エスタニア王国の反乱事件から約三ヶ月。
 第三王女ディアーナ・フォン・エスタニアの婚約が発表された。
 相手は、ジークベルト・フォン・アーベル。
 そう俺だ。

 コアンから帰宅して数日後、父上に意志を確認された。
 突然の婚約話にひどく狼狽した俺は「えっ!?」と、素っ頓狂な声をあげた。
 思ってもいなかった展開に思考が追いつかず、しかも父上は、俺と王女ディアーナが相思相愛だと認識していた。
 ディアーナも照れながら「ジークベルト様は、受け入れてくださいました」と宣言した。
 その宣言に俺は、「えっ、いつ?」と、心の中で叫んだ。
 俺の困惑した表情を見て、なにかを察したディアーナは「夜の砂漠で受け入れてくださったじゃないですか」と、頬を赤くしてうつむいた。
 かわいいなぁーと、微笑ましく思うが、それどころではなかった。
 夜の砂漠って……あの時か!
 たしか、ダンジョンでの最後の夜、お礼を言ってくれた時、早口で聞き取れなかったあれねと気づいた。
 まじか……。あれ告白だったのか。
 いったいいつ好意を持たれたのか。事実は小説よりも奇なり。

 唖然として返事をしない俺に「ジークベルト様?」と、ディアーナが不安気げな声で尋ねてきた。
「うん。そうだったね」と、若干頬を引きつらせながらも俺は微笑んだ。
 ディアーナに恥をかかすことはできないと思った。
 俺はディアーナを嫌いではないし、むしろ好意はある。その気持ちが恋愛かと問われれば、肯定はできない。
 だけど、温めていくことはできる。
 ディアーナは、気立ても器量もいい。正直俺にはもったいないと感じている。
 ただ気になるのは、彼女がエスタニア王国の王女であり、王位継承権があることだ。マンジェスタ王国の侯爵家の四男と婚約しても国際的に問題はないのか。エスタニア王国の貴族たちは、この婚約を受け入れるのか。
 王太子以外の王族は、悪い言い方だが、政治の駒である。他国とのよりよい関係を築くため、婚姻を結んだり、自国の貴族に褒美として下賜贈することもある。
 そのような立場のディアーナが、俺と婚約って、父上はなにを企んでいるのでしょう。
 それに彼女は今反乱の首謀者として、祖国から指名手配されている。

「父上、それは彼女たちを守る武器になりますか」

 その発言にディアーナがハッとした表情で俺を見た。
「なる」と、父上が力強くうなずいた。
 それを目視した俺は即座に「ディアーナ王女との婚約の手続きをよろしくお願いします」と伝え、父上に頭を下げた。

「あとは側室のことだな。すでに王女には許可を得ている」

 またしても父上の突拍子もない言葉に「はっ!?」と、あっけにとられる。

「ジークベルト様、わたくしは正室としてがんばりますわ」

 涙ぐみながら感動した様子でディアーナが追従した。
 俺は慌てて「いやいや、ちょっと待って!」と止めるが、勘違いしたディアーナが「わたくしが正室ではいけませんか?」と、涙目で訴えてくる。

「そもそも側室ってなに?」
「はい? ジークベルト様はいずれ側室を迎えますよね。うれしいことに候補者の名にエマの名前があります。エマは恐れ多いと恐縮しておりましたが、わたくしが説得いたしますわ」

「父上?」と、すがるような気持ちで尋ねた。

「アーベル家では、恋愛結婚だ。複数相手がいても問題はない」

 いやいや、いくら貴族が一夫多妻でも、アーベル家は、ほぼ側室いませんやん!
 なぜそのような考えに至るのですか!
 しかも、エマを側室候補にって、範囲が狭すぎるでしょ!
 説得とかいらないよ。エマが、かわいそうだ。

「父上、なにか勘違いが あるようです。側室はいりません。婚約はディアだけで十分です」
「いいのか?」
「ジークベルト様?」

 俺の回答に、父上とディアーナは互いに顔を見合わせ、心底不思議そうな顔で俺を見る。
 なぜかふたりは、意気投合している。
 ここでの心象が大事だと感じたので、俺は真剣な表情で姿勢を正し「はい」と返事をした。

「わかった。では今回はディアーナ王女との婚約を進めよう」
「そうですね。今回はわたくしの婚約だけお話を進めていきましょう」

 俺の態度をどう捉えたのか、ふたりは、はいはいといった感じで流している。
「お二方、次回はありませんよ」と、笑顔で強く否定した。
 これ以上の話は無駄だと判断して、俺は頭を切り替えて言葉を続けた。

「父上、エスタニア王国はこの婚約を受け入れるのでしょうか。反乱が先日起きたばかりですし、ディアーナが首謀者だとの疑いは晴れてはいませんよね」
「そのことだが、五ヶ月後にエスタニア王国で武道大会が開催される。その賓客に王の名代でマンジェスタ王国の王太子ユリウス殿下がご訪問される。その際、ディアーナ王女とバルシュミーデ伯爵にも同行していただく」

 父上はいったん言葉を切ると視線をディアーナに向けた。
 意志確認がしたいようだ。
 その意図をくみ取ったディアーナが無言でうなずいた。

「それまでにジークベルトとディアーナ王女の婚約を発表する予定だ。万が一首謀者の疑いが晴れずとも、マンジェスタ王国の侯爵家の婚約者として地位を確立すれば、相手は手出しできない。降嫁すると決まった時点で、王女の王位継承権は消滅しているのでな」

 父上の説明は俺が危惧していたことが解消される内容だったが、新たに気になることが出てきてしまい思わず口に出していた。

「反乱が起きた直後なのに、武道大会ですか?」
「そうか、ジークベルトは知らないのか。武道大会は三年に一度、数十カ国の参加で開催される国際行事だ。毎回開催国が代わり、今年はエスタニア王国で開催される。各国で優秀な選手を二名選出し競うのだが、国力を示す重要なものでもある。戦火中でもない限り開催国が勝手に中止できるものではない」
「政治的なものでもあるんですね」と、俺は関心した表情でうなずく。
「そうだ。しかし近年は遠方の国での開催が多く、我が国は参加をしなかった」
「えっ? 父上、言っていること矛盾していますよ?」と、俺が声を上あげると、父上が不敵に笑う。
「我がマンジェスタ王国の国力は、世界有数だ。それを誇示する必要はない。だが今年は参加する。アルベルトを選手として出場させる」
「アル兄さんをですか?」
「アーベル家の嫡男は、一度は武道大会に出場することが決まっている。ユリウス殿下がご訪問される機会に出たいと、アルベルトから申し出があった。同じ年で幼い頃から仲がよかったユリウス殿下が、王の名代で訪問されるため、華を添えたいのだろう」

 そんな決まりがあるのか、嫡男は大変だと思った。
 父上の自信に満ちた態度から、アル兄さんに期待をしていることがわかった。
 俺はつい茶化すように「優勝でもする勢いですね!」と言った。
 すると父上が「ジークベルトなにを言っている。出るからには優勝だ」と真剣な面持ちで俺に指摘した。
 その圧に「そうですよね」と、俺は肯定するしかなかった。
 アル兄さんは大変だ。当然のように優勝って。各国の猛者たちが集まる大会だよ。
 その中で勝ち抜くのは一苦労、それ以上のものだよ。
 アル兄さんを心配しつつも、ディアーナの婚約者の俺は同行するってことだよな。武道大会、外国旅行、楽しみだと心が浮きだった。
 ごめんね、アル兄さん。

 その日のうちにアーベル家に従事する者も全員集め、父上がディアーナと俺の婚約を発表した。
 正式な発表は、後日となる旨を説明し、ディアーナたちの正体を明かした。
 コアンから帰宅した際、ディアーナとエマは、我が家で預かることになったが、父上のお客様としてもてなすようにとの命が出ていた。
 全員が驚き「さすがジークベルト様! 婚約者が王女様なんて素敵すぎる」などといった声がチラホラと聞こえる。
 その中でマリー姉様が崩れ落ちた。

「私のかわいいジークベルトが婚約!? 彼女は高位貴族の庶子だと思っていたのに……。まさか王女だったなんて! 仲がいいとは思っていたのよ。器量は文句のつけようがないから、庶子なら妾で我慢しなさいと説得するはずだったのに! なんてことなの!」

 マリー姉様の心の声は、ダダ漏れだった。
 しかもなんだか恐ろしいことを考えていたようですね。
 未然に防げてよかったと安堵する。
 ここ数日のマリー姉様の不満気な態度は、おそらくディアーナたちが同行して屋敷に帰宅したため、盛大な歓迎をしたが、満足するまで俺にかまえなかったことだ。
 事前にテオ兄さんから注意喚起を受けていたので、俺も未然に防いだりして流したが、ディアーナたちがいなければ、ひどいありさまだったと確信できる。
 本当に父上はなんと言って、マリー姉様を屋敷にとどめておいたのだろうか。
 背中に悪寒が走る。
 うん。知らないほうがいいこともある──。