ゲムナデン山での死闘から、丸二日が経った。

「……ふむ、つまりこういうことかね?」

 顎を指でなぞるマッツォ卿の前には、フォン達四人が並んで立っていた。
 黄金獅子と別れた後、フォンはクラーク達勇者パーティを山の中に待機させていたドレイクのもとに連れてゆき、周辺で一泊した。そして山を去り、一日かけてギルディアの街まで戻ってきて、今こうして案内所で待っていたマッツォ卿に事情を説明している。
 受付カウンターから少し離れたところで杖をつく老人は、やや納得いかないような調子で、真ん中に立つクロエが伝えた内容を反芻した。

「『黄金獅子と戦ったが、雨の影響で地盤が崩れた』、『濁流に獅子が呑まれ、生死は分からない』、『戦いの最中に掴み抜いた毛しか持って帰られなかった』、と?」
「そうなります。すみません、依頼としては失敗しました」
「そうか、なるほど、なるほど……」

 ぺこりと頭を下げるクロエに、マッツォ卿はトーンを下げた冷たい声で言った。

「……真実を話してくれたまえ。私は嘘を一番嫌うのだよ」

 彼は、四人がついた嘘を見抜いていた。
 魔物と戦った末にトラブルが起きた、即ち仕事をしたが自然的な現象で逃げられてしまったなどという言い訳はあり得ないと、マッツォ卿の目は疑っていた。

「クロエ、師匠……」

 サーシャやクロエが押し黙り、カレンが当惑する中、右端にいたフォンが口を開いた。

「分かってるよ、カレン。マッツォ卿、ここからは僕が話します。全ては僕の判断です」

 真摯な顔で、罪人の如く、彼は真実を述べた。

「貴方が討伐を依頼した黄金獅子は、魔物同士の争いが絶えなかったゲムナデン山を一匹で纏め上げ、平定を作り上げています。今ここで僕が討伐すれば、再び山は騒乱の時代に戻り、人々に危害が及ぶ可能性もある。だから、僕は獅子を見逃しました」

 マッツォ卿が、目を丸くした。

「ほう、依頼を全うするのが仕事の冒険者が、討伐対象を逃がすと?」
「冒険者である前に、僕は平定を望み、忍ぶ者です」

 クロエが、彼を意外と頑固であると評した通り、フォンは自身が討伐対象である黄金獅子を逃がしたのについては非であると言わなかった。山の平穏を保つ為には、獅子が主であることが大事だという意見は変えなかった。
 だが、同時に冒険者としては失格である行いをしたのは、間違いない。

「ですが、マッツォ卿を失望させたのは事実です。仲間の反対を押し切り、僕はこの案を強行しました。ペナルティを課すのであれば、どうか僕一人だけにしてください」
「フォン、そんな……」

 三人の前に出て、深々と頭を下げるフォン。
 間違いなくそんなはずはない。仲間である以上責任は共有されるのだが、フォンは自分だけに非があり、己のみを罰して欲しいとまで言った。
 偉大なる自己犠牲の精神を前にしても、マッツォ卿の表情は変わらなかった。

「……依頼は失敗だ、その事実は変わらない」

 失敗。信頼を失う言葉を聞き、四人は目を瞑って最悪の事態を覚悟した。

「だが、強力な魔物から毛を抜き取ったのは成果の一つだ。それは評価させてもらおう。そうだな、毛の入った小瓶一つを金貨二枚で買い取らせてもらおうか」

 しかし、彼の話の続きを聞き、四人は瞑った目を驚きで開いた。
 マッツォ卿は、朗らかに笑っていた。まるで、フォン達を尊敬するかのようにも取れる微笑みは、一行に対する卿の印象の全てを表していた。

「危険な魔物との戦いで生き延びた点への報酬だ。冒険者組合には、依頼失敗の評価がつく前にこちらから依頼自体を取り下げておこう……フォン、君への敬意を含めてね」

 黄金獅子と戦い、生きて帰ってきた。山の平和と人の安全を考え、自分達の名前に傷がつくのも構わず、失敗と嘯いてまで獅子を守ろうとしたフォンの姿勢に、マッツォ卿は心の底から尊敬の意を示したのだ。
 評価は下がらず、報酬もある。クロエとカレンが手を取り合ってはしゃぐのも当然だ。

「やったね、カレン!」
「やったでござるな、クロエ!」

 騒ぐ二人の隣で、サーシャも安心した様子を隠し切れないのか、小さく息を吐いた。そんな中でもあまり動じた態度を見せないフォンを、マッツォ卿はしげしげと見つめた。

「いやはや、その若さで死闘を生き延び、世の平穏を考えるのか。何者なのかね、君は」

 見た目は十代の少年。中身はどんな冒険者や戦士よりも洗練された何か。
 真っ当な人間とは違う性質を見られたフォンは、いつもの返事をするだけだった。

「……僕はフォン。どこにでもいる、ただのフォンです」

 それだけ。以上でも、以下でもない。これが、フォンの常套句。
 ただのフォンなど、到底信じられないと分かっていても、マッツォ卿は理解するほかなかった。闇に踏み込んでまで、彼の正体を探る気はなかったのだ。

「……今は納得しておこうか。それよりも私としては、あちらに納得いかないのだよ」

 それに、彼の関心――悪い意味での興味の目線は、今は別の方向に注がれていた。

「あの勇者パーティとやらが、何の実績もなく、満身創痍で帰ってくるとはな」

 案内所の端、定位置のテーブルを囲んで不貞腐れているクラーク達に。