掴む-


部屋に戻っても、一息ついても頭を抱えてしまう。

万里さんに送ってもらって…
兄さんに殴られた。 
先輩の妹に手を出した!と言われて。

いつも冷静な長兄。
何であんなにパニックになるのか?。

万里さんが怖い?なぜだ?
千里さんのほうが怖い。
俺は…ニーナの…
ニーナに嫌われたら…どうしよう。…そっちのほうが怖い。

風呂に入ってもさっぱりしない。
ニーナの…思ったより華奢な体。柔らかい髪。
部屋に籠っていても気になって…
あ"-助けてくれ!

…下で兄さんが叫んでいる。
母さんに怒られてる。

「バカ海里!!降りて来い!!」
兄さんの声に我に返った。

勢いよく部屋のドアを開けて、
『バカバカいうな!バカ兄!!』

「バカじゃないわ!!早く来い!!」

『何なん…だぁ……??』
『あれ? 』
『……千里さん?…。』(…だよな…確か…)


「……。」

にっこり笑うとニーナにそっくりだ。

「こんばんは。
君は見分けられるのかな?。
ごめんね。妹の事で君に話を聞きたくてね。
夜遅く悪いんだけど、付き合ってくれないかな?。」

「睦。心配しないで。大丈夫だから。
取って食う訳じゃないから。」

心配そうな表情の兄は、初めてだった。

『あの、着替えて来ます。
少し待ってもらえますか?。』

「いいよ。悪いね。」



下から聞こえる母さんと千里さんの会話に、親しさを感じさた。
でも…なんで?。
母さんは千里さんと知り合いなのに、俺は知らないの?。

「久しぶりね。千里くん。いつこちらへ戻ってきたの?。」
「今朝です。また再来週には出ます。」
「そう。時間があったら、前みたいにご飯食べに来て?万里くんも一緒に。」
「はい。ありがとうございます。」
「ごめんなさいね。睦どころか、海里までお世話になって。」
「いえ。こちらこそ申し訳ありません。海里くんには妹がお世話になりました。夜分申し訳ないと考えたのですが…その、妹は何も話しません。
ですが、学校でトラブルが…と、連絡がありましたので、…母の代わりに。」
「伊織ちゃん?いつも貴方の側にいた女の子?色白の可愛い女の子。
もう高校生なの?。うちのバカ息子達の誰かのお嫁さんに欲しいわ。」
「あははは。うちのじゃじゃ馬を乗りこなすのは大変ですよ。」

「もうやめて!!母さん!!。伊織ちゃんは可愛いけど、先輩にコロされる!!。」

……兄さんの情けない声が聞こえる。

『すみません。お待たせしました。』
母を振り返り、
『母さん、少し出かけるね。』
「わかってる。…いってらっしゃい。」

迎えの車の助手席に乗り込み、近くの喫茶店に向かった。
車中の千里さんは、ニーナを抱いて俺を見た千里さんとは違った。


「遅くに悪いね。明日にしようと思ったんだけど、伊織のあの状態じゃ、そうも言ってられなくて。」

「電話があったんだ。バレー部の女の子から。」

『…石見さんですか?』

「そう。
彼女から色々聞いたんだけど…海里君からも聞きたくて。」

「君から聞いた話と、彼女から聞いた話で辻褄が合えばいいんだ。
彼女の言い分を信じてない訳じゃないんだ。
でも、公正と公平は難しいからね。
間違えば、伊織は居場所を失うから…。」

万里さんには話していない部分や、石見達の会話、そして…多分、ニーナが一番触れて欲しくない灘生との関係。彼女とニーナの関係は知らない事が多いけど。
ただ、入学してから、ずっと仲が良かったはずなのに……こんな事になるなんて。
灘生の彼氏の事も…知らなかった。
俺は知っていたかもしれない。いや?そんな?顔も名前も知らないのに?。
何で黙っていたんだ?。
俺が、ニーナとの仲を頼んだ春休みの部活の時にはもう?付き合ってた?。
分からなかった事が、ひょっとしたらニーナを苦しめた?。

そんな事を千里さんに話した。
きっと、俺の話しは分かりにくかっただろう。
…自分でも分からないから。


「友達との事は、僕達では力になれないからね。
伊織のお気に入りの君にお願いをしに来たんだ。」


-…ニーナのお気に入り…か。-
『そうですか……。』

「……。」 

『ん?……はぁ?お気に入りって?俺が?。まさか!。』

にっこり笑う千里さん。
あまりにもニーナと似ていて…目をそらす事ができなかった。


穏やかな感じの喫茶店。
学校の近くにこんな店?あったかな。
千里さんは、マスターに何やら話しをしていた。


「ここはね。みんなの溜まり場だったんだ。
マスターの息子さんと同級生でね。
バレー部の憩いの場。」

コーヒーを口にしながら千里さんは話してくれた。

そして、
ニーナの小さな頃。
自分達が大学生になってから、季節ごとに、会うたびに、変わっていく妹。
自分の妹なのに目を離す事ができない色々な表情の事も。

俺は、千里さんに乞われて、ニーナへの自分の気持ちを正直に言った。
万里さんに話した内容とほぼ一緒だったけど、 
唯一違ったのは、
…諦められない。側にいたい。一緒に笑いたい。好きなんだ。好きだから、諦められない。
そんな言葉だった。

『やっている事がバカなのは分かってるんです。
…だから、僕は彼女に嫌われてるかもしれません。
でも…
あの…ニーナ、明日学校へ来れますか?……。
明日……学校中のウワサになるかもしれない。
ニーナをどうやって、かばったらいいですか?。』



「あの状態の伊織を抑えるの大変だったでしょう?。
噛み付かれたみたいだし。」

パッっと、右手を隠した。

「伊織は…
万里は炎だという。
僕は風なんだ。
優しい。穏やか。涼しい。凪いでいる。風が吹くと感じるんだ。伊織を。
厄介な周りを巻き込む台風。
一番困るのが日本海に吹き付ける冬の嵐・低気圧。
周りを巻き込むと、どうにもならない。」


……風。…俺と同じ印象?。
不思議な感じ。

「海里君は気づいたかな?
今、話していて万里と千里の差がなにか?。」


『例えですが…
万里さんは、ニーナの影の部分。
千里さんは、ニーナの光の部分。……逆かも?ですが…。』


『僕、さっき千里さんが一番怖かったんです。』

「分かりやすいからね。僕は。
でも、万里は上手に自分を隠すんだ。同じ双子でも彼は怖い。
……伊織が心配で。
万里が一番、伊織を大切にしているんだ。」

「怖い話を教えてあげる。」

そう言うと楽しそうに話し出した。

「万里が彼女と別れた理由。
伊織を悪く言ってたんだ。万里のいないところで、伊織に向かって直接。
伊織はまだ中学校に入学したばかりでね。学校に行けなくなった。
万里、すごく怒って。
彼女を。陥れたに近い。怖かった。自分の兄が。
好きで付き合っていた彼女だったのに。
伊織の為に。
怖かった。っていうのは、“やっぱりやっちゃった?”だったんだ。
それに、伊織が万里に対してひどく怯えていたからなんだよ。
…彼女は、本当に大学を辞めたみたいだね。風の噂だけど。 
高校の後輩だった君の兄さんが、言ってなかった?
あの人は怖い!って。」


『……。』
あの時。背筋が凍る瞬間。ニーナを叱った時。…怖かった。



「万里は…"万里だけは伊織にキス"をするからね。
今日、見たかな?伊織をなぐさめる仕草。
あの状態をなだめる事ができるのは万里だけ。
恋人にしかできないよ。
それを万里は、伊織にする。彼だけが伊織に。
伊織も"万里しか"受け入れない。
僕じゃ、ダメなんだ。
良いお兄ちゃんじゃない。ちょっと?ちがう。すごく悪い人。」



ニコニコしながら話してるし!?
兄さん…
…言ってた。-怖い!-って。
キスも…万里さんだけ…。


『……千里さんは?千里さん、彼女いないんですか?』

「いるよ。
正直な人。厳しい。自分がある。
一番は、伊織にも公平に優しく接してくれるところ。 
…伊織はイヤがっているけど、納得もしているみたいだね。仕方ないね。
僕が好きになった人なんだ。」


「…海里君、これを聞いて…諦める?伊織の事。バレーみたいに。
万里を納得させるのは大変かもね?。
話だけじゃ彼の事、きっとわからないから。」



「万里にとって一番大切。一番心配。一番可愛い。一番愛してる。
…それが、伊織。…兄妹だけど。」

窓の外に目をやり、他人事のように…静かに小さな声で言った千里さん。




「君が本気を見せないと、伊織は、風のようににげちゃうよ。
今回は、万里も本気みたいだし。」

涼しい笑顔で俺に言った。


『本気?』


「そう。君を連れてきた時、びっくりしたよ。
万里は伊織を手離す事を決めたみたいだね。」


『でもあれは、しょうがなく……。』

「ちがうよ。伊織は、あまり人に懐かない。
人見知りって訳じゃないんだ。簡単に信じない。
自分にきちんと向き合ってくれてる人。正直な人。
素直な人。良い人・悪い人じゃないんだ。
嘘つきは嫌われるね。
なんて言っていいかな?。
分かりやすく言うと、疑り深い。
本当に信じれる人じゃないと、抱きつかないよ。あの子は。
逃げ切るからね。自分が苦しくても。
…君は、伊織が逃げても追いかけて。諦めないで捕まえようと努力した。
捕まえたかどうかは、分からないけど。」


牽制されてる……。


「あの子に対して正直に。自分の気持ちに素直な態度でいてほしいんだ。
好きだったら諦めないで。嘘をつかないで。
それを貫けるようなら、伊織は君に心を開くと思うよ。」

『……分からないんです。どうしたらいいのか。
押しても引いてもダメ。逃げちゃう。僕の気持ちばかり押し付けて、嫌がられてるかもしれません。』




「君はなぜバレーを辞めちゃったの?。
怪我の痛みに耐えられなかった?」

『……。』

「違うよね。
君はプライドに負けた。才能もあったと思う。誰よりも
でも、バレーが出来ない間に抜かれていく自分に。負けたんだ。
自分もできていたのにできなくなった。仲間はどんどん成長していく。
そして気付いた。
でも、復帰した時に我武者羅に、泥臭く耐えて努力出来れば…。諦めなければ?
君は後悔してる。諦めた事に。逃げた事に。我慢できなった事に。
もう、いいんだ。と言い訳してね。」


なぜこんなに人の心を見透かすんだろう。
責められているのかもしれない。
あまりにも当たり過ぎていて……言い返せなかった。


「だから、君は伊織に惹かれたんだ。
我慢して我慢してそれでも、まだ我慢する伊織に。
なぜ、頑張れるんだろう?って。
沢山の彩りと表情がある伊織に。
必死になるのは嫌かな?泥臭いのは嫌い?
coolが格好良い?
自分のプライドを捨てて、伸ばした手の先に。伊織がいるとしたら?
君はどうする?」


「プライド…」


「…伊織は、正直だからね。
気持ちを真っ直ぐにぶつけてくるよ?…まあ、体当たりかな。
どうする?。怖い子だよ?。正直過ぎて、重いかも。
一度、好きだと言ってしまった君は、伊織を裏切るの?。
プライドが邪魔をして、大事な事忘れてない?。
"もう、いいや。"に、なってない?。
今日の伊織は友人との些細な事に、今まで我慢してた事も重なって崩れた。
君は、手を伸ばしたんだ。
伊織は、"諦めない君"でいるならその手を握るはずだよ。」



『諦めない俺ですか?。』

分からない。今、俺は諦めているの?。
…諦める事に慣れてしまって。それが心地よくて…。諦める事が普通だった。
だから、諦めている事に気付かない
諦めないで?捕まえる事ができるのか?。
今の俺が?。
諦め…ってなに?


『でも、ニーナは…伊織さんは、しつこくすると尚更逃げてしまうんです。』




「引き下がる場所。押す場所。…それを知っているのは、万里だけ。
万里だけしか知らない。
母も僕も、やり過ぎたり、引き過ぎたりで、伊織に逃げられてしまう。
何であんな風になってしまったのか…。
…万里は、絶対教えてくれない。
意地悪だから。」




『万里さん。言ってました。"僕は意地悪だから。"って。
だから、"1つだけ教えてあげるよ。"って…。』



万里が!?。
千里さんは驚いた顔をしていた。


"君は、万里に懐かれたね。"
千里さんは言った。


万里さんが言った言葉。
"伊織は君に懐いているよ。"


同じ言葉。謎解きだ。
…解けるまで、時間がかかるかもしれない。
俺は、解く事ができるのだろうか……。




千里さんは、不安顔な俺の表情を見て、ハッキリ言った。諦めていいと。


「万里が、"この子なら"と、君を僕に会わせたんだと思うけど……
やめるなら、今すぐ手を引いて欲しいんだ。
伊織を諦めて欲しいんだ。
今なら。僕もいる。万里もいる。
…ダメだ!。と言えば伊織は承諾するよ。
まだ、君に対して執着心も無いみたいだし?。
そして…どうかな?
…他にも、"伊織が欲しい"って奴、いると思うんだけど。」


『あっ……』



「今までなんで伊織が恋愛を知らなかったか知ってる?
いや、知っているか。年頃だし。
……万里がいたから。
上手に逃がしていたんだよ。
その万里が、君を連れてきた。
まさか、一番会わせたくなかった宗馬の弟だとは思わなかったけど。」



『会わせたくなかった?』



「そう。
…睦に聞いてみるといいよ?
なぜなのか?。」



『兄にですか?。』



「万里が関わっているからね。僕は言えない。」



『万里さんが…
…あの。伊織さんは知ってますか?』



「知らない。覚えてないと思うよ。
君も知らないでしょ?。覚えて無いほど昔話だからね。」



「運命なんだね。君たちは。」


 
にっこり笑った千里さんに、俺もつられて苦笑いをした。
わからない事が多い。
今は…知らなくてもいいと思った。



『…千里さん。
今の彼女が、好きなんです。
そのままの伊織さんでいいんです。
それをいつか…知る時が来たら、理解してもらえるように努力します。』



千里さんは、楽しそうに笑っていた。


「君なら、伊織を頼めそうだ。伊織を笑わせてあげて。
頑張って、伊織を手に入れてみて。
手強いよ。妹は。」



そう言って笑っていた。
穏やかな人。涼やかな風を吹かせるニーナのお兄さん。



―ニーナ。君が好きだよ。一緒に笑いたいよ。―


そして今、俺に見せている笑顔が…
穏やかで暖かな炎の万里さんと、
穏やかで涼やかな風の千里さんは、
豪炎にもなるし、冬の最強寒波にもなる人達だという事を…後で思い知った。



「海里君、話しは戻るけど…」

千里さんは冷ややかな表情になり、俺に言った。


「明日、伊織は学校へ行くよ。
負けず嫌いだからね。
朝早くに学校まで送るから、海里君学校で待っててくれない?。大丈夫かな?。
もし、休むようなら家に連絡するから。」


『大丈夫です。
何時位なりますか?』


「7時過ぎ。
伊織と話してみて。
伊織を手に入れるなら、時間をかけてはダメだよ。
あの子、勉強嫌いなだけで頭は良いんだ。
目標ができればやる気が出るんだけど…
まあ、それも伊織と一緒にいるようになればわかるよ。」


『一緒に……。』
自信のない顔の俺に千里さんは、


「万里には内緒ね。僕からの助言があった事は。
凄く怒られるから。」

と、困った顔をしていた。

「さあ、帰ろう。
睦が心配している。」


『兄さんは心配しません。』

「そんな事ないよ。
睦にとっても、君は可愛い弟だよ。」

「僕らが、伊織を可愛いようにね。同じさ。
まあ、せっかくだからケーキ食べない?
俺、ここのケーキ好きなんだよね。」


意外な千里さんに驚きながら短い時間を過ごした。
俺も自分の事を少し話した。バレーを辞めた事。これからの進路。
ニーナの事も聞いた。
千里さんの彼女の事も。
多分……結婚を考えているんだろうな。そう感じた。
いつまでも、ニーナの側にはいられない。と。


千里さんは家の前で俺を降ろすと、
“じゃぁね。また明日。”と、車を走らせ帰って行った。




何となく玄関が…重く感じた。

『……ただいま。』

「お帰り。海里」
兄さんが玄関で待ってた。こんな事初めてで…。
心配そうな表情の兄さんも初めて見た。
一言だけ。静かな声で。


「伊織ちゃんを良く見て。大切にしてあげて。泣かせたら…殴る。」
そう。言った。

『殴るんだ…。…ヤダな。』

母さんはニコニコと、
「早く伊織ちゃんをお嫁さんに連れてきて!。」
だった。

『…何で!嫁!?なの。』

意味深だよ。
母さんもニコニコしていても…。
途中で!何でそんな心配そうな表情するの?。

先の事なんて分からない。
『うん。』
と力無く言ったけど。
始まるかどうかすらも分からない。
…俺、何で"うん。"って言ったんだ?


どうしよう…。
帰ってきても眠くない……。
自分の部屋に戻ってベッドに入っても、眠れない。
明日、朝早く行って……。
ニーナと何を話せば?。
もう一回、告白する?。
『……。』
俺、何回…告白した?。
警戒心っていうより、試されてるみたい。
…諦めるか。…諦めないか。

ニーナに試されてる。

『……。』
柔らかい髪。ふわふわでもない。
軽い身体。
白い指先。
……女の子って、優しい匂いなんだ。
柔らかい頬。

あああ。
もう、許して。眠れない。
どうして?。捕まえたい。俺だけのニーナに…。

『……。』

万里さんとニーナだけのキス。
ニーナは万里さんだけを……。

下で電話が鳴っていて。
兄さんが話している声。
「…分かりました。伊織…は?」
その声だけが響いて。

もう、やめて!。
眠れない。
ニーナだけが、欲しい。

……なぜ?こんなに執着するのか?。

…嫉妬。
受け入れてもらえない理由がわからない。
そんな事考えていたら、本当に眠れない。

……やっぱり、課題をしよう。

で、全く進まない課題。
止まったままのシャーペン。
時計の音だけ響いていて。



…全然眠れなくて朝になってしまった。
今日の朝日は嫌いだ。
朝から気持ちいい青空。

千里さんと約束した。行かないと。

着替えや身仕度を整えて……いても、心臓が痛い。緊張?。
足が重い。
本当は俺、面倒になって逃げたくなったのかな…。
行きたい。
行きたくない。
…ダルい。

……やっぱり、行きたい。
ニーナに会いたい。

『おはよう…行ってくる。』


「待て!海里。弁当だけは、持っていけ!!」


『はあ?』
何も喉を通らない。食べたくない。 



「伊織ちゃんを手に入れて来いよ。
お前、試されてるんだ。千里さんと万里さんに。
諦めないで。努力するんだ。あの兄弟に認めてもらうんだ。
…今日中でないと、間違いなく逃げられるぞ。」



『大丈夫だよ。兄さん。諦めない。諦めたくないんだ…。
その…好きなんだ。彼女が。
今日がダメでも、明日。ダメでも、その次……。』

先の見えない事に巻き込まれて、ヤケになっているかもしれない。
事が大きくなっている気がする。
"好き"が見えなくなっているかもしれない。


「ダメなんだ!!。
今日じゃなきゃ!」



『なんで!!。』
なんなの?。人の恋愛に首突っ込まないでくれ!。



「……。まあ。いけ!!早く。
千里さんより早く行ったほうがいい。
海里?。"逃げられる。" ではなくて、伊織ちゃんは"逃がされていた"だよ。」



『……えっ?何で!!。』

逃がされていたの?逃がされていた?って何だよ!!。



「あーもう!そんな顔するなよ…。
……俺からもヒントをやるよ。」

"万里さんに殴られるかな…"
小さな声で苦い顔をした兄。
兄さんの表情。
千里さんが言っていた事を思い出した。
"睦にとっても、君は可愛い弟だよ。"


「……お前が、伊織ちゃんのお気に入り"だった"からだよ。
お前のバレーのプレーが!!。
高く。軽く。浮かぶようなスパイクモーションを!
綺麗だ!って。」


『お気に入り?
…だって、彼女、俺の事知らない。
俺も、彼女の事を知らない。』



「お前はバレー辞めただろ!!。
……ジュニアだよ。」


『ジュニア?。』



「そう。
……あとは言わない。知らなくていいよ。」



『兄さん!!。そこまで言っておいて!!?。ひどいよ!!。』




「……あーもう!!。失敗した!。万里さんに殴られる!。
お前の…お前のプレーが好きだと言ったんだ。伊織ちゃん!。
でも、あの頃のお前は、鼻持ちならない嫌なヤツだった。
兄弟でも、恥ずかしかった!!
忘れたか!?。ジュニア選抜の大会を!?。
仲間に何を言った?
俺達に対して何を言った!!。
たかがジュニア。されどジュニア…。
それを…あれを!万里さんが嫌ったんだ。二度と会わせない。って。
俺の弟だって知ってた…。
謙虚でなければ務まらないエースなのに。
お前の弟は何も中身が無いって。がっかりしてた。
お前の内面を見て、がっかりする伊織ちゃんがかわいそうだった。
だからだよ!!。
だから!中学の時、お前がケガをしてバレーを辞めた時…ほっとしたよ。
バカ野郎なヤツがバレーを辞めて、ほっとした。
落ちこぼれて安心したよ!!。
あれから、人が変わったように物事や人を冷静に考えられるようになったお前に!!。これで恥をかかないで済む。って、安心してたのに!!。
万里さんは厳しいんだ。自分にも。他人にも。…伊織ちゃんにも厳しいんだ!。
伊織ちゃんを傷付けるような人間は、男でも女でも容赦しない。
…人としての出来て当たり前の事が出来ないヤツは、万里さんに潰される。
だから、怖いんだ!!。」

 
『……。』 


兄さん…。兄さんも変わった。チャラチャラしてない。
人をバカにしなくなった。厳しくなった。優しくなった。
自信の中に、自信の裏に努力の跡がある。
万里さんに認めて欲しくて変わったの?。
違う。出来ていない事。人として当たり前の事が出来ていない自分が恥ずかしかったんだ。それに気が付いたんだ。


人が変わった…。俺、変わったかな?。
ケガをしてから、自分に自信がなくなった。
自分が一番じゃなくなったから。
バレーをしていない俺に価値がなくなって、目が覚めた。
バレーをしていなくても認めて欲しかった。 
でも、バレーをしていない俺は誰の目にも留まらない。
カッコ悪くて逃げた。
あいつ、大した事ないな。って言われた。
ジュニアで終わりだったな!って…。

……千里さんに言われた事を思い出した。
努力しなければ認めてもらえない。
ニーナにも。
…俺は、今も逃げている。
兄さんは、それを見抜いている。自分が自覚していない事を、他人は見抜いている。


「……万里さんにとって、お前は悪い印象のままなんだ。
だから努力しろ!!って言うんだよ!!。
いずれ…
あの時の男の子が…海里!。お前だったって事を伊織ちゃんは知る。
その覚悟もしておくんだ!!」


『でも……俺はもう飛べないんだ!!。』


「飛べないんじゃなくて、飛ばないんだ!!。
伊織ちゃんのトスアップを見れば、飛びたくなるから!!。
自然に…。
バレーやってるヤツはそう思ってしまうんだ!!。」


『兄さん!!
俺はもう、バレーはしないんだ。辞めたんだ!!。』


「…伊織ちゃんが、お前を引っ張り出すよ。必ず!。」


『でも、本当に覚えてないんだ!。そんな事があったなんて。』



「だからだよ!!試されてる!って言っただろ!?。記憶喪失か!?
お前は…忘れてるだけだ!!。言い訳ばっかり!。
所詮、変わって無かった!
必死で、何とかしようと、認められようと努力してないじゃないか!!!
逃げてばかり!!」



『……。』


「タイムリミット!!。
早く行け!!。
千里さんと約束したんだろ?。
ここで迷うんだったら、伊織ちゃんを諦めろ!!。
今すぐ、諦めろ!
俺が千里さんに謝っておくよ!!!!。
どうするんだ!!。今なら間に合う!
間に合わなくなるぞ!!。」


『……行かなきゃ。千里さんと約束したんだ。逃げないって。』


重い身体を叩かれて、追い出されるように家を出た。
……走らないとダメかな。
千里さんに言われた事を思い出した。
"睦にとっても、君は可愛い弟だよ。"
兄さん。ごめん。…帰ったらちゃんと言おう。



学校に着いたのが7時すぎ。
間に合ったのかな?。
正直。迷ってる。逃げようか。今になって。


黒いセダン。
千里さんだ。
俺を射抜く視線。試されている…?。

ニーナ。
顔が見えた。
惹きこまれる。
何故だろう?。やっぱり側にいたい。


千里さんはニーナを降ろすと、軽く手を振って、
“じゃぁね。”と、車を走らせ帰って行った。
意地悪な?楽しんでいるような?そんな笑顔で…。


ニーナの顔を覗き込んだら、

また泣いてる……。
どうしよう。

とりあえず、中庭に行くか…。
話題がなくて…
課題しない?”と、言ってみたけど。



「えっ?。イヤ。勉強キライ。」 

…ですよね。

バレーしませんか?と言われたけど、 
俺がダメ。

俺、課題終わってない。 
ニーナの課題は「普通科だから…ありません。」って。

そんな訳ないじゃん!。

…ニーナは勉強が嫌い…。だったな。

憮然とした表情のニーナの手を取って、玄関に向かった。


生徒玄関で靴を履き替えて
俺の姿が見えないのを確認してる。逃げる準備をしてるし!。

何で逃げたいの!!。

俺はニーナを逃がさないように先回りして手を取り、 
中庭にズルズルと引きずるように歩きはじめた。

「ヤです先輩!。そっちは中庭です。
教室から見えるし…
それに…だって……噂になりますよ?。」


『……どんな?』

ニーナと視線を合わせた。
……ニーナが欲しい…。

返事に困った顔をしている彼女の手を引き歩きだした。



『ねえニーナ。
俺さ、昨日言ったよね?
付き合おうって。
俺、ニーナが好きだよ。
だから……一緒にいようよ。
……噂になったっていいもん。
学校中、付き合っている子達いっぱいいるじゃん。そんなのばっかじゃん!。』



『答えを…今日中に頂戴。
ニーナ。…逃げないで、答えを言って。』


返事に困っているだろうな。
そんな事を思ったけど…

…聞いていない。

ため息が出そうになるのを我慢して中庭まで連れて行き、四阿のベンチに向かい合わせに座った。


逃げられないように手を取って握ったけど、
逃げたい顔のニーナに苛立った。


朝、兄さんに言われた事。
昨日、万里さんと千里さんに言われた事。
自分なりに考えた。
俺を見てくれない。
諦めよう。面倒だ。何で俺ばっかり!!って、腹立たしかった。
でも、諦めようと思っても…最後は、好きにたどり着くんだ!!。
どんなに否定しても!。
…結論は一緒。変わらない。
ニーナの側にいたい。
ニーナの特別になりたい。



何度も、好きだと言った。
でもニーナは、迷ってる。
昨日の事を言っても、驚いたり怒ったりで…。
答えをもらえない。

中庭が教室から見えている事なんて知ってる。
でも、外堀を固めないと……。
逃げ道を作ってしまうと…また逃げられてしまう。

-嫌だ。逃がさない。


しつこいって言われた。
お兄さん達に殴られるって。
……正直、心が折れそう。
でもさ!!。無かった事にされそうで怖いんだ!
嫌だよ!そっちの方が嫌だ。
 


寂しがり。
臆病。
置いていかないで。
暖かい手も、声も、遠くにいたら分からない
自分は面倒なんだと。
来る別れのために好きになるのはイヤだ。
だから、好きにならない。付き合えない。
『……ニーナ! 止めて!。
先なんて誰にも分からないよ。
君が好きなんだ!。今、一緒にいたいんだ!。』


むぅぅっとした表情をしていたニーナ。
俺、必死過ぎて倒れそうだよ?。
なんで……なんで?…そんなに冷静なの?


考える時間が欲しいって。

嫌だ。ダメ。逃げちゃう。
なんとしても逃げたいの?。
そんなに俺と付き合うの嫌?。
俺が嫌い?。  
…凹むよ。


話題を変えよう。
課題をしなければ、授業で困る。
しかも、昨日寝れてない。
お願い。側にいてよ。
神様が本当ににいるなら、俺の願いを叶えて!!。お願い!。



…あまりいい顔をしなかったけど、側にいてくれるって返事をくれた。
約束した。
たったそれだけの事が、すごく嬉しかった。


課題……
俺だって本当は、勉強なんて嫌いだ。
でも、今の俺にはこの道しかない。だからやる。
ニーナ。今の俺を認めて。そのままの俺を見て。好きになって。

……
色々考えてているね。
表情がくるくる変わる。 
何考えているの?





「……先輩は、モテますね。」

にっこり笑って聞いてきた彼女に驚いた。

『はぁ?何?急に??。…そんな事ないよ。俺、ニーナにしか、告白したことないもん。』

「でも、された事あるでしょ?」

『……。』…ある。

「沈黙は是なりです。」
昨日言った言葉を返された。

『もう!ニーナから言われなきゃ意味ない。そんなの。他の人からは要らない。』

そう…意味がない。

その言葉の後に、ゆっくりと風が吹いた。
暖かい。
ニーナの柔らかい髪を揺らした。

…かわいい。柔らかい笑顔。

バカみたいにそう思った。
泣き跡が少し残ってる。
でも、上手に隠してあって、それが千里さんが結ってくれたと知って、
……嫉妬した。


「似合いますか?」


『…可愛いよ。』

小さく言った。
本当に、可愛いかった。
俺は、ニーナと合った目が嬉しかった。
たったそれだけの事が…。


「嬉しい。」

ダメだ。
ニーナが欲しい。
一緒にいたい。
千里さんにも、万里さんにも負けたくない。
諦められない。

『…ニーナ。一緒にいて。』

側にいて欲しい…。どうしても。

うん。って言って。お願い。


顔を上げられない。
指先が震える。
返事が怖い。
少し前の俺だったら、こんな事しなかった。
ニーナを好きになって…
他者から信じてもらうって事が、認めてもらう事がどんなに大変な事かを知った。


「…先輩?私を見て。」

『えっ?』

"ごめんなさい。噛みついて
一緒にいると後悔のほうが多くなりますよ
ワガママなんです
好きになってもらうって未知なんです
正直でいて。
昨日みたいになっても、嫌いにならない?
みんなの前で、私の事…彼女だって紹介できる?
みんなの前で、私の事…私の事、好きだって言える?"



『……。』
えっ?。それを言わなきゃダメなの?恥ずかしいよ。
"考えてる!!。"って、俺の表情を見て怒ってるよ!。

『……ニーナ。好きだよ。』

それだけ。俺だけのニーナになって。それだけを繰り返した。
一生懸命。自分の為。認めて欲しい。


シャーペンを握っている手が震える。
彼女の言う、"怖い"が少し分かった。


ニーナが手を伸ばし俺の手に重ねた。

「…先輩?私、“うん。”って言っていいの?。大丈夫?。心配なんだけど?。」


驚いた。嬉しかった。
捕まえた?。…やっと捕まえた!!。 

でも??。…あれ?。
うん。って言っていい?って……質問なの?。

でも、もう1つ条件が。
それは、灘生の事。
昨日の事だと思った。
お互いに正直でいたいニーナの希望。
真っ直ぐなんだな。だから許せなかった。親しくしていたから尚更。

嫌なら手を離せと。
嫌だ。と言うより、ニーナを離すのがイヤ。
冷たくなっていく指先。

……離さないよ。やっと捕まえたんだ。

ニーナ、好きだよ。付き合って。
"うん"って言って
お願い。

中々……"うん。"って言ってくれない。
言って。証拠が欲しい。君の決心が欲しいよ。



「…うん…。」


……!!
小さな声だったけど聞こえた!!

本当に!?。

嬉しくてニーナの手を思いっ切り握りしめた。

嬉しい!
すごく嬉しかった!!


だけど、ニーナからのダメ押しに…
"やっぱり不安なんだ"と言う事を知った。
そして、ニーナが言った俺を驚かせた言葉に…この先ずっと振り回されて、オロオロしている自分が簡単に想像できた。

でも、穏やかに笑い合った。
今はそれでいい。
これから始まるニーナと過ごす日々が、楽しみだった。


…楽しみだったのに!