「ねえルイさん、ジュンイチはなにをそんなに嫌がっているの?」
研究所に戻ってからジュンイチはそそくさと自分の部屋に引っ込んでしまった。引きこもりっぽいのはもとからだけどやっぱりおかしい。私はジュンイチの苗字を名乗っているけれどタカシロのおうちがどんななのかまでは知らない。だから今日まで「レイ」の存在も知らなかったわけで。
「元々、大学進学に際してジュンイチは親御さんと揉めてるんだよ」
「タカシロ マサチカと?」
「ああ、お母様はジュンイチが高校生の頃に亡くなっているからね」
知らないことだらけだなあ、と内心のんきに構えながらルイさんの前にコーヒーを置く。自分用のカフェオレを持って隣に腰を下ろすと、ルイさんは苦笑いをしながら私の頭を撫でた。
「他人の家庭事情だ、吹聴することじゃない」
「でも私は他人じゃないわ」
「キヨハにも教えていなかったならなにか理由があるんだろう」
「そんなんだから、私は…ううん、もうジュンイチに聞いてくるわ、あっ」
「ごめんね、立ち聞きしてたとかじゃないから」
立ち上がったときにタイミングよくドアが開く。困ったように笑いながらジュンイチがこちらを見ていた。
「いいの、ジュンイチに用があるから。ルイさん、またあとでね」
「ああ、ほどほどにな」
帰ってきたときはうだうだと悩んでいたように見えたけれど、今の表情はどことなくすっきりしているようだった。なにを考えたんだろう、私に何を言うつもりだろう。彼の中で、わたしってどんな立場なんだろう。
やめるわね、とは言ったもののそんな簡単にもう好きじゃなくなりましたってわけにもいかない。ベースがアカリなんだからなおさらだ。彼がどんな表情をするのか、恋人だったアカリの記憶にはそれすらも残っているわけで。
そういえばこれずうっと気になっていたけれど、ほかにアンドロイド作るってなったら個人情報の漏洩が問題になりそうな気がする。あとでファブリにでも伝えておかないと。
「本当は最初に伝えておくべきだったんだ、キヨハにもアカリさんにも」
ジュンイチの部屋は相変わらず書類やら本やらがごちゃごちゃと積み重なっていて寝るところだけなんとか確保されているような有様だ。研究室でもそうだったけれど片付けが苦手らしい。
そういえば記憶の中で私、いや正しくはアカリだけれど、アカリがよく洗濯物畳んだりゴミをまとめたりしていた。そうか、あれアカリの部屋じゃなくてジュンイチの家だったのか。今更納得してしまった。
「家のこと、アカリにも言ってなかったのね」
「うん、あの人の家庭環境はかなり理想的な核家族だったからな。俺がどうこう言ったら仲良くできると思うから、とか言われそうで嫌だったんだ」
この世に両親がそろっていて、兄弟仲が良くて、祖父母とも円満で、経済的に困ることもない家庭というのはどれだけあるんだろう。それが本当に大多数なのかすらわからないのに、人はそういう理想的な家庭の前提で話したがるところがある。
これはよく聞く話だけれど、迷子の子にお父さんかお母さんと一緒に来たの? と聞く人は多いと思う。かならずしも、保護者が親だとは限らない。そういった配慮も含めて、市政が行う夕方のアナウンスはお父さんお母さんではなく一緒に来た大人、なんて言い回しをしたりするそうだ。
ジュンイチが気にしているのはまさにそこだった。自分は片親で、兄弟仲は、どうだろう、仲良くはないのかもしれない。親と揉めてまで大学に行ってそれをまるっと否定されたら感情の行き場がなくなりそうだ。息が詰まると思うかもしれない。