…何気なく、風が吹く方向に顔を向けた彼女は
怯えた表情をした。

もう多分?逃げないからと、急いで立ち上がり俺の手を離し、カバンを持ち上げた。
多分?って何?嘘つき!
何で逃げようとするの?。

私は嘘なんてつきません。
覚悟を決めた。
多分というのは、
…"先輩が"、私を、怒らせたら。
…"私が"、先輩を、怒らせてしまったら。


何を言っているの?

渡り廊下を再び振り返ったニーナ。

『ニーナ?』

いなくなりそうで、捕まえたはずなのに、夢みたいに消えそうで…。
不安になった
心配だった。

怖くて…ニーナの手を掴んだ。
『伊織…。』
…行かないで!
初めて名前を呼んだ。
驚いた顔。…狼狽えた表情。


後ろから声が聞こえた。
「イオ…。」

ビクッとした。振り向いたニーナは、
俺の手を振り払って体育館側の出入り口から、校舎の方へ走り抜けて行った。

「イオ!」
『ニーナ!』




『……。』
風の…風のように気配を消す。また!!。



やっと掴んだのに!!。



『……灘生、お前!伊織に何をしたんだ!』


「…先輩……。」
唇を噛んだまま黙り込んで…


『まさか、本当に…半年前から、彼氏いたのか?。』


「……。」


『泣いていたんじゃ分からないよ!!。何で!?。伊織は…伊織は!!
あんなに、お前を待っていたのに!。慕っていたのに!!。信じて…信じていたのに!!』 


「もう!…やめてくれ!!。」

-大丈夫か?-
囁く声が聞こえた。
「…行こう。恵那。」

「……。」
あわてて追いかけてきた男。
泣き崩れる灘生。



悔しかった。
ただ…ただ、腹立たしかった。


『何で!黙っているなんて!!。灘生、お前?親友じゃなかったのか!!。 
…何も言わず!灘生を連れていくお前も…お前は何なんだ!!。バカか!。』


「……。」
何も言わず、ただ俺を睨み付け、灘生を連れて行った。




『くそっ!!誰だよ。あいつ!!?』


「……あいつか?
普通科のヤツだよ。たしか、江藤…なんだっけかな?。忘れた。」



『石見!!』


「テニス部の副部長。国体の候補。
クラスに部長いるじゃん?。
聞いてきたよ。いい男だろ?。背も高いし。
ただ、男子テニス部では有名。学校イチの可愛い子ちゃんと付き合ってるって。」




『……テニス部。高野か?。』


「お前は気にした事ないだろう?。
普通科と特進科の様々ないがみ合い?。嫉妬とか?。優等生だし。
何でかな?。実力あっても普通科からは、部長を出さない。
特進から出す。
文化部は緩いから、知らなかっただろうけど。
で、特進科と普通科で付き合っているって例は少数。お互いに信頼しあわないないとすぐに別れるんだ。理由がわかるか?。
俺なら、出来るけど~?。」



『くそっ!!』
…なんだそれ!!


「何?また逃げられたのか?」


嬉しそうに言ってくる石見に腹が立った。

『逃げられてねーよ!!』


「はぁ?」


『ニーナと付き合ってる!。伊織が好きだ!。
…あいつとは!!違う!!!!。』


「いつからっ!!!?」


『今だよっ!!!!。
それに!!上背も足の長さも!!。いい男かも!。全部!俺の方が上だ!!!!。』


「どんだけ自信だよ!!!!。」


『自信がなきゃこんな事!。大声で!できねーよ!!!!。』


ヤツだけじゃなくて、石見だけじゃなくて、全部だ!。
腹立たしくてしょうがない!。
さっきまでが夢見てたみたいに…。
何なんだ!!。


教室に入れば、女子の視線が痛い。
うるさい!!。
文句があるならハッキリ言え!!。
いつもと違う俺の雰囲気にみんなが避けてる。



「宗馬。」

『なんだ!』

「怒るなよ…。」

『あー…高野か。』

「石見から聞いたか?江藤の事。」

『……。』

「…知っているのは一部だよ。江藤が…黙っててくれって。」

『何で!!』


「怒るなよ…。
彼女。江藤の彼女、特進でも人気あるんだ。だから……邪魔されたくないって。」

『はぁ?。』

「自分より、上の成績とか…特進とか…に取られるの嫌だって…。
知らなければ、断るの楽だって。」


腹が立った。

『新名が!!。その!断り役が!!!!。
俺の女だ!!!!。』


「宗馬!!。」


クラス中に響いた声。

『俺は!俺は隠さない!。
隠して何の意味があるんだ!!。
付き合うのも!別れるのも!俺の自由だ!。』


椅子を乱暴に引き出し、座った。
頭を抱えた。
こんな宣言するつもり無かったのに。
…ごめん。ニーナ。


高野は小さな声で、
「お前は成績も良いし、バレーだって本当は選抜クラスなんだ。
だから、解らないよ。」

そう言った。

『…高野。お前、知ってるだろ?。
…俺はもう飛べないんだ。挫折したんだ。バレーが怖いんだ。
成績だって、バレーの代わりなんだ。バレーだけじゃないって、認めて欲しいんだ。
本当は、臆病で卑怯なんだ…。』


高野は、頭を抱えている俺に言った。

「宗馬……。安心したよ?変わったな。お前。」


『……。』

肩を軽く叩いて席に戻って行った。


授業にならなかった。
ニーナに恥をかかせてしまったかもしれない。
恥?。
特進と普通の差。格差?。なんだそれ…!。
俺がヘマをすれば、成績が下がれば、受験に失敗したら…
全部、ニーナのせいに…。
普通だから。普通科の女と付き合ってるからって、
彼女の立場が悪くなる。
……だから、石見が言ったんだ。
好きだけじゃダメなんだ。
万里さんも千里さんも…兄さんも。
そうやって過ごしたんだ。この学校の特進科を。
人としての、当たり前の事が出来る…。
大切な人に恥をかかせないように……。
…俺は、ニーナを守れるの?。
ニーナに会いたい…。




どうしてもニーナに会いたくて、思い切って行こうと思ったけど…
ニーナのクラスが分からない。
…石見妹は何科??。それも分からない。
石見に…
…嫌だ。


…そんな事言ってられない。
2時限休みに石見のところへ行って…
まさに…恥を忍んで聞いた。


「…お前。そんな事も知らんの?。バカだよ?。どれだけ不思議くんなの?。興味無かったのか?。」


唖然とする石見に頭を下げた。
『頼むから教えてくれ…。』


ため息が聞こえた。
「特進が何組あるか知ってるか?。」
『2組。』
「普通科は?」
『知らん。』
「進学科は?」
『……知らん。』

「……。」
『……。』

盛大な、ため息。

「なあ、大丈夫かよ?お前……。どんだけ興味ないの?。
進学科3、4組。
普通科5、6、7、8組。
…彼女は5組だよ。…リサーチしろよ?。なあ、宗馬くん?。
数は数えられるんだろうな…!?。」


『……ありがとう。石見。
…ついでに教えてくれ。お前の妹は何組?。』


「はぁ?ねぇ、いい加減にして??。
1組だよ。2ー1。
…何科かわかる?。大丈夫?。」


『特進。』


「クラス替えあるの知ってる?。進学科や特進科にクラス変わる事も出来る事?。」


『…それは!知ってる。』


「伊織ちゃんに恥をかかせるなよ?。朝の大立ち回り…有名人だぞ。お前。」

『……。』

「宗馬!」

『ありがとう!石見君!!。心配してくれて!!』

「嫌みか?宗馬!?」

『いやー?』

意地悪な笑顔をした俺に、石見は驚いた顔をした。

「…ただの秀才から、急に変わったな。……面白いよ。お前。」

『ニーナのおかげかもな。』

「はい!どーも!。ごちそうさん!」

『じゃあな。ありがとう。』


…昼休みに行ってこよう。ニーナに会いに。
胸騒ぎ。イヤな予感。






昼休みに教室まで行ったけど、どうやって声をかけていいのか分からない。
とりあえず、5組教前の廊下にいる女の子に声をかけた。

『ごめんね。新名さんいるかな?』
「えっ?伊織ちゃん?。」
『そう。』

「成美ー!。伊織ちゃん知らなーい?。」


「んー?。」

ニーナの友達?かな。
元気の良さそうな子。


「あれっ?。伊織の彼氏さん??。」

『そう。』

「!?。
ハッキリしてるんですね?。
伊織は、1人になりたいって、行ったっきりですよ?。約束してないって。」


『…また1人に!?。
あー。ごめんね。ありがとう。』

探さないと……。
複雑な表情の俺を見た彼女は、


「あっ。あの!伊織、必ず4時限に出席するように言ってください。」


『?。…わかったよ。見つけられたらね。言っておく。』

「み、見つけられたら?。」

『そう。伊織はかくれんぼが上手で…。』

「ええっ?」

『あ…ごめんね?。名前、教えてくれないかな?。』

「佐藤です。」

『そっか。
佐藤さん。伊織が教室に戻ってきたらお願いできるかな?。
伊織、しばらく1人になってしまうかもしれなくて…。
気にかけて欲しいんだ。』


「…分かりました。大丈夫です。」


『じゃあ。ありがとう。』


足早に教室を後にした。
多分、静かな場所。
今の時間と季節で静かな場所はひとつ。屋上。
…それも、多分…一番遠い技術棟。



ニーナ。逃げたの?疲れたの?

技術棟に急いだ。あそこしかない。
…風が流れてる。絶対いる!。

『いた!ニーナ!!。』
声をかけたら、飛び上がった。
…また泣いてる。

我慢してる顔。
抱きしめようと手をのばしたら、制服の胸元を掴まれた。

…そのまま抱きついたニーナ。

多分。このまま動かなくなってしまう。

そっと抱きしめたけど…。

昨日の万里さんの仕草を思いだした。
多分…嫉妬。
俺のニーナ。俺だけのニーナなんだ。
独占欲。
優しいニーナの匂い。


"万里さんに学んだんだ。"

離したくなくて。自分だけのニーナでいてほしくて。
強く…抱きしめた



…イヤがっているのは感じていた。


苦しくなってもがいている。
かわいそうだから腕の力を緩めると、
ニーナは力いっぱい俺の胸を押し、顔を上げた。
そのまま。俺は額にキスをした。

万里さんのように。

俺だけの…。
目が合って苦笑いをした。
自分だけの…
手のひらで頬を包み、右頬。右目尻にも。
そして、静かに唇を離した。

俺だけのニーナ。やっぱり…いなくなりそうで、怖くて。
自分だけの彼女だというワガママが。
彼女の最初になりたい。

そのまま唇へのキスに変えようとしたら、ニーナに嫌がられた。

そりゃそうだ。付き合うって決めて数時間。

…だけど、もう止まらない。
俺のニーナ。

俺の口唇を塞いでいた両手を、ゆっくり外しながら。
俺だけのニーナになって。
泣かないで。笑って。
自分を責めないで。
好きなんだ。ニーナだけ。
こんなにも執着した事。無かったんだ。

万里さんに嫉妬したんだ。

静かに口唇にキスをした。

「んー!!」
イヤがっているのは分かってる。
怒られるのも…。
ヘタすれば、嫌われるのも。
でも。もう。引き下がれない…。

甘い口唇。

後ろは手すりの柵。

逃がさない。


「いひゃい(痛い)!!」

声がして、我に返った。

角度を変えたから、口唇を離す時、
チュッと音がした。



「ひどい!!先輩のバカ!!ご褒美じゃない!!。
もう!嫌い!!。 イヤ、離して!!」


『大声出す?。ダメ、また口唇塞いじゃうよ?。』

一回も二回も一緒。
手首を離して、そっと抱きしめた。
ニーナ。好きだよ。…大好きだよ。
だから、俺から離れていかないで。
ごめんね。

怒ってるニーナ。
だから。俺も逃げる。


千里さんに、殴られればいいのに…
ご飯を一緒に食べる約束なんてしてない。
嫌いだ。と泣くニーナ。

万里さんから学ばなくていい!。
頭の片隅に感じていた嫉妬を、ニーナに指摘されて焦った。

思いっきり睨み付けられて…。
万里さんに怒られているみたいな感じだった。

『ニーナ。無理矢理だった。ごめんね。
でも……
好きだよ。…本当に好きなんだ。
逃げないで一緒にいて?。
ねぇ、ごめん。許して。』


「イヤ!!許さない!!。」
それしか言わない。


…マズイ。
ニーナを本気で怒らせた…。
早速……。
やっちゃったよ…。


……。
ニーナが苛立っている。
すごく怒っているのがよくわかる表情。
万里さんによく似た…
暖かい熾火が炎に変わりそう。万里さんが言ってた事が良く分かった。

「先輩!!。反省してるの?」
『……してるよ。』
「嘘!」
『してる!』

「嘘つき!!!!」
表情から嘘を見抜く。反省なんてしてないのを見抜いている。

『……。』
すごく怒ってる。謝ったほうがいい?。

謝ったけど…
反省してない顔と、俺の要らない一言のせいで……
火に油を注いでしまった。


『はぁ?なんなの!!。誰とするの!?。』
びっくりするほどの大きな声に、
"誰もいないから、響くんだよ!"と、思わずニーナの口を塞いだ。 


少しづつ怒りが大きくなってる。

ねえ?。逃げる?。怒らせたから…。と、聞いてしまったから、
更に火に油を注いで…しまって。

怒らせるような事しないで!!
俺は、初めてなのか教えろ!!と。

万里さんとニーナだけの……キス…だから!万里さんに言う!って……。

『だって!』

今さら、俺だって初めてだ!って言っても説得力がなくて…
本当になんだ。って言っても
ニーナが好きなんだ!って言っても、
「好きならいいのか!!!!」
……怒ってる!!
どうしていいか分からなくなって、

『んー!!いいの!!。ニーナ、"うん"って言ったじゃん!。
…俺だけのニーナ。
俺はニーナとキスしたかったの!!。好きだから!したいんだよ!!。』

思わず逆ギレしてしまった。
 

……しまった!
今さら遅い…。


「はぁ!?もー!頭にきた!!!」
今のニーナの表情が……昨日の万里さんより怖い…。
イライラしている。

どうしよう!すごく怒ってる!!
ごめん!!ニーナ!!


キレたニーナの表情。どうにもならない!!
ニーナは俺のネクタイを掴んで、思いっきり引っ張った。
制服の襟を掴みなおして。
殴られる!!と、目を固く閉じて覚悟した。


涼しい風のような「離れないで!。先輩。」の声が口元にしたと思い
目を開けてニーナの名前を小さく言ったら……

……ねぇ先輩。静かにして。誰にも言わないで。約束して!。


えっ?なに?


さっき俺ががしたみたいに、静かに……ニーナは口唇にキスをした。
チュッって音がするキス。

なんで?どうなってー

少し口唇を離して……
「…誰もナイショ。言わないで……。」


制服の襟を掴んだまま、立ち膝になって俺の顔を上から見下ろして。
動けない…。反らせない瞳。惹き込まれて。
濡れた口唇を舌先で猫みたいに撫でて…もう一度…キスをした。

なんで?なんで?そんなキスができるの?。

……狼狽えた。声が震える。小さな呟きしか声が出ない。

『い…言わない。言えない…。
ニーナ。君が悪魔に見える。…でも、好きなんだ…。』


顔が熱くなっていくのが自分でも良くわかった。

「…ねぇ。先輩は、本当に初めてなの?」

伊織と言う名前の悪魔が俺の口元で囁く。

驚きと焦りで、声が出ない。言葉が出ない。震える指先。


「嘘つき!。」って言われ突き飛ばされて、やっと出した言葉は…。
みっともないくらい震えてて…。

『…う…嘘じゃない。信じて…。お願い。ニーナ。信じて!。』

怒らせて…激怒させてから気付いた。
怖いって。

イヤ!って拒否しかしない。
信じてくれない。
逃げないだけでも…まだいい方。
黙り込んで睨みつけてる!!。

『ニーナ。嘘じゃないんだ!
本当に嘘じゃない!!。君だけだ!!。』

……君だけだ!。 
俺だって…知識として知ってる。キスの仕方くらい。
でも!ニーナだけなんだ!!。

一生懸命説明するしかない。

嫉妬。ヤキモチ。自分だけのニーナにしたくて…ムキになって。
万里さんに敵うはずなんてないのに。


震える手でニーナの腕を掴んだ。


『お願い。信じて!。』
言葉に出して言ってもダメ。だから願うしかない。
お願い!!信じて!!。

-ニーナは嘘つきが嫌い…-

お互い視線が合った。
…今、目を反らしたら嘘つきになる。


……
ふいっと視線を反らしたニーナ。 
狼狽えた表情。
後悔している表情。

ニーナ。どうしてそんな表情になるの?。

急に力が抜けたように…力無く座り込んで、両手で顔を覆って…。
何も言わなかった。


…俺と付き合った事…後悔してる?。
いなくなりそうで…怖いよ


風を感じたからか…顔を上げて、屋上の出入口から見える空を見つめていた。
風が穏やかに流れて、ニーナの髪を揺らしている。



「…何でそんなに不安な顔をするの?。ご褒美って言ったの先輩なのに。」

何で?って言われても…
俺は、しでかした事に狼狽えてる。
後悔は…してない。
でも、ニーナがいなくなりそうで…不安。
ねえ。そのキスは、誰に教えてもらったの?。
嫌われたら…どうしようって、本当は泣きそう。

『…ねぇ?。
…どこにもいかない?逃げない?側にいてくれるの?。
不安だよ…。ニーナ。』


…いなくなりそうで怖い。


「先輩…、私の事嫌いになっちゃったね…。」

嫌いになんてならない。

『俺の事…好きだと言って?。ねぇ?ニーナ。』
好き過ぎて……苦しいんだ。


「…朝の私の感じた気持ちと、今の気持ちが"好き"と言う事なんだったら…そうなのかも。」

……そんな言葉じゃ分からないよ。
ため息をついた。


視線を合わせて、気持ちをぶつけてくるニーナ。

「約束したよ。先輩と一緒にいる。"うん"って言ったよ。
先輩、私を信じられないなら…今すぐ!手を離して!
何をみているの先輩?
誰を見てるの!?誰と競争してるの!?。 
側にいて!って言ったの先輩でしょ?。迷ってるじゃない!!。
誰に!ヤキモチやいているの!?。」

『……』

当たっている言葉ばかり。
俺の心を見透かしているニーナに何も言えなかった。

だって!何を言ったら俺を好きになってくれるの?…。
『……』


「もう、ダメ!!」

呆れたのか……。イヤになったのか…。

ニーナは俺から目を離して、急いでお弁当を片付けながら薬を口にした。
気まずい雰囲気の中、それを見つめていた。

あれ?えっ!薬?!?

薬を飲んだのが見えた。
あれは頓服だ!!。
あの薬はダメだ。


俺の制止も聞かない。
俺の訳の分からない言い訳に、ニーナは苛立っていた。

「私を見てよ!!」

そんな言葉に、俺は我慢ができなくなった。
見てるよ!!ニーナだけだよ!!だけど…だけど!!

『だって……あんなキスされたら、疑うよ!!。初めてなんて嘘。
誰とキスしたの?。俺だって!嫉妬くらいするよ!!。』

苦しくてどうにもならなかった。
独り占めしたい。誰にも触らせたくない。


この余計な一言が、またニーナの怒りに火をつけてしまった。

「私は…私は!何も知らない小さな伊織じゃない!!。
私だって知ってる!。男と女の関係くらい!」


『……!?』

言葉も出なかった。そりゃ!知ってるかも知れないけど…
…俺、今…どんな顔してるんだろう。


恐る恐るニーナを見れば、うつむいていたニーナが…。
ポツリと言った。

「…したことなんてない。あんなキス。想いの無い。空っぽのキス。イヤだった。」



ニーナ!
空っぽじゃないよ。想ってる。誰よりも!!
どうして通じないの!。

『万里さんとは……できるのに?。』
その言葉は万里さんに対しての嫉妬。


顔色を変えたニーナは、俺のキスの理由が分かったらしくて…
さっきより怖い顔で怒っていた。

「先輩のバカ!!!!……千里に!何を!言われたの!?!!」



だって!!
何も言えなくて黙り込んで…


「都合が悪くなると無言なんだ?。…先輩のバカ!。」

諦めたような声が聞こえた。
……バカだって分かってる。ニーナを怒らせて。気持ちを確かめたくて。
やっちゃった…って思ってる。
でも、後悔なんてしない!。 
自分だけのニーナ。




ニーナはため息をついて座り込んでいて…。


ニーナ。逃げないの?。俺の側にいてくれるの?。

うつむいて、手のひらをずっと見つめている。
"やっちゃった…"って。
力無く…言って…。

やらせたのは、俺。
彼女に、疲れた顔をさせたのは俺。 

ニーナ。…ごめん。




「ごめんね。先輩。…頭に血が登り過ぎて…ずっとダメ…。
だから……。もう…
先輩。
私を嫌いになって……。」

…ため息をついた彼女。

追い込んだのは俺。"俺の彼女だから"とニーナの気持ちなんて考えなかった。
まだ…スタートに立ったばかりなのに…。
焦り過ぎたんだ。

…アイツと一緒。
認めたくなくても、今の俺は灘生の男より最低。


…ニーナ。もう1回やり直しさせて。
ダメかな?


『ニーナ。諦めないで、進んでみないか?』


目が合ったけど…。"でも…"と言ったきり…うつむいて。
迷ってる。
迷わせたのは、俺。

『ニーナ。』
と、声をかければ俺を見る。でもまた、ため息をついてうつむく。
悲しい?苦しい?
俺の事、嫌いになった?
気持ちが揺れているのが、よくわかる。


『ニーナ。…そのままのニーナでいいよ。』

くるくると表情が変わる。 
色々考えている。
……俺の事?。
自分自身の事?。
迷いの目の色…。

なぜ?そんな申し訳無さそうな顔をするの?。
やめて。
ニーナ。側にいてくれるの?
ダメなの?。


?。
ニーナの口唇が何か言っている。


『何?ニーナ。』

「……。」

『…ニーナ。一緒に……』


俺が言い終わらないうちに重ねられた言葉。

「やめーた!!先輩。やめよう。こんな事。」



『!?』



『えっ?。な…何を言ってるの?ニーナ。』
分からない。
どっち?良い方?悪い方?。
怖いよ。


俺をじっと見つめて…


「こんな事言い合うのはやめよう。
私の事、好き?。
私は特別?
私が"助けて!"って言ったら、側にいてくれる?
2人の時、なんて呼んだら良い?。
教えて。先輩の事。色々。
後15分で昼休み終わっちゃうよ。
掃除。サボれば後45分位あるよ。
サボっちゃう?ねぇ?海里先輩?。
1日位良いよね?。
はい!決まり!サボる!!
もうやめよう、苦しむのは。楽しもう。
先輩の笑顔が見たい。
笑ってよ。私だけに…。」


えっ?
海里って言った?
ええっ?。
どういう事?。
何かを決めたように沢山の事を言ったニーナに戸惑った。
サボるって何を。
笑顔って…。
半分以上わからない。



「先輩。ここに座って。」 

自分の隣を叩いてニーナは俺に手を伸ばした。
白い細い指先。
自分に向けられた手を、恐る恐る握った。
ニーナの手。
見た感じと違う。
ボールを扱っている、しっかりしている手のひら。指先。
必死に練習した跡が残る関節。
でも、温かい。優しい、女の子の手。



次から次へと変わる状況に。
正直、戸惑った。




「私が笑えば、海里先輩笑ってくれる?ねぇ、笑って?」
と言いながら、少しの笑顔をうかべて。
俺のネクタイをほどいて、絞め直した。

「ありがとう。って言って?」

『…に…ニーナが乱したんじゃん?。』

「言って?」

『あ、ありがとう…。』
そう言ったら。
ニコニコしている。かわいらしい笑顔。
こんな表情もできるんだ。


……なんで?ネクタイ…簡単に絞め直す事ができるの?
思考がついていかない。


「先輩?手を繋ごうよ。楽しい事話そう?。何が良い?」


!?!!…手繋ぎ!?

…いいの?本当に?。
差し出された手を……組み合わせるように繋いだ。
離れないように。

これでいいかな?。イヤかな?。

にっこり笑ってる。
歩み寄ってくれたニーナに…
嬉しかった。
ちょっと泣きそう。


「嬉しいっていいね。」
そう言った笑顔のニーナに。
どうしても言って欲しかった言葉。



『…ニーナ…好きって言って。』


「…ねぇ、どうしても言わせたいの?
言わなーい。諦めて。
イヤ。恥ずかしいから。」

って、言ってくれない。

じゃあ俺、どうしたらいいの!
って聞けば、

「あんまり言わないで。減っちゃう気がする。大事な時だけ。必要な時だけ。
先輩が私の事、好きなの知ってるから。信じるようにする。」

いや。そうじゃなくて…
『だから!ニーナは言ってくれないの?
好きって言ってみたら俺の事、きっと好きになるよ。』

…どうしても言わせたい。


でも、ニーナは意地悪な笑顔をうかべ、
「本当に?。嘘だよ。」
って笑う。


『本当だから!。』
お願い。言って。
証拠が欲しい。ニーナの心が欲しい。


くすぐったそうな笑顔で。
恥ずかしそうに?楽しそうな笑顔のまま、屋上のドアから空を見ている。
目線だけ…ちらりと合った。
また、青空を見上げて。 




「海里。貴方が好き。一生懸命な海里が好き。優しい海里が好き。
怖い海里も、真面目な海里も、困った顔の海里も大好き。海里の笑顔が…」
すっと視線が合った。
「海里が…欲しい。」

『!!!?』
すごい早口っ!?。
びっくり!。
えっ?。本当に言った…。
大好きって言った?。

…もう一度言って欲しい。…ゆっくり。早すぎて通り過ぎたよ!?。


「私、清水の舞台から飛び降りたよ。私を受け止めた?。
顔、赤いよ?。ねぇ、赤い。」
って、俺の顔を覗き込んだ。


「やめて!!いじらないで。恥ずかしい。」
俺はどんな顔をしていたんだろう。
嬉しい。ニーナの好きが、嬉しい。


「嬉しくないの?」
と、意地悪な顔をするニーナ。


『…嬉しい。すごく嬉しい。どうしてかな?泣きそう。』
どうしてかな?涙が浮かぶ。
俺、今どんな顔してる?。


「うふふ。私達!"バカップル"。」

『やめて!その言い方。』
そう言ったけど、バカでいい。バカップル上等!。


ニーナは繋いだ手を揺すって楽しそうに言った。

「ねぇ海里。私だけを見て。私だけの笑顔が欲しい。海里が1番…好き。」

ニーナの笑顔に…
俺、どんな笑顔になったんだろう。

「笑ったね。嬉しい!」
って。

ニーナ。大好きだよ。
欲しかった言葉。心。笑顔。

ニーナが言う、俺の名前。
「海里」

額を合わせて笑った。

色々な約束。
これからある沢山の…二人の時間。

額を合わせたまま。

自然に…少しだけキスをした。笑顔の。優しいキス。
これが本当のキス。


「先輩?
ねぇ、キスはファーストキス?」

優しい笑顔から意地悪な笑顔に変わって聞いてきた。

みるみる赤くなる顔が自分でもわかる。

信じてないんかい!!

『…誰とも付き合った事ないから…そうなるよね。
信じて!って言ったじゃん…。』


「じゃあ、なんで上手にキスできるの?。」
 

上手って……何!?。

『じっ…上手ってさぁ……
言わせないで!!俺だって知ってるよ!!男と女の関係ぐらい!!。
知識は!!』

「…ふーん。」

あー!恥ずかしい!

意地悪な笑顔のまま俺を覗き込んできたから、思わず顔を背ければ、
頬にキス…。

『ニーナ!!』


クスクスと笑う彼女。
そんな顔されたら怒れないじゃん!!。

『もう!ニーナは?伊織は!キスは初めてなの!?。』

「海里だけ。」


…本当に?。ねぇ?本当?。
って聞いたら、"海里、しつこい。"

『…ニーナぁ。酷くない?』

ヒドイでしょ?
ニーナの勝ちじゃん!



さっきまで笑ってたのに…

にこやかな表情が少しづつ…くもる。
風が柔らかに吹いた。青空を見上げると寂しそうに、俺に呟いた。

「ねぇ……海里。私、嘘つき嫌いなの。
でも、私…嘘つきかも…。」

ため息の彼女に。

『知ってるよ…。時には嘘も必要だよ…。』

人は嘘がなければ生きられない。自分を守る為に…。
正直だけでは生きられない。
昨日の今日じゃ…無理だよね。
俺の事もあって疲れたよね。
ごめん。ニーナ…。

「……」
『……』


ふと、思い出した!。
頓服!。

あれは強い薬。
多分、また具合が悪くなるはず。


ご飯食べようよ。
と、声をかければ、ええぇっ!…イヤ!って、ごねる。

副作用強いんだよ。効くけど。
って無理やり食べさせた。

倒れたら、千里さんに部活停止くらうよ。
気持ち悪くなるようなら、万里さんに言って、薬替えてもらったほうがいい。

そう言ったけど、聞いてない。
違う事考えてる。
表情が暗く変わっていく。

しぶしぶ食べているのがわかる。
灘生の事。
引っ掛かっているのが、表情でよくわかる。




1口でいいよ。
この中で一番好きなものは何?
と聞けば、
「海里がいい。あとは要らない。」
…食べる事は全拒否。
その言葉は嬉しいけどさ!!



うつむいてため息をついた彼女に、

"助けは必要?"と問いかけたけど、静かに首を横に振った。

「大丈夫。自分で何とかする…。大丈夫。」


……本当に?。
苦しくなったら、思い出して。俺、側にいるよ。ね?。

そう言って、手を握ったけど……冷たく冷えた指先は。
怯えている証拠。

こんな時は…俺の言葉は耳に入らない。
でも、
焦らない。
静かに。
そっと、側にいてあげようと思う。

ニーナが振り返った時、手が届く距離に…。





……暖かい風。

ニーナを教室に先に帰してから、屋上に出てみた。
風が流れて、空が青い。

『ニーナ…。伊織…。』

俺だけの伊織。俺だけの…。

-海里が好き-

元々、感情の起伏の激しい性格なのか…。

『…何か、違う。』

何か、別の…影がニーナを支配していて。
柔らかい笑顔の下の影。
いつも。さっきも。今も。
付き合うようになって…も。
警戒心は……常にある。
少しでも、楽に…俺を見てくれてもいいのに…。


なぜ?。真っ直ぐに気持ちをぶつけてくるのに。
俺からの気持ちは…逃げている。
信じてくれない。

『……授業にいかないと。』

…その前に、石見妹の所に寄ってニーナの様子を見て貰えるように、頼まないと……。 

自分で行けばいい話。

やっぱり…自信がないよ。
君は、本当はどう思っているんだ?。
ニーナ?。