第19話 綺羅の弱点
初詣から二週間くらい経って、あの日にインタビューを受けた男性ファッション誌の編集さんが我が家にやって来た。インタビュー内容の確認かと思ったらそうじゃなかった。もう雑誌は刷り上がってて、発売前日に届けに来てくれたのだ。
こういう出版社ってインタビューした相手にちゃんと届けて回るんだな、大変だな……と思ったら、実はそうじゃなかった。挨拶に来た人は、先日の記事の担当さんじゃなかったのだ。
中嶋さんと名乗った担当さんは、挨拶もそこそこに切り出した。
「単刀直入に申し上げます。風間さんご兄弟には当方B-MENの専属モデルになっていただけないものかというご相談に伺いました」
「そうですか、丁重にお断りさせていただきます」
はいいいいい?
カオルさん、一刀両断、冷酷非情、即断即決! 頭を下げる担当さんのド正面から、バッサリ一言で切り捨てた。
「あの、何故でしょうか? どこか他社と契約なさってますか?」
「いえ」
「B-MENでは物足りない?」
「そんなことはありません」
「何か不安要素でも?」
「別に」
「じゃあ、何故?」
前のめりになる担当さんに対して、まるでやる気の欠片も見えないカオルさんは、眼鏡のフレームをついと上げるとテーブルの上で手を組んだ。
「私は漫画家です。漫画以外で収入を得ることはできません」
「漫画を描く片手間に、バイト感覚でちょっと撮影に参加していただけばいいんですよ」
「モデルってそんなに簡単なものですか? 言っておきますが漫画はそんなに簡単なものではありません。モデルもそんなに単純なものとは思えませんが」
「あ、いや、まあそうですけど」
歯切れが悪くなった中嶋さん、それでももう一度顔を上げた。
「ですが、B-MENは現在、二十代のオシャレな男性のバイブルとまで言われています。ここでモデルをやるという事は、芸能界のアイドルよりも……」
「私は漫画家なので。私の話は終わりました、後はメグルでも説得してください。仕事がありますので失礼」
それだけ言うと、カオルさんは自室に引っ込んで仕事を始めてしまった。と言っても、ドアは万年開放状態だから丸見えなんだけど。
あたしはカオルさんのそばへ行って、小声で話しかけた。
「いいんですか? B-MENって言ったらすっごい有名ですよ」
「俺はお前に条件を出した。『漫画以外では稼ぐな』と。逃げ道を作るなと言った俺がそれをやると思うか?」
ご尤もでございます。
「メグル君がやりたいって言ったらどうするんですか?」
「あいつのバイトだ、好きにすればいい」
まあ、そうですけど……。
如何ともしがたい気持ちのまま戻ってみると、担当さんとメグル君はもう話がほとんどついていた。
「ではまた近いうちに契約内容その他、細かいお話に伺いますので」
「はーい。がんばりまーす」
「それでは失礼します、薫さん、お邪魔致しました」
「あ、僕、そこまで送ります」
二人で出て行ってしまった。どうやらメグル君はモデルをやることにしたらしい。まあ、そうだよね。あれだけのイケメンだもん、モデルでもやらなきゃ勿体ないよ。
でも、カオルさんも勿体ないな。あんなに美形なのに。あーあ、勿体ない。
なんて思ってたら、当の美形から声がかかった。
「綺羅、自分の作品はどれくらい進んでる?」
「あ、はい、今ネームまで来てます」
「四月末締め切りの新人賞、出す気あるか?」
四月末か。今、一月中旬、三か月半。
「出します」
カオルさんは椅子ごとくるっとこっちを向いた。あの萌え眼鏡と目が合う。
「じゃ、そろそろ本気出せ。三月末までに仕上げるつもりでやらないと間に合わない。今の段階で一度プロット見せてみろ。現段階までのネームもな。ダメ出ししてやる」
えっ! ほんと?
「ありがとうございます、お願いします!」
「その間、綺羅は俺の方の仕上げをやっておけ」
「はいっ!」
あたしは意気揚々とカオルさんの作品の仕上げに取り掛かった。
二時間後、あたしはメグル君の作る夕食の匂いに腹の虫を刺激されながらも、カオルさんと頭を突き合わせていた。
「ここ。このシーンに二人のキスは必要か?」
「え、だってここでキスしなかったらどこでするんですか?」
「そうじゃない、ここで必要かと聞いてる」
「だって他にするとこ無いし」
「意味わからんか」
「えええ?」
何を言われてるのかわかんない。ここ以外でキスにつながるシーンが存在しない。
「綺羅、ちょっと頭が固くなってるな。メグわかるか」
フライパンを振っていたメグル君が「ん~?」とこっちを向く。
「見てないから何とも言えないけど、話だけ聞いてると、綺羅ちゃんはどうしてもキスシーンが入れたいみたいだよね。でもカオルはキスシーンそのものが必要ないんじゃないかって言ってるんだよね?」
「正解」
え? 恋愛モノなのに?
「綺羅、俺の作品、全部読んでるって言ったな?」
「はい」
「キスシーン、あったか?」
えっ? キスシーン? キスシーン……。
あれ? 無いかも!
「BLなら必ずキスシーンがあると思ってないか? 男同士のセックスシーンがあって当たり前だと思ってないか?」
「思ってます」
「俺のにはそんなシーンは無いぞ」
言われてみれば、無い。
「先入観に囚われ過ぎだ。男同士のセックスシーンなんか喜ぶのは腐女子だけだ。だが、俺の作品に食いついてる読者は腐女子だけじゃない、普通の女性たちが多い。お前気づいてないのか、俺が描いてるのはBLの仮面を被った『女性向け恋愛作品』なんだが」
「えええええっ?」
言われてみれば。
キャラの内面重視でエロシーンは殆ど無い。セックスどころかキスもしない。なのになんだか艶めかしい。そこにあるのは純粋な恋愛感情だけだ。普通の恋愛モノと違うのは、それが『男同士』ということだけだ。
そう考えると、普通の恋愛モノと何も変わらないじゃないか。
「俺の作品はエロくないか?」
「エロシーン、全然無いです。でもなんだかエロい。どうして? どれだけ考えても、エロいことなんにもしてないのに。どうなってるの?」
カオルさんはニヤリと笑うと「キモチだよ」と一言だけ言って、出来上がったハンバーグを運ぶのを手伝い始めてしまった。
キモチ。気持ち次第でエロくないシーンがエロく見える。えーっ、なんで?
「綺羅はそこをクリアしたら面白い作品が描ける。アクションに頼りすぎるな」
「とにかくご飯食べよう。カオルも綺羅ちゃんも、話の続きはご飯の後でね」
あたしは悶々としたまま、夕食をとった。
初詣から二週間くらい経って、あの日にインタビューを受けた男性ファッション誌の編集さんが我が家にやって来た。インタビュー内容の確認かと思ったらそうじゃなかった。もう雑誌は刷り上がってて、発売前日に届けに来てくれたのだ。
こういう出版社ってインタビューした相手にちゃんと届けて回るんだな、大変だな……と思ったら、実はそうじゃなかった。挨拶に来た人は、先日の記事の担当さんじゃなかったのだ。
中嶋さんと名乗った担当さんは、挨拶もそこそこに切り出した。
「単刀直入に申し上げます。風間さんご兄弟には当方B-MENの専属モデルになっていただけないものかというご相談に伺いました」
「そうですか、丁重にお断りさせていただきます」
はいいいいい?
カオルさん、一刀両断、冷酷非情、即断即決! 頭を下げる担当さんのド正面から、バッサリ一言で切り捨てた。
「あの、何故でしょうか? どこか他社と契約なさってますか?」
「いえ」
「B-MENでは物足りない?」
「そんなことはありません」
「何か不安要素でも?」
「別に」
「じゃあ、何故?」
前のめりになる担当さんに対して、まるでやる気の欠片も見えないカオルさんは、眼鏡のフレームをついと上げるとテーブルの上で手を組んだ。
「私は漫画家です。漫画以外で収入を得ることはできません」
「漫画を描く片手間に、バイト感覚でちょっと撮影に参加していただけばいいんですよ」
「モデルってそんなに簡単なものですか? 言っておきますが漫画はそんなに簡単なものではありません。モデルもそんなに単純なものとは思えませんが」
「あ、いや、まあそうですけど」
歯切れが悪くなった中嶋さん、それでももう一度顔を上げた。
「ですが、B-MENは現在、二十代のオシャレな男性のバイブルとまで言われています。ここでモデルをやるという事は、芸能界のアイドルよりも……」
「私は漫画家なので。私の話は終わりました、後はメグルでも説得してください。仕事がありますので失礼」
それだけ言うと、カオルさんは自室に引っ込んで仕事を始めてしまった。と言っても、ドアは万年開放状態だから丸見えなんだけど。
あたしはカオルさんのそばへ行って、小声で話しかけた。
「いいんですか? B-MENって言ったらすっごい有名ですよ」
「俺はお前に条件を出した。『漫画以外では稼ぐな』と。逃げ道を作るなと言った俺がそれをやると思うか?」
ご尤もでございます。
「メグル君がやりたいって言ったらどうするんですか?」
「あいつのバイトだ、好きにすればいい」
まあ、そうですけど……。
如何ともしがたい気持ちのまま戻ってみると、担当さんとメグル君はもう話がほとんどついていた。
「ではまた近いうちに契約内容その他、細かいお話に伺いますので」
「はーい。がんばりまーす」
「それでは失礼します、薫さん、お邪魔致しました」
「あ、僕、そこまで送ります」
二人で出て行ってしまった。どうやらメグル君はモデルをやることにしたらしい。まあ、そうだよね。あれだけのイケメンだもん、モデルでもやらなきゃ勿体ないよ。
でも、カオルさんも勿体ないな。あんなに美形なのに。あーあ、勿体ない。
なんて思ってたら、当の美形から声がかかった。
「綺羅、自分の作品はどれくらい進んでる?」
「あ、はい、今ネームまで来てます」
「四月末締め切りの新人賞、出す気あるか?」
四月末か。今、一月中旬、三か月半。
「出します」
カオルさんは椅子ごとくるっとこっちを向いた。あの萌え眼鏡と目が合う。
「じゃ、そろそろ本気出せ。三月末までに仕上げるつもりでやらないと間に合わない。今の段階で一度プロット見せてみろ。現段階までのネームもな。ダメ出ししてやる」
えっ! ほんと?
「ありがとうございます、お願いします!」
「その間、綺羅は俺の方の仕上げをやっておけ」
「はいっ!」
あたしは意気揚々とカオルさんの作品の仕上げに取り掛かった。
二時間後、あたしはメグル君の作る夕食の匂いに腹の虫を刺激されながらも、カオルさんと頭を突き合わせていた。
「ここ。このシーンに二人のキスは必要か?」
「え、だってここでキスしなかったらどこでするんですか?」
「そうじゃない、ここで必要かと聞いてる」
「だって他にするとこ無いし」
「意味わからんか」
「えええ?」
何を言われてるのかわかんない。ここ以外でキスにつながるシーンが存在しない。
「綺羅、ちょっと頭が固くなってるな。メグわかるか」
フライパンを振っていたメグル君が「ん~?」とこっちを向く。
「見てないから何とも言えないけど、話だけ聞いてると、綺羅ちゃんはどうしてもキスシーンが入れたいみたいだよね。でもカオルはキスシーンそのものが必要ないんじゃないかって言ってるんだよね?」
「正解」
え? 恋愛モノなのに?
「綺羅、俺の作品、全部読んでるって言ったな?」
「はい」
「キスシーン、あったか?」
えっ? キスシーン? キスシーン……。
あれ? 無いかも!
「BLなら必ずキスシーンがあると思ってないか? 男同士のセックスシーンがあって当たり前だと思ってないか?」
「思ってます」
「俺のにはそんなシーンは無いぞ」
言われてみれば、無い。
「先入観に囚われ過ぎだ。男同士のセックスシーンなんか喜ぶのは腐女子だけだ。だが、俺の作品に食いついてる読者は腐女子だけじゃない、普通の女性たちが多い。お前気づいてないのか、俺が描いてるのはBLの仮面を被った『女性向け恋愛作品』なんだが」
「えええええっ?」
言われてみれば。
キャラの内面重視でエロシーンは殆ど無い。セックスどころかキスもしない。なのになんだか艶めかしい。そこにあるのは純粋な恋愛感情だけだ。普通の恋愛モノと違うのは、それが『男同士』ということだけだ。
そう考えると、普通の恋愛モノと何も変わらないじゃないか。
「俺の作品はエロくないか?」
「エロシーン、全然無いです。でもなんだかエロい。どうして? どれだけ考えても、エロいことなんにもしてないのに。どうなってるの?」
カオルさんはニヤリと笑うと「キモチだよ」と一言だけ言って、出来上がったハンバーグを運ぶのを手伝い始めてしまった。
キモチ。気持ち次第でエロくないシーンがエロく見える。えーっ、なんで?
「綺羅はそこをクリアしたら面白い作品が描ける。アクションに頼りすぎるな」
「とにかくご飯食べよう。カオルも綺羅ちゃんも、話の続きはご飯の後でね」
あたしは悶々としたまま、夕食をとった。