コンテンツの好き嫌いってまだはっきりしない。答えるのが難しくて唸っていたら「そんなにたくさんあるの?」と電話越しにレイはまた笑った。
たとえば、本はいくらでも読むし映画も見る。漫画もおなじ、音楽も聴く。絵を描くこともあるし、お裁縫や料理だってスピカの見様見真似でやってみたりする。けれど、アカリがジュンイチに向けていたような、アカリ自身の趣味だとか、同じくらい自分が執着していることってあまりない気がする。
人を愛するみたいな気持ちだけ知ってても、あんまり役にたたないな。
「なんだろう、考えたことないかも」
『でも話聞いてるとキヨハいろいろ詳しいよね、無趣味って感じはしない』
「無趣味だよ、これ好き! ってならないもん」
『まあ無趣味だとしてもコンスタントに読書したりとか、普通はできないよ』
「そうなの?」
『うん、嫌いとか興味がなければやらないでしょ。趣味ってほどじゃなくても好きだから続くもんじゃないの』
好きだから続く。好きだからできる。そういえば私っていつから自発的に読書するようになったんだっけ、オンラインにできるのは最初からだけど自学っていうのが明確になったのは学校に入るときだから自学目的で本を読みだしたりしたわけじゃない。
私はまだ共感力というものに乏しいから登場人物に感情移入はできないし、百万人が泣いたラブソングの切なさもわからない。だから咄嗟に私を気遣ってくれるマユやシキちゃんがすごいと思っているわけだけど。
『最近読んだ本は?』
「ジョコンダ夫人の肖像と、ねじの回転」
『海外文学が好きなの?』
「勧めてきた人がアメリカ人だからかなあ」
『なるほどね』
欠けているものを、レイの言葉が一つずつ埋めてくれる。欲しかったものを彼が全部持っているような気がして頭が熱くなる。頭? 心臓? たとえば、私の自我にみんなが言う心がきちんと紐づいているのであれば、心がぽかぽかする感じ。話していて噛み合わないことがない、レイは、レイも賢いから私が言ったことを全部拾ってくれる。
じわり、無いはずの涙腺から水がこぼれた。涙に見せかけたただの水。ショーンが付けた泣く機能。今は別に悲しくないし、怒っているわけでもない。そんな激しい感情で会話はしてないし、嗚咽が漏れるような涙でもない。ただ勝手に水がぽろぽろこぼれていくだけ。壊れちゃったかな、通話が終わったら、みんなまだ起きてるかな、直してもらえるかな、明日学校休みでよかった。涙は止まってくれそうにない。
『ねえ、キヨハ』
「んー?」
『夏休み、俺と二人でも遊ぼうよ』
「二人で?何するの?」
『新宿のTOHOシネマズでも、神保町でも、横浜中華街でも、美術館でも動物園でもなんでもいいからキヨハが好きそうなことしに行こう』
「好きそうなこと…」
『楽しかったら好きってことでしょ、それがわかったら次もデート誘いやすい』
「あっ、台無し。いま格好よかったのに」
『あっちゃー、やらかした』
好きなことをしに行く、じゃなくて好きそうなことを探しに行く。そもそもの自分探しみたいなことをレイと二人で。想像しただけでわくわくする。夏頃ってだけでどうしてこんなにわくわくするんだろうってはっとする。アカリとジュンイチが出会ったのも六月だった。
六月七日。私があのクラスに編入した日も、レイと初めて話したあの日は、六月七日。
なんだ、アカリの記憶に引っ張られてただけか。それに気が付くと涙も止まる。なんだ、私の意志で喜んだわけじゃないんだ。ただ思い出しただけ。アカリが、私の目を使って泣いただけだ。
『…いやだった?』
「ううん、ちがう。行きたい、一緒に」
『よかったぁー本格的に嫌われたかと思ったわー』
「そういうとこ嫌い」
『ハートエイクだわ』
「いつがいいかなあ」
『いつでも、それに一回じゃなくてもいいっしょ』
「そうだね」
夏休み中に何回レイに会えるんだろう。教室の外で、私とレイの二人だけで。もしかしてこれは世間一般ではデートっていうんだろうか? でも恋人じゃないし好きあっているとかでも片思いしてアプローチしている最中とかでもない。そうだ、レイは友達だから、友達と出かけるのはなにもおかしいことじゃないはず。誰に言い訳するでもなく私は勝手にうなずいて自分自身を納得させる。うん、レイは友達だから。
「ごめん、もう日付変わっちゃうね」
『ほんとだ、三時間って早いな』
「おうちの人に怒られない?」
『…今日は、誰もいないから。キヨハこそ大丈夫?』
「そっか。うん、まだ起きてるみたいだから私は大丈夫」
今日は、なんてきっと嘘だ。ジュンイチの話を思い出す。何してるかはしらないけど帰ってこないことのほうが多いって言っていた。自由が丘のほうにあるらしいジュンイチの実家、レイの家は聞いただけならかなり広い間取りだったはずだ。そんな家にいつも一人でいるんだろうか。それって、レイは本当に政治家になることを嫌がってないのかな。
『じゃあまた月曜日』
「うん、おやすみ。またね」
『うん、おやすみ』
ポコンと音を立てて通話が切れる。履歴の部分には三時間をすこし超えている通話時間が表示されていた。はじめて、外部の人と、友達と長電話しちゃった。それが無性に嬉しくて思わず画面を保存した。