第55話 嘘だろ?
それから俺たちはホットケーキを食べ、(何故か)一緒に俺のサインを考え、アイさんが買って来た十冊の『ヨメたぬき』に慣れないサインを入れた。
その後、俺は購入報告をくれた人にお礼の返信を入れ、アイさんは『I my me mine』完結の報告と同時に『ヨメたぬき』発売の宣伝をしてくれた。賢島漁連の皆さんへのお礼状もアイさんがバッチリ書いてくれて、「ここにもサイン入れて!」なんて横で言っている。
訳が分からないまま成り行きで本になってしまった感じだが、こうしてみると大勢の人が関わっているんだなとつくづく思う。俺、何も見えてなかったな。
夕方になって、アイさんが友達に送る『ヨメたぬき』を梱包するのを手伝っていると、ボソッと彼女が呟くのが聞こえた。
「初めての完結作品」
俺は梱包の手を止めて、アイさんの方をチラッと見た。アイさんは作業を続けながら独り言のようにぼそぼそと話し続けた。
「あのね、『I my me mine』ってあたしの初めての完結作品なの。いつもその時の気分で書きつけてたから、完結したこと無くて。ほら、あたしの書くものって基本エッセイみたいな詩みたいなものだし、思いついた時に追加して行くスタイルだったから。こんなふうに予定立てて物語の筋を決めて書くとかやったこと無くてね、だから完結ってしたこと無かったの。もう二十年も書いてるのに、一度も完結してなかったの」
「一度もですか」
「うん。だから自信が無かったんだと思う。そのくせ長い事書いてるからプライドだけは一人前で。でも今は違うよ。一つ最後まで書ききったっていう自信が付いた。『I my me mine』のおかげ。八雲君のおかげだよ」
「俺は別に……」
「良かった、『ヨメたぬき』が本になったら『I my me mine』も本にするって宣言して。あの宣言が無かったら、完結しなかったかも。『ヨメたぬき』が本にならなかったらこれもなかったね。あ、そうか、八雲君に『ヨメたぬき』を表に出そうって言ったの、あたしだ! あたしって偉くない?」
思わず笑ってしまった。アイさんだなぁ。
「『ヨメたぬき』っていうタイトルもアイさんが付けたんですよ」
「あ、そうだったね。くふっ」
くふっ、か。この「くふっ」を、俺は今独り占めしている。
「完結しちゃったね。コラボも解消だね」
「そうですね」
この「くふっ」も、俺だけものもではなくなる。
「お別れかな」
「自立ですよ」
アイさんは梱包の終わった十冊の本を紙袋に片づけた。
「そうだね。自立だね。あたし、もう一人でも大丈夫。ちゃんと書いて行けるよ」
冬華さん、喜ぶだろうな。
「八雲君はこれから大変だね。一冊出ちゃったら次を期待する人もいるだろうし」
「いませんよ、そんなに甘くないですよ、この業界は」
「甘くないけど、あたしは書いてく。書くのが好きだから。誰も読んでくれなくても、いいものを書いていたら少しずつでも読んで貰えるから。だから『榊アイ』にしか書けないものを書くの」
それでいい。それがいい。一番いい。
「あたし、八雲君と一緒に書いて凄く成長したと思う」
「私もです」
「ありがと。じゃ、あたし帰るね」
アイさんはリュックを背負い、紙袋を持った。
「八雲君、お世話になりました」
「こちらこそお世話になりました」
俺たちはお互いに頭を下げた。そのまま顔が上げられない。ここで頭を上げたら、そこで俺たちはお別れになってしまう気がして、ずっとそのままになってしまっている。
先に沈黙を破ったのは彼女の方だった。
「じゃあね!」
彼女はパッと振り返って玄関に向かった。俺は咄嗟にその手首を摑んだ。
「待って」
アイさんは目に涙をたくさん溜めていた。
「なあに?」
「あの、俺と……」
「え?」
「俺と付き合ってください。作家としてじゃなくて、藤森八雲じゃなくて、ただの長谷川哲也と」
俺、何言ってんだ? どうしちゃったんだよ俺!
「ばかー!」
アイさんが涙腺崩壊したまま俺に頭突きしてきた。なんだかわかんなくてアイさんを抱きしめると、アイさんが俺の胸元で何か文句を言っている。
「なんでもっと早く言ってくれなかったのよぉ! 八雲君のばかー!」
「だって……完結してなかったから」
「もう~! 八雲君きらい!」
「え、嫌いなんですか」
「哲也君って呼んでいい?」
え?
「あ、はい」
「もう、大好きー、哲也のばかー!」
訳がわかんねえ……。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「なによー」
「アイさんの名前、俺、知らないんですけど」
あれから俺には坂巻愛花さんというカノジョができた。中村さんは「やれやれ、お似合いだ」と言いながらも『出版祝い』とかなんとか言って飲みに連れて行ってくれた。
付き合い始めてからは小説の話は全くしていない。一緒に出掛けては愛花が写真を撮り、俺はそれを眺めて楽しむ。そんな時間が俺にはとても大切なものになっている。
勿論、小説は書いている。
『ヨメたぬき』は出版社の宣伝努力もむなしく空振りに終わり、俺は一発野郎にさえなれなかった。だが、俺にはそれが似合っている。目立つのは好きじゃない。こうして細々と好きなものを書いている方が性に合ってる。とは言え『ヨメたぬき』でそれなりにファンが付いたので、読んで貰えてはいるが。
彼女も『あたしのお気に入り』を今でも連載している。本人曰く「飽きるまでやるから、多分一生完結しない」のだそうだ。まあ、それもありなのかもしれない。
こうしてまったりと俺たちの日常は過ぎていた。そしてその日常は続くはずだった。サイト運営から来たこのメールを見るまでは。
*下記の件について、レーベルから申請が来ております。
ご確認・ご判断いただき、直接レーベル担当者までご連絡ください。
作品名: I my me mine
作者名:榊アイ・藤森八雲(共同執筆)
媒体:単行本書籍化
レーベル名:……
嘘だろ? にゃあ!
(おしまい)
それから俺たちはホットケーキを食べ、(何故か)一緒に俺のサインを考え、アイさんが買って来た十冊の『ヨメたぬき』に慣れないサインを入れた。
その後、俺は購入報告をくれた人にお礼の返信を入れ、アイさんは『I my me mine』完結の報告と同時に『ヨメたぬき』発売の宣伝をしてくれた。賢島漁連の皆さんへのお礼状もアイさんがバッチリ書いてくれて、「ここにもサイン入れて!」なんて横で言っている。
訳が分からないまま成り行きで本になってしまった感じだが、こうしてみると大勢の人が関わっているんだなとつくづく思う。俺、何も見えてなかったな。
夕方になって、アイさんが友達に送る『ヨメたぬき』を梱包するのを手伝っていると、ボソッと彼女が呟くのが聞こえた。
「初めての完結作品」
俺は梱包の手を止めて、アイさんの方をチラッと見た。アイさんは作業を続けながら独り言のようにぼそぼそと話し続けた。
「あのね、『I my me mine』ってあたしの初めての完結作品なの。いつもその時の気分で書きつけてたから、完結したこと無くて。ほら、あたしの書くものって基本エッセイみたいな詩みたいなものだし、思いついた時に追加して行くスタイルだったから。こんなふうに予定立てて物語の筋を決めて書くとかやったこと無くてね、だから完結ってしたこと無かったの。もう二十年も書いてるのに、一度も完結してなかったの」
「一度もですか」
「うん。だから自信が無かったんだと思う。そのくせ長い事書いてるからプライドだけは一人前で。でも今は違うよ。一つ最後まで書ききったっていう自信が付いた。『I my me mine』のおかげ。八雲君のおかげだよ」
「俺は別に……」
「良かった、『ヨメたぬき』が本になったら『I my me mine』も本にするって宣言して。あの宣言が無かったら、完結しなかったかも。『ヨメたぬき』が本にならなかったらこれもなかったね。あ、そうか、八雲君に『ヨメたぬき』を表に出そうって言ったの、あたしだ! あたしって偉くない?」
思わず笑ってしまった。アイさんだなぁ。
「『ヨメたぬき』っていうタイトルもアイさんが付けたんですよ」
「あ、そうだったね。くふっ」
くふっ、か。この「くふっ」を、俺は今独り占めしている。
「完結しちゃったね。コラボも解消だね」
「そうですね」
この「くふっ」も、俺だけものもではなくなる。
「お別れかな」
「自立ですよ」
アイさんは梱包の終わった十冊の本を紙袋に片づけた。
「そうだね。自立だね。あたし、もう一人でも大丈夫。ちゃんと書いて行けるよ」
冬華さん、喜ぶだろうな。
「八雲君はこれから大変だね。一冊出ちゃったら次を期待する人もいるだろうし」
「いませんよ、そんなに甘くないですよ、この業界は」
「甘くないけど、あたしは書いてく。書くのが好きだから。誰も読んでくれなくても、いいものを書いていたら少しずつでも読んで貰えるから。だから『榊アイ』にしか書けないものを書くの」
それでいい。それがいい。一番いい。
「あたし、八雲君と一緒に書いて凄く成長したと思う」
「私もです」
「ありがと。じゃ、あたし帰るね」
アイさんはリュックを背負い、紙袋を持った。
「八雲君、お世話になりました」
「こちらこそお世話になりました」
俺たちはお互いに頭を下げた。そのまま顔が上げられない。ここで頭を上げたら、そこで俺たちはお別れになってしまう気がして、ずっとそのままになってしまっている。
先に沈黙を破ったのは彼女の方だった。
「じゃあね!」
彼女はパッと振り返って玄関に向かった。俺は咄嗟にその手首を摑んだ。
「待って」
アイさんは目に涙をたくさん溜めていた。
「なあに?」
「あの、俺と……」
「え?」
「俺と付き合ってください。作家としてじゃなくて、藤森八雲じゃなくて、ただの長谷川哲也と」
俺、何言ってんだ? どうしちゃったんだよ俺!
「ばかー!」
アイさんが涙腺崩壊したまま俺に頭突きしてきた。なんだかわかんなくてアイさんを抱きしめると、アイさんが俺の胸元で何か文句を言っている。
「なんでもっと早く言ってくれなかったのよぉ! 八雲君のばかー!」
「だって……完結してなかったから」
「もう~! 八雲君きらい!」
「え、嫌いなんですか」
「哲也君って呼んでいい?」
え?
「あ、はい」
「もう、大好きー、哲也のばかー!」
訳がわかんねえ……。
「あの、一つ聞いていいですか?」
「なによー」
「アイさんの名前、俺、知らないんですけど」
あれから俺には坂巻愛花さんというカノジョができた。中村さんは「やれやれ、お似合いだ」と言いながらも『出版祝い』とかなんとか言って飲みに連れて行ってくれた。
付き合い始めてからは小説の話は全くしていない。一緒に出掛けては愛花が写真を撮り、俺はそれを眺めて楽しむ。そんな時間が俺にはとても大切なものになっている。
勿論、小説は書いている。
『ヨメたぬき』は出版社の宣伝努力もむなしく空振りに終わり、俺は一発野郎にさえなれなかった。だが、俺にはそれが似合っている。目立つのは好きじゃない。こうして細々と好きなものを書いている方が性に合ってる。とは言え『ヨメたぬき』でそれなりにファンが付いたので、読んで貰えてはいるが。
彼女も『あたしのお気に入り』を今でも連載している。本人曰く「飽きるまでやるから、多分一生完結しない」のだそうだ。まあ、それもありなのかもしれない。
こうしてまったりと俺たちの日常は過ぎていた。そしてその日常は続くはずだった。サイト運営から来たこのメールを見るまでは。
*下記の件について、レーベルから申請が来ております。
ご確認・ご判断いただき、直接レーベル担当者までご連絡ください。
作品名: I my me mine
作者名:榊アイ・藤森八雲(共同執筆)
媒体:単行本書籍化
レーベル名:……
嘘だろ? にゃあ!
(おしまい)