第20話 風間家大激変

 二月に入った。あれからメグル君は学校に通いながらも、順調にモデルの仕事もこなしているようだ。
 モデルを始めてから服装が変わるんじゃないかと思ってたけど、その辺はさすが『骨の髄まで貧乏人』風間家のDNA、今まで通り六百円のTシャツに千二百円のパーカーなんてカッコで出歩いてる。まあ、彼が着ればなんでもカッコよく見えるんだけど。

 あたしの方も、もう一度カオルさんの作品を全部読んで勉強し直した。
 カオルさんの作品を読んだ後に、自分の作品を読み直して気づいたことがあったんだ。あたしのは展開が唐突なうえに無理やりっぽいんだ。あたしがそういう展開に持って行きたいっていうのがモロバレで、読んでいてつまらないって言うか白けちゃう。
 その点、カオルさんのは流れが自然でシーンに説得力がある。作者の無理やり感が無い。流石だ。
 あたしは再び一からプロットを練り直し、自分で十分納得のいくストーリーを考えてから、カオルさんにもう一度読んで貰った。
 今度の評価は上々だった。このプロットでネームを作ってみろと言われた。これはゴーサインってことだよね、カオルさん!

 さらに二月末になると、カオルさんが一年前に連載していた作品『よんよんまる』にアニメ化の話が舞い込んできた。BLなのにアニメ化なんかしちゃっていいの? なんて思ったけど、確かにカオルさんの言う通りセックスシーンがあるわけでも無し、キスシーンすらないんだから、今どきのアニメの中では大人しい方かもしれない。
 それにしてもアニメだよ? あのカオルさんの線の細い綺麗な絵が、生きて動いちゃうんだよ? 声優さんが声当てるんだよ? なんか凄い。これが売れっ子なんだ。こんなことが起こり得るんだ。

 カオルさんは一躍『時の人』となり、あたしはアシスタント兼マネージャーという位置づけになった。それでも相変わらず「俺は顔出しNG」と一言でバッサリなカオルさんは、テレビ出演も雑誌の写真も一切断り、文字だけのインタビューには応じるという姿勢を崩さないので、マネージャーとしてはやりやすくはあった。
 そんなわけで、三月に入るころにはあたしもすっかり慣れて、カオルさんと二人三脚の対応がスムーズになってきた。

 その頃にはメグル君の方も可愛い系イケメンモデルとして注目を浴びるようになり、何度かテレビ出演するほどになっていた。
 僅か一か月半で、あっという間に風間兄弟を取り囲む環境がひっくり返ってしまった。あたしだけが置いてけぼりを食った感じだ。それでも、毎日がお祭り騒ぎのメグル君と違って、何があっても通常運転のカオルさんの存在は、あたしにとって心の落ちつく場所になって行った。
 多忙を言い訳にしないカオルさんと一緒にいると、自分も自然とそうなってくる。ドタバタしながらも、あたしの作品も順調に仕上がって行き、ネームにOKを貰ったあたしは本格的な作画に入っていた。

 三月の中頃、アニメの方のスタッフとの顔合わせがあるということで、あたしはマネージャーとしてカオルさんに同行した。
 アニメ制作のプロデューサーさんと、出版社の担当さん、あたしとカオルさんという少人数での顔合わせだ。場所もアニメ制作会社の会議室。
 そこでいろいろ細かい打ち合わせと契約内容などについて話があり、サクッと一時間ほどで終わったんだけど……。
 帰り際に出版社の担当の女性がカオルさんに小声で「あとで二人で会えない?」って言ったのが聞こえたんだ。カオルさんは「すみませんが」って断ったんだけど、その後をあたしは聞き逃さなかったのだ。

「薫君、私を忘れたの?」

 カオルさんは彼女を一瞥すると「綺羅、帰るぞ」って問答無用でその場を後にしたのだ。あたしにどうしろと?
 仕方ないので、あたしは何も聞かなかったふうを装って、その担当さんにめっちゃ笑顔で挨拶して慌ててカオルさんの後を追った。カオルさんはそのまま振り返りもせずにまっすぐ駅まで凄まじい速足で歩き、電車に乗るころにはあたしは精神的にも肉体的にもフラフラのヘロヘロになっていた。

「すまん」

 電車に乗って開口一番、カオルさんは申し訳なさそうにあたしに謝った。

「い、いえ、全然」

 全然ヤバかったです。こういう時の大人な対処の仕方、あたしはまだ知りません。

「あの……出版社の担当の人、知り合いなんですか?」
「知らん。初対面だ。担当が変わったからな」

 そう言ってる間も、周りの乗客(特に女性)の視線が痛い。顔の前に落ちてきた髪の毛を耳にかける仕草が壮絶に色っぽい。カオルさん美しすぎだ、少しでいいから自覚しろ。

「ああいうの、多いんですか? 初対面の癖に昔からの知り合いみたいなふりして誘ってくる人」
「あんなのばっかりだ。だから外出は嫌いなんだ」

 美形も大変だな……。良かった、あたしはパッとしないヴィジュアルで。

「メグみたいにサラッと躱すことができない性格だからな、俺は」
「メグル君、そういうの上手ですよね。相手の気分を害さずに上手に断って。大人だなぁ」
「俺が昔からこんなだから、メグが周りに気を遣うようになったんだ。あいつには悪いと思ってるんだが。俺もメグくらい上手く立ち回れればいいんだが、この性格はどうにもならん」

 へえ……そうなんだ。メグル君がカオルさんに対してのコンプレックスを持ってるって、カオルさんは知らないんだろうか。

「またこんなことがあるかもしれない、申し訳ないとは思ってるんだが」
「いえっ、全然OKです! どっからでもかかって来いです」

 あたしがガッツポーズをして見せると、カオルさんがふんわりと微笑んだ。その破壊力の凄まじさと言ったら! 周りの乗客たちから一斉にため息が漏れたくらいだ。みんなどんだけカオルさんを見てんのよ……。

「そんなことより、家に帰ったらそろそろ綺羅の作品の最終チェックをしないとな。だいぶ出来上がってるんだろう?」
「はい。今回は自信あります。まだベタもトーンもかかってないんですけど、ペン入れはほぼ終わってます」
「じゃ、帰りにドーナツ買っていくか」
「はいっ!」

 あたしたちはいつものように、メグル君のチョコドーナツと、あたしのクリームドーナツと、カオルさんのクルミの入った味気ない焼きドーナツを買って帰った。