《四月六日 来店予定者リスト》
・名前:長篠梨沙(ながしのりさ)
・性別:女
・生年月日:一九九〇年七月五日(享年二十八歳)
・職業:ホステス
・経緯:金銭関係のトラブルを機に心身を病み、半年後に自宅アパートで自殺する。
・来店予定時刻:十八時三分
昼間は自然光に照らされていた店内が、いつの間にか、薄暗くなってきた。
壁にかかるアンティークな時計が、五時半を指している。現世と来世の狭間にあるこの世界にも、昼と夜の概念(がいねん)は存在するようだ。
「変なの。窓から見える景色は、お客様の記憶の一シーンなんでしょ? だったら、いつでも昼間の景色ばかり映せば、こんな作業しなくても店内を明るく保てるのに。太陽の動きに合わせる必要なんてないよ」
「無茶なこと言わないでくださいよ! 物理的に映像を投影してるわけじゃないって、さっきも説明したじゃないですか。窓に映す景色は、僕たち店員が選んでるわけじゃないんです」
アサくんとそんな会話をしながら、彼の指示どおり、火を灯したキャンドルを各テーブルやカウンターに置いていく。
薄暗い店内が、ゆらゆらとした温かい光に満たされた。
ちょうど客足が途切れたところで、店内にいるのはマスター、アサくん、未桜の三人だけだった。オープンもクローズも定休日もない、いつでも営業中の来世喫茶店において、お客さんに気兼ねすることなく堂々と指導を受けられる時間は、とても貴重だ。
「それにしても、二十四時間勤務だなんて……ここの従業員って大変だね! 普通のカフェは、遅くとも夜の十一時にはお店が閉まるし、たくさんのバイトでシフトを組んで回すのに」
「うーん、未桜さんが想像しているほどじゃないと思いますよ。この喫茶店にいる間は、“向かう人”だろうと“生ける人”だろうと、眠くなることは一切ないですからね」
「あれ、そうなの? 仮眠しなくてもいいの?」
「しなくてもいいというか、必要がないんです。睡眠というのは“器”の機能を正常に保つための行為にすぎませんからね。未桜さんも、夜になれば分かりますよ」
眠いという感覚なんて、もう忘れてしまいました――と、アサくんは最後のキャンドルをカウンター席に置きながら言った。
その声に、寂しさや悲しみといったネガティブな感情は混じっていない。直近で現世に滞在していたのが十一年間、死後の世界に来てからが十年間。しかも物心がつく前の記憶はないと考えると、アサくんにとっては、来世喫茶店のほうがよほど愛着を感じる“居場所”なのだろう。
「アサくん、未桜さん、少し早いけど晩御飯にしようか」
カウンターの中から声がかかった。
言われなくても、さっきから十分気になっていた。店内に、何やら美味しそうな匂いが立ち込めているのだ。
「確か、次のお客さんの来店時刻まで、まだ余裕があったよね?」
「えーっと、そうですね」アサくんが腕時計を見て答える。「次は十八時三分なので、三十分程度は」
「ならちょうどいい」
マスターが、両手で器用に三枚のお皿を持ち、カウンターから出てきた。パスタがくるりと上品に盛りつけられているのを見て、思わず歓声を上げる。
「わぁい、これが噂の『美味しい賄い』かぁ!」
「ちょ、ちょっと未桜さん!」
アサくんが慌てて、未桜のエプロンを引っ張る。「誰に何を吹き込まれたのやら」と苦笑しながら、マスターが近くのテーブルに皿を置いた。
「春キャベツとベーコンのレモンクリームパスタだよ。温かいうちにどうぞ」
「すごい……これが賄いだなんて! お店の正式なメニューにすればいいのに!」
「いやいや、とてもとても。先日レモンケーキを焼いたから、その残りで作っただけだし」
マスターの謙遜(けんそん)をそのまま受け取ってはいけないということは、フォークに巻いたパスタを口に入れた瞬間に分かった。
口当たりはまろやか、風味は爽やか。
柔らかいキャベツや歯ごたえのあるベーコンが、レモンクリームに包み込まれて、もっちりとしたパスタと一体になる。
あまりの味の深さに我を忘れ、次から次へとフォークを口に運ぶ。半分ほどたいらげたところで、「あ、いただきます!」と顔を上げると、「今さらいいのに」とマスターに笑われてしまった。
・名前:長篠梨沙(ながしのりさ)
・性別:女
・生年月日:一九九〇年七月五日(享年二十八歳)
・職業:ホステス
・経緯:金銭関係のトラブルを機に心身を病み、半年後に自宅アパートで自殺する。
・来店予定時刻:十八時三分
昼間は自然光に照らされていた店内が、いつの間にか、薄暗くなってきた。
壁にかかるアンティークな時計が、五時半を指している。現世と来世の狭間にあるこの世界にも、昼と夜の概念(がいねん)は存在するようだ。
「変なの。窓から見える景色は、お客様の記憶の一シーンなんでしょ? だったら、いつでも昼間の景色ばかり映せば、こんな作業しなくても店内を明るく保てるのに。太陽の動きに合わせる必要なんてないよ」
「無茶なこと言わないでくださいよ! 物理的に映像を投影してるわけじゃないって、さっきも説明したじゃないですか。窓に映す景色は、僕たち店員が選んでるわけじゃないんです」
アサくんとそんな会話をしながら、彼の指示どおり、火を灯したキャンドルを各テーブルやカウンターに置いていく。
薄暗い店内が、ゆらゆらとした温かい光に満たされた。
ちょうど客足が途切れたところで、店内にいるのはマスター、アサくん、未桜の三人だけだった。オープンもクローズも定休日もない、いつでも営業中の来世喫茶店において、お客さんに気兼ねすることなく堂々と指導を受けられる時間は、とても貴重だ。
「それにしても、二十四時間勤務だなんて……ここの従業員って大変だね! 普通のカフェは、遅くとも夜の十一時にはお店が閉まるし、たくさんのバイトでシフトを組んで回すのに」
「うーん、未桜さんが想像しているほどじゃないと思いますよ。この喫茶店にいる間は、“向かう人”だろうと“生ける人”だろうと、眠くなることは一切ないですからね」
「あれ、そうなの? 仮眠しなくてもいいの?」
「しなくてもいいというか、必要がないんです。睡眠というのは“器”の機能を正常に保つための行為にすぎませんからね。未桜さんも、夜になれば分かりますよ」
眠いという感覚なんて、もう忘れてしまいました――と、アサくんは最後のキャンドルをカウンター席に置きながら言った。
その声に、寂しさや悲しみといったネガティブな感情は混じっていない。直近で現世に滞在していたのが十一年間、死後の世界に来てからが十年間。しかも物心がつく前の記憶はないと考えると、アサくんにとっては、来世喫茶店のほうがよほど愛着を感じる“居場所”なのだろう。
「アサくん、未桜さん、少し早いけど晩御飯にしようか」
カウンターの中から声がかかった。
言われなくても、さっきから十分気になっていた。店内に、何やら美味しそうな匂いが立ち込めているのだ。
「確か、次のお客さんの来店時刻まで、まだ余裕があったよね?」
「えーっと、そうですね」アサくんが腕時計を見て答える。「次は十八時三分なので、三十分程度は」
「ならちょうどいい」
マスターが、両手で器用に三枚のお皿を持ち、カウンターから出てきた。パスタがくるりと上品に盛りつけられているのを見て、思わず歓声を上げる。
「わぁい、これが噂の『美味しい賄い』かぁ!」
「ちょ、ちょっと未桜さん!」
アサくんが慌てて、未桜のエプロンを引っ張る。「誰に何を吹き込まれたのやら」と苦笑しながら、マスターが近くのテーブルに皿を置いた。
「春キャベツとベーコンのレモンクリームパスタだよ。温かいうちにどうぞ」
「すごい……これが賄いだなんて! お店の正式なメニューにすればいいのに!」
「いやいや、とてもとても。先日レモンケーキを焼いたから、その残りで作っただけだし」
マスターの謙遜(けんそん)をそのまま受け取ってはいけないということは、フォークに巻いたパスタを口に入れた瞬間に分かった。
口当たりはまろやか、風味は爽やか。
柔らかいキャベツや歯ごたえのあるベーコンが、レモンクリームに包み込まれて、もっちりとしたパスタと一体になる。
あまりの味の深さに我を忘れ、次から次へとフォークを口に運ぶ。半分ほどたいらげたところで、「あ、いただきます!」と顔を上げると、「今さらいいのに」とマスターに笑われてしまった。