第42話 基本のところでエビ
昨夜も全く『ヨメたぬき』に手を付けられなかった。俺は作家としては失格だ。個人的な都合で改稿が滞るなんて、どれだけメンタル弱いんだ。こんな時、プロの人たちはどうやって切り替えているんだろう。
溜息をつきながら天丼をちびちび食べていると、ふと俺の横に誰かがトレイを置いた。
「ここいい?」
「どうぞ」
断ったこと無いじゃんとは思うが、中村さんは毎回そう言って俺の隣に座ることで、自分が来たことを地味にアピールするのだ。今日はエビ炒飯+ラーメン大盛りか、よくこんなに食えるな。
「どうしたよ。世界中の不幸を一身に背負ったような顔して」
「あー、まあ、そんな気分ですね」
めんどくさいんで適当に返事をしておく。しかし、この中村と言う人は変なとこ妙に敏感で困る。
「カノジョに振られた?」
「そーゆーこと言いますかね」
「ビンゴかよ。まあ、女なんてナンボでもいるだろ? 全人類の半数は女だ」
あんたと俺は別の種類の生き物なんだと訴えたところで、ラーメンを勢いよくすするこの男には全く響くこともないだろう。
「まあ、あれだろ。お前のセックスが死ぬほど下手とか」
「んなことしませんよ」
「うっそ、マジで? フツー会ったその日にだろ?」
あんた絶対に俺と同じ種類の生き物じゃない。今確信した。
「じゃあ、キスがありえねーほど下手とか」
うるさいなー、いちいち図星指してくんな。
「ってのは冗談でさ、お前の頭が固すぎて愛想尽かされたってとこだろ」
——あたしは理論派の君と違って矛盾だらけなの。いじわる!——
「そうかもしれません」
「あーあ、お前女の扱いってもんを全く分かって無さそうだもんな。女ってのはな、右脳で生きてんだよ。理屈じゃないの、感情。彼女の小さなミスを理路整然と解説したりしてねーだろうな?」
だからいちいち図星だって。
「やっちゃいましたよ、それ」
「あーあ、やっぱりな。女は七つ褒めて、二つ焦らして、一つ意地悪するくらいでちょうどいいんだよ」
エビ炒飯を豪快にかき込んでいる中村さんを尻目に、俺もちびちびとエビ天に箸をつける。
「エビ炒飯のエビと、天丼のエビって、同じですかね」
「は? 同じわけねーだろ」
「女性だってみんな同じじゃないですよ」
「そりゃそうだよ。でも基本のところで女は女だからな。基本のところでエビってのと一緒」
意味わかんねえ。いや、わかってる。考えたくないだけだ。あの迷惑女とアイさんが同じ種類の生き物だと思いたくない。だけどやってることは確かに同じだ。
「とにかく元気出せ。……つっても無理だわな。まぁ、仕事は手ぇ抜くなよ。じゃ、俺はこれから商談あるから、お先!」
「行ってらっしゃい」
中村さんはあれだけ喋ってもエビ炒飯とラーメン大盛りをこの短時間で平らげてさっさと席を立ってしまった。俺はまだ半分も食ってない。何やってんだ、まずはちゃんと飯を食おう。天丼に失礼と言うものだ。
と思った矢先、LINEの着信音が響いた。アイさんだ!
▷決めました。八雲君に迷惑はかけられません。
▷でも一晩考えて、八雲君のいない生活なんて考えられないと思ったの。だから覚悟を決めました。
▷本気で書きます。本物の作家さんとコラボするんだもん、一緒にやるからには、もうあたしは甘えた子供でも仮想恋人でもいられない。何が何でも一人で立たないと。
▷だけどすぐに変えることなんかできないから、一人でジタバタもがいてるだろうけど、君はもう厳しくても冷たくてもいいの。変わらなきゃいけないのはあたしの方だ。
▷ちゃんと決心したから、改めて相棒としてよろしくお願いします。
本当か? アイさん、戻って来てくれるのか?
▷あたしのことだから、きっとまた落ち込んで部屋の隅っこでいじけたりすると思うの。でもね、約束はちゃんと守るから。舞と伊織、ちゃんと完結させるから。八雲君が何を言ってもちゃんと受け止めるから。
◀わかりました。では私も本気で取り組みます。改めてよろしくお願いします。
俺は感無量の体で返信した。
アイさんが帰ってきた。『I my me mine』の続きが書ける。今夜は安心して『ヨメたぬき』の改稿ができる!
▷ありがとう。まずは『笹川流れ』読んで欲しいの。
◀読みましたよ。すぐにでもアップできます。
▷早っ! にゃー、嬉しい。なかなか読んで貰えなかったもんなぁ。
ああ、アイさんだ。この「にゃー」がアイさんだ。帰ってきた。
◀とっくに読んでましたよ。アイさんの覚悟がわからなかったので、読めませんと言っていただけです。
▷いじわるー!
◀読んでいないふりをするのも大変なんですよ。
▷ありがと。もうすぐお昼休み終わるね。『笹川流れ』の次の『お茶会デート』の下書き送っておきます。夜にでも読んでくださいにゃ。
◀了解。ではまた。
▷またね。八雲君大好き、ちゅっ♡
俺は天丼の残り半分を平らげて、先程までとは別人のように晴れやかな顔でデスクに戻った。……その下書きでまた問題が起こるとも知らずに。
昨夜も全く『ヨメたぬき』に手を付けられなかった。俺は作家としては失格だ。個人的な都合で改稿が滞るなんて、どれだけメンタル弱いんだ。こんな時、プロの人たちはどうやって切り替えているんだろう。
溜息をつきながら天丼をちびちび食べていると、ふと俺の横に誰かがトレイを置いた。
「ここいい?」
「どうぞ」
断ったこと無いじゃんとは思うが、中村さんは毎回そう言って俺の隣に座ることで、自分が来たことを地味にアピールするのだ。今日はエビ炒飯+ラーメン大盛りか、よくこんなに食えるな。
「どうしたよ。世界中の不幸を一身に背負ったような顔して」
「あー、まあ、そんな気分ですね」
めんどくさいんで適当に返事をしておく。しかし、この中村と言う人は変なとこ妙に敏感で困る。
「カノジョに振られた?」
「そーゆーこと言いますかね」
「ビンゴかよ。まあ、女なんてナンボでもいるだろ? 全人類の半数は女だ」
あんたと俺は別の種類の生き物なんだと訴えたところで、ラーメンを勢いよくすするこの男には全く響くこともないだろう。
「まあ、あれだろ。お前のセックスが死ぬほど下手とか」
「んなことしませんよ」
「うっそ、マジで? フツー会ったその日にだろ?」
あんた絶対に俺と同じ種類の生き物じゃない。今確信した。
「じゃあ、キスがありえねーほど下手とか」
うるさいなー、いちいち図星指してくんな。
「ってのは冗談でさ、お前の頭が固すぎて愛想尽かされたってとこだろ」
——あたしは理論派の君と違って矛盾だらけなの。いじわる!——
「そうかもしれません」
「あーあ、お前女の扱いってもんを全く分かって無さそうだもんな。女ってのはな、右脳で生きてんだよ。理屈じゃないの、感情。彼女の小さなミスを理路整然と解説したりしてねーだろうな?」
だからいちいち図星だって。
「やっちゃいましたよ、それ」
「あーあ、やっぱりな。女は七つ褒めて、二つ焦らして、一つ意地悪するくらいでちょうどいいんだよ」
エビ炒飯を豪快にかき込んでいる中村さんを尻目に、俺もちびちびとエビ天に箸をつける。
「エビ炒飯のエビと、天丼のエビって、同じですかね」
「は? 同じわけねーだろ」
「女性だってみんな同じじゃないですよ」
「そりゃそうだよ。でも基本のところで女は女だからな。基本のところでエビってのと一緒」
意味わかんねえ。いや、わかってる。考えたくないだけだ。あの迷惑女とアイさんが同じ種類の生き物だと思いたくない。だけどやってることは確かに同じだ。
「とにかく元気出せ。……つっても無理だわな。まぁ、仕事は手ぇ抜くなよ。じゃ、俺はこれから商談あるから、お先!」
「行ってらっしゃい」
中村さんはあれだけ喋ってもエビ炒飯とラーメン大盛りをこの短時間で平らげてさっさと席を立ってしまった。俺はまだ半分も食ってない。何やってんだ、まずはちゃんと飯を食おう。天丼に失礼と言うものだ。
と思った矢先、LINEの着信音が響いた。アイさんだ!
▷決めました。八雲君に迷惑はかけられません。
▷でも一晩考えて、八雲君のいない生活なんて考えられないと思ったの。だから覚悟を決めました。
▷本気で書きます。本物の作家さんとコラボするんだもん、一緒にやるからには、もうあたしは甘えた子供でも仮想恋人でもいられない。何が何でも一人で立たないと。
▷だけどすぐに変えることなんかできないから、一人でジタバタもがいてるだろうけど、君はもう厳しくても冷たくてもいいの。変わらなきゃいけないのはあたしの方だ。
▷ちゃんと決心したから、改めて相棒としてよろしくお願いします。
本当か? アイさん、戻って来てくれるのか?
▷あたしのことだから、きっとまた落ち込んで部屋の隅っこでいじけたりすると思うの。でもね、約束はちゃんと守るから。舞と伊織、ちゃんと完結させるから。八雲君が何を言ってもちゃんと受け止めるから。
◀わかりました。では私も本気で取り組みます。改めてよろしくお願いします。
俺は感無量の体で返信した。
アイさんが帰ってきた。『I my me mine』の続きが書ける。今夜は安心して『ヨメたぬき』の改稿ができる!
▷ありがとう。まずは『笹川流れ』読んで欲しいの。
◀読みましたよ。すぐにでもアップできます。
▷早っ! にゃー、嬉しい。なかなか読んで貰えなかったもんなぁ。
ああ、アイさんだ。この「にゃー」がアイさんだ。帰ってきた。
◀とっくに読んでましたよ。アイさんの覚悟がわからなかったので、読めませんと言っていただけです。
▷いじわるー!
◀読んでいないふりをするのも大変なんですよ。
▷ありがと。もうすぐお昼休み終わるね。『笹川流れ』の次の『お茶会デート』の下書き送っておきます。夜にでも読んでくださいにゃ。
◀了解。ではまた。
▷またね。八雲君大好き、ちゅっ♡
俺は天丼の残り半分を平らげて、先程までとは別人のように晴れやかな顔でデスクに戻った。……その下書きでまた問題が起こるとも知らずに。