第51話 あんた誰だ
俺は翌日からサイトの方には一切入ろうとしなかった。『I my me mine』は予約投稿で一日おきの同時刻にアップするように設定しておいたので、毎日覗きに行く必要もない。とにかくアイさんが抜けようと抜けまいと、一度書き始めたものは最後まで書きたい。
一人になった反面、やりやすくもなった。自分で最後までプロットを組んで大まかなストーリーを決め、それに従って書き進めることで、みるみる作業が捗った。
が、やはりアイさんの奇抜な発想が割り込んでこないので、平坦になりがちではある。それもまあ仕方がない、『ヨメたぬき』の再校が来るまでの間にある程度稼いでおかなければならないのだ。
そうこうする間に一週間が過ぎ、編集部からゲラが戻ってきた。そろそろあとがきと作者プロフィールを書くようにという指示が付いている。
あとがきか……何を書いたらいいんだろう? 他の本をペラペラと眺めてあとがきを確認するが、割と似たり寄ったりだ。テンプレ通りってのも面白くないが、突拍子もない事を書いて悪目立ちしたくもない。結局無難なあとがきとプロフィールを何パターンか書いて編集部に送り、担当さんに選んでもらう事にした。
更に数日後には表紙イラストが上がってきた。
凄い! なんか……『本』だ。ダンナがコーヒーを片手にたぬきを咥えている。たぬきは手のひらサイズで、耳をダンナに咥えられてブラブラ。
そうか、あのシーンか。ダンナがずっとPCの前で何かをやっていて、たぬきがかまって欲しくてキーボードの上に大の字に寝る、あのシーンだ。ダンナは何度もたぬきをどかすんだが、たぬきも負けじとキーボードに戻ってはそのスペースを占拠する。しまいにはダンナがたぬきの耳を咥えてPC操作を始めてしまう。
可愛いなぁ。こんなふうになるのか。ここにタイトルと俺の名前が入って完成か。
アイさん、一番喜んでくれると思ってたのにな。このダンナとたぬきみたいな、そんな仲だと思ってたのにな。
ダンナとたぬき……アイさんは俺にもっとかまって欲しかったんだろうか。キーボードの上で大の字になるほど。
え? かまって欲しかった? そうだよ、あの人は究極のかまってちゃんじゃないか。この前の冬華さんと組むという話も、実は俺に引き留めて欲しかったんじゃ……?
俺は一週間ぶりにサイトを開いた。俺の最後の読者感想ページはもうオーバーフロウ寸前だ。が、それは後回しだ。
アイさんの方を覗いてみる。『I my me mine』はあの日から投稿が止まったままだ。だが、『あたしのお気に入り』はいくつか追加になっている。『海と写真』も『グロゼイユ』も改稿が入っているようだ。
そして何よりも俺を驚愕させたのは、その言葉の選び方だった。
確かに元々が似ていた。詩人同士だからそうなのだろう。それにしてもあまりにも冬華白群の使う言葉をアイさんが多用している。まるでアイさんの着ぐるみを着た冬華白群だ。
なんでこうなるんだ? アイさんらしさはどこへ行ったんだ?
彼女の読者感想ページには、誰からもコメントが入っていない。それはそうだろう、俺もコメントできない。確かに作品自体は前よりずっと良くなっている。だが、そこにアイさんらしさは欠片もない。
どこからどう見ても冬華さんになってしまったことに対して、誰も何も言えないんだろう。
これはマズい。アイさんが潰れてしまう。アイさんは強固なプライドにがんじがらめにされた脆弱な自己しか持っていない。だから反論されると反発して心を閉ざしてしまうが、褒められると簡単に相手に懐く。そして自分を見失っていることに気づかずに、その人の色に染められて行ってしまう。
このままでは『第二の冬華白群』になるだけだ。
かと言って俺にどうにかできるわけでもない。アイさんが選んだのは冬華さんであって俺じゃない。俺はただ、指を咥えて見ているしかないんだ。彼女がそれを選んだのだから。
俺は気を取り直して、自分の読者感想ページに着いたコメントを一つずつ読んで行った。アイさんからのコメントは一つも無い。知らない人ばかりだ。こんなにたくさんメッセージを貰って嬉しい反面、どうやって返信しようか悩んでしまう。
などと思いながら眺めていると、その中に紛れるように春野さんのコメントが入っていた。
*春野陽子*
彼女、呼び戻した方がいいんじゃないのかしら? 彼では彼女を扱いきれないわよ?
これは絶対にアイさんの事だ。彼というのは冬華さんの事に違いない。でも俺には呼び戻せないんだ。彼女が出て行ったのだから。
しかし、そこからずっと後にもまた入っていた。
*春野陽子*
褒めるのは簡単。好きな人に気に入られたいし、好きな人の事は何でも良く見えるもの。だから彼も素直な気持ちで彼女を褒めていると思うの。
でも持ち上げられていることに気づかないと、今度は彼女自身が彼の期待に応えようとしてしまう。少しでも彼に気に入られようとして、彼の望むものを探してしまう。
あなたとやっているときはそうじゃなかった。彼女は必死にあなたに反発してるのが見えたの。だから上手くいっていた。
今の彼女は、自分の個性を殺してる。
確かにそうだ。流石だ、春野さん。でも俺にどうしろと?
頭を抱える俺を前に、スマホがメールの着信を知らせる。メール? 誰だ、こんな時に。
そして俺はスマホの画面を見て思わず「あっ」と声に出してしまった。発信者が『氷川鋭』となっていたのだ。
「ご無沙汰しております、氷川です。志摩では大変お世話になりました。榊アイさんとのコラボ作品ですが、彼女の方だけ更新が止まっているようですが、どうなさったのでしょうか」
ああ、この人、なんか安心する……。砂漠の中に突如出現したオアシスのようだ。
「先日はどうもありがとうございました。楽しかったです。アイさんですが、途中下車されたんです。『I my me mine』も私一人で続行することになりました」
「そうでしたか、事情は深く立ち入りませんが、完結はさせて欲しかったですね」
「はい、私も何度もそう言ったんですが、力不足でそこまで説得できませんでした」
「彼女の作風がある人の作風にそっくりになったと噂になっているのはご存知ですよね?」
まあ、あれだけ冬華さんに似ていればみんなそう思うよな。
「ええ、そうですね。そっくりですね」
「彼女は待っているのではないかと思うんですよ」
は?
「何をですか?」
「藤森さんが迎えに来るのをです」
「え、意味がわかりませんが」
「相当無理をされていると思います。意地を張っているのではないかなと。あの晩、お二人と一緒に飲んでいて思ったんですが、アイさんは藤森さんだけを見てらっしゃるんです。他の誰でもない、藤森さんに認められたくて必死になっていらした。作品だけではなくて、全てに於いてです。可愛いなと思いましたね。今ああやって冬華さんの真似事をされているのは、藤森さんに迎えに来て欲しくて、精一杯アピールなさっているように感じるんですよ」
「いえ、私は『もうあなたとは組めません』と言われたんですよ」
「それも藤森さんに自分を見て欲しかったからではないでしょうか。志摩でご一緒したときの感じでは、藤森さんはアイさんを単なる作家仲間として見ていらっしゃるようで、アイさんの方はそうではないように見えたんですよ。その温度差が見ていて歯痒いというか。彼女はうちの家内に似ているところがあるのでなんとなくわかるんです。藤森さんが今まで通り彼女を甘やかさずに徹底して作家扱いできるなら、迎えに行ってあげてもいいかなとは思うんですよね。まあ、これ以上は僕の押し付けになってしまうので、あとは藤森さんの判断に委ねますが。それでは『ヨメたぬき』の方、最後の追い込みだろうと思いますので頑張ってください」
「はい、どうもありがとうございます」
迎えに、か。俺が行ってどうするというんだ。
スマホを下ろした瞬間、PCにその文字が見えた。
*冬華白群*
藤森さん、彼女に相応しいのは僕ではなくてあなただ。迎えに来てやってください。
俺は翌日からサイトの方には一切入ろうとしなかった。『I my me mine』は予約投稿で一日おきの同時刻にアップするように設定しておいたので、毎日覗きに行く必要もない。とにかくアイさんが抜けようと抜けまいと、一度書き始めたものは最後まで書きたい。
一人になった反面、やりやすくもなった。自分で最後までプロットを組んで大まかなストーリーを決め、それに従って書き進めることで、みるみる作業が捗った。
が、やはりアイさんの奇抜な発想が割り込んでこないので、平坦になりがちではある。それもまあ仕方がない、『ヨメたぬき』の再校が来るまでの間にある程度稼いでおかなければならないのだ。
そうこうする間に一週間が過ぎ、編集部からゲラが戻ってきた。そろそろあとがきと作者プロフィールを書くようにという指示が付いている。
あとがきか……何を書いたらいいんだろう? 他の本をペラペラと眺めてあとがきを確認するが、割と似たり寄ったりだ。テンプレ通りってのも面白くないが、突拍子もない事を書いて悪目立ちしたくもない。結局無難なあとがきとプロフィールを何パターンか書いて編集部に送り、担当さんに選んでもらう事にした。
更に数日後には表紙イラストが上がってきた。
凄い! なんか……『本』だ。ダンナがコーヒーを片手にたぬきを咥えている。たぬきは手のひらサイズで、耳をダンナに咥えられてブラブラ。
そうか、あのシーンか。ダンナがずっとPCの前で何かをやっていて、たぬきがかまって欲しくてキーボードの上に大の字に寝る、あのシーンだ。ダンナは何度もたぬきをどかすんだが、たぬきも負けじとキーボードに戻ってはそのスペースを占拠する。しまいにはダンナがたぬきの耳を咥えてPC操作を始めてしまう。
可愛いなぁ。こんなふうになるのか。ここにタイトルと俺の名前が入って完成か。
アイさん、一番喜んでくれると思ってたのにな。このダンナとたぬきみたいな、そんな仲だと思ってたのにな。
ダンナとたぬき……アイさんは俺にもっとかまって欲しかったんだろうか。キーボードの上で大の字になるほど。
え? かまって欲しかった? そうだよ、あの人は究極のかまってちゃんじゃないか。この前の冬華さんと組むという話も、実は俺に引き留めて欲しかったんじゃ……?
俺は一週間ぶりにサイトを開いた。俺の最後の読者感想ページはもうオーバーフロウ寸前だ。が、それは後回しだ。
アイさんの方を覗いてみる。『I my me mine』はあの日から投稿が止まったままだ。だが、『あたしのお気に入り』はいくつか追加になっている。『海と写真』も『グロゼイユ』も改稿が入っているようだ。
そして何よりも俺を驚愕させたのは、その言葉の選び方だった。
確かに元々が似ていた。詩人同士だからそうなのだろう。それにしてもあまりにも冬華白群の使う言葉をアイさんが多用している。まるでアイさんの着ぐるみを着た冬華白群だ。
なんでこうなるんだ? アイさんらしさはどこへ行ったんだ?
彼女の読者感想ページには、誰からもコメントが入っていない。それはそうだろう、俺もコメントできない。確かに作品自体は前よりずっと良くなっている。だが、そこにアイさんらしさは欠片もない。
どこからどう見ても冬華さんになってしまったことに対して、誰も何も言えないんだろう。
これはマズい。アイさんが潰れてしまう。アイさんは強固なプライドにがんじがらめにされた脆弱な自己しか持っていない。だから反論されると反発して心を閉ざしてしまうが、褒められると簡単に相手に懐く。そして自分を見失っていることに気づかずに、その人の色に染められて行ってしまう。
このままでは『第二の冬華白群』になるだけだ。
かと言って俺にどうにかできるわけでもない。アイさんが選んだのは冬華さんであって俺じゃない。俺はただ、指を咥えて見ているしかないんだ。彼女がそれを選んだのだから。
俺は気を取り直して、自分の読者感想ページに着いたコメントを一つずつ読んで行った。アイさんからのコメントは一つも無い。知らない人ばかりだ。こんなにたくさんメッセージを貰って嬉しい反面、どうやって返信しようか悩んでしまう。
などと思いながら眺めていると、その中に紛れるように春野さんのコメントが入っていた。
*春野陽子*
彼女、呼び戻した方がいいんじゃないのかしら? 彼では彼女を扱いきれないわよ?
これは絶対にアイさんの事だ。彼というのは冬華さんの事に違いない。でも俺には呼び戻せないんだ。彼女が出て行ったのだから。
しかし、そこからずっと後にもまた入っていた。
*春野陽子*
褒めるのは簡単。好きな人に気に入られたいし、好きな人の事は何でも良く見えるもの。だから彼も素直な気持ちで彼女を褒めていると思うの。
でも持ち上げられていることに気づかないと、今度は彼女自身が彼の期待に応えようとしてしまう。少しでも彼に気に入られようとして、彼の望むものを探してしまう。
あなたとやっているときはそうじゃなかった。彼女は必死にあなたに反発してるのが見えたの。だから上手くいっていた。
今の彼女は、自分の個性を殺してる。
確かにそうだ。流石だ、春野さん。でも俺にどうしろと?
頭を抱える俺を前に、スマホがメールの着信を知らせる。メール? 誰だ、こんな時に。
そして俺はスマホの画面を見て思わず「あっ」と声に出してしまった。発信者が『氷川鋭』となっていたのだ。
「ご無沙汰しております、氷川です。志摩では大変お世話になりました。榊アイさんとのコラボ作品ですが、彼女の方だけ更新が止まっているようですが、どうなさったのでしょうか」
ああ、この人、なんか安心する……。砂漠の中に突如出現したオアシスのようだ。
「先日はどうもありがとうございました。楽しかったです。アイさんですが、途中下車されたんです。『I my me mine』も私一人で続行することになりました」
「そうでしたか、事情は深く立ち入りませんが、完結はさせて欲しかったですね」
「はい、私も何度もそう言ったんですが、力不足でそこまで説得できませんでした」
「彼女の作風がある人の作風にそっくりになったと噂になっているのはご存知ですよね?」
まあ、あれだけ冬華さんに似ていればみんなそう思うよな。
「ええ、そうですね。そっくりですね」
「彼女は待っているのではないかと思うんですよ」
は?
「何をですか?」
「藤森さんが迎えに来るのをです」
「え、意味がわかりませんが」
「相当無理をされていると思います。意地を張っているのではないかなと。あの晩、お二人と一緒に飲んでいて思ったんですが、アイさんは藤森さんだけを見てらっしゃるんです。他の誰でもない、藤森さんに認められたくて必死になっていらした。作品だけではなくて、全てに於いてです。可愛いなと思いましたね。今ああやって冬華さんの真似事をされているのは、藤森さんに迎えに来て欲しくて、精一杯アピールなさっているように感じるんですよ」
「いえ、私は『もうあなたとは組めません』と言われたんですよ」
「それも藤森さんに自分を見て欲しかったからではないでしょうか。志摩でご一緒したときの感じでは、藤森さんはアイさんを単なる作家仲間として見ていらっしゃるようで、アイさんの方はそうではないように見えたんですよ。その温度差が見ていて歯痒いというか。彼女はうちの家内に似ているところがあるのでなんとなくわかるんです。藤森さんが今まで通り彼女を甘やかさずに徹底して作家扱いできるなら、迎えに行ってあげてもいいかなとは思うんですよね。まあ、これ以上は僕の押し付けになってしまうので、あとは藤森さんの判断に委ねますが。それでは『ヨメたぬき』の方、最後の追い込みだろうと思いますので頑張ってください」
「はい、どうもありがとうございます」
迎えに、か。俺が行ってどうするというんだ。
スマホを下ろした瞬間、PCにその文字が見えた。
*冬華白群*
藤森さん、彼女に相応しいのは僕ではなくてあなただ。迎えに来てやってください。