第7話 にゃ

 それから我々は、あーでもないこーでもないと設定を考えながらパスタを食べた。この店はブッフェ形式で副菜が食べ放題な上、飲み物も飲み放題なので我々のようなのんびり時間をかけるグループにはありがたい。
 ヒロインの名前は(まい)に決まった。高木舞だ。榊アイと音が似ているからイメージしやすい。男の方をどうするかというところで困った。八雲からあまり離れない方がイメージしやすいだろうと言ったが、アイさんが突然「伊織(いおり)君にしよう」と言い出した。いくら何でもかけ離れすぎだろ。

「八雲って伏見の藤森駅で決めたんでしょ? 伏見って言えば伏見稲荷(ふしみいなり)があるじゃない? だから伏見伊織(ふしみいおり)、どう?」
「『ふしみいおり』って普通に伏見稲荷っぽいですよ。キツネと鳥居しか思い浮かばない。伊織でもいいですから、伏見をちょっとどうにかしませんか?」
「通り過ぎたことに気づいたのはどこの駅って言ったっけ」
墨染(すみぞめ)です」
「墨染伊織は? なんか変だね」

 この人、登場人物の名前、こんな風に決めるのか。 

「それ、何線?」
「近鉄線だったかな。いや、京阪線ですね」

 スマホで調べ始めたぞ。嫌な予感がする。

深草(ふかくさ)伊織、鳥羽(とば)伊織、東福寺(とうふくじ)伊織、七条(しちじょう)伊織……」
「あの。京阪線から離れませんか?」
「てへ」

 出た、ナチュラルな『てへ』。しかもそれが変に似合っている。

「でも、カッコいいのもあるよ。光善寺(こうぜんじ)伊織、大和田(おおわだ)伊織、萱島(かやしま)伊織、天満橋(てんまばし)伊織……」
「あの。まず駅やめましょうよ。そのうちに秋葉原(あきはばら)伊織だとか()(かしら)公園(こうえん)伊織とか豪徳寺(ごうとくじ)伊織なんて言い出しかねませんよ」

 急にアイさんが目を輝かせた。

「にゃあ! 豪徳寺(ごうとくじ)伊織(いおり)カッコよくない?」
「良くないです」
「むー」

 普通に『むー』って言ってむくれるよ、この人! しかも『にゃあ』ってなんだ
『にゃあ』って!

「でもカッコイイよ。豪徳寺伊織」
「気に入ったんですか?」
「にゃ」

 この『にゃ』は肯定なのか否定なのか、それすら判らん。でもこの上目遣いは恐らく肯定に違いない。

「強そうですよ。剣豪っぽくないですか? 等身大キャラなんでしょう? もっと普通でいいですよ。私は弱いですから」
「じゃ、荻窪、高井戸、笹塚、等々力、菊川、大門、小岩、瑞江、生田……」
生田(いくた)?」
「小田急線」
「生田伊織。悪くない」
「え? 生田気に入ったの?」
「気に入ったというよりは普通っぽいんで」
「じゃ、生田伊織ね、決定。高木(たかき)(まい)生田伊織(いくたいおり)

 名前を決めるのに路線図引っ張り出してくることになるとは思わなかった。

「年齢決めよ。八雲君いくつ?」
「二十四です」

 フォークにカルボナーラをクルクル巻き付けていた手を止めて、マジマジと俺の顔を見る。

「え、可愛い。まだ大学出て一年そこらじゃん」
「個人情報ですから漏らさないでくださいよ」
「うん。じゃあ生田伊織君は二十四歳。高木舞は二十七歳」
「ええっ、アイさん、私より三歳も年上だったんですか?」
「違うよ。八歳年上だよ。サバ読んだの。くふっ」

 くふっ、て。おい!

「三十二?」
「そうだよ」

 フォークに刺したベーコンをこっちに向けてニコッと笑う。

「見えない。二コ上くらいだと思ってました」
「そういう時は『年下かと思ってました』って言うもんだよ」
「あ、そっか。すいません、根が正直で。でもその代わり裏表無いですから」
「くふふ。そんな八雲君が可愛くて大好き」

 もう始まってるのか、疑似恋愛モード。

「アイさん、本当に若いですよ。この前のワンピースも似合ってましたけど、今日の水色のももっと若い女の子が着るようなデザインじゃないですか。普通に似合ってますよ」
「ほんと? 嬉しいにゃ。こういうストンとしたの大好きなの。色もこういうくすんだ色が好きなんだ」
浅縹(あさはなだ)ですね」
「八雲君、色の名前詳しいんだね」

 アイさんは照れくさそうに言うと突然席を立った。

「紅茶取ってくる。八雲君のも持ってきてあげよっか」
「あ、じゃあカプチーノお願いします」
「りょうか~い」

 椅子には、浅縹のワンピースによく似合う、あの日のネイビーのトートバッグが置かれていた。