第2話 新宿駅
それから一時間半。やっぱり読者感想欄では気付かないか。
諦めて帰ろうか、警察に届けようか……でも相手が判っているんだし、警察よりサイトの運営に連絡した方がいいだろうか。
とにかく彼女が俺のカバンの中を見ていないことを祈ろう。いや、見ていてもいい、『アレ』さえ見られていなければ! あんなこっ恥かしいものを見られた日には、俺はもう東京湾に身を投げるしかない。勿論『アレ』と一緒にだ!
はぁ……。大きなため息をついて、ふと顔を上げる。急ぎ足で行き交う人、人、人。これだけの人間がいるんだ、奇跡に近いよなぁ。
新宿駅は一日の平均乗降客数が世界一でギネスに認定されている云わば魔窟、その中にあって、同じ時間に同じ場所にいて偶々ぶつかった相手があの『榊アイ』さんなんて、こんな偶然があるか? これは凄いラッキーと言うべきか、とんでもないアンラッキーと言うべきか。
いや待てよ? あの人も榊アイさんのファンで、気に入った一節をノートに書き写しただけかもしれない。もしそうだとすれば、ここで待っていたって絶対に来るわけないじゃないか。全然関係のない人にメッセージを残したことになるんだから! だとすれば、榊アイさんに迷惑がかかることになるんじゃないか?
俺は慌ててスマートフォンを取り出し、先程のメッセージを削除した。これで本人に何か迷惑がかかることは無いだろう。
帰るか。ここに居ても仕方なさそうだ。俺のカバンももしかしたら交番か忘れ物預かり所に届けられているかもしれない。
そう思って一歩踏み出したところに……居たのだ。さっきのあの女性が! 汗だくになりながらキョロキョロと辺りを窺うようにしている。もしかしてこのカバンを探しているんじゃ?
「あの……」
思わず駆け寄って声をかけると、彼女は目玉が転がり落ちるんじゃないかってくらい目を見開いて俺を見た。
「あっ、さっきの人!」
「カバン、探してましたか?」
「はいっ!」
二人同時にカバンを差し出す。笑ってしまうほど同じネイビーの皮トートだ。目印になるようなものも何もつけていない。二人で大慌てで中身を確認し、ほぼ同時に安堵の溜息が漏れる。
「ごめんなさい、あたし、バッグの中身ばら撒いちゃって、気が動転してて」
「いえ、私の方こそすみません。これ、重かったでしょう?」
「はい、凄く重くて。でも全然気づかなくって、三軒茶屋の手前でやっと気づいて、慌てて戻って来たんです」
三軒茶屋? 田園都市線か。
「気づいて貰って良かった」
「読者感想欄に書いてくれたから気づいたんですよ、あれが無かったら一人でパニックになってたと思います」
読者感想欄?
「もしかして、あなた、榊アイさんですか?」
「はい」
そんなにあっさり認めていいのか? ちょっとこの人、個人情報杜撰すぎやしないか?
「あなたのアカウントは?」
「私は読み専なんで、アカウント言ってもわからないと思います」
「でも、感想残してくれたりしてるんでしょ? 教えて?」
言うのか? 嫌だな。でも、いちいち読み専のアカウントなんか覚えていないだろうな、人気投稿者だし。
「……藤森……です」
「ええっ!」
え、どういう反応なんだ、これ。
「今、時間ある?」
「は? ええ、まあ」
「来て」
「ちょ……」
何だか判らないが、彼女は俺の手首を摑んでどんどん歩いて行く。まさか交番に突き出されたりしないだろうな。
「どこ行くんですか」
「パフェ食べに行く」
「は?」
華奢な体からは想像がつかないほどのパワーで俺を引っ張るんだが、一体どこへ行くつもりなんだ? と思った矢先、彼女が唐突に振り返った。
「フジモリさん!」
「フジノモリです」
「ごめん、フジノモリさん、あたし、新宿詳しくないの。どこかイチゴパフェの食べられるところに連れてって! 奢るから」
「は?」
「早く!」
「あ、はい」
何故俺はあの榊アイとイチゴパフェを食いに行かなければならないんだ、という素朴な疑問を横に置いといて、とにかくあの榊アイと話ができるという幸運を満喫することに決めたのだ。
それから一時間半。やっぱり読者感想欄では気付かないか。
諦めて帰ろうか、警察に届けようか……でも相手が判っているんだし、警察よりサイトの運営に連絡した方がいいだろうか。
とにかく彼女が俺のカバンの中を見ていないことを祈ろう。いや、見ていてもいい、『アレ』さえ見られていなければ! あんなこっ恥かしいものを見られた日には、俺はもう東京湾に身を投げるしかない。勿論『アレ』と一緒にだ!
はぁ……。大きなため息をついて、ふと顔を上げる。急ぎ足で行き交う人、人、人。これだけの人間がいるんだ、奇跡に近いよなぁ。
新宿駅は一日の平均乗降客数が世界一でギネスに認定されている云わば魔窟、その中にあって、同じ時間に同じ場所にいて偶々ぶつかった相手があの『榊アイ』さんなんて、こんな偶然があるか? これは凄いラッキーと言うべきか、とんでもないアンラッキーと言うべきか。
いや待てよ? あの人も榊アイさんのファンで、気に入った一節をノートに書き写しただけかもしれない。もしそうだとすれば、ここで待っていたって絶対に来るわけないじゃないか。全然関係のない人にメッセージを残したことになるんだから! だとすれば、榊アイさんに迷惑がかかることになるんじゃないか?
俺は慌ててスマートフォンを取り出し、先程のメッセージを削除した。これで本人に何か迷惑がかかることは無いだろう。
帰るか。ここに居ても仕方なさそうだ。俺のカバンももしかしたら交番か忘れ物預かり所に届けられているかもしれない。
そう思って一歩踏み出したところに……居たのだ。さっきのあの女性が! 汗だくになりながらキョロキョロと辺りを窺うようにしている。もしかしてこのカバンを探しているんじゃ?
「あの……」
思わず駆け寄って声をかけると、彼女は目玉が転がり落ちるんじゃないかってくらい目を見開いて俺を見た。
「あっ、さっきの人!」
「カバン、探してましたか?」
「はいっ!」
二人同時にカバンを差し出す。笑ってしまうほど同じネイビーの皮トートだ。目印になるようなものも何もつけていない。二人で大慌てで中身を確認し、ほぼ同時に安堵の溜息が漏れる。
「ごめんなさい、あたし、バッグの中身ばら撒いちゃって、気が動転してて」
「いえ、私の方こそすみません。これ、重かったでしょう?」
「はい、凄く重くて。でも全然気づかなくって、三軒茶屋の手前でやっと気づいて、慌てて戻って来たんです」
三軒茶屋? 田園都市線か。
「気づいて貰って良かった」
「読者感想欄に書いてくれたから気づいたんですよ、あれが無かったら一人でパニックになってたと思います」
読者感想欄?
「もしかして、あなた、榊アイさんですか?」
「はい」
そんなにあっさり認めていいのか? ちょっとこの人、個人情報杜撰すぎやしないか?
「あなたのアカウントは?」
「私は読み専なんで、アカウント言ってもわからないと思います」
「でも、感想残してくれたりしてるんでしょ? 教えて?」
言うのか? 嫌だな。でも、いちいち読み専のアカウントなんか覚えていないだろうな、人気投稿者だし。
「……藤森……です」
「ええっ!」
え、どういう反応なんだ、これ。
「今、時間ある?」
「は? ええ、まあ」
「来て」
「ちょ……」
何だか判らないが、彼女は俺の手首を摑んでどんどん歩いて行く。まさか交番に突き出されたりしないだろうな。
「どこ行くんですか」
「パフェ食べに行く」
「は?」
華奢な体からは想像がつかないほどのパワーで俺を引っ張るんだが、一体どこへ行くつもりなんだ? と思った矢先、彼女が唐突に振り返った。
「フジモリさん!」
「フジノモリです」
「ごめん、フジノモリさん、あたし、新宿詳しくないの。どこかイチゴパフェの食べられるところに連れてって! 奢るから」
「は?」
「早く!」
「あ、はい」
何故俺はあの榊アイとイチゴパフェを食いに行かなければならないんだ、という素朴な疑問を横に置いといて、とにかくあの榊アイと話ができるという幸運を満喫することに決めたのだ。