最下層の『階層スポット』に全員で手をかざす。
白い光に包まれ、気づいたら小部屋に転移していた。
小部屋の中は、魔法陣の上に設置された台座があり、台座には大きな丸い玉が置いてあった。
俺たちはその台座の前に並んで転移していた。
俺はダンジョンの外に転移すると思っていたため、拍子抜けした。
物語とかでは、踏破したら外に転移して、周囲にダンジョン踏破したことがわかるような派手な演出があったりとか……。
いや、あくまで物語だけど……。決して期待してたわけじゃないよ。
「なんだか不服そうな顔しているね」
俺の反応を見ていた叔父が、若干笑いながら尋ねてきた。
自分が子供じみた考えをもっていたことが、少し恥ずかしくて視線を外しながら、誤魔化すように答える。
「ダンジョンの外を想像していたんです」
「それは残念だったね」
俺の返答に笑いながら返事をし、俺の頭をポンポンとなでる叔父。
少しぐらい夢見たっていいじゃないか。
俺の機嫌が急下降したのを感じとったのか、叔父がダンジョンの仕組みについて、詳しく説明してくれた。
その説明のおかげで、ここが、ダンジョン入口付近にある『階層スポット』であることがわかった。
「さてお迎えもきたようだし、行こうか」
叔父がそう言って小部屋の扉を開けた瞬間、白い物体が俺に向かって飛びついてきた。
「「ジークベルト様!!」」
王女とエマの悲鳴に近い声と共に、俺はその白い物体と一緒に後方へ倒れ込んだ。
「ガウッ! ガウッ! ガウッ!(ジークベルト! ジークベルト! ジークベルト!)」
その正体は、ハクだった。
ハクが興奮して、俺の名前を呼び、抱きついたようだ。
一緒に倒れてからは、顔中のいたる所を舐め回されている……。
傍から見ると魔獣に襲われている少年に見えるだろうな……。
俺は遠い目をして、うん。ハクが満足するまで耐えようと思った。
10分ほどたち、ハクが周囲の生暖かい視線に気づいたようで、素早く俺の上から下りると、すぐそばで座る。
俺はその様子を確認してから、起き上がるとハクに向けて手を伸ばし、ハクのふわふわの頭をなでる。
「ただいま。ハク」
「ガウッ!(おかえり!)」
ハクが元気に返事をする。
尻尾をパタパタと振り全身で喜びを表している。
そして、もっとなでて欲しいのか俺の膝に頭を乗せ、咽喉を鳴らした。
「盛大な歓迎を受けたね」
笑いながら叔父が近づき『洗浄』を俺にかけてくれた。
ベタベタだった顔がさっぱりとする。
その声を聞いたハクの耳がピクッと動き「ガウッ、ガウッガゥー(ヴィリバルト、ジークベルトを守ってくれてありがとう)」と、感謝の言葉を叔父に伝えている。
なぜかハクと意思疎通ができる叔父が「大切な家族だから、当たり前のことだよ」と、ハクの頭をなでた。
ハクの言葉に感動した俺は「ハク!」とふわふわの身体に抱きついた。
俺の行動の意味を理解していないハクは、小首を傾げながら「ガウッ?(どうした?)」と俺を受け止めていた。
そのハクの反応で、帰ってきたのだと安堵した。
「ジークベルト様? その魔獣は?」
俺たちの様子を遠目で見ていた王女が、俺に声をかける。
そしてエマと二人で、恐る恐る俺たちに近づいてきた。
「ハクだよ。ぼくの相棒なんだ。ハク、この子たちは一緒にダンジョンを踏破した。ディアーナとエマだよ」
ハクは、二人が近づくと耳をピンと立て、はじめは警戒した様子をみせるが、俺が二人を紹介すると、たちまち尻尾を激しく振り喜んだ。
「ガウッ!(仲間!)」
「そうだよ。ディアもエマもいい子なんだ。きっとハクも仲良くできるよ」
俺の言葉をうけ、王女がハクに挨拶をする。
「はじめましてハク様、わたくしディアーナと申します」
「エマです」
「ガゥ!(ハクだ!)」
続けてエマも挨拶をして、ハクたちが和みだした頃に、見慣れた赤い短髪の大柄な騎士が近づいてきた。
「ジークベルト、無事で何よりだ」
「父上!」
「積もる話もあるが、ここでは邪魔になる。宿をとってある。お嬢さんたちも一緒にな」
父上は俺の頭に手をポンと置き、小部屋の扉にいる騎士たちに指示を出す。
あれは父上が率いている第一騎士団の精鋭部隊だ。カミルは回収されたようで姿はもうなく、扉の前には伯爵が立っていた。
俺は頷くと立ち上がり、扉に向かって歩む。その横にはハクが、後ろには王女とエマが続いた。
その三人と一匹の姿を見たギルベルトが深く頷き、つぶやいた。
「ヴィリバルトの報告通りだな」
「兄さん、私を疑っていたんですか」
心外ですと言わんばかりに、ヴィリバルトがわざとらしく肩をすくめた。
ギルベルトは、弟のその仕草に眉を顰める。
アーベル兄弟の日常がうかがえた。
ギルベルトが言葉を発する前に、ジークベルトの弾んだ声が聞こえた。
「父上! ヴィリー叔父さん! 先に行きますよ」
「すぐに行くよ。行きますよ兄さん」
「あぁ」
かわいい息子の声とヴィリバルトに促され、ギルベルトはその場を後にする。
そして、静かに小部屋の扉が閉じられた。
カタコト、カタコト――。
規則正しい音を鳴らして、コアンの白い町並みを進む。
馬車内では、叔父が父上に、俺とレッドソードキングの戦闘の様子を事細かに、そして大袈裟なほど俺を褒めて伝えていた。
父上は、その一つ一つに相槌を打ち、表情は崩さないが、とても満足そうではある。
横でそれを聞いている俺は、とても居心地が悪いんだけどね。
いたたまれない気持ちを惑わすように、膝の上にいるハクの柔らかい毛をなでる。
先行した王女たちは宿に着いただろうか。
ふと馬車に乗りこむ二人の不安気な様子を思い出した。
――馬車に乗る前。
ダンジョンの外では、マンジェスタ王国の騎士たちがダンジョン入口を囲んでいた。
厳重な警備体制に驚きもしたが、一国の王女を警備するには当然のことである。
だけど、ピリピリとした肌にも感じる緊張感と国の精鋭部隊での護衛。
エスタニア王国の王女でも、ここまでの体制はありえない。何かあったのは明確だった。
俺たちに気づいたひとりの騎士が、父上のそばにより声をかけた。
「団長、馬車の用意はできています。道中の警備も問題ありません」
「王女殿下を先にお通しする」
「承知しました」
父上の指示に、騎士は素早く返事をすると後方へ下がった。
すると横にいた王女が、父上に問うた。
「アーベル侯爵、わたくしどもはジークベルト様と同伴でしょうか?」
「いいえ、王女殿下。ジークベルトとは別の馬車をご用意しております」
父上が否定すると、すぐさま王女が難色を示す。
「ジークベルト様との同伴をお願いしたいのですが」
「それはできません」
父上がはっきりと拒否した。
なおも父上に縋ろうとした王女を伯爵がたしなめる。
「姫様、アーベル侯爵を困らせてはなりません」
「ですが……」と声を王女はあげるが言葉は続かず、マントをギュッと握りしめる。
しばらくして「わかりました」と言い、下を向いた。
その様子に周囲も気遣わしげに王女を見ていた。
まぁ無理もない。ほんの先ほど、王女は自国の騎士に裏切られ、命を狙われたのだ。
精神的に考えても、ダンジョン踏破した俺たちと一緒に行動したいのはわかる。
それに他国の騎士たちに囲まれて、気が休まないのだろう。
そして促されるまま、王女たちは馬車に乗り込んだ――。
車輪の音が止まった。どうやら宿に着いたようだ。
一目で格式ある宿だとわかる佇まいに、多くの魔法の痕跡。精密な魔道具が多数使用されている。
その精度に俺は、言葉を失くしてしばらく呆けた。
「コアンの技術が詰まっている宿だからね。安全は保障するよ」
「ヴィリー叔父さん、あとで魔道具を見せてもらえるでしょか?」
「それは交渉しだいだね」
叔父が面白そうに俺を見て答え、宿の中に先導すると、先に大部屋へ行くよう促された。
ハクと一緒に大部屋の中に入ると、そこには王女とエマが二人、ソファに座っていた。
「「ジークベルト様!」」
二人の声が部屋に響く。
すると王女が素早い動きで立ち上がり、俺の手をとると二人の間に座らされた。
王女の早業に、俺は言葉を失くしていると王女が「ジークベルト様、手を繋いだままでもよろしいでしょうか」と、かわいらしくお願いされた。
あざとすぎる。ほんの数分で性格変わっていませんか。
王女の行動に唖然としていると横にいるエマが「では、私もお願いします」と、手を差し出された。
えっ、これ。断れないよね。
困惑する俺にハクが「ガウッ?(どうした? ジークベルト?)」と小首を傾げた。
両手に花。
男なら一度は憧れるシュチュエーションだとは思う。
だけど、俺は冷や汗が止まらない。色々と考えてしまうのだ。
背景とかを……。もちろん居心地が悪いのではない。
それに彼女たちの要望を無下にできるほど、俺は鬼でもない。
二人は俺を間に挟んで、一見楽しく会話が弾んでいるようにみえるが、言葉の端々に緊張がうかがえた。
おそらく、あまりにも重度な警戒態勢に、何かがあったのだと察し、不安から心を守るために、俺にすがったのだと思う。
背景とかを考えなければ、俺は役得なのだけど……。
コンコン。
扉のノックの音ともに父上たちが部屋に入ってきた。
俺たちの姿を見た叔父が冷やかしてくるが、その声色は優しい。
「三人は仲良しだね。ジークは、これから大変だね。ねぇ兄さん」
「ジークベルトは、上手くやるだろう」
「そうだね。さて、さっさと本題を片づけよう。私は休みたいしね」
父上が大きく頷きながらそれを肯定すると、叔父が父上たちをソファに誘導する。
その様子をみたエマが急に立ち上がると、ソファの後ろに行こうとしたため、俺はエマの手を力強く引っ張り、無理矢理ソファに座らせた。
俺の行動に困惑したエマが「ジークベルト様、私は侍女なので立たなければ」と、慌てているが無視だ。
その様子に叔父が、安心させるように伝える。
「エマ、気にしなくても身内(・・)だけだから大丈夫だよ」
「しかし……アーベル様」
なおも拒否しようとするエマに、王女が命令した。
「エマ、座っていなさい」
「はい。姫様」
王女の命令に、エマは即座に反応し従う。
二人の主従関係が、垣間見れた瞬間だった。
俺たちの正面に、叔父と父上が座り、王女の斜め横に伯爵が座った。
ハクは大事な話合いをすると察したようで、邪魔にならないよう部屋の隅で寝そべった。
全員が着席したのを確認すると、父上が叔父の名を呼ぶ。
「ヴィリバルト」
「はい兄さん『遮断』」
「これで外部からの盗聴は防げます。挨拶が遅れて申し訳ない。私はマンジェスタ王国、第一騎士団団長ギルベルト・フォン・アーベルです。エスタニア王国、第三王女殿下ディアーナ様とお見受けいたします」
「はい。エスタニア王国、第三王女ディアーナ・フォン・エスタニアと申します」
「パスカル・フォン・バルシュミーデです」
父上の挨拶を皮切りに、建前上の簡易的な自己紹介をする。
自己紹介の際、王女は身を包んでいたマントを外すと、白い耳を父上に見せた。
父上は、視線に一度耳を移すが、すぐに正面を見据え話を続ける。
「お預かりした騎士は、我が騎士団の聖魔術師にて治療を施しています。順調に回復しているため、後遺症もなく明日には目覚めるとのことです」
「それはよかった。エスタニア王国の王女として、第一騎士団に敬意と感謝を申し上げます。ありがとうございます」
王女が深々と頭を下げる。それに続き、伯爵とエマも頭を下げた。
カミルの状態が快方に向かっていると聞き、俺もホッと軽く息を吐いた。
心臓付近を深く刺されていたため、今後の騎士活動に制限がかかるのではないかと思っていたのだ。
場の雰囲気が少し明るくなったのも束の間、父上が重い口調で切り出した。
「残念なお知らせがあります。貴殿らがコアンダンジョンにいる間に、エスタニア王国内で反乱が起こりました」
「「「」」」
「なんですと!」
伯爵がバンッと机を叩き、立ち上がる。
王女とエマは、突然の事態に目を見開き、固まっている。
父上は王女たちの反応を観察しつつ、はっきりと告げる。
「反乱の首謀者は、第三王女ディアーナ・フォン・エスタニアとのことです」
「「「「!!」」」」
その言葉に、伯爵はドカッと椅子に座ると両手を組み、ギラついた目で父上に問う。
「アーベル侯爵、その話は誠であるな」
「えぇ、バルシュミーデ伯爵、貴殿の名も副官としてありました。当初は不意打ちなどもあり反乱軍が有利でしたが、一週間も経たずして、反乱軍が不利となり、最後はあっけなく王国軍に軍配が上がりました。捕虜となった反乱軍のほとんどが雇われた冒険者と奴隷だったようです。各国に通達が届いています。逃亡した第三王女以下を捕まえ、エスタニア王国へ帰国させるようにと」
繋いでいた王女とエマの手に力が入る。
俺は二人を落ち着かせるため、強く握り返し、二人それぞれと目を合わせる。
急な展開で俺も驚いたが、父上と叔父がこの場を設けたということは、悪いことにはならない。
もし捕まえるなら、このような手間はかけない。
俺が父上たちの行動を確信していると、すぐにその答えが出る。
「マンジェスタ王国は、貴殿らを保護します」
「保護? 捕縛ではなく?」
伯爵が鋭い視線で疑問を言葉にすると、父上がそれに応えた。
「弟より、貴殿らとダンジョン内で一緒に行動していると事前に情報をえていました。反乱が起きたのは、弟たちと一緒に行動をした数日後。コアンの下級ダンジョンにいる貴殿らが、何らかの方法でエスタニア王国に戻り、反乱を起こすなんて器用な真似、私はしたくもありませんし、ジークベルトが発見しなければ、亡くなっていたとの報告も受けています」
「その通りですな。姫様を守るどころか、命の危険にさらしました。騎士としてお恥ずかしい。ジークベルト殿には感謝してもしきれない大恩ができました」
自嘲めいた言葉を口にした伯爵は、俺に向け深く頭を下げた。
伯爵の纏っていた威圧が少し軽減する。
父上が言葉をつなげる。
「エスタニア王国内でも、反乱軍にディアーナ王女やバルシュミーデ伯爵の姿がないため、他に真の首謀者がいるのではないかと怪しんでいるようです。我が国は貴殿らを保護し、反乱を首謀することはできない状況だと報告し、潔白を証明させましょう」
「有難い話ですが、なぜそこまで手厚くしていただけるのですかな?」
伯爵の疑問は筋が通っている。
他国の厄介事を引き受け、すべてを解決すると言っているのだ。
俺でも疑問に思う。
「伯爵、我々も打算がないわけではありませんよ。ダンジョン内に転移した『移動石』、コールスパイダーの変異種に関しての情報収集に協力して頂きますよ。また伯爵のように力のある方が、なぜ繭内から抜け出せなくなったかも含めてね。研究材料が増えて私は嬉しいですけどね」
「今の弟の提案だけであれば、わざわざ面倒な案件に首を突っ込まず本国へ送還させますが、ジークベルトが大変お世話になったようですしね。アーベル家が貴殿らを守りましょう」
「「「!」」」
父上のその発言で、アーベル家以外の全員の視線が俺に向かう。
王女が繋いでいた俺の手を胸に寄せ両手で握った。
金の瞳は若干濡れているようだ。
「ジークベルト様、ありがとうございます」
「いや、俺は何もしてないよ」
「いえ、いいえ、ジークベルト様と出会えたことを神に感謝します」
戸惑う俺をよそに、父上たちは微笑ましいものを見るかのように沈黙している。
俺はそんな父上に『言葉の責任は取ってくださいね』と目配せするが、なぜか思慮深く頷いてる。
その横にいる叔父は、肩を小刻みに揺らし笑うのを我慢しているようだ。
ヴィリー叔父さん! 笑ってないで助けてください。
あきらめににた状況で視線を伯爵に向けると、そこには俺を崇拝したような目をした伯爵がいた。
あっ、あれはダメなやつ。
ハッとして、俺は横にいるエマに視線を向けた。
エマの視点が合っていない。
エマ、エマさんや、現実に帰ってきなさい。
エスタニア王国一行が、カオスだ。
先ほどまでのシリアス、どこにいった!
俺が心の中で叫んでいると救世主? が現れた。大部屋の扉が勢いよく開いた。
そこには人間の姿に顕現したフラウと、それを止めようとしたのだろうテオ兄さんがいた。
全員が注目する中、フラウは腰に手をあてプリプリと怒っている。
「ヴィリバルトもジークベルトも帰ってきたのに、わたしに、ただいまの挨拶がないわ!」
「すみません。いまはダメだといったんですが……」
「テオは悪くないよ」
叔父は立ち上がり二人に近づくと、テオ兄さんの肩をポンと叩く。テオ兄さんはスーッと横に動き、叔父に場所を譲る。
すると叔父は侍女たちが失神するほどの全開の笑顔で、フラウの前に立つと両手を広げた。
「ただいまフラウ。心配かけたね。フラウがいてとても助かったよ。ありがとう」
「おかえりなさい。ヴィリバルト! わたし役にたったのね! 嬉しいわ! もっと褒めてもいいのよ!」
フラウは満面の笑みで、叔父の懐に入り抱きつく。上機嫌だ。
絶世の美女がフラウだと、残念美女に見えるのはなんでだろう。と思った瞬間、今しがた叔父の前にいたフラウが、俺の顔面20cm以内にいた。
「ジークベルト、いまわたしのことを悪く考えなかった?」
俺は「滅相もない」と、頭を激しく横に振り否定する。
「そう? 悪意を感じたのだけれど、それならいいわ! おかえりなさい。ジークベルト! ハクと一緒に頑張ったのよ!」
「ただいま、フラウ。うん、ありがとう! とても助かったよ」
俺を上からギュとフラウが抱きしめる。
人間の姿だと豊満な胸が顔にあたるんですが、役得……。両横の視線がとてもいたい。
なぜだろう。浮気がバレた夫の心情のようだと思ってしまった。一度も浮気の経験などないのに……。
フラウは満足したのか、叔父のもとに戻り、叔父の膝の上に座ろうとしたところ、テオ兄さんに指摘され、渋々叔父の横に座りなおした。
「さぁ、お話の続きをして頂戴!」
「終わったよ」
「なんですって! わたしは聞いてないわ!」
フラウは口を大きく開け、ムンクの叫びのような表情のまま固まった。
完璧な残念美女だ。
しばらくすると「テオバルトが邪魔するから間に合わなかった」とテオ兄さんをキッと睨む。
相変わらずの貧乏くじを引いているテオ兄さんに心の中で合掌した。
――ジークベルト転移事件当日。
アーベル家本邸、ジークベルトの部屋。
「ガウゥー!(ジークベルトがまだ帰ってこない!)」
ハクはお気に入りのソファから飛び降り、部屋の中を歩き回る。
ジークベルトが、屋敷を出てから半日が過ぎていた。
ハクは今朝の出来事を思い出していた。
ジークベルトは、魔法砂を貰いにフラウがいる魔術団に行く事になった。
ハクはしぶしぶお留守番をすることになった。本心は一緒に行きたかった。
ジークベルトのそばを離れるのは嫌だけど、ジークベルトから『お留守番をしていて欲しい』とお願いされた。
魔術団には恐い人たちがたくさんいて、ハクを研究対象として捕獲されたら大変なことになる。ジークベルトの迷惑になるのも嫌だ。
だから、お留守番をすることにした。
もうすぐ夜になるのに、ジークベルトが帰ってこない!
早く帰ってくると、約束したのに帰ってこない!
まさか!!
ハクの代わりに魔術団に捕まった!?
大変だ! すぐに助けに行かないと!!
ハクの結論はそこに至ると「ガウゥー」と遠吠えして、部屋の扉に向かう。
器用にドアノブを掴み、扉を開け廊下を駆け抜けた。
ハクの遠吠えに気づいた侍女たちが、慌ててジークベルトの部屋に向かっていたが、時遅し。その姿を愕然と見送ることしかできなかった。
平然を取り戻した一人の侍女が「アンナ様に報告を!」と動くと「マリアンネ様は、自室? 応接室ね!」とまた一人が消える。残った侍女たちは、ハクの後を追いかけた。
侍女からの報告を聞いたアンナは「ハク様は、いまどちらに!」と、冷静沈着な彼女にはめずらしく動揺している。
そこにまた一人、侍女が肩で息をしながら部屋へ入り、報告する。
「アンナ様、ハク様を玄関にて捕獲しました。いまマリアンネ様の元にお連れしています」
「大事に至らず安心しました。すぐに参ります」
その報告内容に安堵のため息を吐くと、さきほど見せた動揺は微塵もかけず、姿勢を正したアンナがそこにいた。
現在、アーベル家は、大混乱の中にあった。
『アーベル家の至宝』ジークベルトが行方不明なのだ。
夕方に魔術団から二人の団員が、極秘でアーベル家を訪れていた。
魔術団員の報告では、研究の作業中に、研究室を訪れたジークベルトが、ヴィリバルトと一緒に研究施設から消えた。
行き先は現在も不明。
原因は、研究中の転移石の作業を失敗したとのことだった。
魔術団員Aは、証言する。
俺たちの報告を聞いたマリアンネ様は、一言「そうですか」と言ったきり無言になった。
終始、穏やかな顔をしていたけれど、纏っていた雰囲気は、殺意ともいえぬ恐ろしいものだった。
俺、死んだと思ったよ。
魔術団員Bは、証言する。
中年の侍女に「失敗するのは勝手ですが、なぜジークベルト様を巻き込んだのですか!」と詰め寄られ、執事に「失敗した魔術団員のお名前をお伺いできますか」と丁寧だが、有無を言わさぬ態度で聞かれたんだ。
もちろん素直に答えたよ。答えなかったら、何されるかわからないじゃないか!
執事や侍女ごときだって!! お前はあの場にいないからそんなことが言えるんだ! あの背筋が凍るほどの恐ろしさ……。
俺は精神ともに五体満足で生涯を過ごしたいんだ。
魔術団員ABは、アーベル家から戻るとすぐに上官へ『二度とアーベル家には、報告に行きたくない』との要望書を提出した。
その要望書を手にした上官は「気持ちはわかるぞ……」と、五年前を思い出し身震いした。上官は魔術省出身だったのだ。
上官は、魔術団員ABの気持ちを汲み取り、アーベル家と関わらない部署へ移動させた。
後に魔術団員ABは、要望書を提出したことを後悔することになるのだが、それは別の話しだ。
魔術団員がアーベル家を後にした応援室内では、興奮状態のマリアンネを宥めるテオバルトがいた。
「マリー姉様、落ち着いて」
「落ち着いていられないわ! ジークが魔術団内で消えたってどういことなの!」
「ヴィリー叔父さんも、一緒に消えたんだよ。だから大丈夫だよ」
「一緒に消えたからといって、二人が一緒にいる証拠がどこにあるの! そんなことわからないわ! もう、こんな大事になるなら躊躇せず『追跡』の魔道具を渡せばよかった」
廊下まで聞こえる二人の会話、そこに侍女に伴われたハクが入室してきた。
二人の会話の内容をハクは、反芻する。
ジークベルトが消えた……? ジークベルトが消えた? ジークベルトが消えた!?
「ガウッ!(ジークベルトは、いまどこにいるの!)」
ハクの乱入に二人は驚き会話を止めると、テオバルトがハクのそばにより、安心させるような仕草でハクの頭をなでる。
「ハク、大丈夫だよ」
「ガウ、ガゥ、ガウッ?(大丈夫ってなに? ジークベルトはどこ? ジークベルトが消えたってなに?)」
テオバルトは、ハクがジークベルトを心配していることは読み取るが、これほどまでに興奮したハクを見るのは初めてだった。
どう接すればいいか対応に困ってしまう。下手に接すれば、ジークベルトを探しに屋敷から抜け出しそうな勢いだった。
ふとハクのそばにいた侍女と目が合った。
あぁー、もう抜け出そうとしたのかと、状況を把握し、どう説得すればいいのだと匙を投げかけた。
脳裏にあまり関わりたくないが、小さな妖精を思い浮かべた。
ハクは、テオバルトの返事を待っていたが、一向にテオバルトは話さない。
やはりハクがジークベルトを探しに行くしかない! と決断し、応接室から出ようと方向転換しようとした。
するとどこからともなく『ハク』とジークベルトの声が聞こえた。
「ガウッ?(ジークベルト?)」
応接室を見回すが、姿はない。
気のせい? 再び動こうとするとまた『ハク』と聞こえる。
「ガウッ?(ジークベルト?)」
再び見回すが、やはり姿はない。ハクは小首を傾げる。
その仕草を見たマリアンネは、ハクが寂しさのあまり、虚無に話しかけ、ジークベルトを想い鳴いているのだと思った。
胸が締めつけられる。まだ幼い魔獣の赤子が、これほど嘆いているのだ。
マリアンネは決断する。
「テオ! すぐに屋敷を出てジークベルトを探します」
「えっ? どうして急に!?」
「ハクが可哀想過ぎます」
「いやいや待って! 父様の帰りを待ってください」
テオバルトは必死にマリアンネを止める。
侍女たちに目配せし、アンナとハンスへ報告に行かせた。
父様、すぐに帰ってきてください。僕、一人ではマリー姉様はもう説得できません!!と、自分の不甲斐なさに内心苦笑いした。
ハクは二人の状況を気にも留めず『ハク』と、ずっーと聞こえるジークベルトの声を考えていた。
ジークベルトの声は、マリアンネたちの様子からして、ハクにだけ聞こえると考えた。
ハクにだけ聞こえる……心の声!!
この声に返事をするには、ハクも心で話せばいいのではないか。
集中して想いをのせて『ジークベルト!!』と心の中で叫んでみると『ハク聞こえるかい!』と、ジークベルトの応答があった。
ジークベルトとの念話を終えたハクは、項垂れた。
ジークベルトは、ヴィリバルトと一緒にダンジョンにいる。
無事だったのは嬉しかったが、すぐに帰れる状況ではないようだ。
ハクも一緒に行きたいと伝えたが、ここで待っていて欲しいとお願いされた。
ジークベルトのお願いは、ハクにとっては絶対だ。
だけど、ジークベルトがいないのは、寂しい。
ハクの耳がシュンと下がり、尻尾がお尻にまとわり付いている姿に、テオバルトが気づく。
その変化に戸惑うテオバルト。
えぇーーと……。先ほどまでは、ジークベルトを探すんだ! と、興奮状態だったのに、この短期間での落ち込みよう。いったいなにがあったんだ。
えっ、もう泣きそうなぐらい落ち込んでいるじゃないか。
えっ、これどうするんだ? どうすればいいんだジークベルト!!
テオバルトの心の叫びは、虚しく響きわたるのだった。
***
その夜、帰宅したギルベルトは、マリアンネに説明という名の説得を終えた後、アルベルトとテオバルトを執務室へ呼び出した。
「ジークベルトは、ヴィリバルト一緒に、コアンの下級ダンジョン十七階にいる」
「父上、それはどういことですか?」
アルベルトが、詳細な情報を掴んでいる様子のギルベルトに問うた。
「本日、ジークベルトは、ヴィリバルトに魔法砂を貰うため、魔術団を訪れた。『移動石』の研究中に作業が失敗。その時たまたま訪れたジークベルトが巻き込まれたそうだ」
その説明を受けた二人は、しばらく沈黙する。
すると、なにかに気づいたテオバルトが、言葉を発した。
「父様、ダンジョン内は転移ができないはずです」
「テオバルトの言う通り、ダンジョン内は転移ができないのだ。だが今回はできた。ヴィリバルトの報告では、魔法の暴走も考えられるが、ダンジョン内に転移できる手段があるかもしれないとのことだ」
「その手段がわかれば、冒険者も楽になりますね」
「そうだな……」
ギルベルトは、テオバルトの率直の意見に同意するものの、王都を指定していた『移動石』が、コアンの下級ダンジョン内に転移した。これが指す理由、暗躍している人物がいる可能性が高いと危惧した。
思い過ごしだといいんだが、こういった勘は大抵当たるのだ。
今回は、はずれてくれと願い、目の前の二人の息子と、弟と一緒にいるもう一人の息子を想った。
「父上、コアンの下級ダンジョンは二十五階層ですが、広大です。叔父上はこのダンジョンの経験は?」
「ない。そのため踏破することにしたそうだ」
「その判断が妥当ですね。叔父上の『索敵』は広範囲ですから一週間以内には、踏破できるでしょう。もちろん戦闘は叔父上の単独ですよね」
ジークベルトの居場所がわかり、安堵したアルベルトは饒舌に語る。
それをギルベルトが否定した。
「いや、ジークベルトが主動だ」
「「!!」」
「叔父上は何を考えているのです! ジークはまだ七歳です。そのような危ない真似許せません!」
興奮したアルベルトが、執務室のテーブルをドンと叩いた。
普段見せないその様子に、長男は末弟が余程大切なようだと、ギルベルトは苦笑いする。
「アルベルト落ち着け。ジークベルトの強さは、お前たちも認識しているだろう」
「「はい」」
「コアンの下級ダンジョンは、ボスがBランクだ。各階層の魔物はCランク以下となる。レベルを一気に上げ、ジークベルトの強さを隠蔽するいい機会だと考えている」
「しかし、父上……」
「心配しなくとも、ヴィリバルトがいる」
その名前を耳にしたアルベルトは、一気に冷静になった。
ギルベルトとヴィリバルトの思惑を理解し、ジークベルトを危険に曝すが今後のことを考えればレベル上げには賛成だ。
しかも『赤の魔術師』が一緒なのだ。ほぼ無傷のジークベルトが想像できた。
色々と葛藤した結果、最善はジークベルトのレベル上げであるとの結論に至る。
「それにしても父上と叔父上はどのようにして連絡を取っているんですか」
アルベルトの素朴な疑問に、ギルベルトとテオバルトの動きが止まる。
ダンジョン内は外部への『報告』魔法が使えない。普通に考えればそう思うのは当然である。
若干視線を逸らしながら、ギルバルトは答えた。
「それは……ヴィリバルトに許可をえれば、お前にも紹介しよう」
「紹介ですか?」
「いや……、教えよう」
「アル兄さん、世の中には知らないほうが幸せってこともあると思うんです」
「テオ、急にどうした?」
「いえ、なんでもありません」
微妙な空気が執務室を包む。
アルベルトは、地雷を踏んだのかもしれないと思った。
連絡手段を聞いただけなのに、明らかにギルベルトの態度が一変したのだ。
ギッギギーと、効果音がつくぐらい鈍い動きで自分を見て、意図して視線を逸らしたのだ。
そして、なぜかテオも動揺している。
言いようもない不安が襲う。なぜだろう。これ以上追及してはいけないと本能が察知している。
「やっぱりいいです」と言えないまま、その日は解散となった。
後にアルベルトは「あの時、拒否しておけばよかった」と、眉間に皺を寄せることとなる。
「テオ、お前調教師になったのか?」
友人の戯けた声に、テオバルトは歩んでいた足を止める。
ここは王都にある魔術学校だ。
魔属性を所持している者は、必ず通うことが義務付けられており、もちろん身分は問わない。
魔法の実用的な修練と研究を主としているが、魔法以外の雑学、教養、技術面でのスキル習得などの授業もあり、近年では魔属性のない者も通っている。主に商家や町の権力者の子息や息女だ。将来の人脈を培い強固するのが目的だ。
貴族社会に唯一邪魔されることなく接触できる機会を易々と逃すはずもない。彼らはどのような地位であっても平民なのだ。
今後の有力者と縁を繋ぐこと、魔術学校は、社交場の予行でもあるのだ。
また国が優秀な人材を確保、把握するための場でもある。魔術学校で優秀な成績を収めたものは、国の機関への就職が約束される。
平たく言えば、国が優秀な人材を囲うための職業斡旋所でもある。
その魔術学校の廊下で、あのアーベル侯爵家の子息だが、なぜか存在感が薄い優秀なのに注目されないテオバルトが、人々の視線の中心にいる。
静寂に包まれたその場で、慣れない注目に苦笑いしつつ、テオバルトは、横にピタリと寄り添うハクに目をやる。
まぁ目立つよね……。
ここ数日、ジークベルトが転移事件に巻き込まれてから、ハクがテオバルトのそばを離れようとしないのだ。
今日は、週三日ある魔術学校の日だった。
ジークベルトが、ハクをとても大切にしていることを屋敷全員が認識していた。
下手に連れ出し、厄介な相手に目を付けられると困るため、丁寧に根気強くハクを説得したが、頑固としてテオバルトのそばを離れなかった。
しかたない休むかと、半月ほどの休学を覚悟したところ、ギルベルトから「連れて行きなさい」との命令が下った。
父様の思惑は、なんとなくわかるが、それを僕がするのか……と、不満が口に出なかっただけでも褒めて欲しいぐらいだ。
「末弟が飼っているんだ」
「末弟? あぁーあの噂の銀髪くんね」
「噂?」
「ガルゥ?(うわさ?)」
テオバルトが疑問を口に出すと、隣のハクも声を出して瞬きしながら首を傾ける。
その仕草にその場にいた全員の心を掴んだようだ。
場の空気が変わるのをテオバルトは感じた。
目的の一つが、こうも簡単に片付いた。
ジークベルトを銀髪と呼んだ友人が、その可愛さに凝視していたが、ハッと気づき言葉を返す。
「まあまあ、それにしても綺麗な毛並みだなぁ。触っても?」
「ハクが許したらね」
テオバルトの声と同時にハクが動く。友人の前に座り「ガル!(いいぞ!)」と元気よく返事をした。
「お許しが出たってことかな。おおーー、すっげーーなぁ!! 艶々だし触り心地最高! さっすが侯爵家! 手入れ抜群じゃん!」
「末弟がとても大事にしているからね」
その声に周りで傍観していた人々が、次々と列を作る。
まぁそうなるよね……。
友人の後ろに長蛇の列ができていた。
友人は後ろの列に気づくと、ばつの悪そうな顔してテオバルトへ軽く頭を下げ、すぐ後ろの人物へ譲る。
列は途切れることなく、授業が始まる直前まで続いた。その中に講師が含まれていたことに、テオバルトはほくそ笑む。
ハクは大人しく、嫌な表情一つせず、されるがままだった。こちらの思惑を理解しているかの動きにテオバルトは関心する。
さすがジークベルトが相棒と呼ぶだけのことはある。高い知性がかいま見れる。この魔獣を手元に置き、従えている末弟のすごさを再認識すると共に輝かしい将来の影で多くの暗躍が纏わりつくだろうと、未確定の不安要素に心を痛める。
未自覚のブラコンの気苦労は絶えないのだ。
授業中もハクは邪魔することもなく、ただ静かにテオバルトのそばにいた。
当初教室に入った際は級友たちが大騒ぎしたが、それを気にすることもなく淡々とテオバルトの後に続く。
その光景に騒然とした級友が押し黙り、様子を静観する。講師も一瞬怯んだが、ハクを指摘することなく、授業は進んだ。
魔術学校は許可さえあれば、魔獣と一緒に授業を受けられるのだ。
まぁその許可を使って魔術学校に魔獣を連れてきた生徒はほぼいないため、噂を嗅ぎつけた他教室の生徒が、休憩の都度押しかけ、ハクの可愛さに心を捕まれていた。
全ての授業が終わり、生徒たちのハクへの好奇心も一段落したため、屋敷に戻る馬車へ向かう。
粗方の目的は、ほぼ達成したが、まだ安心ができない。教授と顔を合わせていないのだ。一抹の不安も残したくはない。やはり屋敷に戻る前に研究棟へ足を踏みいれるかと考えていると、前を歩いてくる人物を見て舌打ちした。よりにもよってウーリッヒ教授か。
ウーリッヒ教授は、伯爵家の次男で、魔術学校での地位もそこそこ高い。ただ生物実験などの研究を好んでおり、残虐な実験から何度か注意喚起を受けているはずだ。
研究室に籠っていることが多く、滅多に遭遇することはない。牽制するには、最適な相手ではあるが厄介だ。
素直に引いてくれればいいが……。
「テオバルト殿、その魔獣の赤子は……なんと! ブラックキャットの変異種! これはなかなかお目にかかれるものではないですね……研究対象、いや素材として使えるな! テオバルト殿、是非とも譲って頂きたい!!」
即座に鑑定する技量に、再び舌打ちしたくなるが、ここはグッと我慢する。
テオバルトは、ハクの右足にあるアーベル家の家紋が付いたアンクレットをわざとらしく見た。
「ウーリッヒ教授、申し訳ありませんが、この赤子は、アーベル家が所有しているのですよ」
「むーー。では、ゲルト殿に掛け合って、譲って頂きましょう」
ウーリッヒ教授は、少し考えた素振りを見せるが、妙案だと提案する。
それにテオバルトは淡々と答えた。
「ゲルトには、この赤子の所有権限はありません。また叔父ヴィリバルトの庇護下にいますので、手を出すとウーリッヒ教授の研究に支障が出る可能性がありますよ」
「赤め、忌々しい! 私の研究の邪魔ばかりをして……」
ウーリッヒ教授は、ブツブツと恨み辛みを呟いている。
矛先を叔父へ変えたことには成功した。ハクに手を出すことは当分ないだろう。
この件が、他の教授にも伝われば、ジークベルトがハクを連れて魔術学校へ通っても問題はなさそうだ。
テオバルトの影に隠れ、ジッーと事の成行きを傍観していたハクの頭を一撫でし満足する。
ただゲルトが、ウーリッヒ教授と親交があると判明し、少なからずショックを受けたが顔には出さず、テオバルトとは、そのままフェードアウトした。
テオバルトが屋敷に帰宅すると、アルベルトがげっそりとした顔をして、テオバルトの自室で待機していた。
その横には、宙に浮いた精霊。思わずバタンと自室の扉を閉めてしまい横にいるハクが驚いた顔で、テオバルトを伺い見る。
「うん、マリー姉様に帰宅の報告をしていなかったな」
さも当然といった感じで、踵を返そうとするが、ガシッと腕を掴まれた。
「いつも帰宅の報告なんてしたことないだろう」
「アル兄さん、早い帰宅ですね。普段なら夜遅くまで騎士団の詰所にいますよね」
「あれが耳の横で五月蠅すぎて仕事にならない」
アルベルトの必死な形相に、だから忠告はしたのにと内心毒つく。
人に興味があり、しかも契約者の叔父の血縁関係者に姿を現してもいいと許可が下りたのだ。
守る者の範囲に僕たちが含まれていると宣言していた精霊がこの絶交の機会を残すなんてことはない。
そりゃー纏わりつくよね。叔父がいない分、四六時中アルベルトのそばにいたのだろう。
「アルベルト! 話の途中よ! レディに声を掛けず席を外すのはマナー違反よ!」
腰に片手をあて、人差し指を忙しなく振り、プンプンと怒った表情でアルベルトの顔面間近にそれはいた。
その移動速度に唖然としつつ、顕現している姿に屋敷の中だからと油断しすぎたと、侍女達に目撃されたら一騒動になると、その軽率な行動に頭を抱えたくなる。
テオバルトはその被害者でもあるのだ。
「あらテオバルトにハクじゃない!!」
「ガルゥ!(フラウ、会いたかった!)」
フラウの視線が、ハクとテオバルトに変わる。
その隙を逃さすはずもなく、アルベルトは静かに後退し、テオバルトの真横まで移動していた。
さすがの動きですと称賛しつつ、嬉しそうに返事をするハクの様子に、再び頭を抱えたくなる。
「面識がある……みたいですね」
「あぁ、そのようだ」
「あらハクとジークベルトは、わたしの友達よ! ここ最近、一緒に魔法の修練をしているのよね」
「ガウ!(そうだ!)」
テオバルトとアルベルトの会話に、仲良く話をしていた二人が割り込んできた。
ジークベルトは、既にフラウとの面識があり、頻繁に会っているようだった。
「魔法砂をプレゼントする予定だったのに、ダンジョンに移動したのよ。しかもわたしを置いて……」
「ガウゥ(置いてかれた)」
目に見えて、二人が落ち込みだすが、アルベルトが空気を読まず、質問する。
「魔法砂とは?」
「ジークベルトが『ガラス石』作りを頑張っているのよ。失敗ばかりだけど、その原因がジークベルトの魔力の高さで、魔法砂が耐えられないの。だから、わたしの魔法砂をあげる約束をしたの。こんなことになるなら、わたしが持ってくればよかったわ。ヴィリバルトがもうすぐ伯爵になるからその用意で大変だったのよ」
「フラウ頼むから、そう言った重要情報はこぼさないで」
「重要情報?」
サラッと重要情報を漏らすフラウに、テオバルトは眩暈がする。
しかも、その自覚がないのだ。
コテと首を傾けながら、テオバルトを見る仕草はあざと過ぎる。
「アル兄さん、知っていましたか?」
「いや、いま知った。おそらく上層部で厳守されているのだろう。新しく伯爵家ができるとなれば、古参が騒ぎ出すのが目に見えている」
テオバルトの問いに、アルベルトは頭を振り、先のことを思ってか苦々しく顔を顰めた。
アルベルトの様子を、気にすることなく無邪気な顔をしてフラウは続けた。
「伯爵は、先の戦争の実績で決まっていたのよ。断ったんだけど、色々と肩書きがあったほうが、うるさいのを片づけやすいから、面倒だけど貰うって言ってたわよ」
「そうか……。叔父上は一掃する気なのか……」
フラウの話を受け、さらに顔を顰めたアルベルトに、テオバルトが一際明るい声をだして、その場を納めようとした。
「アル兄さん、今そのことを考えるのはよしましょう。フラウもこう言った事を口に出してはダメだよ」
「あらヴィリバルトが、テオバルトなら、なんでも話していいって言ってたわよ」
フラウの言葉に卒倒しそうな衝撃を受け「ヴィリー叔父さん、なぜです!」と、頭に手を置き、天を仰ぐ。
アルベルトが、そっとテオバルトの肩を叩いた。
「ガルゥ(フラウ)」
「そうだったわ! テオバルトにお願いがあるのよ!」
ハクの呼びかけに、フラウはパンと手を叩いて、衝撃から立ち直れないでいるテオバルトに切り出した。
「お願い? あまり良い予感がしないのだけど……聞くだけ、聞くよ」
「あら簡単なことよ! わたしとハクをコアンの下級ダンジョンへ連れって行って!!」
「それは至極難しいお願いだね。ダメに決まっているよ」
「どうして?」
「ガルゥ?(なんで?)」
テオバルトの答えに、涙目で訴える様は、とても同情をひく。
この二人を並べるのは、悪手だ。思わずいいよと許可してしまいそうになる。
はたから見れば、いじめているようにも見えるんだろうな……。
「ガウッ(ジークベルトが、テオバルトに外へ連れて行ってもらえるようにお願いしていいって言ってた)」
「そうよ! ジークベルトがいいって言っているのよ!」
テオバルトは、ハクの言葉を理解できないが、フラウはその代弁者なのだろう。
ジークベルトの許可云々は別として、ヴィリバルトがハクの暴走を阻止する役割を含め、フラウとアーベル家の接触を自由を許可したのだろう。
おそらくそのお世話係は、テオバルトとアルベルトだ。
「えーと、ジークベルトは、ダンジョンの中だから連絡はできないよね?」
「あらジークベルトとハクは」
「ガゥッ!(ダメッ!)」
フラウの言葉を遮るようにハクが吠えた。
ムンクのような顔をしたフラウが、矢継ぎ早に言葉をつなげる。
「そうだったわ! 三人の秘密だったわ! テオバルトたちにも話せないわ!」
「うん。だったらその話はいいよ」
テオバルトは即答する。
その姿勢に疑問をもったフラウは、煽るように話す。
「あら興味がないの? ジークベルトが関わっているのよ? ヴィリバルトなら即食いつくわ!」
「うん、僕はいいよ」
「テオバルト、面白くないわ!」
口を尖らせ、不貞腐れる精霊を見て、自分の選択肢が正しいものであると感じた。
なんとなくだが、その話は聞かない方が身のためだと直感で察した。正直、頭痛の種はもうお腹一杯なのだ。
アルベルトは、フラウの言葉に少なからず興味を持ったようだが、この小さな精霊が所持しているであろう大きな爆弾の数々が頭を横切り、テオバルトと同様、無関心を貫くことにした。
ブラコンが精霊に負けた瞬間だった。
「わたしが人間サイズに顕現して、ハクをコアンまで連れて行くわ」
「絶対にダメ!」
「むぅーー。じゃテオバルトが連れて行ってよ」
「それもダメ!」
「ダメ、ダメ、ダメって…………。わかったわ! ならヴィリバルトからの報告はもうしないわ!」
押し問答を続けていると、精霊が逆切れしました。
プイッと横を向いて、承諾以外の言葉は受付ないようだ。
その様子にアルベルトが、本当に仕方なく告げる。
「テオバルト、一度、父上に相談しよう。エスタニア王国の動向も気になるしな」
「わかりました。フラウにハクも、父様が外出の許可をすれば連れて行くよ」
「本当ね! 約束したわよ! 早速ギルベルトに会いにいかなきゃ」
「ガゥー!!(ありがとう!!)」
「いや、許可すればだよ……」
テオバルトの声が聞こえたかは定かではないが、フラウはその場から消え、ハクは周りを走り回っている。
あぁ、もうこれは確定事項なのだと、すぐに頭を切り替えたテオバルトは、道中の世話は、僕なんだろうなぁと、必要な物資などの手配を考えるのだった。
「フラウ、勝手に行動しない」
「うぅーー。あのお菓子美味しそうなのにぃー。ダメ? 少しだけでもダメ?」
テオバルトの叱咤に唇を突きだして不服そうな表情を見せるフラウだが、すぐに表情を変え大きな瞳を潤ませお願いをする。
その表情の豊かさに、精霊って無邪気だねとテオバルトは内心呆れつつも、カラフルな菓子が並ぶ店先で足を止めたフラウを急かすように促す。
「ダメだよ。ほら父様から離れてしまう。急いで」
「もう、ギルベルトはどこに向かうつもりなの?」
「だから、宿で待っていればよかったんだ」
「ダメよ! せっかく顕現してるのよ! この機会に色々と遊ばないと!!」
興味があるものに足を止めてしまうフラウにテオバルトが注意する。先ほどから同様のやりとりを繰り返している。
本日の昼過ぎにコアンの町に着いた。
カツカツカツと軽快な蹄音が響き渡り、マンジェスタ王国の第一騎士団の先鋭たちが、並ぶ姿は圧巻だっただろう。
名目は、コアン下級ダンジョン内で起きた変異種の調査のためとなっている。
冒険者ギルドには報告済みで、コアン下級ダンジョンには、現在規制がかかっている。Bランク以上の冒険者は、ダンジョンに入れないのだ。
コアン下級ダンジョンの主な冒険者はCランク以下であり、相当な不満はでたが、ボスランクがBのダンジョン内に、Bランクの魔物が出現し、それが変異種だとの発表をした。実質Aランクの魔物が出現したとなると話も違う。しかもこの件に関与しているのが、ヴィリバルト・フォン・アーベルであることがわかると、ほとんどの冒険者が口を噤んだ。
皆『赤の魔術師』には関わりたくないのだ。
無謀な者も多い冒険者の中でも、一目も二目も置く『赤の魔術師』の効果にテオバルトは苦笑いした。
実際に調査はするが、おそらく現在は通常のダンジョンであるはずだ。
コールスパイダーが出現した十九階層も、ダンジョン内の仕様で元に戻っているはずだ。
ただ、コールスパイダーの繭は残っている可能性が高いと報告を受けていた。ダンジョン内で生みだしたものではない魔物の産物であるからとの結論だが、ではなぜドロップしたと突っ込みたくなるが、その分野は得意ではないので粛々と報告を聞いていた。
コールスパイダーの残党もいないはずだ。そもそもヴィリバルトが見逃すはずがない。
エスタニア王国内の反乱が、この件に関与しているはずだが、証拠を残すような首謀者ではないと断言できる。
反乱から鎮圧されるまでの動きが、誰かが考えた筋書だったと、殊更、綺麗すぎるのだ。
計算違いだったのは『赤の魔術師』であるヴィリバルト、いやジークベルトが、殺めるはずだった対象を助けてしまったことだろう。
ギルベルトの足は躊躇することなく、迷路のような路地を右へ左へと進んでいく。
ハクは、ピッタリとギルベルトの横にいる。
コアンの中心部より離れたそこは亜人地区だが、ギルベルトが進む先はさらに外れのようだった。
道中、すれ違う亜人たちの様子がおかしいことに、テオバルトは気づいていた。おそらくギルベルトも気づいている。
原因はフラウだろう。
王都では顕現しても、フラウの人並み外れた美しさに注目されることはあったが、亜人たちの反応はそれと異なる。
まるで精霊が姿を現していることに驚いているようだ。
亜人は精霊に気づけるのか……と頭を過ぎるが、テオバルトは頭を振る。
もしそうなら、あの叔父が人間に顕現することを許すはずがない。フラウをわざわざ危険に曝すことはないはずだ。
それとも他に思惑があるのか……考え過ぎだ。
今は目前の問題を解決することに、全力を尽くさなければならない。
アーベル家の者として、また兄として。
前を歩く父の姿をとらえ、決意を大きく頷くのだった。
ギルベルトは古びた一軒の店の前で足を止めると、ギッギギーと扉を開け中に入っていく。
年季が入った扉だが、細かな装飾がされており、よくよく目を凝らすと装飾と見せかけ魔法陣が描かれている。
「『選択』の魔法陣ね! 悪意あるものを排除する仕様ね! 面白いわ!」
「『選択』? 聞いたことがないな。無属性の魔法かな」
「フフフ、わたしは使用しているところを見たことがあるわよ! 昔ね、ヴィリバルトが使ったの!」
自慢げなフラウをよそに、父が会いに来た人物は、叔父とも親しいのかと、この魔法陣はおそらく叔父が関係している。
防犯のためか、叔父や父が協力する人物である。今後長い付き合いになるとテオバルトは悟りながら、店内へ足を踏み入れた。
店内に入ると、外観とは異なる色鮮やかな魔道具が並べられていた。その一つ々が美しく、高い技術力が垣間見える。
「すごい」と、テオバルトは思わず感嘆の声をあげる。
その横のフラウは翠の瞳を輝かせ「きれいね!」と、魔道具が並べている棚へ吸い込まれるように近づいていった。
すると店内の入口が静かに開き、顎髭を長く生やした小人のような男が現れた。
ドワーフだ。
亜人の中でも生産技術力の高い彼らは国に重宝されている。寿命が長い彼らだが、繁殖能力は低く、近年徐々に数が減り、実物のドワーフを見るのは、テオバルトも初見であった。
ドワーフの男は、ギルベルトの姿を捉えると、小さな背丈をピンと伸ばし、少しうわずった声で挨拶をした。
「ギルベルト殿、久し振りですな!」
「ボフール、久しいな。息災か」
「ええ、お陰様で妻子ともども元気にしておりますかな」
「そうか、それはよかった」
ギルベルトの砕けた口調に、二人が親しい間柄だと、テオバルトは悟った。
「今日は……おぉーーなんとめずらしい。精霊殿が顕現しているとは!」
ボフールの言葉に、魔道具の美しさに見惚れていたフラウはギョッとした顔をして、慌てて言葉を繋ぐ。
「なっ何言ってるの!? わっ私は人間よ! 精霊なんかじゃないわ!」
「フラウ、落ち着いて大丈夫だよ」
動揺するフラウをテオバルトが制し、肩にそっと手を置く。
テオバルトもボフールの言葉に驚きはしたが、やはりとの確信とギルベルトが落ち着いているため、大丈夫だと自身にも言い聞かせる。
「精霊殿、我々ドワーフの祖は妖精です。顕現した精霊殿の気配に気づかぬわけがありません。失礼ですが精霊殿は、精霊の中でも上位で在らされますな。しかし若輩。力の制御が難しいようですな。顕現したにしてもそのような強い気配では、我々ドワーフ以外でも気づいた者がいるでしょう」
ボフールの説明を聞き、ギルベルトが質問する。
「ボフール、亜人は精霊に気づくものなのか」
「種族により異なりますな。全ての亜人が精霊に気づくことはありません。我々ドワーフは別ですがな」
「そうか」
ギルベルトの返答に、ボフールは険しい表情を浮かべる。
「ギルベルト殿、この町は亜人が多い。気づいた者もいるでしょう。ただ精霊殿を害するような者はいませんと、はっきりと申したいのは山々ですが、気をつけなされ、八十年前の悲劇を起こさないためにも」
「わかっている」
ボフールの注意喚起に、ギルベルトは深く頷く。
フラウが精霊ではないと否定することもなく、安易に認めるような発言をギルベルトはした。
当の本人は、精霊だとばれたとムンクの表情で固まっているが、ボフールとギルベルトは気にせず話を続ける。
あとでフォローしようと、テオバルトは固まったままのフラウを放置することにした。
「さてさて、今日はわざわざ何用ですかな」
「あぁ、実は魔道具の修復を頼みたいのだ」
「修復ですとな」
ボフールはギルベルトの手元を見るが、修復する魔道具を所持していない。
はてと後ろも確認するが、誰も所持してないようである。顎髭を一撫でしてギルベルトを見る。
「すまん。実物は今手元にない。明日か明後日にでも届ける予定だ。姿見を認識阻害させる物らしい。ヴィリバルトの見分では、かなり高度な技術が使用されているようだ」
「ふむ。ヴィリバルト殿が高度な技術と、現物を見てみないと判断できかねますな」
ボフールの言い分はもっともだ。
ギルベルトは心得ているように頷き、両の手を挙げた。
「ボフールに修復が難しいようであれば、お手上げだと言っていたからな」
「ガハハハ。そこまで評価されると技術者としては鼻が高いですな!」
「私もそうだが、ボフールほどの技術を我々は知らない。他にも依頼があると思うが、最優先で修復を願いたい」
ギルベルトが頭を下げた。
その姿にテオバルトも驚いたが、頭を下げれたボフールも戸惑っているようだ。
「ふむ。めずらしいですな。誠実なギルベルト殿が……何か事情があるのでしょう。わかりました。届き次第、最優先で対応しましょう」
「恩にきる」
「何をおっしゃいますかな。これぐらいのことで恩をきられると、ギルベルト殿にどれだけ恩ができると思いますがな。幸い今の仕事は納期が先の物ばかりですがな。気にせんでもいいです」
「頼んだ」
「はい。お任せ下さい」
了承の頭を下げた後、ボフールはテオバルトとハクを見て、ギルベルトに問う。
「ご子息と魔獣ですかな」
「あぁ、紹介が遅れたな。次男のテオバルトと、我が家で飼っているブラックキャットの変異種のハクだ」
「ご挨拶が遅れて申し訳ございません。テオバルト・フォン・アーベルです」
「ガゥ!(ハクだ!)」
ギルベルトに紹介され、テオバルトとハクは挨拶をする。
「これはご丁寧に。ドワーフのボフールです。お父上には大変お世話になりましてな。何か所用がありましたらなんなりと申しつけてくださいな。とは言っても、魔道具作りしかできないですがな」
「素晴らしい魔道具です! ご依頼していいのですか!」
テオバルトはいつになく興奮した。
ギルベルトやヴィリバルトが愛用している魔道具類は、王都ではどこの店にも置いておらず、入手場所が不明だった。
大半がヴィリバルトが作成しているのかと思ってはいたが、ボフールだったのだ。
テオバルトも冒険者として活躍している際、高性能な魔道具の有り難さを身に染みて感じていた。
市販の魔道具を一度でも使用すればその差は歴然であり、ギルベルトから譲り受けた魔道具は、文句なく一流品である。
度々ニコライから譲ってくれと懇願されていた。
魔導職人の多くは、国や魔道具ギルドに所属する。
一般的に流通している魔道具は、可もなく不可もなくといったところで、丈夫さは当たり外れがある。
しかも高額のため、購入後すぐに壊れ、泣いている冒険者を目にしたことは多い。
稀に一流の魔道具が紛れている場合がある。これは個人依頼でしか魔道具を作成しない魔導職人達が、在庫処理で流した物がほとんどである。
ただ例外はある。魔法都市国家リンネだ。
リンネ製の魔道具は、一定の水準で管理されており、高質ではあるが、リンネ内しか流通されておらず、国内で手に入れることはできない。
魔道具事情は色々と厳しいのが我が国での現状なのだ。
ボフールは、個人依頼のみの魔導職人だ。しかも一流の魔導職人である。
一流の魔導職人達のほとんどは、個人依頼のみで所在が不明だ。
所在が分かっても、職人気質な性格が多い彼らは、顧客にも五月蠅く、相手が気に入らなければ、魔道具を作成してくれない。
王都にも一人、魔道具作成で有名な人物はいるが、ほぼ王族の依頼しかしない。
王族の中でも依頼許可が下りない人物もいるそうで、またS級の冒険者が依頼をしに訪れたが、門前払いだったとの噂だ。
その一流の魔導職人から、個人依頼の許可がでたのだ。興奮せずにはいられない。
「テオバルト、落ち着きなさい。ボフールは、私の知る限り一番腕のいい魔道具職人だ。今後、役に立つ魔道具を作成してくれるだろう」
「父様、紹介頂きありがとうございます。ボフール殿、今後、宜しくお願いします」
「ガハハハ。褒め上手ですな!」
ギルベルトは興奮する息子に声をかけるが、その喜びように連れてきて正解だったと感じた。
テオバルトには何かと不便をかけているのだ。多少なりとも息抜きをさせてやらないと、テオバルトが壊れてしまう。
子供たちには、最高の環境を与えてやりたいと親心ながら思うのだ。
「ボフール、あと二人の息子もお願いしたい」
「ギルベルド殿のご子息の依頼は受けますがな!」
「有難い。一人はハクの飼い主で、末の息子のジークベルトだ。魔道具の修復依頼で顔を合わせることとなるはずだ」
「末のご子息とは、リア殿の面影があると聞いてますがな」
「あぁ、リアにとても似ている」
ここ最近、屋敷内でも滅多に表情を変えなかったギルベルトが、とても穏やかな顔で答え、ハクの頭に手をポンと置く。
ジークベルトの名前が出たため、ハクは嬉しそうに尻尾をピンと伸ばした。
「ガハハハ。好かれておりますな! 会うのが楽しみですな」
「ボフールは気に入ると思うぞ。ただ依頼された魔道具は随時報告をしてくれ」
ギルベルトの真剣な表情に、ボフールが顎髭を一撫でする。
「ほーそれは過保護なことですな」
「ジークベルトはまだ幼い。何かあってからでは遅いのだ」
「幼子が依頼する魔道具などしれておりますがな」
ボフールはあえて子供であることを強調してみた。
それに続くギルベルトの応えに期待する。
「ボフール、会えばわかる」
「ますます会うのが楽しみですな!」
店内にボフールの笑い声が響いた。