男子レギュラーチームからのサーブ。

進先輩と前衛ポジションですれ違った。ライトまで下がる。
にっこり笑っているけど、目が笑ってない。

…サーブ権を取り返すほうが先。

こっちは、おじさんだから動きが悪のではない。
ムダに動かないだけ。
経験値の違い。


男子のネットは高い。
だから、女子でも身長の低い私は戦い方は違う。
…私は元々アタッカーだから。


「OK!伊織。」

「オーライ!」

「伊織!レフト!」
「センター!」
「バック!!」
それぞれが囮。それぞれがメインスパイカー

足音の無い万里お兄ちゃん。指示は千里兄さん。
ジャンプトス。顔の向きは万里お兄ちゃんに。

-…まあ、万里お兄ちゃんでもいいけど。-

私も大好きな万里お兄ちゃんと千里兄さんと同じ動きで。足音はさせない。

…私は誰にも上げない。
意地悪だから私が取る。


ライトからライトサイドラインへ…。ラインぎりぎり狙うフェイント。
フェイントカバーの後ろ。手が出る前に。私の体、ひとつ分後ろへ。

"ええっっ!?。"
"ズルい!!"


万里お兄ちゃんは囮のレフトスパイカー。
さっきの10分で万里お兄ちゃんには3枚のブロックが付く。ワンタッチでレシーブしやすくする為。

サーブ権を取り返すのに、ズルも卑怯もない。
どれだけ早く自分達に流れをもってくるか。冷徹でなければ、勝てない。

…男子にだからこそ使える。
大型選手だし。勝てないチームには理由がある。

-…1点もあげない。-

ふと表情に出る悪い癖。千里兄さんと良く似た冷たい表情だって言われる。

サーブ権さえ取ってしまえば、私の仕事は繋ぐだけ。
その人の為の1本。

睦さんのサーブから始まる。
睦さんのサーブを取るのには技術がいる。


-…ニヤニヤしちゃダメ。イヤ!笑いたい!!。-


「伊織。可愛く笑って。女の子なんだから!。」


すれ違う時、正樹さんがそう言って私の後ろを回った。

レギュラーチームからのスパイクを難なく上げる千里兄さん。

「伊織!」
レフトから正樹さんの声がする。

笑って…。
にこやかな笑顔で。正樹さんの為に。

「正樹…!。」


-正樹さんの為の1本。大好きなあなたの為の1本。
高く上がれ。そして、そこにいて。彼がそこに来るまで…。-

大きく破裂音のするスパイク。
多分、誰も取れない。

「…どう?正樹さん。」

「いいね~景色がいいよ!。」

「何が見えるの?。」

「えっ?床だよ。誰もいない床。」

「……」

複雑な表情の私に、
「そこに叩き付ける感覚が気持ちいい!。俺の為の1本だね。」 
正樹さんは笑顔で私の頭をなでた。


羽山君は笑ってない。
……
目が合うけど。
私は相手コートには笑顔を向けない。

「新名は笑わないんだな?」

「……そうね。必要ないし。」

「俺が、笑ってって言っても?。」

「……」

「俺は……。」

「試合中はダメ。ほら。後ろがレシーブミスをする…。カバーは?」

「!?。
…まだサーブ、打って…」

「笛は鳴っている。…レフトサイドバック、ギリギリ。」

「!!。」
 
「ほら。…ジャッジしてない。」

「新名、そこで見えているの?。何で分かるの?」

「……。」

「何でそんな風にいられるんだ!!。」

「孝!!」

進先輩が羽山君の肩を掴んだ時、私は先輩に冷たく伝えた。
進先輩ではなく、羽山君を見つめたまま。

「……進先輩。
試合中に集中を外したり、私情を挟むセッターはチームから外したほうがいいです。
……このセット、落としますよ。」

羽山君からスイッと視線を外す。イヤだった。知られたくない。
やめて!!私に関わらないで。

「伊織!!試合中は喋るな!!」

睦さんに叱られた。
睦さんはチームの感情を乱すのを嫌う人。
千里兄さんは8点で抑えるって目標を掲げたから。

「はい!!。すみません!」

深呼吸をして、視線を戻した。サーバーは見ない。
睦さんを信じている。



3点までのつもりが5点まで行くと、
ゲームは、サーブ権の行ったり来たりで進まない…。
万里お兄ちゃんが、タイムを取った。

-タイム!-

"伊織?海里を入れるよ。"

万里お兄ちゃんの声に、嬉しくて。
嬉しくてベンチを見た。
-海里!見た?-

笑顔を向ければ、海里は両手を広げた。

-おいで。-

口の動きでわかった私は、走り出して海里の首に飛び付いた。

「先輩!。」

『凄いよ!みんな!
ニーナも。
あの短い時間で…。合わせるなんて!!』

笑ってる海里。

「本当?
私?すごい?上手い?」

『ああ!。1番だよ!。』


飛び付いた私を降ろして海里は私と額を合わせて笑った。

握っている海里の手が震えている。

「海里?」

『ニーナ。俺も飛べるかな…?
俺、怖いんだ。
…打てないんだ。
でも。ニーナのトス。打ってみたい。』


「…海里…海里。私がトスするよ。
打てなくてもいいよ。
打ってみたい。その気持ちだけでいい。
みんながカバーするよ。
6人でチームだよ。
自信なんて無くてもいい。
私が海里を飛ばせてあげる。高く高く…」


『…ニーナ。』

「海里。ネットを超えて高い景色がみえたら、教えて。
私は見る事が出来ないから、そこから見えたモノが何か?
景色を教えて。
ね?約束。
海里?約束。」


『…うん。』

先輩と目があった。

『ニーナ。肩痛い?大丈夫?。』

「大丈夫です。
先輩、…先輩とプレーしたい…。」



「伊織!」

千里兄さんに呼ばれた。

「…はい。」


「さぁ後半戦が始まるよ。
海里。君も入るんだ!。」

『はい!。』


「海里。いいかい?。
6人でひとつだよ。」

「にっこりと微笑んでうなずいた先輩。」


「さぁ!おいで!!。」

千里兄さんの声は楽しそうだった。


先にコートに入る先輩を見送り、女子部のコートを見た。

色々な視線。
嫉妬。羨望。驚き…。どうでもいい。
時間も18時半近い。昨日の時間。夕暮れ。
恵那の事。田植えの土の匂い。
昔の事。
冷たい風。冷たい雨。


「……」
気持ちが沈む。
やっぱり……怖い…。

睦さんがうつむいた私に、いつもの言葉をかけてくれた。
"おいで。"
睦さんは右手を伸ばし、
私が手を取るのを待っている。私が自ら動くように…待ってくれている。

「伊織。顔を上げて。
俺を見て。側にいるよ。そのままの伊織でいいよ。
一緒にいる。心配しなくていいんだ。
……分かったね?。」


「……」
うなずく事しかできなかった。…声が出なかった。
手を取ったら、笑顔を見せる事。
それが…睦さんとの約束。

「……」

「伊織…。俺は…嘘をつかないよ。
昔も。今も。未来も。
おいで……伊織。」


そっと手を伸ばすと、逃げないように……パッと、手を掴む人。
変わらない人。
にっこりと笑った。
私も笑顔を返す。


…今は忘れよう。
楽しく笑おう……。
そう、思えば思うほど…不安になる。


私の手を引きながら、睦さんは私に言って聞かせた。

「…伊織?。本気のバレーをしよう。
"体格も。ネットの高さも。才能も。実力も。全て関係無いよ。"
って、教えたよね…?。

正樹、さっき言ったよ?。
伊織。コートで笑って。って
苦しい時ほど笑って、"大丈夫。"って言ってプレーするように。
"大丈夫。勝てるよ。"って。

伊織。泣かないで。…俺がいる。
万里さん達も…みんないるよ。」


泣いてなくても。
睦さんには…すぐにバレる。


「さぁ。
海里が待ってる。」


「あっ…うん…。」

少し複雑な感情がある。この感情に気付きたくない。
-ダメ…気づいたらダメ。-
睦さん。いつも一緒にいてくれた。
…嘘は絶対言わない。…私も言わない。
約束は必ず守る。…私にも守らせた。


「…睦さん。」

「大丈夫。信じるんだ。俺はここにいる。…いつも近くにいるよ。」





…後半戦が始まる。



「知力・集中力・経験値はある。だけど体力はどうにもならない。
だから、戦い方を変える。
伊織と睦でダブルセッター。伊織をスパイカーに戻す。
2人で声をかけあって、ボールを落とすな!。
走らないとこの試合は負ける
だから、ラインギリのポジショニングをとる。
短時間で終わらせる。声は大きく。楽しもう!!。
睦!伊織!、奴らを振り回せ!!。自由に!!。
いいな!!」

「了解です!」
「はい。」
それぞれの返事で返した。楽しもう!!。



そこからは展開が早かった。
「OK!睦!」
「OK!!ライト!伊織!!」

万里お兄ちゃんと同じフォームで。私だってジャンプ力くらいある。
背が小さいだけで。
私は体育館いっぱいに開いてアンテナまで平行に飛んでくるボールをインナーコースへ。

久しぶりのライトからのスパイクは、紛れ当たりでコートに響いた。

「伊織!!ナイスコース!」

「睦さん!ナイストス!!」

「伊織は万里さんと同じだな。…万里さんと間違えた。小さい万里…。」
睦さんが、にっこり笑って。
お互いの手が痛いくらいのハイタッチ。


「伊織!!肩は?」

万里お兄ちゃんが、お兄ちゃんの顔で聞いてくれたのが嬉しかった。

「大丈夫です。睦さんのトスが最高だったので。」

「よし!。次!。」

お互いに声をかけた。
お互いに笑って抱きあった。
睦さんのトスは柔らかい。優しい。その人だけのため。
私も1人だけのために。
…睦さんに教わったバレーを。

順番に。ローテーションで。って訳じゃなくて。
ただ、お互いに。勝つために。 
みんなで。拾って、落とさない。逃げない。
任さない。自分で。
…正樹さんに教えてもらったバレー。

千里兄さんが音もなく、レフトに大きく開くように感じた私は
トスアップできるように、同じようにセンターまで一歩を踏み出す。
正樹さんはまだ動かない。
万里お兄ちゃんはレシーブの為にライトバックまで下がる。
誰がレシーブするのかわからない。
でも私、トスアップしたい。


「OK!!伊織!」

アピールだけ。
万里お兄ちゃんのレシーブボール。重そうな音がする。
正樹さんの前を通り抜けて走り込んでジャンプトス。

千里兄さんが好きな速い平行。
睦さんのバックアタック。
万里お兄ちゃんも大きく開きはじめている。
一瞬のチャンスを。
ブロックが千里兄さんに付いているのが見えたけど、兄さんなら抜く。
信じてる。

吹き抜ける風をイメージして
…千里兄さん。こっち見て!
正樹さん以外の3人はスパイクモーションに入っている

-きた!!-

柔らかく速く。千里兄さんの為の1本。

スパッと良い音とほぼ同じタイミングで、千里兄さんのインナースパイクが3枚のブロックを抜く。
久しぶりに聞いたミートの音なのか?それとも、コートに打ちつけられた音なのか?
レシーバーが動けないまま、ボールを見逃す。

ザワザワした空気が静かになって。

この瞬間が好き。

-ナイス千里!-
と、私が拳を握ると、千里兄さんは優しい兄さんの表情になる。

「ナイストス!!伊織。ナイスレシーブ!!万里!!」

千里兄さんの穏やかな笑顔。

"やられた!"って顔をするレギュラーチーム。

みんなで攻める。睦さんと私でトスアップ。
私がレシーブをうまくできなくても、誰が側にいてカバーの準備をしていてくれる。
-…私がレシーブミスするのは、折り込み済みなんだなぁ…。-

…万里お兄ちゃんのバックアタックはやっぱり綺麗だった。
どうしてあんなにジャンプできるの?

睦さんの本気のスパイクを見たのは、何年ぶりだろう。
さっきの柔らかい表情って、どこいったの?。

千里兄さんは上手にブロックを抜く。
どうやったらあれが見えるの?

最後はやっぱり正樹さんのパワースパイク。
レシーブしてみたいな。って思った。
けど…骨折するな。って。
素直に…正直言えば、私は逃げる。確実に…。怖い。 



レギュラーチームから始まるサーブ。

海里先輩が入った事でバランスが崩れるかな?
そんな事を思いながらセットに入ってみたけど。なんの心配もいらない。
先輩は淡々と自分のやるべき事が分かっていて。

逆に私が足を引っ張っていて。

ブランクなんて無いみたいな、流れるような動き。
ピタリと止まるブロックフォーム。
…綺麗だな。

カバーに入りながら。
そんな事を思った。

だけど。迷いのある私のプレーに。
ミスの続く私に。
千里兄さんの平手打ちが頬に入って。
ざわつくコート。
点数こそ入っているとはいえ、
…感情の無い。上の空の私の心を見抜いた、兄さんの平手打ちだった。
表面上は分からない。
些細なミス。

正樹さんが、そっと私の手を握り、

「伊織。集中して。
笑って。怖くないよ。大丈夫。
君は大丈夫だよ。」

「……はい。」


先輩にそっと耳打ちした後、正樹さんは私に、

「次に海里に上げるんだ。
アンテナめがけて。ストレートを打たせて。
いいね。伊織?。」

「…はい。」

うなずくしかできない私に。

私の後ろを回り込む前に先輩は、

『ニーナ。
高く上げて?
絶対。打ち抜くから…。』


「先輩…。」


今までの早いテンポが嘘のように。ゆっくり上がってくるレシーブ…

千里兄さんの優しいカット。
次のプレイヤーの為に。
私は。スパイカーの為に。
丁寧に。優しく。

「笑って…伊織?。」

チームを立て直す為にするパターン。
チームと言うより。
…これは、
私の顔を上げさせる為のプレー。

正樹さんが教えてくれたやり方。
つまずいたり、士気が下がったら。
1から。

本来なら。
チーム全体が、気付いて。
ただひとりの為のプレーをするように。
…辛い時。背中を任せられるチームメイトがいるなら。
その人を頼りなさい。
落ち込んでいるチームメイトがいたら。
自分が背中を押してあげるように。

…正樹さんが教えてくれた優しいバレー。

先輩から後輩へ。
代々受け継がれている事。
いつの間にか。そんな事も出来なくなって。


- 海里へ。-

…あっ……低い!。

ジャンプしてから…。
海里はわざとブロックに当てて。

「伊織!もう一本!!。」

万里お兄ちゃんから上がってくるカバーボールを。

「伊織……笑って。
苦しい時こそ。笑って!。」

正樹さんの声に。

「…レ…レフト。

…海里-!」


高く。止まる。海里のスパイクフォーム。

あぁ…海里のフォーム。
……私が初めて綺麗だと思ったあの頃のまま。
ちびっこジュニアから。男の人へ…
背格好が変わっても。
バレーって…綺麗だな。

- お兄ちゃん…あの子は…だぁれ??。綺麗だね…。-

初めて……バレーの楽しさを見つける事ができた。
……あの日のまま。

…私の彼。私の海里。

自然に……笑顔がでる。
…ニヤけてるのかもしれない。

一瞬止まるスパイク。
ブロックの間を抜くミート。
サイドラインに入るスパイク…が。
私が上げたボールが。
決まった時。
嬉しかった。
ありがとう。って思った。


「…あれ?バレーって楽しいね。」

「伊織?バレーは楽しいだろう?」

「そうだね。正樹さん?…ありがとう。」

不思議なくらい。素直に笑顔になった。


『ニーナ。ごめん。
俺、パワースパイクは…もう打てないんだ。
どうやって打っていいか…分からなくなってて……。
でも。
入ったから…許して?。』

海里の苦笑いに。

「先輩って。カッコいいね。」

言葉を返した時。
先輩は、赤くなっていく顔を隠すように…私の頭を撫でた。

「さあ。もう一本!!。 」

大きな声の睦さんの声に。
みんなが笑顔になった。

勝つ!。
負けない!。
顔を上げて。
穏やかに笑って。

それが、私のバレー。

ボールをつなぐ。
誰かの為の一本。
優しく楽しく。
自由でいい。

教えてもらったバレー。

私も。誰か背中を預けられる人を探そう。
そう…思った。




「13点とられちゃった…。ミス…いっぱいあった。
…千里兄さん。お腹空いた。
千里兄さん。眠い…。」

試合終了のホイッスルが鳴って、コートで兄さんに話した。

「…ご飯食べなかったな!?。母さんが心配して食べやすくしたのに!!。」

「だって…。」



うつむいて口唇を噛んだ。
肩痛い。膝痛い。歩けない。

そっと海里先輩が手を握って言った。
穏やかな笑顔で。
『疲れたね。帰ろう、ニーナ。』

「…うん。」
千里兄さんが先輩の肩を軽く叩いて、"お願いね。"と言ってエンドラインに歩き出した。
みんな最後の挨拶の為にエンドラインに向かうけど、膝が震えて足が出ない。

『ニーナ。最後まで耐えて。
みんな知ってる。でもみんな見てる。
今、俺が庇えばニーナは故障者リストに載る。
で、レギュラーから外されるよ。
だから、変わらない笑顔で。』

「…はい。」

『おいで。自分で歩くんだ。』

「…うん。」
本当に痛い。そろりそろりと先輩の後ろをついて歩く。涙がにじむ。
少し…少しづつ…目の前が白くぼやける。


お兄ちゃん達を見るとゆっくり歩いていて、私の動きを誤魔化していてくれている。
-ごめんなさい。ありがとう。-


最後の挨拶が終わって、やっと先輩の腕に掴まれるって思ったら力が抜けて、尻もちをついた。

『ニーナ!!。』

「…うん。」

先輩は埜々香を呼んだ。
『石見さん。ニーナの着替え手伝ってくれないかな?。
多分彼女、お兄さん達と帰ると思うんだけど、さすがに着替えは俺できないし。』

「わかりました。
…伊織。大丈夫?。」

「……。」


『ニーナ。俺、着替えたら迎えにいくよ。
最後まで耐えて。
側に埜々香ちゃんいるから。』


「……。」

『ニーナ?
立って。』

「…はい。」


先輩の手を借りて立ち上った。


『石見さん。お願い。』


「…わかりました。宗馬先輩。」 


走ってお兄ちゃん達を追いかける先輩を見送った。


「…ごめんね。埜々香。」


「伊織さ。あんな表情できるんだね?。
…さぁ、歩いて。
レギュラー外されるよ。」


「…イヤです。」


「なら、頑張って。」


「…はい。」

ゆっくり歩き始めた。肩も膝もテーピングをした意味が分からないくらい……。
…そこに心臓があるのかと思うくらいに鼓動を感じる。



「お兄さん達と帰るの?。」


「…うん。……ねぇ、埜々香…。」

-不安だった。-

「何?」


「私の事……嫌いに…なった?。」


「何?急に!?。」


「……その…」

-嫌われたらどうしよう…。
怖い…。-


唇を噛んでうつむいた私に、埜々香は…

「伊織。…私ね。
隣のコートで一緒にプレーしたかったよ…。
連続でポイント取られても。
素直な笑顔でプレーする伊織が…
優しい。柔らかい。トス…。
1人1人の為のトスが…伊織が…綺麗だと思った。」


「……」


「行こう。着替えなきゃ。お兄さん達、待ってる。
先輩も迎え来ちゃう。」

「……うん。」



部室で着替えをしながら…

"あんな表情もできるのね!。女子のコートでもするのよ?。"
と、声をかけてくれた先輩。

好意的な言葉をかけてくれた子達も確かに増えた
…話した事もなかった子も声をかけてくれた。

"お疲れ!また明日ね!!"
"伊織?明日の部活は休んでられないわよ!!"
"伊織。沢山トス上げて。…さっき隣のコートで上げていたトスを!。"

…少しの笑顔と。


勿論…にこやかな感情ばかりでは無かった。
ボソッと…
"目立ちたがり。ちょっと出来るからって。"
"そんなに売名しなくてもいいのに"
"男請け狙い?男子部のマネージャーでもすれば?"
学年関係なく…すれ違いざまに言っていく部員もいた。

薄い表情…。


…埜々香が側にいても、あからさまな嫌み。


「……」
言葉を返せない自分。
諦めの感情。


埜々香は大きな声で。
「大したプレーもできない子は!。つまらない事しか考えられないのね!!。」 



「……埜々香。やめて…。
私のせいで、埜々香の立場が悪くなるから…。」


「伊織!!。」

「いいの。…いつもの事だから。…みんな……私の事、嫌いなの。」
掠れ声しか出なかった。


「伊織……」

「……いいの」
 
「伊織-。
…自信を持って。伊織。
私は、あなたを嫌いになったりしない。…私を信じて。」


-…本当?…嫌いにならない?。埜々香?。-

「……ありがとう」

黙って着替えた。
少し涙が浮かんだ。
瞬きすれば、涙が落ちる。

「帰ろう…伊織?。もう…宗馬が待ってるわ。」

金井先輩に声をかけられた。

「………ありがとうございます。」


泣いてたら、先輩が心配する。 
千里兄さんの言ってたチャンスがムダになる。
何の為に正樹さんや睦さんが来てくれたのか分からなくなる。
……万里お兄ちゃんの…足を引っ張ってしまう。

ぐずぐずしていられない。
笑わないと。

……全てがムダになってしまう。

顔を上げて…笑顔を見せた。
埜々香と…心配そうな顔をしている金井先輩。
最後まで残ってた部員の子達。
私のせいで…はダメ。

「金井先輩?
私、レギュラー外れませんよね?。
活躍したんだから、コートに残してくださいね!。」

出来る限りの意地悪な笑顔で、先輩に聞いた。

渡辺先輩が笑った。

「心配なさそうね!。伊織。
インターハイ!!。狙うわよ!!。」

「さぁ。帰ろう!。」
埜々香に背中を押された。

「早く行かないと!。
宗馬先輩のデレデレ顔見なきゃ帰れない!!。」


「ぎゃっっ!!。やめて埜々香!」


私の引きつった顔や声に、みんなが笑った。

居場所ができた気がした。
1人じゃない気がした。

…全部じゃ無くていいんだ。
少しずつ私を見てもらって、私を知ってもらえばいいんだ。
…お兄ちゃん達は、その為に来てくれたから。




「あのね。…伊織?。
目立って何が悪いの?。バレー、上手くて何が悪いの?。
あの環境にいれば、上手いの当たり前じゃない!。
お兄さん…心配してた。
伊織は警戒心が強くて、誰かに頼る事をしない。
って。
大丈夫。私がいる。
…私さぁ。友達…余りいないんだよね。
私じゃ、ダメ?。」
 

意外だった。
そうやって聞いてくれる子はいなかった。

「……ありがとう。
宜しく…お願いします。」


ニカッっと笑った顔が可愛い埜々香。

「あと…、同じクラスの佐藤さん。佐藤成美。
あの子。いい子だよ。
ちょっと気が強い?
いや?。すごく強いけど、優しい。正直な子。
…頼ってもいいんじゃない?。」
         
「…えっ?」


「そんな顔しないで。
…少しずつ警戒心を解いていけば、味方は沢山いるよ。」


「う…うん…。」


「あっ!ほら!迎えにきた!!。
デレデレの宗馬先輩!!」


「……埜々香?。
なんだか…怒ってない?。…宗馬先輩?。」


「えっ?。そう…?
いつもあんな感じでしょ?。
兄さんといるときは、少し笑うけど。」


「宗馬は、愛想がないのよ。
いつもあんな表情。」

金井先輩が笑った。


私に気付くと、柔らかい笑顔を見せた。


「…何で?あんなに、あからさまなな表情するのかしら?。」


後ろから来た渡辺先輩が笑う。


「宗馬!
私達の時と伊織の時の表情が違い過ぎるんだけど?。どういう訳!?。」

『……お前達に笑顔は必要ないだろう?。』

「もう!何で?。」

『だから……必要ないでしょ?。』

「……
まあね~。いらないけど!。」

「じゃあね。伊織。また明日。」

「伊織。お先!
宗馬!お邪魔さま!!。」


金井先輩と渡辺先輩が笑いながら私達を抜いて行った。

「じゃあね。伊織。お先!」

宗馬先輩と目が合った様子でニカッっと笑い、軽く肩を叩いて埜々香も帰って行った。




『ニーナ?。帰ろう。みんな待ってる。』


「う…うん。」
-嫌だ…-


差し出された手を取り歩き出した。


『ニーナ?
俺と手をつなぐの…イヤなの?。』


「……何で?。」


『…躊躇ってるから。』


心がモヤモヤする……。
ザワザワと…もう1人の私が、頭に話しかけてくる。

「…だって…恥ずかしいから。」
-嘘…。違う……-

『…ニーナ。
付き合ってるんだから、諦めて!!。』




「……海里なんて嫌い!!」

手を振り切って走り出した。
でも……。
すぐに…捕まる。


『ニーナ!。』


「イヤ!。嫌い!!。何を諦めるの!?。」


『あー!もう!!!!』

先輩は私を抱きしめて
『ニーナ!。ここでキスしたいの?』
って、脅した。

固まった私を抱き上げて?。"担ぎ上げ"のほうが正しいかも…。
先輩は、黙ってスタスタと玄関に歩き出した。

「……。」

海里の匂い。柔らかい香り。優しい腕。

抵抗しても仕方ない。
ただ首に腕を回して。
…ささやかな抵抗

『…ニーナ。…苦しいよ。』

「うん…。」


『意地悪してるの?』


「……うん。」


『何で?。』


「海里の…バカ。嫌いだよ。
追い付けないよ…。そんなに急かさないで……。
……分からない。どうしたらいいの?私。
…"好き"が解らなくなるの……。」



『……ニーナ。
疲れたね。帰ろう。
ニーナ。沢山のトス、ありがとう。バレーって。楽しいんだね。
千里さんも万里さんも待ってるよ。今日は色々ありすぎた。…
…今日はゆっくり休んで、また明日……
また明日、一緒にいてくれる?。』


「……」
どうして、こんなに不安なるんだろう…。
どうやったら、信じれるんだろう。
どうやって、この想いを隠したらいいの?。



『ごめんね。ニーナ……。』




「…海…里。
ごめんなさい……。」

- 全てが怖い。-



『…泣かないんだよ。ニーナ。
兄さん達が心配する。
また明日、笑おう。……一緒に』



「……うん。
一緒にいて。…側に……いて。」



『…側にいるよ。一緒だよ。』



" 伊織?。おいで。"

静かな、千里兄さんの声が聞こえた。


『すみません。また逃げそうになって……。』



「海里君。気にしないで……。
…時々ね。
……あるんだ。
逃がさないでいてくれて。ありがとう。
この時間だと。
……捕まらなくなる。」


『……えっ?』

千里兄さんは、私の背中を軽く叩いて促した。
「おいで……伊織。」
さっきよりも…強い口調で。

「兄さん…。」

「さあ。帰ろう。」

「……う…ん。」

「そうだ!
伊織。今日はみんなでご飯食べに行くよ。
…すごく疲れてるよね?。だけど、伊織も連れていってあげるよ。
一緒に行こう。
みんなで。」


「…本当?
置いていかない?。…約束できるの?。」


「ああ。約束だよ。
今日の約束。
海里君。君も行こう。
今日くらいいいよね?。一緒に行こう。」

『…僕もですか?。』

「そう。
同じチームで試合したよね。6人でひとつ。
今日の君はとてもいいプレーをした。ご褒美さ。
…だから、おいで。伊織。早く帰って着替えよう。」


私は千里兄さんに腕を伸ばし、そのまま抱きついた。
……置いていかれないように。


「伊織!。そんなにしがみつかなくても、置いていかないよ。
約束したよ?。」

「……。」

千里兄さんの少し笑ってる声。


「さあ、海里君も帰ろうか」。

『はい。』

「海里-!。帰るぞー!?」。

睦さんの声がする。


「正樹ー!
いつもの処!予約してー!。」

「了解ーっす!」

「海里ー!!。早くしろよ!!」

『今!行くよ!!
…じゃあね。ニーナ。また後で。』


「……うん。
ちゃんと来て。」

『行くよ。』

にこやかに笑う先輩。
睦さんが車から手を振っている。
正樹さんも。

少し寂しい。
でも、今日は一緒にいられる。
ちょっと嬉しい。



「…伊織?。靴くらい自分で履こうよ。」

千里兄さんに笑われたけど。


「……イヤです。」


「また!そんな事言って!!。」


「…兄さん。」


「もう!。しょうがないなぁ。」


「……ありがとう。兄さん。大好き。」


「何も出ないぞ?。」

値《たあい》の無い会話が幸せだった。
でも。
離せば置いていかれるかもしれない不安に……。
そんな事は無いと分かっていても……今日はイヤだった。

生徒玄関を出れば、風が吹いていた。
顔を上げて空を見れば…晩春にしてみれば珍しい夕焼けと、藍色の夕闇……。
…誰そ彼時。

…見た事がある空。
怖い。冷たい風。

「…千里…に…兄さん?。……イヤだよ。怖い。」


「!!伊織?。
万里!。万里!!!!。」

ジタバタと、もがいて逃げ出そうとしたら、万里お兄ちゃんに留められた。
すいっと抱き上げられて…車の中へ…投げられた…。また。

「痛っ!」

だけど、そのまま万里お兄ちゃんに抱きしめられて

「伊織?大丈夫だよ。
俺達がいる。
1人じゃない。みんないる。
……だから心配ない。」


「あ、あの……。
…解らなくなるの。ううん…解っている。
私、きっと…おかしいの。
病院…行かなきゃダメ…かな…。」

訳もなく、体が震える。涙が出る。
…何か。
発作的な……。


「で…でも!。
眠りたくない。解らなくなるの!。忘れてしまう!」


「大丈夫。一緒にいるから。
置いていかないよ。
病院も行かない!。行く必要がないんだよ……。」

指先まで震える。千里兄さんを見れば、"大丈夫だよ。"って優しく笑う。

「さあ、伊織。
…帰ろう。
今日はみんなでご飯を食べるんだ。
久しぶりだよ。伊織。」

千里兄さんが柔らかい笑顔で私を促した。




千里兄さんの運転で。
……万里お兄ちゃんに抱かれているうちに、
自分の気持ちが少しずつ落ち着いてきていた。

「落ち着いたか?。」


「……うん。
あの空は……嫌い。」


「そうだね。」


「でも……とても綺麗な色だったの…。 

藍色。青藍。勝色。透明な藍。

…吸い込まれそうだった……。

…薄明。誰そ彼時。夕暮れ…。…逢魔が時。」


「伊織…。」

心配そうな千里兄さんの声。
黙ったまま強く抱いてくれる万里お兄ちゃん。


「…ごめんなさい。
ありがとう。
……大丈夫。…もう、平気。…大丈夫だよ。
…今日、ありがとう。
心配かけて、…ごめんなさい。」




お兄ちゃんの心臓の鼓動が気持ちいい。
暖かい体温。
大きな手のひら。
でも、分かっていても。……感じる事を拒否している。




……家に帰って、シャワーを浴びても。
温まらない身体。
冷えた心。

もう、後戻りできない恐怖。


「おいで、伊織。」

兄さんに、髪を結ってもらいながら。
…冷たい指先。

「ねぇ……千里兄さん…。」

「何?。」

「…私、あと何回……兄さんに髪を結ってもらえるの…?。」



「……。」


「……さぁ、出来たよ。
可愛いね。伊織。」


「…兄さん。」


後ろから肩を抱き…そっと耳元でささやいた千里兄さん…。


「お前が望む時は、いつでも結ってあげるよ。
伊織……。」



「……。」



「…可愛いね。伊織。
今日は、頑張り過ぎたかな?。
…やっぱりやめて、3人で川の字で寝てようか?。」

居間のドアに寄りかかって、私に問いかけた…お兄ちゃん。


「……イヤです。…行きます。」


にっこり笑ったお兄ちゃん達。


「万里お兄ちゃん……。
ご飯から帰って来たら…。
一緒に…寝て。」

「そうだね。一緒に寝よう。」



「…千里兄さんも一緒に。」



「……たまにはいいね。
ねぇ伊織?。…蹴らないでよ!。
寝相悪いんだからさぁ。」


「兄さん…。
私は、寝てるので……分かりません。
…万里お兄ちゃんのダブルベッドがいい。
千里兄さんのは、やだ。」


「何故に!?。」


3人で笑った。



永遠って言葉があるんだから、永遠に続けばいいのに。
神様は、嘘つきだ……。
そう…思った。

神様なんて……。
いない。




「さぁ、行こう。
時間過ぎちゃうよ。
睦、怒ってるよ。きっと。「遅すぎ!!」ってさ。」



タクシーで着いた時には、みんなが入り口で待ってた。

「さぁ、お嬢様?どうぞ。」
そんな冗談を言って、手を取ってくれた睦さんに。

「ありがとう。」
と、にっこり笑った。

「伊織?その髪は千里さんが結ったの?。」

「うん。」

「可愛いね。」

「……髪だけかしら?。」
と、言った私に、驚いた表情をした睦さん。


「スカートもニットも伊織も全部!可愛いよ。」


「……睦さんはいつもカッコいいね。」

「そうだね。俺はモテるんだよ。伊織?。」

ハッキリとした二重の涼しい笑顔。

「-"伊織ちゃん?笑って。"-
何度も言ってきたよね?。
俺、笑顔の君が好きだよ。」

その笑顔が私だけのものであればいいのに。
太陽のように笑ってくれる人。



正樹さんが、
「睦?いい加減にして!!」って怒ってる。
でも、笑ってくれた。
暖かい春先の朝日のような笑顔の人。
悲しいほど…。
私とって……。悲しいほど大人な。男の人の暖かい笑顔。
…失いたくない。
そう…思う私は…。

- 欲張りだ。-





『…ニーナ。行こう?。』

「…うん。」

差し出された手を取った。気になってた。

「海里?。私を見ないのね…。」

『え…あぁ……。
見たよ…。』

「嘘。私を見て?」


「海里。伊織。先に行くよ。…話が、済んだらおいで。」

正樹さんが声をかけてくれた。

『…ありがとうございます。』
にっこり笑って返事をした海里。


「ねぇ…海里?。
なんで?私を見てくれないの?。」

『ニーナ…。』

「私の事、嫌いになっちゃった?」。

『違う。違うんだ…。
あのね……その。』

髪をクシャクシャと、かき上げて。
ポツリと。

『……。
可愛いね。ニーナ。
私服は…初めて見たから…。
…出遅れたんだ。』


思わずクスっと笑うと、海里は、" 笑わないでよ。"と、うつむいた。

出遅れって!?……。
素直に言ってくれた事が嬉しい。

「海里?。私も私服初めて見たよ。
ジーンズもよく似合ってる。髪型も違う。カッコいいね。
海里も、ニット。
お揃い。約束したわけじゃないのにね。」


『……ニーナ?』


「私の彼はカッコいいから、心配だよ。」


『…俺の彼女は隠れファンがいっぱいいて、心配だよ。』 


はにかんだ笑顔に。
聞いてみたくなった。
「…その笑顔は、私にだけ?海里?。」


『…そうだね。
他の人には必要ないからね。』


「うふふ。」


『あはは!
行こうか?。ニーナ。』


「うん。」