薄幸少女を異世界勇者が幸せにします!

 オレの名はジーク・ハルト。

 魔王少女ワルプルギスを倒した異世界の勇者だ。
 まぁ、倒したと言ってもアイツはすぐに復活するのだが。

 魔王少女の二つ名は"不死の魔王"、
 闘って悟った事だが、その名に偽りは無かった。


 世界を数回は破壊することができる大魔法、
 原子を破壊する剣技を駆使しても消滅させられない存在、
 それが魔王少女ワルプルギスだ。


 俺は命をかけた闘いを通して、
 魔王少女と対峙して力でねじ伏せるのは不可能だと悟った。

 LV999、全てのクラス職業とアーツ武技を極めたオレでも、
 絶対に殺すことのできない存在。

 そもそも魔王少女と呼ばれる存在は、
 元は日本という異世界から来た存在。


 魔王少女による災厄を防ぐための唯一の方法は、
 異世界に《《転生する原因を全て排除すること》》。

 これは未来予知を行う事ができる大賢者が、
 数兆通りの未来予知を行い導き出した結論だ。


 異界渡りは俺と俺の仲間の全魔力と全生命力を使い
 異世界へと通じる門を作る禁呪であり究極魔法。

 俺一人では発動させることができない。
 つまり片道切符、オレは元の世界に戻ることはできない。


「まっ、オレの命と、世界の全て。考えるまでもないけどさ」


 オレは深手を負わせた魔王少女ワルプルギスの体が、
 再生しきる前のわずかな時間に、
 仲間たちが作り上げた異界の門をくぐりこの世界に辿り着いた。


「……ここが異世界、日本ねぇ。大賢者は転移した先には必ず近くに魔王少女が居ると言ってたけど……少なくとも驚異となるような殺気も闘気も感じない」

 
 この世界に転移する際に、
 "日本"の言語や一般常識は付与されている。
 まぁ、その理屈は分からないが究極魔法は凄いってことだ。

 それにしても知らない世界の知識を、
 知っているというのはちょっと奇妙な感覚だ。


「オレの両手に世界の命運が握られている……つまり、いままで通りか」


 空は星すらも見えない漆黒の闇だ。
 空に浮かぶ月は1つだけ、元いた世界とは何もかもが違う。

 漆黒の空からはバケツをひっくり返したように、
 雨がザーザーと降っている。


「っと、あれは……あの顔は……オレが忘れるはずねぇわな」


 特徴的な銀色の髪、憂いを帯びた金色の瞳、
 服装こそ違えど見間違えるはずはない。

 オレの世界の敵であり災厄をもたらす存在。


(……でも本当にアイツが、か? 生気が感じられない、まるで生ける屍だ)

 
 オレが目の前の少女を見て思案していると、
 少女のすぐ近くを巨大な貨物自動車、
 ――トラックが、いままさに襲いかからんとしていた。 


(トラック、あれが魔王少女をオレの世界に転生させるようになった原因)


 転生前の魔王少女は、
 いままさに自分の命を奪おうとしている
 トラックの存在に気づいていない。


「――局所時間制御ディレイ・タイム! 身体加速アクセラ!」

 局所時間制御ディレイ・タイムは俺を中心とした、
 半径500メートルの範囲内、
 その全ての時間を無機物有機物問わず、
 100分の1の速度にする魔法だ。
 
 身体加速アクセラはそのままオレの速度を加速する魔法。
 つまりこの魔法を重ねがけすれば、半径500メートル圏内の相手を、
 まるで時間停止したように、超速でボコることができるってワケだ。


(まぁ……魔王少女ワルプルギスには効かなかったがな)


 オレの周囲の時間は減速している。

 いまや空から降り注ぐ雨粒の一粒一粒が、
 球形の塊として視認できるほどだ。


 オレはアスファルトの地面を強く蹴り――跳ぶ。

 
 いままさにトラックに轢き殺され、
 転生しそうになっている彼女を救うために、
 オレの世界の滅びの運命を変えるために。


 オレは片手に一人の少女を抱きかかえ、
 もう一度、地面を強く蹴る。


(……魔王少女の体、こんな軽かったんだな)


 少女を一人抱えたまま、
 横断歩道の向こう側へと一足で跳ぶ。


(ふぅっ……。つーか、マジでギリギリだった……。だがまぁ、なんとか間に合った……後もう少しで、究極魔法を無駄にするところだったぜ)


 オレは魔法を解除し時間の流れを元に戻す。
 彼女の転生の直接的原因となったトラックが横を通り過ぎる。

 当初の目標は達成だ。


「……あの……すみません、ぼーっとしていて。危うく轢かれるところでした。えっと、私の命を救っていただき、どうもありがとうございました」


「ああ? ははっ、通りがかりに偶然、目に入ったから助けただけだ。礼には及ばないよ。それにしても、歩く時は地面じゃなくて前向いて歩かないと危ないぜ」


 不思議な感覚だ目の前の銀髪の少女は、
 間違いなく魔王少女だ。

 命のやり取りをした相手をオレが見誤るはずがない。

 だが、目の前の少女には生気も覇気も殺意も感じない。
 それなのに、気配は紛うことなき魔王少女のソレだ。


(つまり、転生する前の魔王少女は普通の少女だったという事か?) 


 目の前の銀髪の少女の目にはクマが深く刻まれていた。
 金色の瞳は虚ろで、オレと視線をあわせようともしない。


(念のために鑑定魔法で確認しとくか)


「――鑑定アプレイズ」

 
 理屈は分からないが術式が発動しない。
 さっきは魔法が使えた。

 魔法自体が使えない訳ではないようだが、
 特定の魔法の使用には制限がかかっているのかもしれない。
 これが世界の差という物か。


「どうされましたか?」


 転生前の魔王少女は心配そうな顔で俺の顔を覗き込んでいる。
 命の奪い合いをしている時には気づかなかったが、
 艷やかな銀色の髪に、宝石のような金色の瞳神秘的で美しい。


(って! ……何考えてんだオレ。彼女は命の奪いあいをした相手だぜ)


「オープンステータスウィンドウ」


(くそっ、これも駄目だ……この世界の法則が分かるまでは迂闊に行動できない)


「…………あの?」


 やばいな、明らかにいまの俺の行動は
 "この世界の常識"に照らし合わせると不審者だ。

 俺の目的は俺の暮らしていた世界に災禍をもたらす、
 魔王少女となる存在を転生の切っ掛けとなる、
 事象を発生させないこと。
 

 つまり彼女を死なせないようにする事だ。


 そのためには常に彼女の近くに居なくてはならない。
 不審者だと警戒されたら、オレの活動に致命的な問題が生じる。

 この世界の常識に照らし合わせて……うまく誤魔化さねば。


「あぁ……すいません。えっと、怪我ないっすか?」


「えっと、はい。あなたに助けていただいたおかげで、私には怪我はありません。その……あなたは……?」


 何者かと聞きたいのだろう。
 まぁ、いきなり変な男が目の前に現れたのだ、
 そりゃ、混乱するのも当然のことだろう。

 おそらく自分の身に何が起こったのかも、
 理解していないだろう。


「俺、ハルトっていいます。この近くでホームレスしている無職です」


 この世界ではギルドカードは証明書の代わりにならない、
 この世界で俺の存在を証明する物はない、
 そうなったら、こう答えるしうかない。


「私は、式……式 里美しき さとみといいます。高校を中退してから上京して、都内で働いています」


「ご丁寧にどうも。こちらこそよろしく」


 シキ・サトミ、それが彼女の本当の名前か。

 "ワルプルギス"とは似ても似つかない名前だが、
 この日本という国では一般的な名前のようだ。

 命の果し合いをしている時には気づかなかったが、
 うーむ……改めて見ると、危険性さえ無ければかわいい。
 元の世界でも別の形で出会えていたら一目惚れしてたかもな。


 そんなしょーもない事を考えていた。
「あの……雨も激しくなってきたので、傘入りますか?」


「見ず知らずのオレに悪いね。それじゃ、ご厚意に甘えさせてもらうよ」

 
 彼女の傘を持ち彼女を傘に入れる。
 小さい傘なのでオレの入る余裕はない。

 それにしても小さい傘だ。
 というか彼女も小柄だし、
 オレも大柄だからなぁ。
 
 彼女の身長は目測で143cm、
 オレは185cm、40cm差だ。


「あ……っ、ありがとうございます。逆に気を使わせてしまったみたいですね」


 口数の少ない子だが、悪い子では無いようだ。

 過去の因縁があるせいで、
 どーしてもあの魔王少女の影がちらついてしまうが、
 誤った判断をしないよういまは彼女を、
 色眼鏡で見ないように心がけねば。
 

 はぁ……でもなぁ、何を喋ったらよいものか。
 俺もこの世界にきて間もないし、場を繋ぐネタも無い。

 つーか、もしかしてオレが"無職のホームレス"
 とか言ったから警戒していんのか?
 まぁそりゃ、警戒するわな。

 ミスった。自業自得とは言え、きっと心象は最悪だ。
 さっきから彼女の視線が痛い……。
 オレの被害妄想かもしれんけど。


 俺の今の服はこの世界の基準に照らし合わせると、
 仮装……コスプレにしか見えないだろう。

 祭りでもない大雨の日に夜中をコスプレでねり歩く、
 無職のホームレス。うん、そりゃ怖いわな。

 先手を打って弁明しておくか。


「あぁ……やっぱ気になるよね、オレの今着ているこの服。つーかち怖いよな、実はさっきまでホームレス仲間で集まってコスプレパーティーをしていたんだよ」


 大雨の日にホームレスが集まってコスプレパーティーをするのも、
 なかなかにホラーだが、ホラー感は薄くなりそうなものだ。

 夜道を仮装しながら歩く無職のホームレス。
 うん、俺の世界でもヤベー奴だ。

 しかも、背中には長剣を担いでいる。
 模造刀と誤魔化しても銃刀法違反である事には変わりない。

 この世界の衛兵――警察、に見つかったら、
 "ショクシツ"とやらを受けること間違いなしだ。

 ボロが出ると悪い。

 あんま余計な事は喋らない方がいいな。
 まずは、様子見が肝心だ。


「……ふふっ。ハルトさんはユニークな人ですね」


 笑いのツボが分からない。
 オレの事が怖くないのだろうか?

 オレが逆の立場だったら逃げているところだ。
 おそらくは、命の恩人ということで、
 評価に下駄を履かせてもらっている状態なのだろう。


「ははっ……そうそうユニーク、それ。よく言われる」


 彼女の笑顔を見ると気遣いというわけではなく、
 本当に面白いようだ。

 うーむ……異世界人の感覚というのは分からないものだ。

 彼女の反応は一、少なくともオレが転移時に与えられた
 "日本の一般常識"に照らし合わせてみると、

 若干違う気がするのだが、急ぎの転移だったので、
 何かしらのエラーが生じている可能性はある。


(時間のない中で転移を行使したのだ。オレの身体に欠損無く転移できただけでもラッキーと思うべきだな。多少の不具合は目をつぶる事にしよう)


「ハルトさん、もし泊まる所がないのでしたら、私の家どうですか? 散らかっていてお恥ずかしいですが、ハルトさんが寝るスペースくらいはありますよ」


 おお……極力近くに居なきゃいけない俺としては、
 これ以上無いほどのオファーだ。

 だけど、いろいろと大丈夫だろうか?
 異世界人のオレが心配する事でもないのかもしれないが。


「泊めてくれるのか? それじゃ、今日は雨も強いしお言葉に甘えさせてもらおうかな」


「今日だけと言わずに、家が見つかるまで……ずーっと住んでください」


 命の恩人補正があったとしてもここまでくると、
 彼女のことがちょっと心配になってくる。
 人が良すぎやしませんかね。聖人かな?

 いや、まぁ……好意には甘えさせてもらうんだけどさ。
 好意につけ込むようで悪いけど、
 オレの世界の命運にも関わってくることだからなぁ。


「いいのか? そりゃ、宿無しのオレにとっては願ったり叶ったりなんだが」


「もちろんです。……着きました。ここが私の家です。公営住宅なんですけど、私一人だけ住むにはちょっと広かったので、ちょうど良かったです」


 彼女は鍵を挿し込みガチャリと扉を開ける。
 外観よりも中は広いし作りも悪くない。

 ただ……

「散らかっていて、すみません。部屋の掃除をする余裕がなくて……床の上の空き缶とか踏まないように気をつけて下さい」


「いや、俺は気にならない。なにせ俺はホームレスだからな、ははっ」


 自虐ネタとは言え、泣けてくる。
 昔勇者で、今無職。

 この世界では"ショギョームジョー"
 とか言うんだったっけ?


 うん、それはともかくとして、だ。
 異世界人の俺でも分かる。

 この家は明らかに散らかっている。
 生物が無いのが救いだが、
 空き缶とかペットボトルとか雑誌のゴミが凄い。

 彼女は話し言葉も見た目的にも、
 ガサツな性格なようには見えないんだけど。

 なんというか彼女の言葉遣い、見た目、
 そしてこの部屋、どれもチグハグな印象だ。


「私がでかけている時は、冷蔵庫にあるものは適当に食べてもらっても構わないです。……安物ばかりで、ろくなのないですけど。調理器具とかも自由に使ってください」


 アルコールの空き缶がそこらかしこに散らばっている。
 彼女はストロング・セロという銘柄の酒が好きなようだ。
 
 度数は俺の世界の基準ではかなり高い。
 ドワーフとかが好んで飲む度数の酒だ。

 床には所狭しと、ストロング・セロの空き缶が転がっている。
 あと、大四郎という焼酎が好きなようだ。

 オレも酒が弱いわけじゃないけれど、
 この度数の酒はあまりうまく飲めないかもだ。

 うーん……酒豪って感じには見えないけど、
 人は見た目にはよらないってことか。


「……ああっ、また忘れてた。お医者さんに言われていた、いつものオクスリ、飲み忘れないようにしないと」


 ちゃぶ台の上には、青、黄、赤……
 カラフルな錠剤やカプセルが散らばっていた。
 この世界の薬である。

 彼女は何らかの病気なのだろうか?
 確かにあまり体調は良さそうではないが……。

 こういう時にアイテムを認識する魔法、
 鑑定アプレイズを使えないのは不便だ。

 あれが使えれば何に苦しんでいるか、
 すぐに分かるんだが。

 彼女は机の上の錠剤やカプセルをひと粒ずつつまみあげる。

 彼女の小さく可愛らしい手のひらに、
 赤、青、黄、白さまざまな色の錠剤やカプセルが乗っている。
 色鮮やかで美しく、そしてどこか毒々しい。

 それらを彼女はおもむろに口に投げ込み、
 水道水で流し込む。

 小柄な彼女のことだから、
 それだけ一気に飲んだら喉に詰まらせそうなものだ。

 だが彼女は事もなさげに、
 問題なく飲み込んだ。
 恐らく飲み慣れているのだろう。


 目の下のクマが痛々しい、
 そんなことを考えるのであった。
「えっと……すごい量の薬だけど、もしかして風邪? 疲れているみたいだし、無理しないで横になりなよ。つーか、体調が悪い時にオレのような得体のしれない男がいたら邪魔でしょ? 好意はありがたいけどさ、迷惑をかけるつもりはないよ」

 
 一連の所作や、テーブルに散らばる薬の山を見る限り、
 飲み慣れた薬のようだし、急病という訳ではないのだろう。

 それに疲れてはいるが、咳や熱はなく、
 風邪といった感じではない。

 緊急性があるなら、看病するのもやぶさかでないが、
 多分そういうことでは無さそうだ。
 こういう時にはオレが居ると逆に負担をかけるだけであろう。

 彼女は一旦家を出ようとする、
 オレの服の袖を無言で掴んで引き止める。


「うぅん、邪魔じゃないよ。行かない、で。それに体調が悪いのは今日だけじゃない、ずっと……そう、ずっとなの。それに私のは、治らない病気なの」


「不治の病、ってやつか……?」


「ふふっ、違うよ、そんな大げさな病気じゃないって。命の危険はないの。それに、さっきのオクスリ飲むと心が落ち着くの。だいじょーぶ、ハルトくんは何も気にしなくても大丈夫だから」

 
 ハルトくん、か。

 酒を飲んでいるわけでもないのに、
 目が上ずり瞳孔もさっきよりも開いている。
 さっき飲んでいたあの薬の影響だろうか。 

 彼女の金色の瞳を覗いていると吸い込まされそうになる。
 宝石のように綺麗な瞳なのに、
 なぜか底のないような深い虚のようにも感じられる。

 ステータス・ウィンドウを確認できれば、
 自分が[[rb:魅了 > チャーム]]の状態異常になっているかどうか、
 確認できるのだが、色々と不便な物だな。


「ふわぁ……。ねみゅい。うん、ねみゅい。……今日はもう、寝ようか。お風呂は……うん明日の朝でいいや。そうしよう。私はちゅかれたにょ」


「おいおい、サトミさん大丈夫かよ」


 オレは足元のおぼつかない彼女にオレの肩を貸す。
 彼女は、オレによたれかかりながら部屋へと進む。


「ハルトくん、私のことはサトミさんじゃなくて、シキって呼んで、ね」


 日本では親しい間柄の人間同士は、
 姓ではなく名で呼ぶのが一般的と、
 オレにはインプットされている。

 姓の方を呼び捨てで呼ばせたいというのは、
 心の距離が近づいているのか、
 それとも離れているのか測りかねる。


(何事も例外はある。それに単純にサトミより、シキの方が短いから呼びやすい。友人からそう呼ばれていたとか、きっとそんなところだろう)


「ハルトくんも一緒に寝ない?」


「ああ、そろそろ夜も遅いからな。俺は、この広間で寝てもいいか、シキ?」


 俺は、床を指差す。多少ゴミが散らかっているが、
 モンスターが襲ってくる野営と比べれば100倍マシである。

 ベッドがなくてもこの程度の硬さの床であれば余裕で寝られる。
 むしろ心地よい程度のものだ。


「うぅん、違うの。ハルトくん、私と一緒の布団で、寝よ」


「おっ、おう。そっち、ね。それじゃ、お言葉に甘えて一緒に寝ようかな」


 こっちの世界の女は随分と積極的だな。

 いや、オレが知らないだけで皆こんなものか?
 うわぁ……特訓と討伐ばっかで、
 女性経験を積んでこなかったのが裏目に出たな。

 びびってるわけじゃないぞ?
 それに女に興味が無いわけじゃない。
 むしろ大いに有る。アリよりのアリだ。

 魔王退治に必死過ぎてこの年になっても、
 女との経験が……無いから扱いが分からん。

 師匠から言われた『言い寄ってくる女は全員暗殺者だと思え』
 なんて言葉をクソ真面目に信じていた昔のオレをぶん殴りたくなるぜ。


 先にベッドに入った彼女が、
 俺に向けて小悪魔的に手招きをする。

 ここで、動じては勇者としての名折れである。
 異世界人代表としてはここで引くわけにはいかない。
 ここで引いたら、勇者の名が廃るというものだ。 

 俺は、彼女の布団の中に入る。
 オレの脳にインプットされた言葉を借りるなら、
 常に余裕を持って優雅たれという奴だ。
 どんな偉人の言葉かは知らないけどな。


「えっと……そんじゃ、おじゃまします」


「はい、どうぞ」


 ベッドといっても一人で寝るタイプのベッドだ。
 どうしても、体……つーか胸、おっぱいが当たる。
 彼女は小柄だが結構胸があるのだ。
 というか当ててきている、よね、これ?

 お上品な表現を使わせてもらうならば、
 下半身の俺のエクスカリバーも、
 完全に[[rb:励起 > れいき]]してしまっている。

 生理現象だ、仕方あるまい。
 というよりも、今の状況は……、
 つまりは、そういうこと、だよな?

 むしろ、これで間違っていないはずだ。


「ハルトくん、横向いて」


 キラキラと煌めく宝石のように澄んだ瞳。
 銀色の艷やかなロングヘアーに金色の瞳。
 それがとても美しいと感じた。


(不思議なもんだ。世界の命運をかけて殺しあっていた相手と、こうやって床を共にするとはな……。あんときゃ想像もつかなかったぜ)


 そんなことを考えていると、
 彼女が俺に唇を重ねてきた。

 俺の口腔内を彼女の舌先が蹂躙する。
 はじめての口づけの味は……少しケミカルな味がした。

 俺の口の中で彼女の舌と舌が絡み合う。
 脳内に電気が走ったかのように痺れる。
 心地のよいゾクゾクする感触だ。

 彼女がもぞもぞと下半身をまさぐっている音が聞こえる。


「んっ……あっ……はぁっ」


(くそ……なんでこんな時に[[rb:励起 > れいき]]していたオレのエクスカリバーがしおれやがるんだ。据え膳食わぬは男の恥、絶対に負けられない闘いがそこにはある! 立て、立つんだジョニー!)


 俺が心のなかで決意を固めるが、
 隣からすーすーと、寝息が聞こえてくる。


「そうだよ。いやそりゃ、そうだよな。……疲れていたんだから、当然のことだ。おやすみ、シキ。ゆっくり寝て、体を休めてくれ」


 俺はベッドを抜け出し、
 風邪をひかないように布団をかけなおす、
 オレは彼女の顔を見おろす。


「シキか、変わった子だったな。さすがは異世界で魔王少女と呼ばれていただけのことはある。はぁ……彼女が転生する直接的な事象"トラック"を阻止する事には成功した。だけど、これから俺は、一体どうしたものか……」


 オレは床の上でぼんやり考えるのであった。
 いまは、参謀役の大賢者も居ない。
 思えば25年の人生でオレの周りには常に仲間が居た。


 オレが一人で考えるのは初めてかもしれない、
 フローリングの床に横になり、
 天井を見つめそんな事を考えるのであった。
 目がまわる。ぐるぐるまわる。
 雨がざーざー降っている。

 降る雨は、私の涙。
 空の色は、私の心。
 
 今日も良いことなんて一つもなかった。
 死ねば楽になれるのに。
  
 死にたい、だけど死にたくない。
 痛いのは嫌だ、怖いのも嫌だ。
 

「はぁ……なにいっているんだろ、私」


 今日も仕事場でうまくやれなかった。
 うまく立ち回ることができなかった。

 なんで私は人とうまくやれないのだろう。
 たまに思うのだ私はこの世界の人間ではないのではないかと。
 生まれる世界を間違えたのではないかと。

 そうでなければ説明がつかない。
 そうでなければ救いはない。


「ピピー、がー。ザー。交信――SOS、私を本来居るべき所へ」


 分かっている、こんなのは逃避だって。
 狂人の真似事をしても何も変わらないと。

 
 ほら、今日も会社の先輩から言われたじゃないか、


 『里美さんって、コミュ障だよね。ケアレスミスとかも多いし、
  人の話を理解するのも遅い、あんた発達障害なんじゃない?』
 

 私は、会社で先輩に言われた言葉を脳内で繰り返す癖がある。
 お風呂の時には浴槽に浸かりながら、
 無意識に口ずさんでいる。

 呟けば、呟くほどに心が苦しくなるのに何故そうするのか。
 まるで、精神の自傷行為だ。


 先輩の言っている言葉には一部、誤りがある。 
 私は発達障害とは診断されていない。
 コミュ障は、その通りなのだろう。

 私が診断されている名称は『抑うつ症状』
 病気認定ではなく、軽症扱いだ。

 統合失調症、双極性障害、鬱病といったような
 国の定める三大疾病から外れるため、
 国の福祉制度の助けも受ける事はできない。
 
 5年前に大恐慌があった時に、
 心療内科に行政指導が入り、三大精神疾患と
 認定される基準は大幅に引き上げられた。


 だから見た目上の数値としては、
 重病の精神疾患患者は減っている。

 だけど、その改善した数値と矛盾するように、
 自殺者や行方不明者の数は増え続けている。


「…………疲れた」


 わからない。
 どこから道を間違ったのだろうか?

 私の母はロシアから語学留学で訪れた
 この国で父と出会い、結婚した。
 そう聞いている。

 両親は地方都市で小さな会社を経営していた。

 中学の頃までは学校でもからかい半分に、
 ご令嬢なんて呼ばれることはあったし、
 恥ずかしいとは思ったが、悪い気はしなかった。
 自分の両親が誇らしいと感じられたからだ。

 お母さんから受け継いだ、
 私の銀色の髪や金色の目も、
 嫌いじゃなかった。

 ちょうど5年前、大恐慌の煽りをくらい、
 高校1年の時に両親の会社は倒産。

 大企業の孫請会社だった両親の会社は、
 取引先の子会社が倒産するのと同時に、
 連鎖倒産することになった。

 なんとか持ち直そうと努力していたが、
 一社に依存していたため会社を精算する
 以外の手は残されていなかった。


 元従業員が会社に火をつけたのだ。
 発見が早かったため消火活動は間に合ったが、
 私の両親は一酸化中毒で死んだ。

 寄り添い死んでいたそうだ。
 死に顔も火傷のあとはなく綺麗なものだった。

 
「悲しんでいる余裕も、葬式をする余裕もなかったな」


 両親が自分自身にかけていた生命保険も、
 倒産した会社の精算のために管財人に没収された。

 会社とは関係ない持ち家、
 家具も全てを持っていかれた。

 お金もなく、住む場所もない私には、
 高校は中退せざるおえなかった。


 逃げるように地元を離れ東京に上京。


 地元の友人の顔は見たくなかったし、
 何より管財人を通さずに、
 直接怒鳴りたてる債権者が怖かった。


 私が上京してまもなく、実家は競売に出された。
 詳しいことは知らないが管財人いわく、
 二束三文で買い叩かれたそうだ。


 東京に上京して身を粉にして働いている。
 稼いだ給料の一部は債権者に支払い続けている。

 ある日、無理がたたったのか、
 勤務中に意識を失い救急車に運ばれた。

 私がはじめて心療内科に通うことになったのが、
 この出来事がきっかけである。


 処方されている薬を飲むと痛みは少し和らいだ。
 胸に刺さった痛みは確かに和らいだ。

 だけど徐々に感情が薄れていく感じがするのだ。
 お母さんの顔も、お父さんの顔も今は、うまく思い出せない。

 まるで記憶にすりガラスがかけたような感覚。

 集中力が落ちたせいで仕事でのケアレスミスも増え、
 結果として上司から怒られる事も多いようになった。
 

 もともと人とうまくやる事のできない私は、
 社内イジメの対象となりやすかったのであろう。

 銀髪、金眼といった日本人に少ない、
 身体的な特徴もターゲットに
 される一因となっているようだ。

 陰で《《いろいろ》》言われているのは知っている。
 そもそも、彼らは隠そうという気すらないのだが。



「あっ…………光……」



 ――光、強い光だ。



 ぼーっと道路を歩いていた私が悪い。
 もう、絶対に助からない。
 
 これでやっと終わらせられる。
 これで、[[rb:人生 > クソゲー]]からログアウトできる。


 私を数秒後に引くはずだったトラックが止まっている。
 いや、ゆっくりとではあるが動いてはいる。
 私の体は動かない。


 これは……走馬灯だろうか、
 降り注ぐ雨の雫が、
 まるで止まっているように見える。


 雨の雫にトラックのヘッドライトが乱反射して、
 まるで宝石のようにピカピカと光っている。


 死、救いが、間近に迫っている。
 苦しみから解放される、やっと。

 できれば痛くない方がいいな。
 ちょっとくらいなら我慢しなきゃ。


 静止した時間のなかで黒い人影。


 横断歩道の前方10メートル先、
 静止した世界の中で、
 空中に止まった雨粒を砕きながら駆ける影。


 よく見えない、体格からして男性だろうか。
 きっと、この世界から私を救い出してくれる王子様。


 まぶたを一回閉じたら目の前に居た。


 彼を私を片手に抱き、地面を蹴る。
 心地よい浮遊感。

 雨粒を砕く感覚を確かに感じる。
 これは夢なのだろうか?


 私は横断歩道の手前で、
 見知らぬ男に抱きかかえられていた。

 力強い青い瞳に黒い髪。
 全体的に筋肉質の体。

 マントを羽織ったファンタジーの勇者のような男。
 あまりにも現実感のない格好である。


 私はいつの間にか横断歩道を渡る前の場所に戻っていた。
 私の横をトラックが遠りすぎた。
 
 まるでさっきまで時間が停止したように
 感じたのは錯覚だったのだろうか。


「……あの……すみません、ぼーっとしていて。危うく轢かれるところでした。えっと、私の命を救っていただき、ありがとうございます」


 突然に目の前に現れた男性。何者だろうか。
 さっきまでの出来事は私の妄想?
 そうであれば辻褄が合う。

 目の前の男性は何かしらブツブツと呟いている、
 だけど、何を言っているのか分からない。 

 それにしてもなぜ私を助けてくれたのだろうか、
 私の知りあい……、なわけはないよね。


 雨は勢いを増していた。
 見ず知らぬ男性を家に誘うなんて危険な行為だ。

 自分でも何故そんな事をしているのか分からない。
 ただ、目の前の青年を信じてみたいと思ったのだ。


「泊めてくれるのか? 今日は雨も強いしお言葉に甘えさせてもらおうかな」


「今日だけと言わずに、家が見つかるまで……ずーっと住んでください」


 本当は、一人ぼっちが寂しいだけだ。
 15歳の時に両親を失ってからは、
 私の部屋はずっとガランとしたまま。

 盗られて困るものもさほど無い。
 失う物は何も無いのだ。

 あるのは私の命くらい。
 それだって彼がいなければ失っていた物だ。
 
 ……救ってもらったのに、"あの時に楽になれたなら"
 とか考える私は、なんて失礼な女なのだろうか。
 
 それは彼の善行を無にする行為だ。


「散らかっていて、すみません。部屋の掃除をする余裕がなくて……床の上の空き缶とか踏まないように気をつけて下さい」


「いや、俺は気にならない。なにせ俺はホームレスだからな、ははっ」


 部屋は汚い。
 平日に出勤時に捨てられる生ゴミは無いけど、

 空き缶やペットボトルのゴミの回収日が土日のせいで、
 缶とペットボトルのゴミがたまる一方だ。

 土日は起きられずにずっとベットで横になっている。
 ゴミを出す気力が湧いてこないのだ。
 
 まるで金縛りにあったように体も心も動かずベットで過ごす。
 それが、私の休日の過ごし方だ。


(…………虚しく、寂しい。生きている実感がない)


 本来であれば異性を家に招くのだから、
 恥じるべきことなのだろう。

 だけどその感情すら薄れている。
 女性らしい動揺も、トキメキも、感動もない。

 彼のせいではない。彼は、魅力的な人間だ。
 いろいろと不審なところはある……。

 だけど、少なくとも私はそう感じるのだ。
 女性としての感情を何も感じないのは、
 きっと今の私の感情が死んでいるからだ。

 部屋は汚れている空き缶は散らばっているし、
 この狭い部屋では掃除機もかけていない。
 床には安くてアルコール度数の高い酒の缶とペットボトル。

 朝に家を出て、家に帰ったらお酒を飲んで、
 土日には布団のなかで寝ているだけ。

 掃除する時間がまったくないわけではない、
 だけど、する気力が沸かないのだ。


「ああ、散らかっていてすみません。仕事と家の往復ばかりでどうしても、部屋の掃除をする余裕がなくて」


 彼が何故、無職のホームレスなのかは私は知らない。
 彼は私にないものを持っている。
 そんな気がする。
 

「いや、俺は気にならない。むしろ、泊まるところがない俺に泊まる場所を提供してくれた事に感謝だ」


「そうですか」


 私の通っている心療内科で処方される薬は、
 薬のシートから取り出してブリキの缶に入れていた。
 
 処方されている薬は8種類もあるのだ。
 シートから毎回取り出しているだけでも結構な時間がかかる。

 だから、ブリキの缶に乾燥剤を入れてチャンポンにして、
 鷲掴みにして流し込む、それが私のスタイルだ。

 ブリキの缶から取り出すのすら途中から面倒くさくなって、
 途中から机に直置きするようになった。

 出かける前に机の上に散らばった薬をミンディアの
 タブレットケースの中に入れて同僚や上司に
 悟られないよう、会社のトイレの個室で飲むのだ。


「……ああっ、また忘れてた。お医者さんに言われていた、いつものオクスリ、飲み忘れないようにしないと」


 医者から処方された薬は8種類。
 今や極彩色の毒々しい色にも慣れた。

 今は8種類の薬を水道水で飲み込むこんでいる。
 最初は嘔吐感に苛まれた時もあったが、
 今はもう、その感覚にも慣れた。

 これは自分の心の痛みを止めるために必要な儀式だ。

 まぁ……その単純な儀式すら忘れる事もあるのだから、
 救いようがない。私の心も、頭も壊れている。


「えっと……すごい量の薬だけど、もしかして風邪? 疲れているみたいだし、無理しないで横になりなよ。つーか、体調が悪い時にオレのような得体のしれない男がいたら邪魔でしょ? 好意はありがたいけどさ、迷惑をかけるつもりはないよ」


「うぅん、邪魔じゃないよ。行かない、で。それに体調が悪いのは今日だけじゃない、ずっと……そう、ずっとなの。それに私のは、治らない病気なの」

 
 見た目の奇異さとは正反対の反応だ。

 無職のホームレスと言っていたけど、
 彼の自然と出る所作、想いやり、気遣い、
 それらに隠しきれない育ちの良さを感じさせられる。 

 昔は良いところの生まれだったのかもしれない。
 人の人生は、思った通りには進んでくれない。

 
(ああ……駄目だ、くらくらする。足に力が入らない)


 この症状は風邪ではない、いつもの事である。
 薬の血中濃度が半減すると同じような症状が出る。

 さっき飲んだ薬の効果がでるのは、
 早くて30分遅いものだと1時間以上かかる。

 血中に取り込まれるには多少のタイムラグがあるのだ。


「いいの。私のは、治らないやつだから。この薬を飲むと心が落ち着くの。でも、ハルトくん気を遣ってくれてありがとうね。はぁ……今日も疲れた」


「不治の病、ってやつか……?」


「ふふっ、違うよ、そんな大げさな病気じゃないって」


 "ハルトくん"。

 薬の力を借りないと、彼の名すら呼べなかった。
 私はなんて意気地がないのだろうか。

 命を助けてくれた恩人を前にする態度ではないのだろう。
 彼には私が娼婦か何かに見えているのだろう。

 それで良い。私には、何も期待しないで欲しい。
 期待に応えることは出来ないのだから。


 あぁ……短期間で効果を出すために、
 [[rb:舌下投与 > ぜっかとうよ]]した薬の影響か、
 うまく頭がまわらない。


「ふわぁ……。ねみゅい。うん、ねみゅい。……今日はもう、寝ようか。お風呂は……うん明日の朝でいいや。そうしよう。私はちゅかれたにょ」


 舌がもつれる。
 ロレツが怪しくなって来た。
 疲れた、眠い……寂しい、虚しい。
 人のぬくもりが恋しい。


「おいおい、サトミさん大丈夫かよ」


 里美さんと呼ばれるのは嫌いだ。
 その名が呼ばれる時はいつもロクなことじゃない。

 ハルトくんには、その呼び方で呼ばれたくない。
 ハルトくん、ハルトくん……初対面の相手に
 随分と馴れ馴れしい。

 眠剤で朦朧としているせいか、
 自分が何を言っているのか良くわからない。


「ハルトくん、私のことはサトミさんじゃなくて、シキって呼んで、ね」


 何を言っているのだろうか、私は。

 ベットに誘っておいて何ではあるが、
 その後どうした良いものか分からない。

 でも……もう、そんな事はどうでも良い。


「ハルトくんも一緒に寝ない?」


「ああ、そろそろ夜も遅いからな。俺は、この広間で寝てもいいか、シキ?」


 ハルトくん、彼は優しい人だ。
 それとも私に女性としての魅力がないのか。


「うーん。一緒の布団で寝よ。私、ちょっと疲れてるから、ハルトくんが一緒のお布団で寝てくれると助かるな」


 声が少しだけ上ずってしまったかもしれない。
 嫌われたかもしれない、幻滅させたかもしれない。
 こんな私を好きになってくれるのだろうか。


「えっと……そんじゃ、おじゃまします」


 しばらくの沈黙ののちに彼は答えた。
 ちょっと赤面した表情がかわいいなと思った。
 初めてを捧げる相手が彼のような人で良かった。


「はい、どうぞ」


 自分で誘っておいてなんだろうか、
 これから先に何をしたら良いのか分からない。

 太ももの辺りに硬い感触を感じる。
 女性として認識してくれていることが嬉しい。 

 とりあえずはまずはキスだろうか。
 一度、ディープキスというのをしてみたかったんだ。


「ハルトくん、横向いて」


 凛々しくて端正な顔立ち。
 強い意志と優しさを秘めた瞳。
 それでいてどこか暖かさを感じる。

 私とは違う世界に住む真っ当な人間。
 
 私は、彼の頬をつかみ唇を重ね、
 貪るように自分の舌を彼の口内に潜り込ませる。

 なんでだろうか、ほっとする。
 彼のことは何も知らない。

 だけど、肌が触れ合っているだけで、
 その一瞬だけは寂しさを忘れられる。

 舌と舌を絡み合わせるだけのことなのに、
 どうしてこんなに、安心するのだろうか。

 何故かハルトくんが隣に居ると落ち着く。

 私は一体何をしているのだろう……
 ……私は……失いたくない……
 これは、夢じゃないよね……
 ……朝起きたらハルトくんが居なかったら……


 《《この世界からログアウトしよう》》


 私はそこで意識を失った。
「さて、何を作ったものかね」


 料理は嫌いじゃない、気分転換になるからな。
 あんまり凝った料理こそ作れねぇが、

 これでも仲間たちの間では、
 そこそこ評判が良かった方だ。


「つっても、冷蔵庫の中身ほとんど腐っているか、賞味期限切れじゃんよ。


 せっかくオレの料理スキルを、
 堪能してもらおうと思ったが、むぅ。


「まっ、限られた食材の中で旨いもんを作るのは冒険者には必須のスキルだ」


 賞味期限ギリギリ、つーか冷蔵庫内で乾燥のせいで
 硬くなった肉や傷んだ野菜は、
 魔法で新鮮な状態まで戻した。

 この世界に来て思う、魔法ってチートじゃね?


「適当に火で炒めてっ、と」


 味付けは塩コショウと焼き肉のタレだ。
 なかなかいい具合に出来たと思う。


「皿に載せて、完成っと!」


 シキがベットからもぞもぞと這い上がり、
 ゆら~り、ゆら~りと歩いてくる。


「おー、おはよ。調理場貸してもらったぜ」

「……おはよ、ハルトくん」


 眠そうな目を擦りながらシキがオレに抱きついて来る。
 おっぱい、当たってるんだが自覚はあるのかねぇ。

 朝の挨拶だろうかオレの頬にキスしたので、
 お返しに、オレもシキの額にキスを返した。


「ねぇねぇ、ハルトくん。今日はとっても調子が良いの」

「ははっ。ガーガーいびきかいて寝ていたからな」

「えっ……マジで? ウソっ……恥ずかしい……」

「ははっ、じょーだんだよ。じょーだん」


 ははっ、やっと女の子らしい反応を見せた。
 こうやって恥じらう姿を見ていると、
 ドチャクソ可愛い女の子だって思うんだけどな。


「なんかね、今日は調子、すっごくいいの」

「そりゃ良かったじゃねーか」


 体調が良いのは[[rb:フルヒール > 完全治癒]]と[[rb:オールキュア > 完全状態異常回復]]
 を寝ている間に使ったからだろう。

 身体欠損なんかのわかり易い外傷は無かったから、
 分かりにくいかもしれないが、本来は胴体を、
 真っ二つの状態から再生させるほどの強力な治癒魔法だ。


「メシ作ったぞ、食ってくか?」

「うん。食べる」


 まだこの世界の料理は勉強中だ。
 今日の朝食は肉野菜炒めと白米とモヤシの味噌汁。
 小柄だし、朝飯には十分だろ。


「おいしい! ハルトくんさ、無職やめてお店開いたら?」

「おいおい、褒めすぎだぞ。ただの野菜炒めだぞ?」

「なんかね、野菜がシャキシャキしていて美味しいの。不思議」

「あぁ、そりゃ素揚げつってな、事前に熱した油で野菜の表面を油でコーティングすることで、水分を逃さないようにんだ」

「よくわからないけど、凄いね」


 まぁ……料理の小技以前に、そもそも食材の鮮度を
 魔法で最高の状態にしたせいだろうけどな。

 さすがに賞味期限切れの食材で料理を作って、
 腹壊したらヒモとしても無能過ぎるからな。


「おかわり」

「あいよ。そんで、どんぐらい盛る?」

「ちょうどいい感じで」

「ほいよ」


 "ちょうどいいくらいで"とか何とも曖昧な指示だ、
 まぁ、シキはちっこいし小盛りくらいが良いだろうな。


「ほらよ」

「ありがとー」


 それにしてもいい食いっぷりだ。
 もっと旨いものを食わせたくなるってもんだ。


「ごちそうさま」

「あいよ。皿洗いとかはオレがしとくから、シキは準備でもしなよ」

「会社……行きたくないなぁ」

「行きたくなきゃ、行かなきゃいいんじゃねぇか?」

「餓死しちゃう」

「はっ、そんときゃオレが食わせてやるよ」

「えー。ハルトくん、無職なのに?」

「おいおい、痛ぇとこつくな……クリティカルヒットって奴だ」

「ふふっ、じょーだん」


 そんな感じのやりとりの後に、
 調理器具や皿を洗う。

 洗剤っつーのは便利だ。
 油があっという間に取れるから気持ちいい。


「わー。もう時間だー。そろそろ、出かけないと。会社死ね、会社死ね」

「はは。無理すんな、辞めたくなったらオレが代わりに働いてやるぜ」

「ハルトくんは、家に居るのが仕事なの。……出ていっちゃ嫌だよ」

「おうよ。つか、ホームレスのオレには出ていく所なんてねーよ。しがみついてでも出ていかねーから、安心しな」

「なかなか強気なヒモね。それと、ハルトくんにプレゼント」


 猫のキーホルダーがついたこの家のスペアキーだ。
 泊まって1日目のオレがもらっていいものかね?


「オレがもらって良いのか?」

「うん。だって、この家は私とハルトくんの家だから」

「マジかよ。うるうる、泣けてくるぜ」

「ふふっ。それじゃハルトくん、自宅の警備頼みます」

「ほいよ。んじゃ、ありがたく頂戴する」


 鍵を貰えるってことは多少は信頼してくれてるって事か。
 なかなか見る目がある子じゃないか。


「それとよ、部屋掃除とかしていいか?」

「だよね。さすがに男の子でも、この部屋は気になるよね」

「まぁ、オレは細かい事は気にならないが、ヒモ兼自宅警備員のオレとしては、さすがに何か仕事しなきゃいけないと思うわけですよ」

「嬉しい。それじゃあ、お願いしていい?」

「あいよっ、オレに任せとけ。帰ってくるまでには完璧に綺麗にしとくぜ」

「頼んだぞ、自宅警備員ハルトくん」


 その言葉のあとにバタバタと
 玄関の方にシキが駆けていった。

 なんか小動物みたいで可愛い。


「……あのね、ハルトくん。良い?」

「んっ? よくわからねぇけど、いいぜ」

「出かける時に……キスして欲しいの」


 シキをギュッと抱きしめて頬にキスする。
 抱きしめた時に気がついたが、
 シキの肩は小さく震えていた。


「大丈夫……うん、もう大丈夫。ありがとう、ハルトくん」

「どういたしまして。いってらっしゃい、シキ」


 頭をポンポンと軽く手のひらで叩いて、
 ニカっと笑顔で見送る。

 シキが出かけたのを見送った後に、
 玄関の扉を閉めて、鍵を締める。


「シキ、オレの前で強がってたけど……本当は会社って所が怖いみてぇだな」
 シキは出かける前に抱きしめた時に、
 肩が震えていた。
 オレはそれが心配だった


「つー訳でついて来たわけだ」


 考えても無駄なことはある。
 信じて見送った結果として手遅れなんて寝覚めが悪ぃ。

 シキには一宿一飯の恩義もあるしな。
 まぁ、それに可愛いからな。


「それにしても電車っつー乗り物。狭っ苦しいなぁ、地獄かよ」


 オレがいま使っている魔法は、
 [[rb:不可視化 > インビシブル]]、隠密魔法だ。

 体を透明にする魔法じゃぁない、
 あらゆる存在からオレを認識できなくする魔法だ。

 誰にも認識できないだけで存在はしているし、
 オレの側から相手に触れることも可能だ。


「それにしてもシキ、目が死んでいるな。大丈夫か?」


 誰にも聞こえないような小声でブツブツと呟いている。
 まぁ、オレの地獄耳をもってすればバッチリ聞こえるんだが。


「”えっ……マジで? ウソっ……恥ずかしい……”……私のあの時のリアクションは大袈裟だったかな、うまく普通っぽいリアクションが取れたかな……顔の表情は自然だったかな」


 おいおい、気にし過ぎだっつーの。
 変なのはオレの方だ。

 オレなんてコスプレホームレスヒモ自宅警備員の無職だぞ?
 シキ、んな小さなこと気にすんなよ。


「"なかなか強気なヒモね"……"無職やめてお店開いたら"……冗談のつもりで言ったのだけど、ハルトくんの事を傷つけてしまったのではないか、言い過ぎたのではないか……なんで私はいつも失敗をするのだろう」


 朝の楽しいやり取りの事まで気にしてんのか。
 うーん。あいつは、ちょい真面目すぎる。

 オレは、1ミリもそんなこと気にしてねーよ。
 本人が言うんだから間違いねぇ。

 いい子過ぎるのが逆に心配だぜ。
 少しはオレの雑さをおすそ分けしてやりてー位だぜ。

 なんっつーか、ひな鳥を見守る親の心境が分かってきたぜ。


「――っやめっ」


 クソみたいな顔をしたジジイが
 シキの股間のあたりをまさぐってやがった。

 あんだぁ、あのクソジジイ。
 ――殺すか。

 ……世界へ、過度な干渉をすると、
 この世界の神とかいう存在から排除されるとかいう、
 七面倒臭えルールがあるんだったな。クソが。

 なら、少しだけのお仕置きで我慢してやるよ。


「まずはこの狭い車内で絶叫されても面倒だ。[[rb:沈黙 > サイレス]]」


 オレはシキの股間を触っているクソ野郎の両腕を掴み、
 前腕の骨をゆっくりと握り潰し粉砕した。

 クソみたいな汚ねぇジジイが脂汗を流しながら、
 悶絶しているが、[[rb:沈黙 > サイレス]]のせいで叫ぶ事もできない。
 手癖の悪い手にはお仕置きが必要だ。

 魔力適正のないこの世界の人間には、
 基礎的な魔法、[[rb:不可視化 > インビシブル]]だけで、
 両腕をへし折られてすらオレを認識できないのか。


 骨は皮から突き出たりはしないようにしているから、
 大騒ぎになることもない。
 恐らく、他の奴らには腹痛だとでも思われているんだろう。

 握った部分が紫にうっ血するのは目立つので、
 表皮と毛細血管のみヒール《治癒》で再生した。


 60過ぎたオッサンが漏らしながら、
 満員電車の中をゴロゴロと転がっている。

 本来は絶叫をあげているはずなのだが、
 [[rb:沈黙 > サイレス]]のせいで、
 声を出すことができない。


「ちんこ握りつぶさなかっただけ感謝しろ」


 車内は、泣きながら漏らしたオッサンが、
 ゴロゴロと転がって阿鼻叫喚の地獄絵図――

 と、言いたいところだが、現実は違う。
 意外な事に乗客達は平静を保っている。


 というか、転がるジジイに視点をあわせない。
 まるで存在していないかのように扱う。

 この車両の乗客はこういった光景には慣れてるみたいだ。
 床を転がるローリングおっさんをチラリと見た後は、
 面倒くさそうな顔であとは、見なくなった。

 ジジイの近くの吊り皮を握っていた乗客は、
 2、3歩分だけ距離を置き自分に被害の及ばない位置に移動、
 あとは再びスマホに目を落とすだけだ。


「……なんだか、な。これはこれで、異様な光景ではあるぜ」


 正直、もう少し何らかのパニックがあるのではと思った。
 実際は違った。この満員電車の中の乗客は、
 目の前の異常な出来事に関わらないようにしているようだ。


「そういや、シキはどうなった」


 シキは吊り革を握りながらスマホを見ているな。
 でも、怖かったんだろうな足が震えている。


「可哀想に。今後は、痴漢野郎は未然にへし折る事にしよう」


 まっ、勘違いだったらオレが完全に悪人だ。
 ある程度確証を経た段階でしかボコるつもりはねーけどよ。

 それにしてもこの狭っ苦しい満員電車といい、
 この電車の中の乗客といい、最悪だ。

 この狭い空間に充満しているのは、
 殺意、憎悪、虚無、抑圧、絶望。

 戦争に行くわけでも死地に赴く訳でもないだろうに、
 コイツらが発している気配はそれらと酷似していやがる。


「あー。オレも満員電車のせいかちょい、イラついちまっている。いかんぜ」


 この満員電車というのは知らず、
 人にストレスを与えるような物らしい。

 今のオレは"オープンステータスウィンドウ"が使えない。
 自分のパラメーターを確認できないから、
 自分の精神状態や体調は感覚で把握しないといけないのだ。


「当たり前のように使えていた物が使えないとは、面倒くせぇもんだな」


 漏らしながら床をゴロゴロ転がっているローリングオッサンは
 駅員さんに担架に担がれて停車駅で降りて行った。


「自業自得だ。良い歳したジジイがガキを怯えさせていんじゃねぇよ」


 それにしてもこの電車という乗り物手持ち無沙汰になるな。
 次回乗車する時は、シキの持っている本でも持っていくかな。


「おっと、シキはここで降りるのか」


 オレは、シキが恐れる会社という場所に向かうために、
 シキのあとをつけるのであった。