暖かい。

今までの風は冷たかったのに、今日吹いてくる風は柔らかい。
田植えも始まったみたいで、泥の匂いがする。
梅雨が明けると、稲の若葉が風に揺れる。風が渡ってくる足跡が見える。
四阿から見えるこの景色がとても好き。
なんにも無いわけではないけど、学校には駅から歩いて10分位かかる。
-田舎だわ。-
普通科・進学科・特進科。スポーツ特待生制度有。
まぁまぁの進学校だと思う。
特進は某有名私立大や某有名国立大を毎年輩出している。
私は普通科。
…の、中の下。ビリでないだけマシ…って、誰も慰めてくれないから、自分で慰めておく。
無理して…背伸びして頑張って入学した高校。
ついていくだけでも大変。
勉強も…難しいでしょ!!。解んないよ!!。
お兄ちゃん達…特進って何?




今日も部活終わりに、いつもの四阿で恵那を待つ。
-今日は遅いな…- 
恵那はいつも30分位?遅れて来る。 
-楽器の片付けって言ってたけど…。今日はやけに遅い。-


……今日も聞かれた。
"灘生さんって、彼氏とかいるのかな?"

「知らない!そんな事!!。自分で聞けばいいじゃん!!。」

って、言えたらどんなに楽か…。
言えない自分が憎らしい。

自分で告白すればいいのに!!。なんで!私を使うの!?。
もう!イヤ!!。やりたくない!!。

……って、言ってやりたい。
なんで。なんで言えないの?。
だって、自分が可愛いから。
だって、自信がないから。
だって!!。嫌われたくない!。1人は怖い!!。

心の中で…叫んだところで、何の解決もしない……。

「…課題しよ……。」
ため息。課題、開いたところで…解んないよ(泣)。
…勉強解らなすぎて泣きたい。  

お兄ちゃん…教えてくれるかな…。
睦さんに…頼もうか?
…正樹さんに。
……佐里衣さん?。
ダメ。みんな社会人だし。…多分、忙しいよね。
学生ほどヒマな職業ないよ…。


「どうしよう……中間テスト…。
分かるところだけでも……って、最初っから解んない…。」 

恵那…。申し訳ないけど…同じ普通科同士に聞いてもラチが明かない。
実証済み。
実際、成績順で特進・進学・普通って分けられてるんだし。

「どうしよう……」

…今日も肩が痛い。イイコイイコとさすりながらお願いだから“イイコにして!!”って撫でる。

騙し騙しプレーしている。
暖かくなれはいいかと思えば、悪化の一方。 

『ナイショにしないと…』

…コートから外されたくないから。
トスアップをムリヤリするから、膝も痛い。あとで湿布貼っておこう…。

肩は痛いわ、勉強解らなすぎて頭は痛くなるわ…。ため息しか出ない。


相変わらず、コートの中では先生や先輩に怒られっぱなし。
スパイク決められないの私のせいかよ!!。
レシーブ、びっくりのところに上げられて、間に合わなくて叱られて。
…私のせいかよ…。
どうしたら、いいのか解らない。
どうやって指令を出したら勝てるのか解らない。
千里兄さんがいれば……教えてくれるはず。だけど、今いない。
睦さんに聞けば…同じセッターだし……。
いらない心配かけたらダメ。
……もう、迷惑はかけれない。


「お前のプレーには迷いがあるんだ‼️」

チームメイトも……足の引っ張り合いで…。
私のせいなのかな……?。
誰に相談すればいいの?。

確かに…否定できないから。
公にも私にもつまずいていている…から。

……額に両手をあてながら、涙を我慢する。
それでも止まらなそうだから、今日は髪を編み直さないで、そのまま…。
ほどいたそのまま。
目を閉じれば涙が流れて落ちる。だから、風を待つ。




『また泣いてるの?』不意に声をかけられた。

「…え?」-また?って言った?- 

…恵那の隣でいつも笑ってた…人。
誰?同い年?先輩?まさか……後輩?

『髪…。』
「え?」
『おろしたままって初めて見たよ。長いんだね。』
「あの…」
『課題?』
矢継ぎ早に返してくる会話。
「あ、あの…恵那を待ってて…。来ないから…。課題でも…って。」
そう言いはじめたら、何故かポタポタと涙が落ちる。
『うわ…泣かないで。俺、泣かしてるみたい。』
オロオロしている。
「あ、あの…課題、解らなくて……解けなくて…」
良い言い訳が見つからなくて…課題のせいにした。恥ずかしい。

『教えてあげるよ。』

にっこりと笑うこの人に、“すみません……”と、小さな声で頼ってしまった。
…誰かに頼りたかったのかもしれない。寄りかかってみたかったのかもしれない。

『だから…ここは、この公式を使って…解る?』
「あの…すみません……全然解りません。何でこの公式を使うのか…」
泣きたい。解らなすぎて恥ずかしい。

問題が頭に入らない。違う事で泣いたのに、この人の善意に甘えてすり替えているだけ。
…違う。泣いた事を見られた事が悔しいんだ…。

タオルが見つからない。

ポタポタと涙が落ちる。“泣きたい”じゃなくて。“もう泣いてる”。恥ずかしすぎる。
バカだと思われる事が切なかった。

タオルをやっと探して当てて引っ張りだそうとした時、ハンカチを差し出してくれた。 
ためらったけど、彼の好意に甘え借りた。
タオルあります”とも言えず…
柔軟剤の柔らかい香りに、ため息をついた。 

「すみません……お借りします……」


「解らなすぎて恥ずかしい…」と言った私に、
驚きで目を大きく見開いた彼。
『泣かないで。最初から教えてあげるよ。解らない事は悪い事じゃないよ。解らないままにする事が悪い事。だから…泣かない。』

「はい……。」

グズグズと半泣きで…無意識に肩を撫でながら課題を解いて。
『だから、この解き方はこれの応用。』
『これは代入だよ。』
『定理を使って…こうする。』
1から教えてもらって、課題が半分位終わった時、ふと…目が合った。
彼の目の色が変わったような…?

『泣き止んだね。…肩……痛いんじゃない?』
-は?なんで?-
「…………ぃ、痛くありません。」
『膝は?…』
「……なんともありません……。」 

困った顔をする人。くるくると表情を変えてくる。
『…強情だね。』そう言ってにっこりと笑う。
『もっと、おとなしい子かと思ったよ。』

「……」

『本当に痛くないの?』

「……全く大丈夫です。」

-誰にも言ってないのに!。-
少し睨みつけるように、牽制した。

「あの…ごめんなさい…。貴方を知らないんです。貴方の名前も。だから…」
…肩からそっと手を離し、にっこりと笑い返す。

『…本当の新名さんが出たね。泣いていたのが嘘みたいだね。
俺知ってるよ。目付きが変わったよね。さっき。勝負師の目。猫みたいで…』

-……猫…かよ?。…貴方も猫のようですよ?くるくる変わりますよ!。-


『その…』一瞬…、游いだ目。少し俯いた顔。
目を離す事ができなかった。
「え?」

『ずっと…………』
-ずっと君を見てたんだ。-
『気になっていたんだ…。ずっと前から。だから…その…』
小さな声で。片手で顔を隠しながら…。

「はぁ?」

-耳が…赤いみたいな…?-
「……!?」

「あの、あの…恵那を探して帰ります。」
どういう訳?どういう事?と、慌てて片付ける私に。

『ま、待って。…灘生は帰ってもらったよ。新名さんと話したいからって……お願いしたんだ。』

「は?…。」

『……。』

「…………。」

『その…』

「……」
噛みつくような顔だったかもしれない。

- 逃げ道塞いで!?。最初から!!。
恵那ぁ~!どれだけ、私がイヤな思いしてるか知らないでしょ!!。
こんな事…。
私が恵那のオマケで可哀想だから?
…私と仲良くなれば、恵那に近づけるから??。
また…伝書鳩?
嫌だ。どうしよう。
もしも…冗談とかだったら…
……絶対許さない!!- 

一言でいい。一言で良かった。恵那!何か私に言ってくれてもいいのに!。


『…くるくる表情が変わるね。
今、“絶対許さない!”って思ったでしょう?。』

「……。」

『待って。ごめん。さっきの言葉、嘘じゃないんだ!新名さんをずっと見ていたんだ!。だから…
そんなに…怒らないで。お願いだから座って…。』

しまった…解りやすい表情をしてしまった。苦い顔色。

「……帰ります。電車の時間もあるし。
課題手伝ってくれて…教えてくれて…ありがとう。
解りやすかったです。…本当に。本当に嬉しかった。」

髪を急いで結い、簡単にまとめて。
背負ったリュックが痛いところに当たる。
また涙が出そうになる。
口唇を噛み…俯いた。
「……お先です。さようなら。」


振り返らず走った。膝が痛かった。肩も痛かった。心も痛かった。
ただ、こんな痛みなんて、この先に訪れる嵐に比べれば痛い内に入らない事をすぐに知る事になるなんて思いもしなかった。


借りたハンカチを握りしめていた事に気づいた。
-…洗って返さなきゃ。-
少しだけ頭が冷えてくると、何だかモヤモヤしている。びっくりしたのもある。
頼りたかった心が悲しかった。情けなかった。
優しい風が吹いているような笑顔が私に向いたものだったのかもしれない。
“きっと、冗談。”って…思う心が痛かった。

でも、心?頭?の片隅で…“本当であって欲しい”と願っている私が…どこかにあって……

悲しかった。




-刹那



『くっそっ……逃げられちゃった……。しかも名前、言ってねーし。』

灘生のヤツ、本当に何も言わなかったんだな……。
…「絶対イヤだ」って、言ってしなぁ…。
ちょっとは…でも、あの子……
はぁ……どうしよう。嫌われたかなぁ。
……肩、庇っていたけど…

どうやったらいいんだ?
あまり怯えさせるのも……かと言って、グイグイいくのも…

『あぁ…わからん。』

 灘生め……
-“イオと付き合いたいの?先輩?。
そんな事、自分で告白して!!。私は絶対にイヤ!!
警戒心の強いイオは、そんな事すると逃げる!!
自分で努力して、好きになってもらって!!。
自分で考えて!!”
先輩…あの子は人の心を見抜くの。信じさせなきゃ。私が言ってもムリ!!-



-ああぁ!!
もう!本当に…警戒心が…強すぎる!!
どうすればいいの!俺!!?-



頭を抱えている俺に、
「振られたなぁ~。嫌われちゃったかなぁ~。」と、同じ特進の石見が嬉しそうに声をかけてきた。
「じゃあ、オレにもチャンスがあるって事か~。オレ、妹使っちゃお!。
妹、バレー部だし。
あの子のセットアップ、打ってみたいんだ~。ピンポイントだぜ?。あそこまで、ストイックに出来るってスゲーよ。
……どんだけ勝ちたいんだろうな…。」
まくし立てるように言葉が出る石見。

…眩しそうに後ろ姿を見送っている横顔に、腹が立った。

『お前、からかっているだけじゃん‼️。今まで本気になんてなった事、無いくせに!!。』


「…」
顔色を変えて振り向いたヤツの目が怖かった。
「………マジだよ。あの子が欲しい。ずっと近くで見てたんだ!。
あの警戒心の強さは…参ったな。
周りを巻き込まないと近くに寄れない。彼女を傷つけるだけだ。」

石見の真面目な…勝負師の目が見えた…。
「じゃあな。」と逃げていくアイツが、堪らなく憎らしかった。

『オレだって‼️』
“くそっ!!”

「“嬉しかった…。”」最後の1フレーズだけが、希望であって欲しいと願った。






俺の告白が空回りした事と、新名に逃げられた事のダブルパンチで
その後の数日は何かうまくいかず、ため息しか出なかった。

…暫くの間、凹んでいた俺を見て、灘生は言った。

「警戒心…凄いでしょ?。
イオは心を開くのに時間がかかるの。
自分を………裏切らないか、信用できるか、よく見て感じてるの…。」


『灘生、一言だけで良かったんだ。彼女に俺の事…、"先輩が話したいって言ってたよ"。って。…あんなに警戒されるなんて。……ほぼ、拒絶。』

俺は頭を抱えた。

「……」

『あれじゃ…彼女が可哀想だ。…彼女と灘生の関係を崩してしまったよ。』

「……知ってる。私がイオを甘くみていたの。絶対壊れる事のない友達だって。……私に、嬉しそうに相談してくれるかな?って思ってた。甘かったの。」

『あれから?』

「よそよそしいけど、イオは普通でいてくれる。でも、信頼を失くした…。
…何も言わない。」


そう言って灘生は…少し悲しそうに体育館の彼女を見つめていた。