――それは、私・巻田ナミの作家生活が四年目に突入した四月のある日の夕方のこと。
私が代々木の商店街にある書店〈きよづか書店〉でのアルバイトを終えて自宅マンションに帰ると、玄関前に一人の男性が立っていた。
「――あ、ナミ先生。アルバイトお疲れさまです」
「原口さん……」
彼は大手出版社・洛陽社の文芸部門の社員で、文芸レーベル〈パルフェ文庫〉の若き編集長、原口晃太さん(二十九歳)。私の担当編集者であり、五つ年上の彼氏でもある(!)。
「今日はどうしたの? 合鍵あるんだから、上がって待っててくれてよかったのに」
「そうはいきませんよ。今日は仕事で来たんですから」
「……仕事?」
この人は、プライベートでこの部屋に来た時には遠慮なく合鍵で上がり込む。ただし、仕事の時は私の帰りをひたすら待っている。オンとオフの切り替えがキッチリできているのはまことに立派なことだけど、あまりにも両極端すぎて私は呆れるばかりだ。
そんなことよりも、彼が「仕事で」と言ったことの方が引っかかって、私は首を傾げた。
「……っていうと、新作?」
〈パルフェ文庫〉に移籍してから、私は立て続けに本を刊行してきた。
昨年八月の創刊号に始まり、その四ヶ月後には創刊第三号となる小説と、映画化が決まった過去作『君に降る雪』を二作同時に、それからは移籍前のレーベル〈ガーネット〉で出していた過去作を毎月一作ずつ〈パルフェ文庫〉から連続刊行している。
それは二ヶ月前に終わったので、私は実質半年間、執筆の仕事をしていない。……まあ、書かなくても出す本出す本重版され、印税がバンバン入ってくるので生活には困らないけど。
でも、作家ならやっぱり原稿を書きたい。私は手書き派だけど書くことが好きなので、このごろは書きたくてウズウズしているのだ。
「ええまあ、新作というか……。今回の仕事は、〈パルフェ文庫〉のレーベル全体をあげての新企画なんです。ナミ先生にも、それに参加して頂きたくて」
「企画モノか……。どうぞ、上がってって?」
立ち話も何なので、私は彼を部屋に招き入れた。
「――おジャマします」
彼は付き合い始めてもう一年近くになるのに、まだ態度を崩してくれない。でもそれは決して心を許してくれていないからじゃなく、彼なりの〝ケジメ〟なんだと私も分かっている。
リビングに彼を通すと、冷たいオレンジジュースのグラスを出してあげた。
「話を聞く前に、ちょっと着替えてくるから待ってて?」
「はい」
私は仕事着から普段着に着替えるために、一度寝室(兼仕事部屋)に引っ込む。部屋着であるユルっとしたTシャツとスウェットパンツに着替えると、彼の待つリビングに戻った。
「――で、〝新企画〟ってどんな企画なの? 詳しく聞かせてくれる?」
私は原口さんの隣りに腰を下ろし、彼に話を振った。
「はい。――えーっとですね、今回わが〈パルフェ文庫〉では『読者の恋愛経験談を小説化しよう!』という企画をやることになりまして。公式サイトで募集をかけたんです。ネットへの投稿はもちろん、郵送でも受け付けました」
「ちょっと待って。その募集、いつの間に……?」
私も公式サイトはちょくちょくチェックしているけれど、そんな募集載ってたっけかな?
このごろはバイト先にも新人さんが入ってきて、指導で忙しかったからサイトを見られなかったな。……じゃ、その間に?
「ここ一ヶ月くらいです。この企画は七月・八月の期間限定企画で、レーベルの他の作家さん達も多数参加されることが決まってます。それで、僕が担当しているナミ先生にもぜひ参加して頂きたくて」
「ははーん、なるほどねえ。編集長自らが担当してる私に参加してもらわないと、原口さんの面目丸つぶれってワケだ?」
「…………はあ。おっしゃる通りです」
原口さんの魂胆を見抜き、半目で指摘すると、彼は肩をすくめた。最初はとぼけようとしたみたいだけど図星だったらしい。
「ってことは、この企画の言いだしっぺは原口さんってことね?」
「最終的には会議で決まったんですが、最初にこの案を出したのは僕ですね」
「まさか原口さん、自分が編集長なのをいいことに、レーベルを私物化してるんじゃないでしょうね!?」
私が詰め寄ると、彼は憮然と言い返してきた。
「するワケないじゃないですか、そんなこと。この企画には、他の作家さん達も編集者もみんな乗り気なんですから」
「へえ、そうなんだ……」
〈ガーネット〉では考えられなかった、「読者を直接取材する」という試み。そりゃみんな乗るだろうな。
「――で、どれくらい応募が来たの?」
私は訊いてみる。募集を出したわ応募は来ないわじゃ、企画倒れになってしまう。それで一番の被害を被るのは、誰でもない言いだしっぺの原口さんだ。
「けっこうな数の応募がありましたよ。サイトへの投稿がザッと一〇〇〇件。郵送での投書が五〇〇件近く。合計で一五〇〇件くらい来ました」
「えっ、そんなに!?」
レーベル全体への応募とはいえ、この数は驚きだ。
でも、それを全部小説にするわけではなく、その中から一通ずつ選ぶことになると思うけれど。
「中には、特定の作家さんを名指ししてる投稿もあって。その中で、ナミ先生に書いて頂く投書は僕の独断で決めさせて頂きました。もう取材のアポも取ってあります」
「つまり……、その投稿の主は私に書いてほしいって言ってきてるワケね?」
こりゃ責任重大だ。ご指名まで入ってるんじゃ(お水じゃないけど)、「書けません!」って途中でぶん投げるわけにもいかなくなる。
……もっとも、私はスランプになったことはあっても、仕事を途中で投げ出したことなんかないんだけど。
「先生に書いて頂くのは……この投稿です。都内のある女子高生の投書なんですが」
原口さんはそう言いながら、『すみっコぐらし』のレターセットと思しき一通の封筒を私に差し出す。もう封は開いているらしい。
「女子高生? 原口さんはもう読んだのね、コレ?」
「ええ。ちょっと衝撃的な内容ですよ」
女子高生の恋愛で〝衝撃的〟とは……。ちょっと気になる。いったいどんなことが書かれているんだろう?