『あ、もしもし、えっとレイ?』
「…キヨハ?」
今しがた脳内で微笑んでいた彼女の声がスピーカー越しに聞こえる。後ろからはクラシックかジャズのような音楽が聞こえてざらざらとした音を立てている。
『ごめんね、マユに勝手に番号教えてもらって』
「ぜーんぜんいいよ、キヨハみたいな美人に電話貰えて嬉しいなあ」
『すぐそういうこと言うんだから』
「あはは、手厳しい。どうしたの、なんか用だった?」
時計を見ると、九時。明日は土曜日だから少しくらい寝坊したって困ることなんかないけど寝るには少し早くて、でもそんなに仲良くないやつに電話をかけるにはちょっと遅いような気もする。なんせ俺はキヨハから話しかけられることなんかほとんどないわけで。
『用っていうか、あの、ほら今日夏休み遊ぼうって話したでしょ。レイ元気なさそうだったから、ちょっと気になったっていうか、その』
「ええー心配してくれたの?好きになっちゃうよ?」
『わ、私真面目に聞いてるんだからね!本当は泳ぐの苦手でプールいやなのかなーとか』
「ぶはっ、それ本気で言ってんの?めっちゃうけるんだけど」
『だって、遊びに行ってレイだけ楽しくないとかそんなの嫌じゃない』
心配されたのなんていつぶりだっけ。
個人的なことに目を向けられて会話したのなんて、いつが最後だったっけ。
みんなは知らない。俺が家でどんな奴かなんて。本当は根暗で劣等感の塊で卑屈なんだってことも、主席なんてもてはやされてるのは血反吐吐いてる結果なんだってことも、だれも俺のことなんて見てないって思ってたのに。
「俺、本当に一緒に遊びに行ったりしていいわけ?」
『え、なんで、来ないの?』
「だってキヨハは俺のこと苦手なんだと思ってたから」
『そりゃあ教室居たらうるさいなーって思うけど』
「だよね」
『でも教室で最初に名前教えてくれたのレイだし。授業中こっそり話しかけてくれたのとかも、私はレイが友達になってくれたからだって思ってた』
友達になったとか、そんな面と向かって言うようなことじゃないと思う。高校生にもなって、なんかこっぱずかしいそんなの。
キヨハって本当に同い年なのかな、どうやって生きてたらこんなにスレてない人間に成長できるわけ。まだ前の席に彼女がきてから二週間とかその程度なのにどうしてこんなに気になるんだろう。息ができない。声にならない。だってキヨハは俺のこと見てたじゃないか。
『レイ? もしもしレイ? 聞こえてる?』
「うん、ごめん、聞いてる」
必死にそれだけ返せば電話越しに文句を言われているのが聞こえる。ああもう、かわいいな。なんだよわざわざ電話までしてきて。週明けでもよかったんじゃないのかとか、本当に気のせいだったらとか考えなかったのかって言いたいことは山ほどあるはずなのに。キヨハだって、こんな卑屈な俺のことは知らないのはほかのやつらと変わらないのに。
『レイはなにしたい?』
「…星」
『星?』
「星が見に行きたい、夏のさ、星座ぶわあって星が降ってきそうみたいなとこ行きたくね?」
『あははっ、レイも結構ロマンチストなんだね』
「どう?惚れそう?」
『今のはちょっと良かったよ』
マユとシキと、カガチも来るかな、みんなで望遠鏡たててキャンプみたいなことしてって場面を想像したら、想像できることにも心底楽しそうだなって感じることにもやりきれない感じがして唇をぎゅっと噛む。
それで隣にキヨハがいたら、「綺麗だね」って今日みたいに笑ってくれるんだったら、それってすごく贅沢で幸せなことなんじゃないかって思う。
『ねえ、もう寝る?』
「いや、まださすがに早いでしょ、なんで?」
『電話だとレイうるさくないから、もう少し話そうよ』
「キヨハったらやっぱり俺のこと好きなんじゃないの?」
『怒るよ』
父さんも兄さんも俺になんて興味のない世界で、母さんがもういないこの世界で、俺のことを見てる他人なんていないと思ってた。結果だけ求められてる俺はタカシロ レイである必要なんかないのかもしれない、俺じゃない誰かでもロボットでも本当はいいんじゃないかって思ってた。
「俺さ、キヨハのことまだあんまり知らないんだよね、趣味とか好きなものとか」
『私も。ねえ、レイって普段はどんなことしてるの?』
誰かに気にかけられるってだけで、こんなに幸せになるんなら、それがほかでもない彼女だからなのだとしたら、タカシロ キヨハは天使とか魔法使いなのかもしれないって本気でそう思う。