも整ったとはいえない恰好だったのにアカリは雷に打たれたように言葉を失っている。ロマンチックな言い方をするのであればそれはある種の運命に違いない。だとしたら、レイが私を羨んで厭わずにいられなかったのも、私が忌避しながらも彼から目がそらせなかったのも運命だって言ってみたっていいんじゃないだろうか。マユにおすすめされた少女漫画の女の子たちが軽々しく使う運命っていうのはこういうことなんじゃないだろうか。