第11話 酢の物

 昼食後、あたしはカオルさんのパソコンを借りて、神代先生にパクられた(と思われる)ストーリーを書き綴った。
 あらすじみたいなものと設定だけだったけど、それでも結構なボリュームになった。夢中になりすぎて、カオルさんに呼ばれるまで外が暗くなったことにさえ気づかずにひたすら打ち込んじゃってた。
 呼ばれてリビングに行ってみたら、もうとっくにメグル君も帰って来ていて、夕食の準備まで済んでいて、どれだけ夢中になってたんだか自分で呆れてしまう。

「今日はカオルが作ったから、煮物ばっかしだけど、和食は好き?」

 リビングのテーブルで箸を準備していたメグル君が、声をかけてくれる。

「うん、大好き。あたし、嫌いなものって無いの。食べたこと無いのはあるけど。ナマコとかホヤとか」

 メグル君がアハハと声をあげて笑う。今日は赤いパーカー着てて、それがすっごい似合ってる。朝もこれ着てたっけ? あたしどれだけ寝ぼけてたんだろう。

「ナマコなんか我が家の食卓には上がらないよ。僕が作ると洋食系になるけど、カオルが作ると和食寄りになるんだ。綺羅ちゃんは何系?」

 げっ、お料理全然得意じゃないよ……。

「いいから二人とも座れ。食うぞ」

 カオルさんの一言で、みんなで席について手を合わせる。

「いただきまーす!」

 あー、幸せ、何度でも幸せ、この夕食の感じ。
 そして、確かにカオルさんは和食だった。里芋の煮っころがしに焼き魚。きんぴらごぼう、タコとワカメの酢の物。お豆腐のお味噌汁。お昼も親子丼だったし。
 メグル君はハンバーグとかオムライスとかカレーとかそんなのが得意なのかな。

「はふっ、里芋おいふぃへふ、あふあふ」
「大丈夫?」
「はふぅ、あふい!」

 めちゃめちゃ美味しい。これもめんつゆ駆使して作ったんだろうか。

「綺羅、進捗の方はどうだ?」
「ふぁい、今夜中には終わります」
「今夜中というのは二十三時五十九分までか? それとも明日の夜明けまでか?」

 あ、そこ大切なのか。そうだよねカオルさんの部屋で作業してるんだから。っていうか、カオルさんのパソコン使ってんだから、あたしがやってる間は彼は仕事ができないわけじゃん!

「日付が変わるまでにやっつけます!」
「睡眠不足ではいい仕事はできない。日付が変わるまでに終わらなかったら、続きは明日に回して寝ろ」
「はい」

 なんて言いながらも箸は止めない。きんぴらごぼうもワカメの酢の物もめっちゃ美味しい。なんか酢の物自体が食べるの数年ぶりだよ。実家出てから酢の物なんて食べてなかったよ。

「酢の物、結構作るんですか?」
「ん? ああ、そうだな。俺は酢の物が好きなんだ」
「あたし、高校以来です。久しぶりに食べたら凄く美味しいです」
「そうか、それは良かった」

 それだけか……まあ、いいけど。誉め言葉にあんまり反応しないな、カオルさん。

「また作ってやるよ」

 え! 反応した! しかも「よ」がついた! きゃー嬉しい!

「すっごい嬉しそうだね綺羅ちゃん、カオルの酢の物気に入ったの?」
「うん! 美味しい!」

 本当は酢のものじゃなくて、カオルさんの『よ』が嬉しかったんだけど、そこは黙っておこう。

「綺羅ちゃんってさ、すぐに顔に出るから可愛いよね」

 えーもう、メグル君てばそういうこと言われると本気にしちゃうよ。なんだかな、この兄弟って対照的過ぎる。ヴィジュアルも、性格も。

「ところで、あたしがあれを打ち込んでる間って、カオルさんは仕事できないんじゃないですか?」

 カオルさんが(アジ)をつつきながら、「いや」と答える。

「パソコンが使えなくても大丈夫。今は構想を練っているところだから。まあ、何日も続くと困るけどな。かといっていい加減な仕事は許さない。やるときはきちんとやれよ?」
「勿論です! 日付が変わるまでに完璧な仕事しますから!」

 カオルさんがふと顔を上げて、思い立ったように付け加えた。

「今日中に仕事が終われば、明日は今日の代休で休みにしてやるぞ」
「え、ほんとですか?」
「綺羅ちゃんさ、僕、明日授業無いんだけど、一緒にどっか遊びに行かない?」
「行く行く! ここ数日の鬱憤晴らしたい!」

 思わずソッコー返事しちゃったけど、カオルさんの許可取ってなかった。

「じゃあ、二人で行ってこい。軍資金は後でやる」
「え、カオルさん行かないんですか?」

 彼は静かにお味噌汁を啜ると、ゆっくりお椀を置いた。

「俺はあまり外出は好きじゃない」
「カオルは美形だからさ、すれ違う女の人が百パーセント振り返るのがウザイんだよねー」
「余計な事言わなくていいから行先決めろ。軍資金やらんぞ」
「え、軍資金? 綺羅ちゃんどこ行きたーい?」

 メグル君の代わり身の速さと言ったら。でもそうだろうな、これだけ美形だったら道行く人がみんな振り返っちゃうよね。こんなにイケメンなメグル君が目立たないんだもん。っていうか、あたし今『逆ハーレム』に近いじゃん!

「えっと、遊園地に行きたい。絶叫マシンに乗って、どさくさ紛れに喚き倒してくる」
「パクるなー……とか?」

 メグル君が大爆笑してるけど、あたしには結構死活問題なのだ。いつも嫌なことがあると、言いたくても言えないようなことを絶叫マシンに乗って大声で叫ぶんだ。

「明日はゆっくり遊んで来い。日付の変わらない時間に帰ってくれば、どれだけ遊んでいてもいい」
「綺羅ちゃん、一杯飲んでくるか!」
「えー、あたしを酔わせてどうするのー」
「勿論お持ち帰りー」
「それ普通じゃん。ここに帰ってくるんだから」

 そこにカオルさんの鋭いツッコミが。

「一昨日、酔っぱらった綺羅を死ぬ思いで連れ帰ったの、どこのどいつだ?」
「あ、忘れてた」
「ごめんなさーい」
「じゃあ、頑張って今夜中に終わらせないとね」
「うん、頑張ります」

 たった二日で。あんなにどん底に落ちたのに、たったの二日でこんなに笑えるようになってしまった。
 ちょっと怖いけど頭の回るカオルさんと、優しくて機転の利くメグル君、そしてここで三人で囲む食卓。彼らとこの部屋が、道を誤りそうだったあたしを漫画家への道に修正してくれた。
 この家にいたらきっと何もかもが順調に運ぶ、少なくとも今までよりはずっとずっと良くなる、そう思えた。