井浦さんは話しながら、水を溜めた大きなボウルにサニーレタスを一枚ずつはがして沈めていく。
 ボウルの中で、根元についた泥やゴミが水中にさらされ、重みで沈むことによって、葉の一枚一枚をきれいに洗える。
 水は流しっぱなしにして、上辺に浮いている葉だけを取り出し、ボールの水を取り替える。
 これを何度か繰り返して、サラダドライヤーで水気を切れば、レタスの仕込みは完了。

 手際よく作業する井浦さんが、少し羨ましい。
 私がそういうと、彼女は笑って「営業時間に一人で切り盛りしている瑞奈ちゃんの方がすごいよ」と言ってくれた。

 それだけで前向きになれる私は、かなり現金な人間だろう。


 仕込みも半分終え、時刻は九時半を過ぎたところだった。
 乱雑に扉を開けて、ズカズカとガタイの良い男性――田辺さんが入ってきた。

「おはようー……お。井浦、早いな」
「おはようございます」
「おはようございます!」

 田辺(たなべ)修治(のぶはる)さんはキッチンとホールをまとめる役割をしている先輩社員だ。

 髭を生やしたいようで、マスクをつけてキッチンにいるものの、大体ドリンクのカウンターにいるか、レジで接客していることが多い。
 ただ、会社の社員や取引先が来ると、店内にいるお客様を放置して対応するため、何度も店長から注意されている。

 元は料理人で経験があるとか、イタリアのバーで働いていたとか。
 本当かどうかもわからない話ばかり自慢してくるものの、キッチンに入ってくことはない。


 最近は溜まった有休を使って三日間ほど店に顔を出していなかったこともあって、仕事着姿は久々だった。

 すると田辺さんは私を見ると、首を傾げて呆れた顔をした。

「お前、まだいたのか。俺がいない間に辞めたと思ってたよ」
「……あはは。すみません」
「あ、そっか。他に雇ってもらえる場所がないのか! 納得納得。……さっさと仕込みやれよ。あと二十分もないんだからさぁ」

 田辺さんはそう言って、キッチンを出てレジ金の準備を始める。
 私はなんとか怒鳴りたくなるのをこらえて、深呼吸をした。

「気にしない方がいいよ。くだらないことしか言えない人だから」

 井浦さんが察して声をかけてくれる。
 私は彼女の方を向いて、できる限りの笑みを作って誤魔化した。
 
「大丈夫です。何とも思ってないですから」