殴られた衝撃がした。

 申し訳なさそうな表情の佐保さんを見て、私は彼女の期待を裏切ってしまったのだと察した。

 どれだけ頑張っても、店長の立場にある佐保さんに認められなければ意味がない。
 佐保さんからの期待に、私は応えられなかった。

「……そう、ですか……」

 私はそう言って俯いた。
 田辺さんにどれだけ批判されても負けなかったのに、今回ばかりは泣き崩れそうだった。

 負けたことより、盗んでいないことを証明できなかったことより、佐保さんに認められなかったことが悔しくて悔しくてたまらない。

 すると、私の肩をそっと佐保さんが触れ、慌てたように言う。

「待って、違うの。私が間違っていたっていうのは、一瞬でも坂水を疑ってしまったことよ」
「……え?」

 佐保さんの言葉に私は顔を上げた。
 溜めていた涙が頬を伝うと、「あらあら」と言って佐保さんが持っていたハンカチで拭ってくれる。

 疑ったことが間違っていた?
 わかっていないのは私だけでなく、田辺さんも顔をしかめていた。

「佐保、どういう意味だ!? コイツが盗んでいないっていう根拠が、どこにあった!?」
「あるわよ、根拠。ほら」

 そう言って、佐保さんがぐしゃぐしゃにされたレシピを田辺さんに見せる。
 しかめっ面をして見ていたが、「これのどこが違うんだ?」と問う。

「田辺、あなたが作るアップルパイは美味しかった。見た目にもこだわっていて、写真映えも良さそうね。……でも、これは『レシピ通りに作る』ことだったのを忘れてない?」
「なんだと……?」
「わからないの? 食べ比べてみたら?」

 田辺さんは新しくフォークを取り出して、私の作ったアップルパイを一口食べる。
 佐保さんに促されて、私も田辺さんが作ったものを食べてみるが、かなり違う仕上がりになっていた。

 シナモンが強く、リンゴの食感がやけにしんなりしている気がする。
 しかし、田辺さんはしかめっ面のままで、レシピを何度も見直している。

「気付かない? ここに書かれているレシピに、シナモンは何処にも入っていないわ」
「あっ……!」
「好き嫌いが激しいからって思ってわざと入れなかったんでしょうけど、ちょっと物足りないわね。カスタードも緩すぎて焼いてる時に出てきそうだし。ま、改良の余地はあるわ」
「でも美味いのは!」
「何度も言わせないで。これはレシピ通りに作るのが前提なの。それにあなた、決定的なミスをしてるのに、まだわからない?」

 佐保さんはそれぞれのパイからリンゴだけを刺して、私たちの前に差し出す。
 どちらも黄色に仕上がっていて、シナモンが入っているくらいしか違いがわからない。

「リンゴの加工の仕方か……? 同じ作り方だったのは、お前も見てただろ」
「じゃあ品種は? 食材置き場のリンゴ、品種違いで三つあったんだけど、あなたはどれを選んだの?」
「はぁ? んなものどうでもいいだろ。 現に美味いコンポートができてる、それはどうしたって言うんだ!?」

 田辺さんが怒鳴ると、佐保さんは眉間に皺を寄せた。
 そして「残念だわ」と大きな溜息を吐いた。

「材料が書かれている欄を見なさい。ちゃんとリンゴの品種が指定されているでしょう」
「はぁ? どこにそんな……べにたま……?」
「……紅玉(こうぎょく)よ。それはリンゴの品種名なの」

 そうだ。まだレシピを作る前に佐保さんに相談した時、私はリンゴの品種について聞いてメモしていた。

 家で食べ比べをしたときにも、そのリンゴを使っていたし、結果的に一番味が落ち着いていたから使うことにしていて……レシピにも忘れないように書き込んでいた。

「だからこれは正真正銘、坂水が作ったレシピよ」

 佐保さんが断言する。すると田辺さんが突然、ゲラゲラと笑い出した。