アップルパイのレシピ作成を初めて五日目。
 ようやく形になったのは、残業代も出ない営業終了後の居残り練習だった。

 先日から佐保さんが他の店舗に研修に行っているため、見せる前にできる限り完成に近いものを作っておきたかった。

 明日から戻ってくる予定だから、その時にレシピを見てもらおう。
 器具を片付け終えて、クリームやコンポートのシロップでベトベトになったレシピを新しいルーズリーフに書き直していると、店の扉から誰か入ってくる。

「まだやってんのか、お前」

 キッチンの入口から声をかけてきたのは、私服姿の田辺さんだった。
 トレードマークの髭に触れながら、見下すような笑みを浮かべている。
 確か今日は早番で、夕方には退勤していたはずだ。

「お疲れ様です。できるだけ完成に近いものを作りたくて……」
「完成に近い、ねぇ……こんな金にもならない無駄な努力して何が楽しいんだか」
「……どういう意味ですか?」

 私が問うと、田辺さんは一歩、また一歩と、汚れたスニーカーでキッチンの中へ入ってくる。
 そして前に立つと、わざとらしく大きな溜息を吐いた。

「わかんねぇかなぁ? 知識も技術もない奴が出しゃばるなってことだよ。お前みたいなお荷物は皿洗いだけで十分なんだ。最初から作り直しが目に見えてるし、食材が無駄だ」

「…………はぁ」
「あ? なんだ、その態度は?」

 私は田辺さんがまともに仕事をしているところを見たことがない。

 噂で元料理人で、イタリアのバーで働いていた話を聞くけど、実際にそれを目の当たりにしたこともない。
 たまに賄いでパスタを作ってくれるけど、一口目でお腹一杯になってしまう、濃い味付けで重くて食べていてもつまらない。

 確かに経験も技術も一生敵わないかもしれない。
 それでもこの店で決められた最低限のことは守るべきだと私は思う。
 できる限りの笑顔を作って、キッチンの外を指さした。

「すみません。とりあえず出てくれませんか? せっかく掃除したのに、キッチンに雑菌を持ち込まないでください」

 汚れたスニーカー、作業台に触れている中途半端に生えた髭を触った手。

 手洗いも消毒もしていないのに、もしそこから菌が繁殖して食中毒に繋がってしまったらどうしてくれるんだろう。

 何か言いたげな田辺さんを横目に、私は洗い場から作業台を洗うスポンジと洗剤と、水の入ったボウルを持ってきた。

 それをそのまま、田辺さんの足元めがけて床に勢いよく撒いて、キッチンの外へ追いやった。