――ジークベルト転移事件当日。
アーベル家本邸、ジークベルトの部屋。
「ガウゥー!(ジークベルトがまだ帰ってこない!)」
ハクはお気に入りのソファから飛び降り、部屋の中を歩き回る。
ジークベルトが、屋敷を出てから半日が過ぎていた。
ハクは今朝の出来事を思い出していた。
ジークベルトは、魔法砂を貰いにフラウがいる魔術団に行く事になった。
ハクはしぶしぶお留守番をすることになった。本心は一緒に行きたかった。
ジークベルトのそばを離れるのは嫌だけど、ジークベルトから『お留守番をしていて欲しい』とお願いされた。
魔術団には恐い人たちがたくさんいて、ハクを研究対象として捕獲されたら大変なことになる。ジークベルトの迷惑になるのも嫌だ。
だから、お留守番をすることにした。
もうすぐ夜になるのに、ジークベルトが帰ってこない!
早く帰ってくると、約束したのに帰ってこない!
まさか!!
ハクの代わりに魔術団に捕まった!?
大変だ! すぐに助けに行かないと!!
ハクの結論はそこに至ると「ガウゥー」と遠吠えして、部屋の扉に向かう。
器用にドアノブを掴み、扉を開け廊下を駆け抜けた。
ハクの遠吠えに気づいた侍女たちが、慌ててジークベルトの部屋に向かっていたが、時遅し。その姿を愕然と見送ることしかできなかった。
平然を取り戻した一人の侍女が「アンナ様に報告を!」と動くと「マリアンネ様は、自室? 応接室ね!」とまた一人が消える。残った侍女たちは、ハクの後を追いかけた。
侍女からの報告を聞いたアンナは「ハク様は、いまどちらに!」と、冷静沈着な彼女にはめずらしく動揺している。
そこにまた一人、侍女が肩で息をしながら部屋へ入り、報告する。
「アンナ様、ハク様を玄関にて捕獲しました。いまマリアンネ様の元にお連れしています」
「大事に至らず安心しました。すぐに参ります」
その報告内容に安堵のため息を吐くと、さきほど見せた動揺は微塵もかけず、姿勢を正したアンナがそこにいた。
現在、アーベル家は、大混乱の中にあった。
『アーベル家の至宝』ジークベルトが行方不明なのだ。
夕方に魔術団から二人の団員が、極秘でアーベル家を訪れていた。
魔術団員の報告では、研究の作業中に、研究室を訪れたジークベルトが、ヴィリバルトと一緒に研究施設から消えた。
行き先は現在も不明。
原因は、研究中の転移石の作業を失敗したとのことだった。
魔術団員Aは、証言する。
俺たちの報告を聞いたマリアンネ様は、一言「そうですか」と言ったきり無言になった。
終始、穏やかな顔をしていたけれど、纏っていた雰囲気は、殺意ともいえぬ恐ろしいものだった。
俺、死んだと思ったよ。
魔術団員Bは、証言する。
中年の侍女に「失敗するのは勝手ですが、なぜジークベルト様を巻き込んだのですか!」と詰め寄られ、執事に「失敗した魔術団員のお名前をお伺いできますか」と丁寧だが、有無を言わさぬ態度で聞かれたんだ。
もちろん素直に答えたよ。答えなかったら、何されるかわからないじゃないか!
執事や侍女ごときだって!! お前はあの場にいないからそんなことが言えるんだ! あの背筋が凍るほどの恐ろしさ……。
俺は精神ともに五体満足で生涯を過ごしたいんだ。
魔術団員ABは、アーベル家から戻るとすぐに上官へ『二度とアーベル家には、報告に行きたくない』との要望書を提出した。
その要望書を手にした上官は「気持ちはわかるぞ……」と、五年前を思い出し身震いした。上官は魔術省出身だったのだ。
上官は、魔術団員ABの気持ちを汲み取り、アーベル家と関わらない部署へ移動させた。
後に魔術団員ABは、要望書を提出したことを後悔することになるのだが、それは別の話しだ。