第1話 カバン
俺は面食らっていた。カバンの中から出て来るものが何から何まで見覚えのないものばかりだったのだ。自分のカバンなのに、だ。
水玉模様のポーチ、ファスナー式のメッシュのペンケース、猫イラストのリングノート、十二色の色鉛筆……俺のものは一つも存在しない。
心当たりはあった。今をさかのぼる事わずか三十分前、駅で女性にぶつかったのだ。目の前を歩いていた女性が「あっ」と言って急に振り返り、咄嗟に止まれなかった俺は彼女と思い切りぶつかってカバンを落としてしまった。
女性の方が、持っていたショルダーバッグの中身をぶちまけてしまったため、俺はそれを拾うのを手伝い、平謝りに謝る彼女に「大丈夫ですから」と言ってそそくさとその場を後にしたのだ。
これはその女性のカバンじゃないのか? もしかすると、全く同じデザインのカバンを持ち歩いていたんじゃないだろうか?
女性の持ち物を検証するのは少々気が引けたが、とにかくこのカバンを相手に返さなければならない。何より自分のカバンを取り返さなくては。――あのカバンの中には、とても人様には見せられないような恥ずかしいものが入っているのだから!
まずは落ち着こう。手近なカフェに入り、隅っこの席に陣取る。すぐ横にある観葉植物にエアコンの風が当たってゆらゆらと気に障るが、なんだか人に見られてはいけないような気がするから隅っこの方が都合がいい。俺は用心深く周りを気にしながらカバンを開け、その中身を確認する。
先程ぶちまけたショルダーバッグの方は、どうやったらこれだけのものがここに収納されていたのかと疑問に思うほど大量のものが詰め込まれており、猫型ロボットの四次元ポケットを彷彿とさせてさえいたが、こちらのトートバッグはそこまでカオスではないようだ。
水玉ポーチの中は付箋やゴムスタンプが入っているだけ。ペンケースの中も水性ボールペンが六色とシャープペンシル、定規が一本。十二色の色鉛筆は確かに箱と中身が一致している。あとはこの猫イラストのリングノート。他人様の手帳やノートを見るのは申し訳ない気分になるが、手掛かりがここになければもうどうしようもない。
意を決してノートを開いた俺の目に飛び込んできたのは、水色の色鉛筆で書かれた思いがけない文字列だった。
『ラムネの瓶の色をもっともっと淡くしたような色。それは春の光にも似て優しく、池に張った氷のように冷たくて……』
――ちょっと待て。俺はこの文章を知っている。とてもよく知っている。何故これがここに?
はやる気持ちを抑えてスマートフォンを立ち上げ、いつもの小説投稿サイトを開く。榊アイ――連載を追いかけている女性投稿者だ。彼女の連載中のエッセイ『あたしのお気に入り』を開く。第四話だ。あった。
大好きな色があるの。
ラムネの瓶の色をもっともっと淡くしたような色。
それは春の光にも似て優しく、池に張った氷のように冷たくて。
『甕覗』っていうんだって。難しい字。くふ。
――『甕覗』という言葉が追加されている。あれから改稿したのか。
今度は読者感想ページを開く。高鳴る鼓動を抑えつつ、一文字ずつ注意深く入力していく。
「カバン、失くしませんでしたか? もしも失くしていたら、さっきの場所に今すぐにいらしてください」
俺は面食らっていた。カバンの中から出て来るものが何から何まで見覚えのないものばかりだったのだ。自分のカバンなのに、だ。
水玉模様のポーチ、ファスナー式のメッシュのペンケース、猫イラストのリングノート、十二色の色鉛筆……俺のものは一つも存在しない。
心当たりはあった。今をさかのぼる事わずか三十分前、駅で女性にぶつかったのだ。目の前を歩いていた女性が「あっ」と言って急に振り返り、咄嗟に止まれなかった俺は彼女と思い切りぶつかってカバンを落としてしまった。
女性の方が、持っていたショルダーバッグの中身をぶちまけてしまったため、俺はそれを拾うのを手伝い、平謝りに謝る彼女に「大丈夫ですから」と言ってそそくさとその場を後にしたのだ。
これはその女性のカバンじゃないのか? もしかすると、全く同じデザインのカバンを持ち歩いていたんじゃないだろうか?
女性の持ち物を検証するのは少々気が引けたが、とにかくこのカバンを相手に返さなければならない。何より自分のカバンを取り返さなくては。――あのカバンの中には、とても人様には見せられないような恥ずかしいものが入っているのだから!
まずは落ち着こう。手近なカフェに入り、隅っこの席に陣取る。すぐ横にある観葉植物にエアコンの風が当たってゆらゆらと気に障るが、なんだか人に見られてはいけないような気がするから隅っこの方が都合がいい。俺は用心深く周りを気にしながらカバンを開け、その中身を確認する。
先程ぶちまけたショルダーバッグの方は、どうやったらこれだけのものがここに収納されていたのかと疑問に思うほど大量のものが詰め込まれており、猫型ロボットの四次元ポケットを彷彿とさせてさえいたが、こちらのトートバッグはそこまでカオスではないようだ。
水玉ポーチの中は付箋やゴムスタンプが入っているだけ。ペンケースの中も水性ボールペンが六色とシャープペンシル、定規が一本。十二色の色鉛筆は確かに箱と中身が一致している。あとはこの猫イラストのリングノート。他人様の手帳やノートを見るのは申し訳ない気分になるが、手掛かりがここになければもうどうしようもない。
意を決してノートを開いた俺の目に飛び込んできたのは、水色の色鉛筆で書かれた思いがけない文字列だった。
『ラムネの瓶の色をもっともっと淡くしたような色。それは春の光にも似て優しく、池に張った氷のように冷たくて……』
――ちょっと待て。俺はこの文章を知っている。とてもよく知っている。何故これがここに?
はやる気持ちを抑えてスマートフォンを立ち上げ、いつもの小説投稿サイトを開く。榊アイ――連載を追いかけている女性投稿者だ。彼女の連載中のエッセイ『あたしのお気に入り』を開く。第四話だ。あった。
大好きな色があるの。
ラムネの瓶の色をもっともっと淡くしたような色。
それは春の光にも似て優しく、池に張った氷のように冷たくて。
『甕覗』っていうんだって。難しい字。くふ。
――『甕覗』という言葉が追加されている。あれから改稿したのか。
今度は読者感想ページを開く。高鳴る鼓動を抑えつつ、一文字ずつ注意深く入力していく。
「カバン、失くしませんでしたか? もしも失くしていたら、さっきの場所に今すぐにいらしてください」