へたり、皇国兵士が地面に尻餅をついた。

「た、助かった……?」

 その顔は、生気が抜けたように腑抜けきっている。
 だが、そんななかで分隊長だけが事態の大きさに、未だ警戒の念を解かずにいた。

「ローグ様。ミノタウロス8体の討伐が完了致しました」

『ゴブリン共も大概は我の炎撃で屠るつもりだったのだが、良いところは主に全て持って行かれてしまったぞ。くはははは』

 ローグ配下の古龍と魔王が、快活に笑う。

 その様子を側から見ていた皇国兵士の内の一人がぎょっとしたように呟いた。

「ぶ、分隊長、俺も詳しくはないんですがあの龍、子供の頃の絵本で読んだことがあるような気がしてなりません。もしや、『龍神伝説』の古龍ニーズヘッグでは、ないでしょうか」

 一人の兵士の言葉に、ざわざわとし始める皇国兵士達。

「馬鹿言え、そんなお伽噺の中にいるような古龍が、なんでこんな所にいるんだ」

「でも、隣の女も無数の黒い翼を持っていた。俺、子供の頃ばあちゃんから聞いたことあるんだよ。『夜更かししてる悪い子は、無数の翼を持つ女に攫われる。恐怖の魔王が、悪い子を引き連れていくんだ』って……」

「じゃぁそこの女は魔王だってのか? 魔族こそ滅亡しちゃいないものの、魔王なんてそれこそ数百年前の戦記時代の話じゃねーか。魔王に憧れて破壊魔法を使おうとする魔法術師もいるくらいだからな」

「……でも、さっき見たのはどっからどう見てもSSランクレベルの破壊魔法だったぞ……?」

 口々に言う兵士達にも、イネスもニーズヘッグも、目の前の主に頭を下げたままだった。

 分隊長は、小さくため息をついて、彼らの後ろの軍勢を一瞥する。
 倒れたゴブリンを貪り喰うように肉を引きちぎり、本能のままに蠢くゾンビやスケルトンの集団だが、一向にこちらに攻め入る様子はない。それらのことに覚悟を決めたように呟いた。

「先ほどの援軍には、大変感謝している。俺はこういう者だ」

 そう言って、分隊長は自分の胸に拳を宛がった。
 瞬間、分隊長の横には空間に投影されたステータス画面が姿を現す。

【名前】カルム・エイルーン
【種族】人間
【性別】男
【職業】剣士
【所属】サルディア皇国第二部隊分隊長
【クラス】C

 ローグの首筋に、冷や汗が流れる。
 この儀式は、身分証明のようなものだ。
 微かな笑みを絶やさずにいるローグは、「どうも、ローグ・クセルだ」と手を差し伸べて握手の姿勢を作ってみる。

 ――だが、分隊長のカルムはそれに応じない。

 世の中には、星の数ほどの人物がおり、能力があり、職業がある。
 あっという間に命を取られる危険性を孕んでいるために、まずは自分に敵意がないことを示すための方法として、こうしたステータス画面開示によって友好を証明するものが一般的なのだ。

「……先に言っておくが、俺に敵意はないよ」

 ローグは予防線を張った上で自身の胸に手を当てる。

【名前】ローグ・クセル
【種族】人間
【性別】男
【職業】死霊術師(ネクロマンサー)
【所属】無
【クラス】無

 ローグの横にステータス画面が表示されると同時に、サルディア皇国の兵士たちの間にどよめきが走った。
 カイムは言う。

「やはり、禁忌職(・・・)だったか。後ろのスケルトンやゾンビの軍勢は、貴殿の手持ちのものだったのだな」

「いや、そんな身構えなくても大丈夫だよ。俺とて、皇国兵士さん達と一戦交える気はないのでね」

 努めて笑顔でいるものの、カイム含めた兵士達の表情は、安堵のものから怯えのそれに変わっていた。

 今までは相手方の自己紹介に応じる事も無かった。
 もちろん、挨拶を返さないこととも意味が同じであるために、相手方からの心象はすこぶる悪かったのだが。

 彼らを救えば、世界七賢人とも呼ばれるカルファ・シュネーヴルの特殊効果《隠蔽》の能力で、職業を隠すことが出来る。
 それだけが、今のローグの望みだった。

 死霊術師(ネクロマンサー)は、死霊や死者を操る「死霊術」を用いることに長けた職業である。
 だが、スケルトンやゾンビなどの主戦力のものを配下にするときには2つの誓約(・・)が課せられる。
 1つ目は、自らの配下が一斉に主を襲った際に、それら全てを返り討ちに出来るだけの力があること。
 すなわち、現在のローグはスケルトン、ゾンビの大軍が大挙して襲ってきたとしても全て退け、更には古龍や魔王が叛旗を翻しても返り討ちするほどの力があることになる。
 主戦力の増強は主に、戦場にある死体を一つ一つ、ゾンビやスケルトンとして転生させることだ。
 つまり、死霊術師は自らの地力が強くなればなるほど、物言わず、死を怖れずに突撃する優秀な兵士を作ることができる。
 とはいえ、ローグのように千を超える軍勢を配下に据えるような力を持つなど、カイム達は聞いたこともなかった。

死霊術師(ネクロマンサー)って言ったら、今までも禄なのがいないじゃないですか……! 数百の不死の軍勢で一国を滅ぼしたり、美女だけを攫って殺して蘇生させて自らの王国を作り、死体を使って残虐の限りを尽くす、イカれた連中ですよ……!」

「サルディア皇国分隊長として、お願い申し上げる。我々を救って頂いたことは感謝してもしきれない。だが、どうか……どうかこの地で戦死したサルディアの魂は、安らかに眠らせてやってはくれないだろうか。この通りだ」

 畏れ、怯み、傅く。
 死霊術師(ネクロマンサー)というだけで嫌われ、畏れの念を抱かれる。

 幼い頃、自分の職業適性が分かった時から、死霊術師(ネクロマンサー)だというだけで嫌われた。
 だからこそ、誰よりも強くなって皆に認めてもらえるようにと、死ぬ思いで努力したら今度は嫌われた上に怯えられる。
 そんなことだから、友達やもいたこともなかった。
 そんな大それた野望など抱いたこともないのに――。
 死霊術師(ネクロマンサー)という職業は、とことんツキがない。

「見たかい、鑑定士さん。これが、あんたの力を借りたい理由だよ」

 ローグが振り向く先には、カルファがいた。
 ゴブリン達は既に一匹残らず屠られ、ゾンビやスケルトンの軍勢は動かない死体をなおも斬りつけ、噛みついている。

「か、カルファ様……!? どうしてここに!?」

 月は沈み、太陽が地平線から昇る。
 スケルトンやゾンビの集団が、それらを避けるように我先にと地中の中に姿を消していく。

 死霊術師(ネクロマンサー)誓約(・・)2つ目。死霊や死霊術によって操られた者は、夜間しか活動することが出来ないというものだった。

 そんな様子を見ながら、カルファは言う。

「あなた達。今すぐに既存の死霊術師(ネクロマンサー)の認識を改めなさい、とは言いません。ですが、今あなた達が見たことについては、見なかったことに。箝口令を敷きます」

『……はっ!』

 カルファの言葉に、困惑しながらも返事をする兵士達。

 そして、カルファはローグの方に向き直った。

「世界七賢人の威信をかけて、お約束通りローグさんの職業を隠蔽致します」

「あぁ、助かるよ。隠蔽って言っても、ステータス表記上の死霊術師(ネクロマンサー)が消えるだけだから変わらないんだけど、これを隠せるってだけで俺は今までの人生で一番嬉しいよ。これで、またどっかで新しい職業くっつけて友達ってやつを作ってみたいね」

「それで少し、提案があるのですが、よろしければ、サルディア皇国内にある冒険者ギルドに――新たな職業、『冒険者』をやってみませんか?」

 カルファは、何か考え込むような素振りを見せたが、ローグ側にはメリットしかない。
 今までの職業も隠蔽し、放浪生活を送るしかなかったものに「居場所」を提供してくれるのだから。

「冒険者か……それもいい。失った時を取り戻すには、一番かもしれないからな! ここが、俺のスタートだ!」

 夜が明け、不死の軍勢は土に還っていく。
 次の主の命令があれば、再び闇夜から姿を現すことにはなるが――当面のところ、それらの軍勢を使うときはないだろうと思いつつ。

「それはそうとしてローグさん……イネスさんと、ニーズヘッグさんは一体どうなるのでしょう」

 カルファが、後ろで主の悲願達成を祝ってうるうると涙を流している二人を見る。

「あいつらも、一緒に連れて行ってもらっていいかな……?」

「えぇ、もちろんです」

 こうして、世界最強クラスの()死霊術師(ネクロマンサー)と、魔王と、古龍の長い長い放浪生活が幕を閉じたのだった。