頬(ほお)を膨らませつつ、進行方向へと身体を向ける。約束の時間までは、あと五分ちょっと。早すぎて担当者を慌てさせることもなく、ギリギリすぎて悪い印象を与えることもない、ちょうどいい時間だ。
 ハーフアップにした髪に手をやり、乱れていないことを確かめる。
よし、準備は万全――と意気揚々(いきようよう)と歩き始めた、そのときだった。
「あのっ、八重樫未桜さん、ですよねっ!」
 高くて可愛らしい声がした。振り返ると、幼い少年がすぐ後ろに立っていた。
 十歳くらい、だろうか。サイズがぴったり合った、しわ一つないスーツを着込んでいる。
色白の肌に、赤く上気したリンゴのようなほっぺ。喋(しゃべ)っている言語からすると日本人なのだろうけれど、髪や瞳の色素が薄く、西洋の絵画に描かれる天使を思わせる外見をしている。
近くに親は見当たらなかった。
こんな都会に子どもが一人で、どうしたんだろう。──というか、どうして私の名前を?
「ちょっとお時間いいですか? チケットをお渡ししたいんです」
「……チケット?」
 未桜が目を瞬いていると、スーツ姿の少年は手に持っていた黄色の細長い紙を差し出してきた。
 押しつけられるがまま受け取り、表面に印字された文字を読む。

八重樫未桜 様  二十一歳
店舗名:来世喫茶店 日本三十号店
 来店日:四月九日(金)
 二十四時間営業です。時を迎えたら、速やかにお越しください。

「来世……喫茶店?」
 縁起(えんぎ)でもない名前のお店だ。占いや宗教関連だろうか。少年は自信満々に声をかけてきたけれど、まるで心当たりがない。
「すみません。人違いじゃないですか? 私、二十一歳じゃないし」
 黄色いチケットを少年に返し、文字を指差した。けれど、少年はまったく動じない様子で、「ああ」と頷いた。
「八重樫さん、お誕生日はいつですか?」
「ええっと……四月八日だけど」
「やっぱり。明後日ですね。だから一歳ずれてるんですよ。チケットに書かれているのは、来店日当日の年齢ですから」
「でも――」
 未桜の言葉を遮るようにして、少年は板についた口調で説明を続けた。
「念のため、ご一緒に確認をお願いします。お名前は、八重樫未桜さん。現在二十歳で、来店日時点では二十一歳。今から二日後――ああ、誕生日当日なんですね、かわいそうに――に急病で倒れて救急(きゅうきゅう)搬送(はんそう)され、三日後の四月九日に病院で息を引き取る」
「……え?」
「亡くなる際は、お父さんがそばで見守っていてくれますから、安心してくださいね。病気だろうと事故だろうと、それが八重樫さんの寿命なんです。短命ということで未練が残るかもしれませんが、その分、来世のプランをじっくり練りましょう。僕たちも全力でサポートします! それでは、日本三十号店でお待ちしていますね」
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
 くるりと身を翻(ひるがえ)した少年の肩を、未桜は慌ててつかんだ。
 気が動転して、強く引っ張りすぎてしまったらしい。少年がバランスを崩し、どすん、と歩道に尻もちをついた。
「あっ、ごめん! 大丈夫?」
 手を差し伸べたけれど、少年は見向きもせず、もともと小鹿のように丸い目をさらに丸くして未桜の顔を凝視した。「おかしいな」と首を傾げ、手元の黄色いチケットに視線を落とす。
「大抵の方は、このチケットを見せるとすべての運命を受け入れて、穏やかな表情になるんですけどね。死を三日後に控えているにもかかわらず、八重樫さんのように取り乱すのは珍しいです。どうして効かないのかなぁ」
「あの……私が二十一歳の四月九日に死ぬっていうのは、確定事項なの?」
「もちろんです! こちらで管理しているリストに、名前と日付が載っていますから」
「ってことは……死神?」
 歩道に座ったままの少年に、人差し指を突きつける。
すると、彼は大真面目に首を横に振った。
「とんでもない! 僕はただの店員ですよ。本部から送られてくるリストに基づいて、これから僕たちの喫茶店を訪れるお客様のもとを訪れ、亡くなった後のことを案内して回ってるんです」
「その──喫茶店、って?」
「あ、ご説明が漏れていましたね。八重樫さんのような“生ける人”は知る由(よし)がありませんが、亡くなった方は皆、現世と来世を繋ぐ場所――『来世喫茶店』にお越しいただくことになっているんです」
「……三途の川とか、天国や地獄でなく?」
「ええ。人は死ぬたびに、この世と喫茶店を往復するんです。あの世=(イコール)喫茶店、と思っていただいて構いません。喫茶店を訪れた後、人はまた生まれ変わり、新たな人生を開始するわけですね」