ふと目が覚めた。

ここどこ?


「あははは!。疲れたたね。
もう帰ろうか。明日も学校だよ。」

-学校…。部活…。-

千里兄さんの声。
耳元で響く先輩の声
『あー…学校。模試なんだ明日。帰って、少し勉強しないと……。』 

-!。勉強!?。模試…。-


「模試!?。ヤダネー。」
万里お兄ちゃんの声。


『ん!?。
起きた?ニーナ?。』

-海里?…なんで?海里?。-

「…海…里?。…睦さん…は?。」

『いるよ。ほら。』



「睦さん…。」

睦さんがいい。

「何かな?伊織?。」

- ……。-

「…おいで。伊織。」

見えない糸に引かれるように睦さんの膝の中に座った。
そのまま胸に抱きついて、心臓の音を聞いた。


「不思議でしょ?。」
千里兄さんの言葉に。

- …別に不思議じゃないもん。-


『……寝てるの?。ニーナ?』
先輩と目が合う。
でも、睦さんがいい。

- ……。-

「睦がいるときは、ずっと睦の側にいるんだ。何故か?。
万里さんでも千里さんでも無くて。俺の膝の中でも無く。
隙があれば、こうやって膝の中に入り込んで、黙り込む。
まぁ…つまり…分かりやすく言えば、拒否のサイン。」

『えっ?ええぇ……』
先輩の声が聞こえた。

正樹さんは、面白そうに笑う。

- …面白くなんてない。-

顔を背けて小さく呟くと、

睦さんは、
「伊織?。何て?」

- イヤです。-

「伊織?。明日は学校あるよ。」

- イヤなの。-

「海里がいるよ」

-イヤ。帰りたくない。勉強もイヤ。
 …イヤ。睦さんがいい…。-


睦さんまでため息!。

- ため息なんて嫌い!。-


胸を叩いて拒否すれば、
「…伊織!」
って叱られた……。


「伊織?。君は海里を選んだんだよ?。
海里が心配する。」

- イヤなの。-


叱られても。首を横に振っても。しがみついて全力で拒否しても。


- イヤです!。睦さんがいい。-


ため息の睦さん。
-また!ため息!-

少しずつイライラしはじめた私を抱き、テーブルから離れて私に話かけてきた。

「伊織?
何でイライラするの?。笑わないの?。」

- だって。-

「よく目を覚まして。」

抱きついても…拒否はしない。かといって…完全に受け入れてくれる訳でもない。

「目が覚めるキスをしようか?。」
にっこり笑う睦さん。

そう言われると…恥ずかしい。
薄く笑うと、

「その顔はダメだよ。海里の大切な女の子だから。」

- なぜ?。-

「知らないふりをして?。
内緒だよ。2人だけ。2人だけの秘密は守って。伊織?。
俺は、伊織に嘘なんてついた事ないよ?。
伊織?キスしたね?。海里と。」

恥ずかしくなった。

- なんで?。-

「分かるよ。伊織?。
分かりやすい。
俺を出し抜くには…マダマダだね。」

- …イヤじゃないのね。-

「イヤだよ?。
俺の可愛い伊織だから。
でも、
いろいろ経験して、知って、綺麗になって欲しいから、イヤじゃない。」


- どっち?。-

「伊織は、俺がいろいろな経験があったり、知っている事はイヤかな?。」

- ……イヤじゃない。-


「一緒だよ。
伊織の笑顔があったら、それでいいんだ。」


- ……。-

「海里を困らせないで?。
俺の大切な弟なんだ。
海里、困ってる。
……君が決めたんだ。海里の側にいたい。って。
いいね?。
幸せを沢山知るんだよ?。小さくていい。積み重ねていくんだ。
幸せとか嬉しい事は、すぐ足元にあるんだ。
少しずつ集めて。
沢山笑うんだ。
…いいね?。」


- ……。-


「沈黙は是なり。」

もう!
また、この言葉!

可笑しくなった。
私が笑えば、睦さんも笑ってくれる。


「……睦さんが…好き。」
初めて言った言葉。睦さんに向けて…。


…睦さんの驚いた顔。意地悪に、ククっと笑った。

「 し-っっ。…初めての言葉。…内緒だよ。2人だけの。
…俺も伊織が好きだよ?。大好きだ。でも、…声に出してはダメだ。」


- …内緒?。-


「そう。……秘密。新しい秘密と約束。
明日は学校。部活もある。海里は模試。
だから…帰ろう。
伊織?帰ろう?。」




「海里君。君にもう1つだけ。最後のヒントをあげるよ。
君は、俺の背中を預けてもいいと信頼している友人達の一人、睦の弟だから。」

……万里お兄ちゃんのその声に、私と睦さんは万里お兄ちゃんを見た。
正樹さんも千里兄さんも…ギョッとしている。



「俺達は伊織に対してそれぞれの愛情と接し方を持っているんだ…
俺も。千里も。正樹も。睦も…。」


千里兄さんを意地悪そうに睨んだ万里お兄ちゃん。

…千里兄さんはにっこり笑ってる。

……。

お兄ちゃん達2人で入れ知恵したんだ…。
正樹さんまで…。

…まさか…睦さんも?
睦さんを見上げると、

「万里さん。ズルいですよ。」
そう言って……笑って私を見つめて。

「…伊織?帰ろう。」


「…ひどい人。睦さん…。」


「…ダメだよ。声に出しては。
俺は嘘をついてないよ?伊織。…君の笑顔が欲しいよ。」

優しい笑顔と優しい言葉で。
耳元でささやいて……私を促した。
ズルい……。
私が…"好き"を知り始めた時に…
見せる表情。


『…兄さん。俺は嫉妬心が誰よりも強いんですが!?。』
先輩の言葉。
嫌がっているのが分かる。

「ほら。海里が嫌がっている。
伊織?。君が決めたんだよ。
海里を頼って?。海里が伊織を守ってくれる。海里が君に笑顔をくれる。」


「……」
決めたんだ。私。


「そんな顔しないで?伊織。必要な事だよ。
あの子は俺の大切な弟なんだ。」


「……睦さん…ありがとう。」

頬ににキスをした。 

立ち上がり、正樹さんの側まで行くと、正樹さんがいつものように抱き上げてくれた。
「正樹さんも…ありがとう。」



「…楽しい時間を過ごすんだよ。…困ったら連絡して。
いつでも迎えに行くよ。…いいね?。伊織…。」


正樹さんも。 
「……睦との秘密は、守るんだ。いいね?。」
そう、耳元でささやいた…。



「うん……。」
正樹さんにも頬にキスを。


「万里お兄ちゃん。千里兄さん。……帰ろう?。帰りたい…。」
千里兄さんの背中の影に回り座って…。
兄さんの影から…少しだけの。
……笑顔で。
「先輩…また明日…。」


『ああ。また明日。学校で…』


そう言った、先輩から視線をはずした。
睦さんが言った言葉に、私は少なからずショックだった。
当て馬にされた、先輩に申し訳なかった。
…海里先輩は、
私への気持ちを…いいように利用されたのかもしれない。
そう思うと、すごくショックだった。
刷り込みかもしれない。
ひどい……。



『…すいません。万里さん。千里さん。
ニーナを少し借ります。』


『……ニーナ。来て。』

「…あっ…えっ?。先…輩?。」

「海里!!」
私の手を引いて部屋の外へ出ようとして、
睦さんの窘める声が聞こえるけど。


……先輩の表情が硬い。
- …怖い。-


『兄さん。正樹さんもごめん。
少し時間を下さい。』


- 待って。先輩。イヤだよ。-


「…いいよ。
行っておいで。
向かいに公園あるから、そこで待ってて。ブランコがあるから。
じきに行くから。」

「千里さん!あそこは!!。」

「大丈夫だよ。」

「万里さんまで!!」

「大丈夫。伊織は知っているんだ。あの公園を。」



知っている!だけど!
嫌なの!!


- 離して!…海里。
あそこは……本当は、大嫌いな公園…。-


幼い頃の公園…
……父と別れた公園。
千里兄さんが、声をあげて…初めて泣いた公園。
…何度か行ってる。
昼間なら大丈夫になった。兄さん達がいれば。
夜は…。
あのブランコは……イヤ。
昼間でも乗れないのに…。

- イヤ。怖い。-


『……行こう。ニーナ』

「…待って。ねえ!。」

頑なな表情。
どうして?。
側にいる。一緒にいる。
そう、約束したのに!。
今日は-。
……今の海里は……嫌い!。


「…痛いから引かないで!!。」

『……』

「先輩!!」

『……』
足早に通路を抜け、店の自動ドアをすり抜けた。


「ねえ!やだよ!!
海里!海里!!。」

-聞いて!海里。
私を見て!-

店の横側の路地に回って海里に抱きしめられたけど。

-怖いよ海里!-

「痛い!嫌だ!やめて!。」


『ニーナ!』

男の人の声。
強い力。
私の声は届かない。
海里が怖い。
助けて!。誰か!。 



『もう!何なの!?。ニーナ!!!!。
やめて!俺は!それは嫌だ!!。
俺を見て。俺だけを好きでいて。俺だけを愛して!!。
嫌だ!!兄さんに抱かれているニーナを見るのは!。
……嫌だ!!!。
他の誰かに抱かれている君を感じるのは!!』


肯定も否定もできない。
視線を離せない。
先輩……。
なぜ?そんなに急ぐの!
私の気持ちが追いつかない……。


『ニーナ。
俺を試さないで。俺はヤキモチ妬きなんだ……。
万里さんも千里さんも…。
本当は嫌だ。大切なお兄さん達。俺の兄さんも正樹さんも大切なのは分かってる!!
それでも嫌だ!!。』



掴まれた手首が痛い。
嫌。怖い。キスなんてしたくない。
いや。
イヤ。やめて!
嫌だよ!!。

体が硬くなる。拒否をしても、海里は私を見てくれない。

「イヤ!やめ……!!」
そんな事言ったって、抵抗したって…先輩はキスをやめようとしなかった。


『…伊織。伊織-……』


涙がでる。
"イヤだ。苦しい。やめて。"
愛情のないキス。
呼吸ができないから…唇を開ければ、尚更深い口づけになる。
息をつく事もさせてくれない。
もがいて体を離そうとすると、後ろ頭と背中に腕が回って、外す事ができない。
苦しい!助けて!
誰か!。
先輩!やめて!!。


 
-苦しいから…優しく…して…。息、できない…。
お願いだから!…やめて!。-

そんな言葉なんて聞いてないし、聞こえないのかもしれない。

腕が痛い。息ができない。
苦しい!。やめて!!

『嫌だ…
…お願い。俺だけを好きになって。ニーナ……。』

繰り返される…
征服されるような。
悲しい…想いの
……強引なキス。


くらくら…する…。
苦しい!。立っていられない。苦しい。やめて!。

イヤで…苦しくて。
思わず、海里の唇を噛んだ。

『痛っ!』

「海里!お…お願い…。もうやめて!。」



やっと出た声に……
大きく息を吸い込んだ。
目の前が貧血のようになる。
大きく息を吸い込めば、咳き込んだ。
血の味がする……。
…心が痛い。
海里が不安になるのは当たり前。
私が、海里の心を読むように。海里も私の心を読んだ。


頑なな表情で。
海里が海里じゃない。
大人の…男の人に見えて……。


『……ごめん。
…ごめん。ニーナ。
許して…
俺、……何で。なんでこんな事、俺…。
ごめん。
ごめん。ニーナ。

ごめん。』


穏やかな表情はなくて。
頑なな独占欲。  
激しい嫉妬心。
後悔している。
孤独感の焦り
怒りや嫉妬に占められた気持ちは、そんなに簡単に鎮める事なんてできない。



『ごめん。』その言葉に…私は、大きく息をついた。

…海里。

泣かないで。
なんで、泣いてるの?
私のせいだよね。きっと。

でも……
海里。


……でも。

私、嫌われちゃうね。
失いたくない人達が…いっぱいいるの。
…だから。
嫌われても仕方ない。

でも、泣かないで。


「……ねえ、海里?…。…泣かないで……。
お願い。泣かないで。
ねえ。海里?……。
…く、唇が…
あぁ……ごめんなさい。血が……。
…頬っぺも…濡れてるよ。
ねえ…泣かないで。
ごめんなさい……。」


頬に手を当てても、目が合っても…
ほたほた…と落ちる涙。


「先輩?。
…不安にならないで?。
一緒にいるって約束したよ?…」


『俺だけを好きでいて!!。一緒じゃない!!。嫌だ!』 

聞き分けのない、だだっ子。
でも……




「あのね。……先輩から海里に呼び方が変わった時に。
…私ね。あなたの事が好きなんだ。と、気づいた。
好き。って、優しいと思っている。温かいって思っている。
……でも、この気持ちは、本当に好きなの?。
先輩…教えて。
好きにも色々あるのね……。
今、思った。
好きも愛しているも、激しい心なんだって。
どうにもならない。自分の言うこと聞いてくれない心なんだって。」



『……嫌だ。俺だけ。』


「聞いて海里。
少し…前になるけど…。
部活終わりに…恵那を待っている時があったでしょう?。中庭で四重奏してた。
あの時、海里が恵那に向けた柔らかい笑顔が…。
私に向けた…笑顔であって欲しいって…思った。
…多分ー。
その時から、先輩の事。好きになってたんだと…思う。
でも、わからないから…。
あの時の私は、好きって何かわからない。…だから怖い。
先輩…教えて。
これは、好きで、合っているんだよね……?。」


『……』
返事をしない先輩。
頑なな表情。
拒否。


海里の胸に顔をよせて…。
公園の方を見て……気がついた。
空が藍い。
暗い。
街灯。

辺りを見回すと、
あの時の…。
歩き疲れた私が…見えた。歩いている姿。
しとしと降る雨。冷たい感覚。
私がこっちを向いて…見て。いる…幻覚。


- 怖い。- 

手が震える。
イヤだ。
海里。一緒にいて欲しい。
1人は…イヤ。

「…ねえ先輩。公園に行こう?。
せ…千里兄さん。そこで待ってるように。って言ってたから……。
あの……ここ、暗くてイヤだよ…。怖い。」




海里の顔を見上げて訴えてみても…
表情は硬いまま。
悲しげな表情。
『……』


「…海里……。
あ…あの…。お願い……。」


-ここはイヤ。暗い-
「海里……」


『あ…あぁ。ニーナ…。
あの……さっき、は…ごめん。イヤだったね……。』

先輩は、我に返った返事をした。
でも、表情は硬いまま。

 
「…好き"も、"愛している"も心だけど、…いろんな形があるね。」
海里にこんな表情をさせたのは、私。
言い訳にもならない。
多分…、彼は知っている。私の心の中にある事を。
気分が沈む。


- 行こうか…。-



先輩は私の手を引き、できるだけ明るい所を回り、向かいの公園へ歩きだした。

- やっぱり、嫌。-

思い出す。
あの日の空。
見上げると雨が容赦なく顔に当たる感覚。
覚えている。
向こうの丘にあるすべり台の下。
雨は当たらないけど…暗いトンネル。冷たい風が抜けて……。
どうしても怖くて…
後悔して。
お兄ちゃん助けて。
誰か……来て。
兄さん…心配してるだろうな…。
遠征…。
泊りだったし。
一緒に連れて行ってなんてくれない。
お母さん…。
何で?夜勤するの?。…どうしてもしなきゃいけない仕事なの?。

…足が重い。
何かに後ろに引っ張られる感覚。 

ねぇ?……海里。
この先。
…貴方も。
私の手を振り払って行ってしまうんでしょ?。



『……ニーナ。膝痛いの?
……やっぱり、俺と一緒は…怖い?。』



海里からの言葉は、さっきと違って優しい。

私は海里を心配させないように笑って、首を振るだけ。やっとできる返事。
本当は、逃げたい。
でも、逃げたら……。
海里の暖かい手は…二度と手に入らない。  

優しい海里。暖かい海里。
ニーナだけ。と、一生懸命に伝えようと努力している海里。

分かってる。

約束した。睦さんも。正樹さんも。

-大事にして?。
 俺の大切な弟なんだ。-

- 約束は守るんだ。…いいね?。-

ひどい人。
でも、私は……。
…タチの悪いバカな女。
最低だ…。

遊具のある場所は円状になっていて、照明が多く設置されている。

『綺麗な公園だね。』
そう言った海里に、ただ微笑みを浮かべるだけしかできない。



『ああ、あそこだね。行こうか。』


ただ…うなずくだけ。


…ブランコには乗りたくない。
ただ、イヤなだけ。
海里が心配するから、ちょっとの笑顔。
支柱に掴まるのもイヤ。



先に座って、おいで。と、手を差し出してくれる海里にも。
…曖昧な笑顔をするしかなかった。


『ニーナ?。ブランコ乗ら……?』


「……」

海里は辺りを見回して…。
気がついた様子で、私を見た。


『ニーナ?。
…ここの公園って………!』

私にとって長い長い沈黙。
穏やかに。静かに笑っているのが精一杯。
支柱に掴まって、海里が……消えないように願うだけ。


掠れ声で。細い声しか出ない。
「ゆ…遊具が新しいね。」

そう言ってみても、
- …ムリ!逃げたい!!。-


支柱に掴まっている手が……指先が…震えてくる。

-怖い。
助けて!!。-


- もう。ダメ。限界!-

後退りしようと……
動き始める前に、海里に捕まえられた。


「先…輩……?」

『…名前を…。
名前を呼んで…ニーナ…。』


「……海里…。」


『君が…。君が好きだよ。ニーナ。
伊織…どこにも行かないで…。
俺の側にいて…。いなくならないで。お願い。
俺を否定しないで。俺を…俺を受け入れて。』


私の両手を後ろに回し、支柱を支えに寄りかからせた。
唇がギリギリまで近づいて…。
- もう。キスはイヤ。-
だから…海里に聞いた。


「…あの。
…ねぇ?…海里……また…するの?…」


『……するよ。
今度は…。優しくす…る。』

嘘。
嘘つき海里。
私が噛んだ唇。
血が滲んでる…唇。

「…っんっ。」

昼間、私がしてみせたキスを返してきた。
……?
違う。
私が笑顔になるキスを。心や、優しさ。

…さっきと全く違う。

どちらからとも無く。自然に唇が離れた。
恥ずかしくて顔を上げられない。


『……ねえ?ニーナ。
俺、…キス上手になったでしょ?。』


何を言うの!?。
「……」
返事をしない代わりに胸を拳で叩いた。



『…俺の心も。気持ちも。全部ニーナにあげるよ。
君の事。聞いても。気持ちは変わらない。
ニーナ…。君は、とても温かいよ。とても温かい。
……ちゃんと生きてる。…俺は、生きている君を感じているよ。
悲しまないで。…自分を否定しないで。』

海里は温かい。
心臓の鼓動で、海里が穏やかになったのが分かる。

 

「私は…ー。
……海里の側にいる。側にいたい。変わらない。
信じて。…信じて。海里。」 


『……ニーナ?』



……言っておかなきゃ。
私の大切な人達。
失ってしまったら…。逃げ道がなくなる。
睦さんにとって、海里が大切なように。
私にも。大切な人達。


「…でも、嫌いにならないで…。お兄ちゃん達の事。正樹さんや睦さんの事。
私にとって、失いたくないの。
…大切な人達なの。
あの人達の笑顔が…私の太陽だった。私の存在価値だった。
生きていていいんだよ。って言ってくれた。
…だから。
だから……私からあの人達を取り上げないで。
……お願い。海里。
…お願い。……私から奪わないで…。  
お願い……海里。お願い…。奪わないで!」


悲しかった。
それでも止まらない…想い。

『……ニーナ。
お願い。睦兄さんじゃなくて。
…俺を。俺……を愛して。』



海里は知っている。
「…海里!。」


『…時間がかかってもいいんだ。ワガママなのも分かってる……。
兄さん以上になれないかもしれない。
この先、俺のワガママが…君を苦しめていくだろうと思う。
でも、ニーナ…。
君が欲しいよ。』



「海里……。」
背中に回した手に力が入る…
先輩?。海里?。
ごめんね。海里……。
私が不安にさせてる。





『……ニーナ。
約束して。一緒にいて。側にいて。
俺も約束するよ。君に信じてもらえるように努力するよ。
君に沢山笑ってもらえるようにする。
ケンカもいっぱいしよう。……仲直りも沢山しよう。 
時間がある時は、出かけたりしよう。
色々話しあって、解決していこう。
……沢山の好きをあげる。君だけに。
ニーナだけに見せる表情を。…知ってほしいんだ。』



「……。」

…妥協案を出してきた。
一生懸命な海里。
許す・許さないじゃない。
"お互いに向き合おうよ。"
そう、言っている。




『"沈黙は是なり"だよ。』

!!
また!その言葉!?。

是="はい"

この言葉には弱い私。
知ってるの!?。迷っていても、決心させてくれる言葉。


先輩の腕をつねった。


『いてっ!』


海里がクスクス笑ってる。肩が笑ってる。
笑った。
笑ってくれた。
私も、海里の笑っているのが嬉しい。
私も笑いたくなる。
つられ笑い。


穏やかな声。
優しい声。
『笑ったね??。やっと笑ってくれた。
…そしてもう1つ。』



- 何?。-


『ニーナを怖がらせるつもりは無いんだ…。
だけど…言っておきたいんだ…
その……。
……俺は、いずれ…近いうちに君を抱くよ。
その時は…』



海里の声が緊張している。
心臓の鼓動も大きく聞こえる。


抱く?
抱くとは…男女の関係?。

まさか、そんな事言われるなんて、…思ってなくて。
涙も引っ込んだ。
海里の得意技なの?。急に会話を折るのは…?。



「……海里?。
抱くよ。とは……?」


本当は。
知ってる。
…そんな事の意味なんて。今、聞いてもしょうがないけど。
私は海里に抱かれるの?。
いずれ?
近いうち?。
それはいつ?。




『ニーナ……。』
声か掠れている。
言わなきゃ良かった。と、後悔している声。




「……知ってる。
分かってる……。
子どもじゃないから…大丈夫。」
 

なんともないと思っていたのに。
声が震える。
……
違う。…なんともなくなんてない。
だって、わからない。
少し怖い。
背中にある手が。服を掴んでいる指先が…
震えが…とまらない。
…でも、海里となら。
……それでいい。


『本当に?。』


「……うん。」


『そっか…。』


「……うん。」




いたたまれなくて……。
恥ずかしくて。
どうしたらいいか…分かんなくて…
思わず…海里に聞いてしまった。

「…海里?。それは…。怖いか…な…?。
あの……。
私……どうしたら…いいの?。」


うっ!!
って、言葉に詰まった声が胸から聞こえた。

『に…ニーナ……?。
……それを答えるのは…ちょっと恥ずかしいかも。
俺も…その-、初めてだし。…未知だよ。』

海里の声が、うわずってる。
海里も。恥ずかしい?。
海里は初めてなの?。


「海里?」


言った手前、引っ込みがつかなくて…。
……私に質問されるなんて思ってなくて。
そんな事を思っている表情。



-…海里-

手を、海里の頬に当てれば熱くて。


『……ニーナの手が。…冷たくて、気持ちいいね…。
俺の顔。紅いでしょ?。
熱いよね……。』


「…そうだね。海里…。
私、海里が温かいの分かるよ。温かい体温も、気持ちも……。
海里のは……よく分かる。」

海里が笑えば、私も笑顔になる。


『ニーナ?。
……君は可愛いね。』


「…うふふ。
私達。バカップル。」
 

『……バカップル上等だよ。』

バカップルを認めた海里。

「海里…ごめんなさい。
唇……血が…。
…血が滲んでいるの。」


『あぁ…いいんだ。
ごめんね。ニーナ。』

「……。」

『ニーナ?
そんな顔しないで。
……そう思うなら…、
ニーナ?キスして。舐めて?。猫みたいに……。』




「海里……。
少し…」


『ん?』


「少し…唇を開けて…
……愛してる。海里…」


愛してる。
そう言えば……。この苦しさから逃げられると思った。
海里は、
-言ったら俺の事もっと好きになるよ。-
そう言う。
昼間と同じ。
素直になれば…私。…海里を大好きになれる?。
お兄ちゃん達と同じ位。
意地を張らないでいたら…。
もう…回り始めた歯車。
どうにもならない。誰か!止めて!。
嫌!!
素直になれば……?
お兄ちゃん達…以上に?
好きになれるの?。愛せるの?。
私は私じゃなくなる!!。
素直になんて!なれない……。認められない!!。
苦しい!。
…怖い!!。



『ニー……っ!…うっ…んん!』


「…海…里。
そんな声…出さないで…。
ヤラシイよ……。」


『ニ、…ニーナ。
君のせいだよ……。』


……私は意地っぱりだ。
お兄ちゃんは、兄妹だからダメで。
睦さんには受け入れてもらえなかったから…。
だから…海里なの?。
お兄ちゃんに近い人
睦さんに1番近い…人。
みんな良く似ている。心の中にあるモノが。
だから……惹かれて…焦がれて……。
焦れて……焦れて…。



「……海里。
海里の全部が欲しい。
私に…ちょうだい。
全て…。」

『ニーナ?』

……心が壊れる!!。
助けて!。
分からない!どうしたら…楽になれるの?。


くらくらする。
目眩。
海里からずり落ちそうになる腕。

『ニーナ!!。』

「……大丈夫。
少し…めまいがしただけ。
でも
気持ち悪い……。
…先輩。立っているの…辛い…。」






『ねぇ、ニーナ?……ニーナ?。
ブランコは…怖い?。』

「……」
よりにもよって、ブランコ。



『一緒に乗らないか?。
…一緒なら。二人なら越えられることもあるよ?。
おいで。ニーナ。
一緒。側にいつもいる。
君がブランコに乗りたい時は、一緒に乗って、一緒に笑おう。』


「……。」
乗りたくない。
一緒でも嫌。
あの日の私が見える。
助けて欲しい。
誰も…助けてくれない。


『おいで。ニーナ?。』

嫌。
海里が一緒に乗ってくれる。
でも。
嫌。怖い。
海里の思いと。私の思いは繋がらない。


『…ニーナ?。』

手を強く握っていても。
怖いものは、怖い。嫌なものは、嫌。

「イヤ!。」

『ニーナ。』

無理矢理。
思いっきり引っ張っぱられて。逃げないように鎖ごと抱きしめられた。

「落ちる!!。揺れる!」

『ニーナ!。
暴れると俺が後ろに落ちる!』


「……」
嫌。助けて。
怖い。身体が冷える。

『…怖くないよ。俺がいる』
そんな事言われても。本当に嫌なの。


海里は私を抱き直して、横抱きで膝の上に座らせた。


「……海里。私…落ちそう。」

『大丈夫。俺が支えるよ。
揺らさないし。
俺、足長いんだ。地面にも着いてる。』

しっかりと私の腰を支えていても。分かっていても。手が震えて力が入らない。

『落ちないでしょ?。』


「だって……。」


『揺らさない。ただ座るだけ。
乗りたくなったら、俺が背中を押してやるよ。
一緒がいいなら、俺が立漕ぎする。』


「……」


『ニーナ?。』  

優しく。ひとつずつ。守るのではなく。一緒に乗り越えて。
いつでも一緒にいる。
温かい海里の手に。
先輩と一緒なら……。

「…足長いって……。
自分で言うんだ……。」

自分で自己自慢する…どんなん??。

『はぁ?。だって、本当の事だもん。
…灘生の彼氏より、俺のほうが全て上。 
成績。身長。足の長さ。ルックスも!上。
……ニーナがトスを上げてくれるなら。
俺も国体に行けるよ。』


「すごい自信……。」
ある意味。さっきまで、だだっ子だったのに。
急に大人っぽくなる海里に。

私の周りにはいなかった。
一緒に越えてくれる人。
彼となら。私…
笑っても。大丈夫かな。
自然に…少しの笑い声が出たのには。
驚いた。




『あはは!。…そうだね。
ニーナがいれば…。
俺、何も怖いものなんてないよ……。』

海里の明るい笑い声に。
どんなに救われただろう。
でも。
なんだろう。
時々。暗い光を持つ瞳。
その影。

「海里…?」


『…あのさ。俺が、バレーを辞めた理由。
近いうちに話すね。
ニーナは、ジュニアの頃の俺を知っているんでしょ?。
だから……。』


右手を取り、手を合わせて。
優しい、温かい。
海里の手が…どんなに私を助けてくれているか。
私は。
どうやって伝えたら。
先輩に不安な瞳をさせないで済むのかな…。

「…先輩。
先輩の手は…大きいね。
スパイク……。沢山打ってきたね。突き指も…したね。
あの頃の先輩。身長も…そんな高くなかったように思う。
なのに、柔らかく。高く…空中に止まるように。
……ジャンプする海里だった。
…綺麗だった。
…今日も。」
 


『そうだったかな……?。』



「…先輩?。
温かい。優しい手だよ。
見て。
私より……。
大きな手のひら。長い指…。 
頑張った手だね。沢山勉強したペンダコもあるね。
…見て。
私、勉強嫌いだから、ペンダコ無いよ…。」



…自分の手と合わせて笑った。

「いつか……その話しを聞かせて。」


『…そうだね。時間のある時に。』


顔を上げてにっこりと笑った海里が言った言葉は、
『見て。兄さん達がそこにいるよ。』



「ん…?…本当だ。
笑ってるね。驚いた顔してる。
……なんでかな?。」


『……ニーナが、ひとつ。乗り越えたからだよ。
ブランコに座れる。俺とならね。…限定。』


額をコツンと合わせて笑った。海里の笑顔。
昼間と一緒。


『ニーナ。君は可愛いね。
俺にとっての1番だよ。
……忘れないで。』

優しい海里。くるくる変わる猫の目のような瞳。

『さあ、帰ろう。…また明日。
朝?どうする。
部活は?。』


明日の約束。
嬉しいような。恥ずかしいような。

一緒に行く学校。
一緒に食べるお昼のお弁当。
先輩は模試。
部活が終わるまで待つから帰りも一緒に帰ろう?って。

『ニーナ。嫌?。』

「…嫌じゃ……ないけど。
ずっと一緒?。」

『そう、一緒。』


ニーナ?って言ってくれる声の低さが心地よくて。

『帰ろう!ニーナ。みんなが待ってる。』

「ひゃぁ!!」
急に抱き上げて、みんなのところまでスタスタと歩く海里。





『万里さん。千里さん。
ニーナを。
彼女との時間をありがとうございました。』

「今日の話は終わったかな?」
暖かい万里お兄ちゃんの表情や声は、懐かしい感じがして。

『はい。』
「……」

『さあ。ニーナ。
また明日。』

「……うん。」

「伊織。おいで。」

千里兄さんに促されて抱きついた広い肩で聞いた会話が少し。悲しくて。



学年首位だった睦さんの。…叶えたかった将来。
実業団の推薦がきてた正樹さん。
……私の近くにいる選択をして…選んだ大学を卒業した。
千里兄さんは、近くにいてやれない事を悩みながら大学を卒業した。
万里お兄ちゃんは、…遠くても家から通って卒業した大学。

私は全部…知ってる。
私がみんなの未来を。自由を。壊した。

悲しい。
でも……。



「じゃあね。また今度。
睦、正樹、連絡して。俺達もするから。」

「今度は、海里の卒業・入学祝いだな。」

「楽しみが増えましたね。」


「…ねぇ。クリスマスは?
ダメなの?
……夏もバーベキューしたい。」




……一緒にいたい。そう、思う私がとても…愚かで。




「あれ?。伊織からリクエスト初めてだね。」


「千里次第だな。
いつ帰るか分からないし。」


「佐里衣さんも寂しがるかも~!?。」


「休みは…何とかなるよ。
多分ね。
それに…伊織がいいなら、サリも一緒でどうかな?。」


「いいよ。」

「……そっか…
えっ?。!?いいの?」


多分、「イヤ!」って言われるだろうと思っていたんだろうな。千里兄さんの驚いた声に、みんなが笑った。


「……うん。
少し大人にならないと。
子どものままじゃ…いられない。
1人でも立っていられるようにしないと……。
佐里衣さんと…約束したから…。」



『ニーナ……。』
私の裏の表情を。私の心を読んだ海里の曇る表情。
"大丈夫"
…唇だけで返した。

ため息をついて、首を横に振った海里に。

ため息なんて嫌い!!。

千里兄さんからスルリと降りて、海里の首に手を回し、

―"海里…そんな顔しないで。…私には貴方がいる。"―
耳元でささやいた言葉と。

「また明日ね。先輩。
約束守って。ちゃんと電車に乗るから!。」
みんなに聞こえるように言った言葉のうらはらが。

『ああ。また明日ね。』

バイバイ。って手を振る事で誤魔化した。


千里兄さんに、抱きついて…。

「兄さん。抱っこして…。」

何も無かったように抱き上げてくれた兄さん。


「大丈夫だよ。帰ったら。三人で寝よう。
早く帰ろう?頑張ったね。……伊織。」


「帰ろう。伊織。」
万里お兄ちゃんに、トントンと優しく叩かれた背中が悲しくて。
あふれる涙をこらえる喉が痛くて……。

いずれ失う"またね"が怖かった。
信じられない。ずっと一緒なんて……無いのに。

いずれくる別れが。私の首を真綿でじわじわと締め付ける感覚。

みんなと別れて、タクシーで帰る前に、
万里お兄ちゃんに言われた。

「伊織、海里君に恥をかかせないように。
分かっているな?。知ったね?。特進は進学を前提にしているんだ。
つらい事も多い。…お前も、苦しむだろうけど。」


「…大丈夫。分かってる。もう決めたの。
…心配しないで。大丈夫だから。」



にっこり笑って、「そうか。」と、だけ言った兄に。


「……お兄ちゃん。
行きたい所あるんでしょ?。やりたい事いっぱいあるんだよね?。
だから、お医者さんになったんだよね?。」

他人じゃない。私達は血が繋がっている。切れない縁。
尊敬する人。大事な人。
優しい。変わらないから。変わらずに……。

「万里お兄ちゃん。ずっと愛している。ありがとう。」



「千里兄さん。
いつもありがとう。兄さんの温かい手で頭を撫でてもらうのが大好きだった。
イヤな事からいつも…。私の矢面に立って…私をかばってくれた。
おんぶしてくれる背中が……。
いつまでもこのままでは…いられないから。
大好き。兄さん。
兄さんの背中が…大好きだったよ。」



穏やかに笑う兄達は、カッコいい男だと思った。



「楽しんで?。暖かい色の伊織。
色々経験して。学ぶんだ。俺の…たった1人の妹。愛してるよ。」



「…万里お兄ちゃんが、お兄ちゃんじゃなきゃ良かったのに。
絶対!お嫁さんにしてもらうのに…。」

そう言ったら。
「俺は、面倒くさいから。飽きるよ?。」って笑い声をあげた。


私を抱いてくれている千里兄さんは、
「俺、伊織が柔らかいから好きなんだけど!?。」
って、ぎゅうぎゅうに抱きしめてくれて。


「イヤだよ。
千里兄さんは佐里衣さんがいるじゃない!!。佐里衣さんが…一番だから!嫌い。
3番目位に好きになってあげる。」


「何で!!3番目って?。可愛い妹よ!!。」


「えっ?2番目は、正樹さんと睦さん。優しくて胸も広くて暖かいから。」


「はあ?!、4番目じゃん!俺!!」

って大笑いした。


「…嘘。千里兄さんも1番。
大好き。千里兄さん。優しくて。泣き虫で……。
ありがとう。愛してる。」

千里兄さんの驚いた顔に、私は意地悪な笑顔と頬にキスをした。


「伊織!!」

私を抱きしめる千里兄さん。
「やめて!!」
力いっぱい抵抗してみたけど…
やっぱり…抱きついた。

今しか出来ない。もう出来ない。

「ねえ?俺は?」
珍しくそんな事を言う万里お兄ちゃん。

スルリと千里兄さんの腕をすり抜けて、万里お兄ちゃんに飛びついた。
私は頬にキス。
お兄ちゃんは額にキス。

…最後のキスかもしれない。