第32話 致命的だろ

 それからの俺たちはどう考えても気まずくなるフラグがめちゃめちゃ立っていたにもかかわらず、アイさんが全く気にも留めていない様子でケロッとしていたことで、なんとなく気まずい沈黙などは回避できてしまった。こういうところはアイさんサマサマだ。

 今は和室の半分にどーんと並べて敷かれた布団の横に、どーんと置いてある大きなテーブル(それでも余裕のある部屋って何畳だよ)を挟んで、俺とアイさんがモバイルPCに向かって今日の出来事をまとめている。明日まで放置したら、今日の細かい事を綺麗さっぱり忘れる自信がある。こんなことに自信を持っても仕方ないんだが。
 アイさんの方はサイトを覗いているらしく、たまに「きゃはっ」とか「くふっ」とか言っている。この人はきっと一人で部屋にいる時もこんな感じなんだろう。

「八雲君凄いね。投稿し始めてたったの一カ月で、コメディの帝王にされちゃってるよ」
「コメディ枠は目立った人がいなかったからですよ。運が良かっただけです」

 パソコンを挟んで向かい合わせに座っている俺たちは、顔を上げればお互いに目が合うんだが、何とは無しにパソコンから視線を外さずに喋っている。というか、寧ろアイさんと視線が合わせられないと言った方がこの場合は正しいかも知れない。

 実際サイトではアイさんの言う通り、カテゴリごとに「帝王」だの「女帝」だのと呼ばれている人たちがそれぞれにいる。『I my me mine - side舞』に最初に感想をくれた四天王もまさにそれだ。
 恋愛枠の春野陽子《はるのようこ》、ファンタジー枠の秋田《あきた》なまはげ太郎《たろう》、現代ドラマ枠の夏木大地《なつきだいち》、詩・童話枠の冬華《とうが》白群《びゃくぐん》、ミステリー枠の氷川《ひかわ》鋭《えい》、だがコメディ枠はずっと空席だったのだ。そこに藤森八雲の名前が収まってしまうのに、一か月とかからなかったというのも謎と言えば謎だが。

 そして帝王と呼ばれる人たちは流石にそれだけのことはあり、彼らは何でもよく知っている。呆れるほどよく知っている。彼らの会話はたまに宇宙語にしか見えない時があるくらいだ。みんな本気で作家になりたくてサイトに集まってきている人たちなんだから、当然と言えば当然だが。
 そして『類友《ルイトモ》』とはよく言ったもので、素人集団はその会話がさっぱり理解できないものだから、自然と『ランキング上位組』が集まって仲良くなっていく。もちろんアイさんも人気投稿者だ、例に漏れない。

 だが、俺は違う。小説家になりたいと思ったことはただの一度もない。『ヨメたぬき』だって、コンテストなどに応募する気も最初からなく、そもそも投稿するつもりすらなかった。たまたま人気が出た、たまたま拾い上げられた。正直、俺は彼らの会話が全く理解できない。中に入れない。
 そんなこともあって『コメディの帝王』にされてからも他の目立った人たちとの交流はさほど無いのだ。強いて言えば、人見知りで愛想の悪い俺にさえ普通に話しかけてくれる夏木さんと少々交流があるくらいか。
 そう、その夏木さんと昨日、プロットの話になったんだ。そこで俺は『I my me mine』の致命的な欠陥に気づいたんだ。

「あの、アイさん。今ちょっといいですか」
「にゃ?」
「『I my me mine』なんですけど」

 アイさんがPCをパタンと閉じる。

「プロット確認段階でアイさんが三話目までアップしちゃったんで、私も慌てちゃってすぐに後を追うようにアップしちゃいましたけど」
「にゃあ」
「これって、ほっといたらいつまででも続けられちゃいますよね。どういう結末を迎えるんですか?」
「んーとね」

 アイさんは思い立ったようにフリーズドライのコーヒーを淹れながら、最適な言葉を選んでいるようだ。

「続けられるとこまでいって、適当にやめればいいかなって」

 ……?

「は?」
「今、何となく舞と伊織は付かず離れずでしょ? このまま焦らして書けるところまで引っ張って、ネタが無くなったら適当に終了かな」

 ちょっと待て。具体的な構図がさっぱり浮かんでこないぞ。

「ですからね、どういう形で終わらせるか、なんですよ。二人がくっついてめでたくゴールインなのか、横から第三者が割り込んでどっちか持ってかれちゃうのか、そもそもどちらかが二股かけててそれがバレるとか、死別とか、引っ越しによる遠距離恋愛とか、いろいろあるじゃないですか」
「凄いね、八雲君。そんなにすぐパッパと思いつくなんて天才かも。折角だから八雲君考えて」
「はあ? そういうの全く無しでコラボしようって言って来たんですか? まるで人任せじゃないですか。大まかなストーリー展開とか考えてなかったんですか?」
「だって、伊織が実際に舞のこと好きになるかどうかわからないじゃない?」
「好きにならなかった場合の結末と、好きになった場合の結末くらい考えてあったんじゃないんですか?」
「なんにも。くふっ」

 くふっ、じゃねーだろ!

「これ、小説ですよ? 散文詩じゃないんですよ?」
「でもあたしの方は散文詩形態」
「形態の話してるんじゃありません。アイさんの今までの作品は詩やエッセイばかりでしたから、結末ってものが存在しなくても良かったかもしれませんけど、これは小説なんですよ? 全体の大きな流れとか、迎えるであろう結末くらいアバウトに考えてから書き始めるものじゃないですか? それどころか、そんな大きな設定すらないまま書いたものからどんどんアップし始めちゃったんですか? ありえない!」

 俺が一気に捲し立てると、アイさんは上目遣いになって口を尖らせ、あからさまに機嫌の悪そうな顔をする。

「そんなに言わなくたっていいじゃない。あたし、今まで詩とエッセイしか書いた事ないんだから」
「詩とエッセイしか書いたことがないなら尚の事、そういうのを考えるものじゃないですか? 俺なんか長編どころか詩もエッセイも書いた事ないですよ」
「あ、一人称が『俺』になった」
「今それ関係ねーだろ」
「怒らないでよ」

 これが怒らずにいられるかよ。とにかくちょっとクールダウンしよう。ずっと怒っていても何の解決にもならない。

「まあいいですよ。折角こうして一緒にいるんですから、今決めましょう」
「はーい」

 何でニコニコしてんだよ、俺が怒ってんのわかんねーかな。

「ねえ、八雲君。もうずっと一人称『俺』のままでいいよ?」
「今その話じゃねーよ」

 ああ、もう既に心の声が音声化されてるよ……。

「なんだかやっと、普段通りの八雲君に近づいたような気がする」
「は?」
「敬語使わない八雲君。少しお近づきになれたのかな?」

 ……いや、あんた、全然空気読めてない? それとも確信犯なの?

「ああ、もういい。アイさん結末考えてください。宿題です。言い出しっぺなんだからそれくらいは当然の事として提案してください。俺、もう一度温泉浸かってきます」

 俺はブツブツ文句を言っているアイさんを部屋に残して大浴場へ向かった。