タクシーを捕まえたかった。
金曜日の飲み帰りのラッシュアワー。
私の元へすぐ駆けつけてくれるタクシーはなく、だからと言って寝ている冬野さんの甥御のひろき君を車に移動させ、冬野さんの車で送って貰うなんてナンセンス。
車がないなら歩けば良いのよ。
そう言いたい私は、なぜかクラウンの2階にある居住スペースへ通されていた。
外観は打ち立てのコンクリートの建物だが、内装はちょっとお金持ち風のデザイナーズマンションの様な部屋で、築40年を超える閑静な私の戸建ての家とは全く違った部屋だった。
まるでホテルみたい。
綺麗なタイルの靴スペース。フローリングの床。開放感のあるリビングに6人掛けのソファー。
キッチンも広々としたカウンターキッチンだし、一体何人で住んでいるんだろう。
ガラス棚には、カンパリやディタ、カルーアに色とりどりのキュラソーが並んでいて、ここでもちょっとしたバーが出来そうな勢いに蹴落とされながら、客間で寝ていると言うひろき君の様子を見て戻ってきた冬野さんに取り敢えず気になっている事を切り出した。
「ひろき君寝てました」
「あぁ、ぐっすり寝てたよ」
バーテンの仕事服から、ラフな部屋着に着替えていた冬野さんは、上着のカーディガンを脱いでソファーの背もたれに掛けて、私の方に歩み寄ってきた。
「あの、冬野さん」
「もう少ししたらタクシーも捕まるから、適当にかけてて。飲み物何がよい? コーヒー、紅茶。お酒が良いなら何かだすよ」
「いえ、おかまいなく」
「嫌だよ。石ちゃんさ、時々本当に、どう接したら良いのか、分からなくなるよ、俺」
そう言うと冬野さんは私を素通りして食器棚からロンググラスを二つ指先で挟んで取り出し、流しの脇に置いた。
「私、扱いにくいって事ですか?」
「俺、石ちゃんの事自分の良いように扱おうとは思ってないけど」
う~ん、そういわれてみれば、今の私の発言は失礼だ。
まるでエゴイスト(利益追求主義者)に言う言葉に取れる。
冬野さんの様な有能な人に、私みたいな無能な人間は、言わずとして気を遣うべきでは?なんて、我ながらどれだけ卑屈なんだって気持ちが無意識に働いて、卑屈になっているんじゃないか?
今までの経験上、そんな態度を周りに取ってしまっていて、何度となく嫌な奴って言われて来たんだ。
「俺だけ好きに飲んで寛ぐのは嫌なんだけど、本当に喉乾いてない」
「本当は、そこにあるブルーキュラソー(青く着色されたリキュール)が飲みたいです」
私がリキュール棚の瓶に目を移しなら、そう答えると、冬野さんはリキュール棚に向かいながら私に尋ねた。
「オーケー。ブルーキュラソーで何を作ろうか?」
「ディタ(ライチの香りのするリキュール)スプモーニ」
「それ、チャイナブルーって言わない」
私は顔をしかめて抗議した。
「学生時代の私のバイト先では、上海ハネムーンって言う名前でした」
「良いアレンジネームだね。俺の作ったのが石ちゃんのお口に合うか自信ないや」
そう言って、冬野さんはブルーキュラソーとディタを棚から取り出し、冷蔵庫からトニック(炭酸水)と野菜室からグレープフルーツ、冷凍室から氷を取りだす。
グラスにそれぞれ氷を入れて、まずはブルーキュラソーとディタを入れてステア(軽くかき混ぜ)して、炭酸水を加えてまたステアした後、グレープフルーツを半月に割ってグラスに絞り注いだ。
最後にグレープフルーツを入れた後、ステアする事無くそのままグラスを私に差し出した。
いつの間にか、カクテルを二つ作っていた冬野さんに、私は驚いた。
「冬野さんも飲むんですか?」
「うん、飲みたくなった。どうぞ」
私はグラスを受け取り、冬野さんがグラスを傾けて来たので軽くグラスをそこに当てた。
カチンと音を立てた時、冬野さんは私に言った。
「今日はありがと」
私は目を丸くした。
乾杯、って言われると思ったからだ。
でも、少し考えて、私が自分がなんていうべきか考えて、それに答えた。
「ど、どういたしまして」
「石ちゃんって、基本は素直だよね」
どういう意味だろう。
そんな事を考えながら、私はカクテルに口を付けた。
今まで飲んだことのない、青のディタスプモーニだった。
全てが混ざり合ったカクテルではなく、混ざりきってないグレープフルーツの風味が強くて、ちょっと眠気が覚めた。
気が付けば、時刻はもう26時を回っていた。