第43話 解雇

 翌日、あたしはどんな顔をして兄弟の前に出たらいいのかわからなくて、ずっと部屋に閉じこもったままだった。メグル君がお昼頃に「ご飯できたよ」って声をかけてくれたけど、あたしは食欲が全然無くて、せっかく作ってくれたのに「食べたくない」って言ってしまった。

 夕方近くになっても出てこないあたしを心配したのか、メグル君がまたやってきた。

「ねえ、ちょっと入っていい?」
「うん」

 ベッドに座るあたしの横に当たり前のように腰かけたメグル君が、「あの……」と言い難そうに口を開く。

「昨日の事はさ、綺羅ちゃんの長い人生の中のほんの一瞬の事だと思うんだ。もっとずっと大人になってから『あんなことがあったよね』って笑い話にできる日が来ると思うんだ」
「うん」
「だからさ、気持ち切り替えて行こうよ」
「友華ちゃん」
「え?」

 あたしはずっと気になっていた名前を、何の前振りもなく出してみた。当然だけどメグル君は狼狽えて目が泳ぎまくってる。

「あの写真、友華ちゃん知ってたの?」
「ああ……ええと、知らなかったらしい。授賞式で初めて知ったって」

 メグル君の話では、友華ちゃんは授賞式の中で『被写体は風間巡ではないのか』と聞かれて初めて気づいたのだそうだ。だけど友華ちゃんは大人だった。咄嗟に笑顔で「さあ、誰でしょう。内緒です」と切り返したとか。

「僕、あれから友華ちゃんにきちんと説明したんだ。あれは綺羅ちゃんが神代エミリー先生の挑戦を受けた直後で、それで僕が気晴らしに遊園地に誘ったんだって。その帰りに、僕が一方的に綺羅ちゃんにキスしただけで、綺羅ちゃんには全然見向きもされてないんだってちゃんと言った。そしたら友華ちゃん、『今度誰かに聞かれて誤魔化せなくなった時は、風間巡にモデルを頼んだってことにしていいですか』って言ってくれたんだ。僕がモデルを頼まれたことにすれば、僕も綺羅ちゃんも誰にも責められることが無い。彼女なりに気を使ってくれたんだ」

 友華ちゃん、なんていい人なんだろう。あれだけあたしにいろいろ相談してくれて、それなのにそのあたしがメグル君とキスなんかして、きっと凄いショックだったに違いない。そんなあたしとメグル君をさりげなくフォローしてくれて。

「ねえ、綺羅ちゃん。友華ちゃんもああやって切り替えて来てる。綺羅ちゃんも切り替えて行こう」
「あたしマネージャーの方が向いてる気がしない?」
「え? 漫画家じゃなくて?」
「うん」

 メグル君、何を言うのかと思ったら、クスッと笑ってあたしの顔をまじまじと見た。

「しない。ちゃんと漫画家になりなよ」
「最近マネージャーの方が楽しくなってきちゃった。漫画描いてるよりそっちの方が充実してる気がする」
「そうかな? 綺羅ちゃん、自分から逃げようとしてるだけじゃないかな」

 逃げようとしてる? あたしが?

 メグル君が「さて」と立ち上がった。部屋を出ようとしてドアノブに手をかけたところで、ふとあたしの方を振り返る。

「ねえ、今日クリスマスイブだよ。あとで一緒にケーキ買いに行こう。イチゴたっぷりのヤツ。あとチキンもね」

 それだけ言うと、彼は部屋を出て行った。
 そうか、二十四日ってクリスマスイブか。ケーキの気分じゃないよ。今年は神代先生との対決で頭がいっぱいで、そんなことすっかり忘れてたよ。プレゼントも準備してないよ。

 それより、ずっとこうしてるわけにはいかないよね。あたしは自分の身の振り方を考えないといけない。いつまでも閉じこもっていても何も解決しない。
 メグル君はあたしが逃げようとしてるだけって言うけど、やっぱり漫画家には向いてないような気がする。カオルさんはあたしの弱点をきっちり指摘してくれたけど、なんか弱点が多すぎて潰していける気が全くしない。

 あたしが小学生のころから温めて来たストーリー、あたしは綺麗なシーンしか想像してなかった。そのつなぎの部分を全然考えていなかったんだ。自分の描きたいシーンだけを勝手に想像して、そこだけ夢見てたんだ。写真のように、断続的に。だからストーリーが唐突で脈絡が無くて、共感できないんだ。
 エミリー先生はそのつなぎの部分こそ、しっかりと描き込んでた。だから読んでいて切ないんだ。そんなこともわからなかったんだ、あたしは。

 行こう。あたしはこのままじゃいけない。ちゃんと自分の進む方向を修正しないと。
 あたしがドアを開けると、メグル君が「今から行くの? 随分急だね」って驚いた顔してる。

「違う」

 あたしはメグル君の横を通り過ぎ、カオルさんの前に立った。

「あたし、漫画家でやって行く自信が無くなりました。カオルさんにお願いがあります。アシスタントを解雇して、専属マネージャーとして雇ってください」
「えっ、ちょっと綺羅ちゃん、違うだろ」

 慌てるメグル君とは正反対に、カオルさんは飲んでいたコーヒーをテーブルの上に戻すと、あたしを一瞥して一言だけ言った。

「断る」
「ちょっ、カオル」
「俺にマネージャーは要らん。漫画を描かないなら出ていけ」
「おい、待てって、カオル!」
「そういう契約だ。俺は漫画のアシスタントを雇ったんだ」
「だからってそんな」
「お前には関係ない」
「関係なくなんか無いよ、綺羅ちゃんは家族なんだから」
「綺羅は俺の雇われアシスタントだ。契約書がある。読むか?」

 そうだ、あたしは雇われている身なんだ。雇い主は労働に対する対価を払うべきであって、働かない奴なんか置いておく意味が無い。

「わかりました。出て行きます」
「ちょっと綺羅ちゃん待って。そうじゃないよ、そうじゃなくてさ。あ、じゃあ、こうしようよ。僕のマネージャーとして雇えばいいだろ」
「俺がお前のマネージャーを雇う意味が解らん。お前は何のために経営学科にいるんだ」
「そういう話じゃないだろ」
「そういう話だ。お前がモデルで稼げるなら、その収入で綺羅を養え」
「はあああ?」
「いいか、俺は綺羅を養ってるんじゃない、雇ってるんだ。働かない労働者を解雇するのは雇い主の自由だろう。お前の事は養ってるつもりだが、お前が俺に養って貰わなくても食っていけるというなら、ここを出て自分で生活すれば、好きなように綺羅を雇うことができるぞ」

 カオルさんとメグル君の会話を聞きながら、あたしは自分の部屋でコートを羽織り、マフラーを巻いてポケットにお財布を入れてきた。

「今までお世話になりました。ありがとうございました」
「あ、ちょっと、綺羅ちゃん!」

 あたしはカオルさんに頭を下げると、引き留めるメグル君を振り払ってそのまま風間家を出た。