「先祖返りですか」
「はいそうです。お恥ずかしい話、まだ制御ができないのです」

「姫様」と、バルシュミーデ伯爵が嗜めるが、ディアーナ王女は、首を横に振り、反論する。

「パル、魔道具が壊れて見えているのです。隠したところでどうしようもありません」
「ですが、王家の秘密を他国に易々と答えるなど……」

 魔道具って、あの胸にあるペンダントのことかな。華美な装飾はないが、丸い紫の宝石がついている。残念ながら魔力の波動は感じられない。
 チート叔父ならと期待をこめて「叔父さん」と、うかがった。

「ジーク、いくら私でも壊れた魔道具を修復する技術はないよ。コアンの中に腕のいい魔道具職人がいるから、踏破したら紹介しよう」
「ありがとうございます」

 ニコニコと笑顔で応じる王女に、自然と周りの雰囲気も明るくなる。なかば強引に誓約魔書へサインをさせたのに、とても好意的だ。
 俺は着ていたマントを脱ぐと、ディアーナ王女へ渡す。王女はキョトンとした顔をする。

「耳を隠すならフード付きがいいですよね? ぼくが所持しているマントでフード付きなのは、それしかないんです。着用しているもので、悪いんですが……」
「いいえ、ジークベルト様、ありがとうございます」

 王女は頭を横に振り否定すると、マントを嬉しそうに羽織る。王女と俺の背丈は、ほとんど変わらないため、ピッタリだ。
 俺も『収納』から予備のマントをだし、装着する。

 王女の耳と尻尾は、エスタニア王国内でも極僅かしか知らない極秘情報だった。
 王女付きの侍女見習いのエマは知っていたが、男女の騎士は知らなかった。
 昨日、互いの挨拶を終えた後、それは起きた。

「姫様、その耳と尻尾は、どうされたのです?」

 俺と叔父が詮索しなかったのに、男騎士が率直に問うたのだ。
「カミル!」と伯爵が慌てたが、王女が男騎士に説明をする。
 生まれながらにしてあるが、種族は人間であること、普段は隠していること、極僅かな人物しか知らない情報であることを伝えていた。
 男騎士は「そうなのですね」と納得しつつも、耳と尻尾が気になっているようで、チラチラと盗み見ていた。
 その気持ちわかる。美少女に耳と尻尾は、萌えるよね。うんうん、男だものつい見てしまう気持ちはわかるけれど、あまり見過ぎるのもどうかと思う。ほら、女性陣の冷たい視線。その視線に気づいた男騎士は、ばつの悪そうな顔して、王女から距離をとった。
 男騎士の態度に、ほんの少し親近感を覚えた。

 この世界にも差別はある。特に亜人に対して、迫害がある国が多い。
 人種至上主義の代表国である帝国は、亜人は生まれながらに奴隷だ。
 マンジェスタ王国では、迫害はないが、人種の国であるため、田舎などでは、亜人への差別があったりする。コアンなど都心部に近い町は、ほぼないと信じたいが、奴隷落ちする人の多くは、亜人だったりする。亜人の人権が著しく低いのは、否めない。
 エスタニア王国が、どのような状況かは分からないが、王女の説明と騎士の態度をみて伯爵が安堵している点からして、亜人に対してあまり良い環境ではないのであろうと推測ができた。

「んー、遠いな。このメンバーで、今日中に二十一階層まで到着するのは難しいかな。ちなみに私とジークなら余裕で着くけど、君たち『倍速』は、使えないでしょう。先に伝えておくけど、全員に『倍速』をかけて移動なんて、嫌だからね」

 男騎士が口を開く前に、叔父が先手をうつ。
 叔父の『索敵』の範囲は、最大二百キロ。その範囲に正しい階段があったことに、ほっとした。

「アーベル殿。どのような隊列で進みますか?」
「隊列は……。ジーク、前方にホルスタインの団体。数は二十弱だ」
「はい」

 叔父の指示に、素早く『倍速』を使い、ホルスタインの団体との距離を詰める。魔力循環を高め、ホルスタインとの距離を確認しながら魔法を放つ。

『疾風』

 ホルスタインの団体は、瞬時にドロップ品へと変わったが、その場所には、百メートルほどのくぼんだ地形ができていた。
 チッと、思わず舌打ちをしてしまう。
 また魔法が拡散した。ホルスタインを狙ったつもりが、地面にまで魔法が到達している。

「ホルスタインは、単体ではEランクですが、団体はDランク。それを一瞬で殲滅する魔力とは……。アーベル殿が、誓約魔書を強く要望した理由がわかりました」
「見ての通り、戦闘に関しては、手出し無用でお願いするよ。ジークの修練を兼ねているんだ。ドロップ品が必要なら、半分そちらに渡すよ」
「いえ、結構です」
「そう。なら王女の護衛に務めてください」

 俺は戦闘の反省をしたあと、テキパキと魔法袋にドロップ品を納めていた。
 牛肉、牛乳、チーズ。いつも思うが、加工品のチーズがドロップされるなら、バターやヨーグルト、アイスなども、ドロップしてもよくないと思ってしまう。
 牛肉は部位でドロップされ、ロースが多いが、ヒレやサーロイン、バラ等の部位もドロップされる。また、ホルスタインには上位種があり、その肉は最高級品として取り扱われる。
 今日は焼き肉かなと、思っていると、叔父が隣にいた。

「ジーク、『疾風』の制御が上手くできていないね。『熱火』のほうが難しいはずなんだけどね」
「どうしてもヴィリー叔父さんのイメージが払拭できなくて。無意識に力が入っているようです。回数を熟せばなんとかなると思います」
「問題点が分かっているならいいよ『疾風』を上手く扱えるようになれば、その上の『狂風』『暴風』を教えよう」
「えっ」
「何を驚いているんだい。このダンジョンで相当レベルが上がるだろう。魔力値はおそらく足りるよ。まぁ『狂風』『暴風』もそうかわらない魔法だからね。どちらかを重点的に覚えるのがいいかもね」

 たしかにダンジョンに入って三日。すでにレベルが、2上がった。ダンジョンに入る前はLv7で、なかなかLv8に上がらず、難儀していた。
 Lv5までは比較的簡単にレベルが上がったのだが、レベルの壁があるのか、そこからが長かった。
 Lv6に上がるのに、Lv5までに取得したスキルポイントの倍以上かかったのだ。
 簡単に説明すると、Lv5までにホワイトラビットを計100匹倒したとしよう。Lv6に上がるには、そこから200匹以上倒す必要があったのだ。
 実際はLv5で、スキルポイントが200、Lv6では426、Lv7では824だった。ダンジョン前は1200弱までポイントがあり、現在Lv9で2328なのだ。おそらくLv10になるには、3000を超える必要がある。
 三日で大体1000を超えているので、踏破するまでに、Lv11にはなる計算だ。

「そうだジーク! 魔力を枯渇してもいいよ。ただ気絶するまでは使わないでね」
「いいんですか⁈」
「戦闘はジーク。私はサポートで温存。王女の護衛は三名いる。特に伯爵は桁外れに強い。まぁ兄さんのほうが強いけどね。だから後方を心配する必要はないよ。全力で戦闘しなさい」

 叔父の言葉を真に受け、その後、俺は無双した。
 そのおかげで『疾風』を自由に扱えるようにまでなった。制御が完璧だった『疾風』を見て、叔父は満足そうに頷いていた。
 後方のエスタニア王国の騎士たちの顔が、ひきつっていたのは、気にしないでおこう。
 残念ながら、レベルは上がらなかったが、明日以降『狂風』『暴風』を実戦で使用することにした。
 まずは叔父が手本を示してくれる。
 今度は、叔父の魔法に引きずらないように、客観的に魔法を分析しよう。

***


 湖畔の近くで、野営の準備を始める。
 やはり二十一階層の階段には、たどり着けなかった。明日のことも考え、今日は早めに切り上げた。

 今日の晩餐は、ドロップ品である大量の牛肉を使った焼き肉だ。焼き肉文化は、この世界にないため、肉を串に刺した串焼きですけどね。
 男騎士が火の番をして、肉を焼いている。女騎士の姿が見当たらない。またサボりか……。
 男騎士のカミルは、初印象は最悪だったが、血気盛んな普通の若者である。思考能力が単純で、ある意味その性格さえ理解すれば、とても扱いやすい人物だ。
 女騎士のダニエラにいいように使われているようだ。その女騎士は、未だによくわからない。あまり接触をしていないのも大きいが、仲間うちでも、距離があるようだ。

「ジークベルト様、こちらの皮むきもお願いします」
「うん」

 エマの指示に、俺の手が動く。俺とエマは、スープとサラダを担当している。ほぼエマが調理しているが、助手として野菜などを切って、お手伝いをしていた。
 そこへ王女が現れた。手には大事そうにマントを持っている。

「あのっ、ジークベルト様、失礼いたします」
「ディアーナ王女様、どうされました?」
「敬称は結構です。ディアとお呼びください」

 いや。それはまずいでしょ。
 一国の王女を呼び捨てとかありえないからね。
 あと数日だが共に行動するので、わだかまりなく過ごしたい。
 王女とエマは良い子だ。仲良くはなりたいが、その申し出は、遠慮させて下さい。後々問題が起きそうです。
 じっと静かに、俺をみている王女に、ほんの少し心が揺らぐ。とっ、とりあえず王女を抜いてみますか。それだけでもだいぶ親しみがでるしね。

「ディアーナ様」
「ディアです」
「……ディア様」
「ディアです」

 王女の笑顔が恐いです。隣のエマが苦笑いをしている。もしかして名前呼ぶまで、このままとか……。ふとマリー姉様を思い出し、若干頬がひきつる。
 前世の知識が、あまり女性を怒らせることは、得策ではないと、警報を鳴らしていたので、気づかれないよう小さく溜息を吐き、王女に答える。

「ディア、どうしたの?」
「はい! ジークベルト様にお借りしたこのマントですが、とても貴重なものではございませんか?」

 俺が、愛称で名を呼び、フランクに話しかけると、王女の耳と尻尾がピンと立ち、ものすごく喜んだ。
 俺の対応は、正解だったようだ。

「マントは、ヴィリー叔父さんから貰ったものだよ。快適な温度を保つ魔法が施されているから、貴重と言えば貴重なのかな」
「それだけではありませんよね。わたくし、これだけ歩いたのは、人生で初めてです。ですが、疲れもなく足の痛みもありません!」
「そうだった! 『聖水』と『守り』も施されているんだ。忘れていたよ」
「やはりそうなのですね。このような貴重なもの。ジークベルト様は、お疲れではございませんか?」
「ん? ぼくは大丈夫だよ。ディアの疲れがなくてよかったよ」

 何気なくでた言葉が、王女の心をさらに掴んだようで「お優しい」と、マントを握る手に力が入っている。また耳と尻尾が、若干揺れていて、頬が少し赤くなっていた。

「エマは、疲れてない?」
「私ですか⁈」
「うん。ディアが、人生初となるぐらい歩いたってことは、エマもそうだろう?」
「あっ、はい。足が痛くはありますが、大丈夫です」
「『聖水』どう痛みはとれた?」
「えっ⁈ はい! さきほどまでの痛みが、うそみたいにありません!」
「気づけなくて、ごめんね」

 エマにむけて、優しく微笑む。
 そうだった。すっかり忘れていた。当たり前のように行動していたが、彼女たちには、とても過酷だっただろう。なんせ七十キロほどの距離を移動したのだ。泣きごとも言わず、休憩もせず、歩き続けたのだ。
 俺は、叔父が毎回戦闘後に回復魔法をかけてくれていたので、疲れとは無縁だった。戦闘に夢中になりすぎて、まったく気づかなかった。反省だ。
 エマが「あわわっ」と、言葉にならない声を上げ、少し赤くした頬を両手で押さえていた。

「無意識って、こわいよね」
「ヴィリー叔父さん! 何のことです?」
「いやうん。ジークはそのままでいいよ」
「?」

 突然現れた叔父は、俺の頭をポンポンと叩く。
 伯爵と一緒に周辺の警戒にあたっていたはずだが、この付近は安全と判断できたってことかな。

「私は何をすればいいかな?」
「アーベル様にお手伝いして頂くなんて、とんでもないです」
「ジークは手伝っているけど?」
「ジークベルト様は……‼︎ そうだった。ジークベルト様は侯爵家のご子息! 当たり前のようにさっと、手伝ってくださるから忘れていたわ。どっ、どうしよう。私ったら、野菜を切ってもらっているわ。優しいから、ついついお願いしてしまったわ。不敬罪になるかしら? あっ! 気軽にお話をしてくれるから雑談までして……。愚痴も言ったような気がするーー‼︎ あぁーー、どうしよう‼︎」

 エマはプチパニック状態となり、心の声が外に漏れている。ほんと面白い子だよね。
 気兼ねさだけなら、我が家の侍女たちといい勝負だ。

「ヴィリー叔父さん、そのボールの中にあるソースを混ぜて、かなり力がいるんだ」
「お安い御用!」

 俺の指示で、叔父がボールに手を出す。
 それを見ていた王女もソワソワと動き、俺に近づいてくる。

「私もなにかお手伝いいたします」
「ディアは、野菜を切るのを手伝って」
「はい!」
「愛称で、呼ぶほど仲良くなったのかい」
「アーベル様も、どうぞ、ディアとお呼びください」
「嬉しい申し出なんだけど、私の立場では、色々と問題があるんだよ。ディアーナ様で、許して頂けますか?」
「はい!」

 茶目っ気たっぷりにウィンクまでして、叔父、上手く逃げましたね。
 俺にも大人の返しができたらなぁ。経験値の差がここででてしまいました。



 二十一階層に下りてすぐ、叔父が「まずいね……」と 言って、悩ましげに眉間にしわを寄せ、立ち止まった。
 ダダ漏れの色気が、洞窟内に広がる。叔父に免疫がないエスタニア王国の面々は、突然身に起こった体の変調に戸惑いを隠せないようだ。
 たしか、歩くエロスと揶揄されていたっけ? 赤貴公子会の方々が、不謹慎だと騒いで、あまり表には出ていないが、俺はなかなかのセンスだと思うんだけどね。

「ジーク、なにか余計なことを考えているね?」

 察しのいい叔父が、俺に問いただすが、俺はとぼけた感じで返す。

「えっ? あー、また洞窟に戻ったなぁと……」
「苦しい言い訳だね。まぁ、考えていることは、だいたい想像はつくけどね」

 だったら、突っ込まないでくださいと、心でつぶやく。
 少し間が空いた後、叔父が階層の説明を始めた。

「二十二階層の階段は把握できているけど、距離がね……。このままだと、数日かかってしまうんだよ」
「? 十七階層は、迷わなかったじゃないですか?」
「あれはね、階段が近かったのと、ほぼ直線上にあったからね。迷うことはないよ」

 俺の疑問に応えると、叔父は顎に手を当て、悩ましげに話す。

「んーー。この距離だと『地図』スキルが必要だな。ジークは、さすがに取得はしてないよね。通常、洞窟があるダンジョンに挑むなら、地図機能付きの魔道具を用意するのが当然だけど、そんなものないしね。んーー。まいったなぁ。いっそう壁に穴をあけて進むか?」

 叔父には珍しく歯切れが悪く、肩をすくめている。
 ダンジョン内で活躍している『索敵』は、敵などの個体を把握するには優れているが、地図機能はない。今までは、草原や森だったので、『索敵』に示された場所へ向かえばよかった。
『地図』スキルね
 実は先ほど、地図スキルの取得解放条件であるレベル10になったところだ。
 つくづく運がいい。これも『幸運者』の称号のおかげだろう。
 現在のスキルポイントは3412なので、余裕で地図スキルの獲得が可能だ。
 迷わず『地図〈極〉』を取得する。スキルポイントが、残り1512となったが、気にしない。中途半端な地図ほど役に立たないものはないからだ。
 早速取得した『地図』を起動すると、目の前に洞窟の詳細な地図が展開する。
 3D機能もある。そこにボタンがあれば、もちろん押すでしょ。ポチッとな。
 おお、立体になった。まずは、上部に視点を合わせて……洞窟だから高低差がない。3Dの意味なし(笑)
 ん? 地底湖が広がってる。水中も見れるのか。おもしろい!
 んーー? 水中の奥に洞窟? 隠しダンジョンか? 進むと行き止まりだが、そこを浮上すれば……。出ました地上に!
 大きな扉がある。……これって魔術団で見た『移動門』に似てないか?
 ここから先が見えないということは、あの扉はおそらくそうなのだろう。
 気になるが、踏破が先決だ。
 3Dから2Dへ切り替え、ヘルプ機能のボタンを押す。


 **********************

 ご主人様、寂しかったです。

 **********************


 やはり使えたか、ヘルプ機能!
 地図スキルにも、アクセスできるようだ。
 ヘルプ機能って、いったいなんなんだ?
 気にはなるが、深追いはしない。


 **********************

 とても残念です。

 **********************


 いやいや、質問をしても、ヘルプ機能、答えないでしょ。


 **********************

 …………。

 **********************


 ほらね無言。今はその時期ではないんだよね。
 わかってるよ、はいはい。
 精霊の森だよね。でもまだまだ俺は、行きませんからね。
 当面の問題を解決して、もう少し成長したら考えるよ。
 さて叔父に『地図』スキルを取得したことを伝えるのは、いろんな意味で危ないから、ここは称号に頼りますか。

「ヴィリー叔父さん、僕が先導します」
「ジーク?」
「僕の『幸運者』の称号を信じてください」と、叔父にだけ聞こえる音量で伝える。
「そうだね。それに乗っかってみようか」

 叔父の同意を得て、俺は隊の先頭に出る。
 もちろん『地図』スキルは起動中だ。
 戦闘のため、俺ひとりが先行することは、もうあたり前なので、誰も疑わない。

 途中で、Dランクのガーゴイルとキラーバットの団体に遭遇するが、油断はできない。ガーゴイルは石化に、キラーバットは毒の魔法を使うので、注意が必要だ。
 洞窟内での戦闘は、コンパクトにほかに影響が出ないよう、最小限の魔法で仕留めるのが常だ。
 崩落とか落下なんて、嫌だしね。
 制御できるようになった『疾風』で、モンスターたちの羽を切り落とし『灯火』でとどめを刺す。
 数十匹いたため、騎士たちも手伝ってくれる。狭い洞窟内の戦闘で、仕留め損ねて反撃され、逃げ場を失ったら困るので、手出し無用とは言えない。

「ガーゴイルが、三匹交じっておりますな」
「バルシュミーデ様、ほかの者が先行しているのでしょうか?」
「他者が先行している反応はないよ」

 伯爵と男騎士の会話に、叔父が割り込む。
 ガーゴイルは、本来、門番の役目をしている魔物だ。小部屋などに置いてある石像に紛れていて、ある一定の距離に近づけば襲ってくるのだ。
 その魔物が野放しでいる。先行者がいると、考えても仕方がない。
 だけど、叔父の『索敵』に反応がないことから、その線はなしだ。

「貴公の『索敵』の範囲外の可能性もあるだろう」

 なにも知らない男騎士が、叔父に強く言った。

「私の『索敵』は、二百キロだよ。その範囲内でダンジョンに入ってから、君たち以外の反応がないんだ」
「二百キロだと!? ありえない。俺たち騎士団の中で『索敵』が得意な奴でも、せいぜい五十キロまでだぞ、ありえない。化け物か!」
「カミルやめなさい。アーベル殿、申し訳ない」

 叔父の索敵範囲を聞いた男騎士が狼狽し、叔父に暴言を吐くと、それを伯爵がとがめ、叔父に謝罪する。

「いえいえ、伯爵が謝罪するほどのことではないですよ。ガーゴイルは、このダンジョンの仕様なんでしょう」
「そう考えるのが正しいですな。そうなると石化が厄介ですな。ジークベルト殿、羽を落としたら、まずはガーゴイルを仕留めてください」

 叔父は気にした様子もなく、淡々と意見を述べ、伯爵がそれに同意して、俺に戦闘の指示をした。
 俺は「はい。わかりました」と、素直にうなずく。
 石化は、状態異常ではあるが『聖水』『癒やし』などの魔法では、完治されない。
 聖属性の領域なのだ。
 しかも上位魔法のため、使用できる者が少ない。
 そのため、石化されると治療費がバカ高く、破産する冒険者が後を絶たない。
 このメンバーでは、おそらく俺しか使えないのだが、公開してないから十分注意しないといけない。
 叔父の『索敵』の結果、この先ガーゴイルの数は、少ないとわかった。
 安心はできないが、進まないと二十二階層にたどり着けない。
『地図』と『索敵』を統合できたらいいのに。


 **********************

 承知しました。
『地図』スキルに『索敵』スキルを統合させます。
 統合には、スキルポイント1000が必要です。
 統合しますか?

 **********************


 普段のヘルプ機能の声とは違う、機械的な声が突然頭に流れた。
 突然すぎて、びっくりするわ!
『地図』スキル起動中だから、反応したんだね。
 ヘルプ機能、できることが増えてるよね。


 **********************

 統合しますか?

 **********************


 無視かい!
 わかったよ。はい。統合します。


 **********************

 統合が完了しました。
 ガーゴイルの位置を『索敵』範囲内で、赤の点で表示します。
 その他の魔物は、青の点で表示します。

 **********************


 おぉー、便利!
 ん? 今日の野営場所として狙っていた小部屋が、青の渋滞だ!
 えっ、どうする? スルーして別の場所を選ぶか。


 **********************

 小部屋内の魔物数、67匹
 その内、ガーゴイル1匹
 魔物を排除した後の小部屋の安全度99%

 **********************


 はいはい。小部屋に行けってことですね。
 行きますよ。
 小部屋までの道のりは、青が点在しているが、数は少ない。小部屋に魔物が集中している影響か。
 左右の分かれ道を、右側へ進む。
 叔父が目配せをするが、俺は首を横に振ると、しかたないねと目が笑っていた。
 魔物数を把握していての行動に、だだ甘だよね。
 進むにつれ、道は狭まる。
 数匹のキラーバットを仕留め、小部屋の前で立ち止まる。

「ジークベルト殿、どうされました」
「この中に魔物が大量にいます。ヴィリー叔父さん、ガーゴイルの数は?」
「一匹だよ。小部屋のようだね。殲滅したら今日の野営場所に最適だね」

 あえて叔父にガーゴイルの数を聞き、伯爵や騎士の顔色をうかがう。
 うん、大丈夫そうだ。
 魔物を殲滅したら、安全な野営場所が得られるとの情報に、周囲の小部屋への関心が高まる。

「アーベル殿、魔物数は?」
「六十強ってところかな。ジーク、威力の強い魔法は控えてね。せっかくの小部屋を貫通したら意味がないからね」
「わかってます。ヴィリー叔父さんも手伝ってくださいね」
「今回はしかたないね。伯爵もお手伝い願いますか」
「承知した。カミルも一緒に来い。ダニエラは、姫様の護衛でここに待機だ」
「「はい!」」
「中にいる魔物は、スライム、オーク、ガーゴイル、キラーバット、そしてサイクロプスとゴーレム」
「Cランクとは腕が鳴りますな」
「サイクロプスが四匹、ゴーレムが二匹だ。私はゴーレムに対応しよう。ジークはガーゴイルを先に仕留めた後、サイクロプスだ」
「ジークベルト殿、ガーゴイルを仕留めた後、キラーバットの羽を落としてくれると助かりますな。私とカミルで仕留めましょう」
「わかりました。小部屋の扉を開けると同時に『疾風』を展開します」
「了解」
「承知」
「わかった」

それぞれ返事が返ってきたのを確認し、戦闘態勢が整ったところで「行きます」と、声をかけ扉を開けた。



『疾風』

 突然の魔法攻撃に魔物たちは混乱し、キラーバットがバタバタと落ちていく。
 その中には、目的のガーゴイルもいたが、数匹、羽を落とせなかった。
 叔父が素早く突入し、ゴーレムの前にいるオークを次々と瞬殺する。
 伯爵と男騎士もそれに続き、中に突入する。
 最後に俺も部屋に入り、うしろの扉を閉じる間際「お気をつけて」との王女の声が聞こえた。

『倍速』で、羽がないガーゴイルのもとに赴くと、首を狙い威力が強い『灯火』を放つ。
 ガーゴイルの口もとから、白い光が消えていく。
 危なかった。あと数秒遅ければ『石化』を使用されていた。
 ホッと、安心したのもつかの間、足もとにはスライムの大群だ。
 単体では、プルンプルンしてかわいらしい印象だが、団体だとドブ川のようだ。
『熱火』をドブ川へ放つ。
 炎の川に変わり、あっけなくスライムはドロップ品となる。
 サイクロプスは、部屋の中心に二匹、右側に一匹、左側に一匹いる。
 左側の一匹は、ゴーレムと一緒にいるため、叔父が仕留めるだろうと判断する。
 先に中心の二匹だな。
『倍速』で距離を縮め、魔法袋から黒い剣を取り出す。
 鞘から剣を抜き、刃先まで黒い剣を構え、サイクロプスに一太刀浴びせる。
 しかし攻撃を受けたはずのサイクロプスは、平然としている。
 Cランクの魔物に剣スキルがない攻撃は効かないかと、落胆しつつ、黒い剣に『灯火』を施す。
 いわゆる、魔法剣だ。
 これならどうだと、再度切りつけると「ギャィ(イタイ)」と、悲鳴をあげる。

 おぉーー。効いてる!

 初めて試してみたが、なかなかいいんじゃないか。
 次の攻撃をけしかける前に、サイクロプスの大きな手が俺に向かってくるが、やすやすと避け、その手が地面と激突する。
 地面には手形の陥没ができていた。さすがの攻撃力だ。
 サイクロプスは、ひとつ目の巨人で攻撃力はあるが、動きが全体的に鈍い。
 鈍いといっても普通の魔物より、少し鈍い程度だが、俺は『倍速』を使用しているので、瞬間的に攻撃を避けられる。
 まぁ普通の冒険者からしたら、あり得ない動きなのだが、いかんせん、剣の修練には持ってこいだと思った。
 黒い剣を再び構え、『灯火』を施す。
 やはり魔法に耐えられるのかと、黒い剣を見つめる。見た目が黒くなければ、どこにでもある普通の剣だ。
 ただし、黒い剣(封印中)と記載がなければね。

 半年前、父上とアル兄さん、テオ兄さんの模擬戦を観戦していたら、そろそろ真剣での修練も始めようとの提案があった。兄さんたちも、七歳を過ぎた頃には、真剣で修練を始めたとのことだった。
 俺は六歳から、剣術の稽古を始めて一年以上経っていたが、それまで使用していた剣は、刃がない模擬剣だった。稽古の内容は、基本動作と体力作りが主であり、模擬剣で十分事が足りていた。
 しかし、ついにそれを真剣に変える時がやってきたのだ。

 そこで俺に合う武器を探すため、我が家の保管庫に赴き、この剣と出会う。
 吸い込まれるように近づき、手に取ると、黒く光って短くなり、俺のサイズとなっていた。
 父上たちも驚いていたが、一番驚いたのは俺だ。
 その後、父上たちが触っても、もとのサイズには戻らず、鞘から剣を抜くことさえできなかった。
 だが俺は、いとも簡単に鞘から剣が抜けたのだ。
 俺は嫌な予感がして、すぐに鑑定をした。


 **********************
 黒い剣(封印中)
 効果:封印中
 説明:???を素材に作られた剣。剣が認めた者のみ使用できる。
 所有者:ジークベルト・フォン・アーベル
 **********************


 肝心なとこわからへんがなーー!
 ヘルプ機能いわく、封印されてなんの素材で作成されたのかも不明らしい。
 いつの間にか、剣の所有者になっていた。
 呪いの武器ではないよね。


 **********************

 おそらく違います。封印中のため詳細がわかりません。
 クッ、不覚!

 **********************


 ヘルプ機能がとても悔しそう……ふっ。


 **********************

 ご主人様、いま笑いませんでしたか。

 **********************


 気のせいじゃない?


 **********************

 ……たしかに、いま笑ったような気がしたのですが。

 **********************


 俺の性格が陰湿だってこと?
 ヘルプ機能がいてくれてとても感謝してるのに?


 **********************

 いえ、私の気のせいのようです。
 ご主人様が、かげでコソコソ笑うような人ではないことは認識しております。

 **********************


 ヘルプ機能を切り、俺はホッと息を吐く。
 あぶない。あぶない。ついつい笑っちゃったよ。
 だって『クッ、不覚!』なんていつの時代?
 はぁーばれなくて、安心した。ヘルプ機能がヘソを曲げたら、機嫌を直すのが大変なんだから、注意しないと。
 さてと、呪いはなさそうなので、黒い剣を何度か振ってみる。
 うん。手になじんで、しっくりくるな。
「この剣にします」と宣言するが、アル兄さんが猛反対した。
 得体の知れない武器を所持するのは危ないとのもっともな意見を述べている。
 でも、アル兄さん。この黒い剣は、我が家の保管庫にあったのだ。貴重な剣の可能性はあっても、危険はないだろう。
「本当に危険なものなら、手の届く場所に保管はしませんよ」とのテオ兄さんの援護射撃に「そうですよ」と、俺も乗っかる。父上にも同意を得ようとうかがい見るが、浮かない顔をしていた。
「父上?」と、声をかけると、その声にハッとするが「手になじむならそれにしなさい」と、同意してくれたのだ。

 そんな経緯で、真剣を手に入れたわけだが、この戦闘で、剣スキルが獲得できれば御の字だ。
 父上から出された難題をクリアできるチャンスがきたのだ。
 これでダメだったら、もう無理だ。あきらめる。
 サイクロプスに何度も切りかかるが、浅い傷しかできない。
 魔力を徐々に上げて挑むが、少し傷が深くなっていく程度である。
 あと二匹いるのだ。ここで時間を取りすぎるのもよくない。
「チッ」と舌打ちして、黒い剣を鞘に納め、『疾風』を放つ。
 急所を狙った一撃は、サイクロプスを瞬殺した。

「魔法で一撃。剣では傷だけ……。剣スキル遠いな」

 渇いた笑みを浮かべ、もう一匹のサイクロプスに近づく。
 そばで戦闘をしていた男騎士が、俺の手に剣があることに気づき、なにかを言っているが無視だ。
 ここでも修練を積みたいが、まだ敵はいる。
 上位の『猛火』を放つ。サイクロプスは一瞬にして、火に包まれ、周りにいたスライムも一緒に焼けている。
 ドロップ品となる頃には、鎮火しているだろうと予想して、右側に移動する。
 すると、右側のサイクロプスが伯爵に襲いかかっていたが、伯爵が攻撃を避け、綺麗なカウンターで切り上げる。
 太刀筋にぶれがなく、両断とはいかないが、致命的な攻撃を与えたようだ。
 後ずさるサイクロプスを逃がすまいと距離を詰め、胸部を中心に乱れ刺して体力を奪った後、首をスパッと切り落とした。
 近くで戦闘を見ていた俺は、その剣さばきに圧倒された。
 叔父が伯爵を強いと言ったのは、伊達ではない。
 感心していると左側から轟音が響き、強い風が駆け抜ける。
「何事だ!」と、伯爵が叫ぶ。
 左側は、砂埃が立ち上がっていたが、少しずつ、全貌があきらかになる。
 そこには、数多のドロップ品があり、叔父が立っていた。

「やりすぎたかな」

 これをしでかした当事者は、右頬をかきながら、苦笑いしている。
 前方には、巨大な丸い穴ができていた。
 俺に加減しろと言ってこれですか……。
 いつもおいしいところは、全部持っていくんですから。



「おい」
「なんですか?」
「お前、剣を使うのか? 魔術師ではないのか?」

 食事の準備中に、男騎士が俺に声をかけてきた。
 先ほどからチラチラ見ていた理由はそれか。気が散って、危うく包丁で手を切る寸前だったんだぞ! 怪我したら治せるけど、痛いじゃないか! 痛いのは嫌だからなっ!と、心で叫んでいると、男騎士の言葉遣いを気にした王女が注意する。

「カミル、ジークベルト様に対して、お前とは、失礼です。エスタニア王国の品位を問われます。気をつけなさい」
「姫様……。申し訳ございません」

 男騎士は、即座に片膝をつくと胸に手をあて、王女に頭を下げた。

「わたくしにではなく、ジークベルト様に謝罪なさい」
「……申し訳ございません。以後、気をつけますので、お許しください」

 すぐさま王女が謝罪先の指摘をすると、男騎士は、その体制のまま、体を俺に向け頭を下げた。
 王女は、その態度にとても満足そうだ。
 すぐに「気にしていないのでいいですよ」と伝えると、男騎士の眉間にくっきりとしわができた。
 あっ、しまった。
 この場合「以後、気をつけろよ」みたいなことを言うべきだった。あの言い方だと、男騎士なんて眼中にありませんと、言っているようなものだ。
 言葉って、難しい。
 まぁ真実、眼中にないんですけどね。
 気まずい沈黙が訪れる中、王女が場をつなぐ。

「ジークベルト様は、魔術師を目指されているのですよね?」

「えっ?」と、王女の思ってもいない問いかけに、きょとんとする。
 男騎士もそうだったが、なぜ魔術師なのだ?

「えっ? 違うのですか? 魔術師を目指されているものだと思っておりました。あれほどの魔法をお使いなのですから、魔法を極めて研究などの道に進まれるのかと、勝手に思っておりました」

 俺の反応を見た王女が、思い違いをしていたと気づき、その理由を述べた。
 その理由に納得した俺は、迷いのない声で答える。

「冒険者になる予定ですよ」
「冒険者ですか?」

 意外な職業に、王女は目を瞬かせる。

「えぇ、世界を見て回りたいんです」
「まぁ! ですが……、侯爵家がお許しになるのですか?」

 王女の金髪の上にある白い耳が、一瞬ピンと立つが、すぐに下がると、心配そうな面持ちで俺に尋ねた。
 素直でかわいいと、俺の王女の評価がまた上がる。
 すごく好感が持てる子だよね。

「僕は四男なので、自由にできるんです」
「そうなのですね。わたくしもお役に立て──」
「わぁー!!」

 俺の真正面でサラダを作っていたエマが、完成したサラダを運ぼうとして小石につまずき、盛大にやらかした。
 かかえていたサラダボールが宙を舞い、どうすればそんなにうまく着地するのか、逆さになってエマの頭をすっぽり収めた。おかげでエマは、体中が野菜とドレッシングまみれとなっていた。
 うん。ドジっ娘侍女ですね。
 当のエマは「わぁあぁぁーー」と、言葉にならない声を発している。
 まぁ、そうなるよね。
 うん、うん。手間暇かけたからね、そのサラダ。
 きっとおいしくできていたと思うけど、やってしまったことは、しかたない。
 そんなことより、まずエマのケアだ。俺が行動した直後、「貴重な食料を!」との男騎士の怒声が響き渡った。
 おいっ! 怒鳴るより先にすべきことがあるだろう。こいつまじでダメだ。
 男騎士の態度に、大きくため息をつく。
 ブチブチと女々しく、いまだ声を荒らげている男騎士を後目に無言でエマへ近づくと、頭からサラダボールを取り、体中の関節を手で触り、怪我がないか確認する。
 その行動に、エマが半泣き状態で答える。

「ジークベルト様、ずっ、ずみません」
「それより、怪我はないかい?」

 俺の問いかけに「ないです」と、エマは頭を横に振り、懸命に泣くことを我慢している。
 その様子を流しつつ、本人の申告とざっと見た感じから、膝と腕のあたりのすり傷だけのようだ。
 たいした怪我ではなくて、よかったと安堵する。
 洞窟の中にいるため、地面は土ではなく、堅い岩なのだ。
 下手をすると骨折する可能性だってある。

『聖水』と『微風』、それから『洗浄』だ。

 同時進行は難しいため、ひとつひとつ確実に魔法を施す。
 まずは『聖水』で、 膝と腕のすり傷を治療する。ついでに、見た目ではわからない打ち身も治療する。すり傷は、跡形も残さず、綺麗に消えた。
 よし。次は、エマの体に張りついている野菜を『微風』で、サラダボールに集め、魔法袋に片づけたと見せかけて、『収納』のゴミ箱へ格納する。
 最後に『洗浄』でドレッシングの汚れを落として、ミッション完了だ。
 うん。完璧。小石につまずく前のエマが、そこにいる。その仕上がりように満足する。
 当事者のエマは、緑色の瞳をパチクリとさせ、両手を見てから視線を上にあげる。

「あっ、あり、ありがとうございます!」
「たいした怪我じゃなくてよかったよ。サラダは気にしないでいいよ。予備があるからね」
「はい! ありがとうございました!」

 エマは、元気よく返事をすると立ち上がり、頭を下げる。
 その様子は微笑ましく、エマの性格のよさが滲み出ている。

「エマ、よかったわ。ジークベルト様、ありがとうございます」
「たいしたことはしてないよ」

 俺の行動を静観していた王女は、俺とエマの話が終わるタイミングで、声をかけ頭を下げた。
 さすが一国の王女! 胆が据わっている。
 侍女の失態にも動揺せず、俺が行動するとわかっていたようだ。内心はすごく心配していたようだが、感情を抑えて傍観していたのだ。
 王女の気持ちがなぜわかるか、いやだって、耳と尻尾が「心配です」状態だったのだ。
 エマの治療中、王女の金髪の上にある白い耳がピンと伸びてピコピコと動き、尻尾も忙しなく動いていた。これあきらかに心配している証拠でしょ。
 普段の王女なら、ポーカフェイスで喜怒哀楽が、周囲にわからないように行動しているはずだが、耳と尻尾が、王女の感情出しちゃってるんです。
 まぁそのおかげで、俺の王女の評価はうなぎ上りだ。
 ふたりが仲良く手を取り合って喜んでいる姿を横目に、魔法袋から料理長お手製の『アーベル風サラダ』を取り出し、エマへと渡す。
「わぁー、おいしそうですね!」と、王女がひときわ明るい声を出して覗き込むと、その場が一変、和気あいあいとした雰囲気に包まれた。
 その雰囲気に居づらくなったのだろう。男騎士は、そそくさと持ち場に戻っていった。



 夕食の準備がほぼ完了した頃、伯爵と叔父が調理場に姿を現した。
 伯爵は、俺の姿を捉えると、矢継ぎ早に質問する。

「カミルに伺いましたが、ジークベルト殿は剣を嗜んでいるとか」
「いえ、嗜みなどと言えるレベルではありません」

 俺は首を横に振り、否定した。

「失礼。ジークベルト殿は、魔法以外の戦闘スキルは所持されていないのですかな。いや答えたくなければ結構だが、興味があってね」

 俺の反応を見た伯爵が、言葉を慎重に選びながら俺に尋ねた。俺はそれに応える。

「戦闘スキルは所持していません。一応、父上に剣の手ほどきを受けています」
「そうですか! やはり男児たるもの戦闘スキルの所持を目指すものですな。よければ、ダンジョンにいる間、私が教授しますがいかがですかな」

 伯爵は、満足げにうんうんと、腕を組みながらうなずいている。
 その申し出に、俺は前のめりに返事をする。

「いいんですか!?」
「えぇ、もちろん!」と、伯爵は、にこやかに返事をした。

 なんてありがたい! 神が! ここに神がいる!

「助かります! じつは父上から八歳の誕生日までに、剣スキルを取得するようにと課題が出ていまして、もう時間がなくてあきらめていたんです」

 俺は興奮さめやらない様子で、事情を話した。

「またそれは、厳しい指導ですな」

 俺の事情を聞いた伯爵は目を見開き、少し驚いた顔をした。すると、伯爵の横にいた叔父が俺の事情を補足する。

「アーベル家は、剣の名家でもありますからね。私も幼少期は鍛えられましたが、あいにく相性が悪くてよく父さんに叱られていましたよ」
「アーベル殿でも、苦手分野はありますか! お父上のヘルベルト・フォン・アーベル殿は、我が国でも有名な武人ですからな! しかしアーベル殿は素晴らしい魔法の才能があるではないですか。戦闘スキルまで所持されたら、我々騎士は面目が立ちませんな!」

 叔父の苦戦話に、機嫌が上がった伯爵は、盛大に笑っていた。
 伯爵……。水を差すようですが、七年前の鑑定で、叔父は、戦闘スキルの剣・短剣・弓を所持しています。
 しかも、弓はLv6で、最上級レベルです。現在は、それよりもレベルが上がっていると思われますと、俺は心の底でそっとささやいてみた。

 夕食後、伯爵から指導を受けるため、小部屋から少し離れた広場で、俺は準備運動を始める。体がいい感じに温まってきたところで、伯爵と叔父が話をしながら現れた。
 王女たちも、見学するために集まってきた。
 全員が揃ったことを確認して、俺が魔法袋から黒い剣を出すと「その剣は!」と、叔父が驚いた声を出した。
 やはり叔父が、関係しているようだ。
 父上の態度から、黒い剣について、叔父が関わっているのだろうと、予想はしていましたよ。
 俺はなにも知らないふりをして、驚愕した叔父の反応に返すように、首を半分傾けながら質問する。

「ヴィリー叔父さん、この剣を知っているのですか」
「あぁ! 所有者がジークになっている」

 さらに大きな声をあげた叔父は、額に手をあて「兄さんから報告を受けてないんだけど……」と、周囲に聞こえないぐらいの声でつぶやいた。
 伯爵たちは、そんな俺たちのやり取りを不思議そうな顔をして、静観している。

「いや、うん。その剣は……。昔、私があるダンジョンで見つけてね、我が家の保管庫の奥底に封い……、しまっていたはずなんだけどね」

 やけに歯切れの悪い叔父の返答も気にはなったが、それよりも剣の保管場所に驚いて、思わず口に出していた。

「えっ!? 保管庫のわりと手に取りやすいところに、乱雑に置いてありましたよ」
「あぁ、そうだと思ったよ」

 叔父の反応から、剣は保管庫の奥にしまっていたのだと思う。
 誰かが移動させたのか。それとも剣が勝手に移動した?
 そうだったらホラーだけど……。

「……。呪いの剣では、ないですよね?」
「ん? それは大丈夫だから、安心していいよ」

 叔父は俺を安心させるように、頭をポンポンとなでて、苦笑いをする。
 いやいや、これだけ煽って、大丈夫だからで済まないですよ。安心できるはずないからね。

 俺が、不満げな顔を叔父に向けると同時に、伯爵が会話に割り込んできた。

「失礼。いわくありげな剣なのですかな。見た目は黒いが、普通の剣のように思えますがな」

 伯爵が興味深そうに剣を見ながら、叔父に尋ねると、叔父が俺に視線を移し口を開いた。

「ジーク、バルシュミーデ伯爵に剣を渡してくれないかい」
「はい」

 俺が伯爵に剣を渡すと、その腕が漫画のようにガクッと下がる。
「こっ、これは!」との伯爵の焦った声と共に、剣が俺にすぐ返却された。そして何度も手を開けたり閉じたりして、手の状態を確認した後、伯爵は、俺と剣に視線を向けた。

「ジークベルト殿は、重くないのですかな」
「いいえ、普通の剣と同じ……、いや、幾ばくか軽いかもしれません」
「軽いですか……。なるほど。アーベル殿、所有者限定の剣なのですな」

 俺の返答に、伯爵は納得したかのように大きくうなずくと、自信ありげに叔父に言った。それを受けた叔父が茶目っ気たっぷりに、黒い剣の特性を説明した。

「ご名答! さすがバルシュミーデ伯爵。今は鞘から出ているので、ジーク以外が持つと重くなり、鞘に収まれば、ジーク以外、抜けなくなります」
「ほぉー。まさに珍品ですな! 敵に剣を奪われても、攻撃される心配もない。素晴らしい剣ですな! それに──」

 剣の特性を聞いた伯爵は、興奮した様子で熱弁し始め、話が止まらない。
 叔父、わざと肝心な部分の説明を省きましたね。ほかにもありますよね? と目で訴えると、叔父はウィンクし、伯爵たちにわからないよう俺に合図する。
 叔父の仕草から、これ以上答える気はないと悟り、俺は追及するのをあきらめた。
 まぁ危険であれば、父上が黒い剣の所持を許可するわけがなし、叔父がこの場で回収しているはずだ。
 けど、叔父が保管庫の奥にしまって、言葉を濁していたが封印するほどのものだ。
 人目に触れさせたくなかったのか? なにかよほどの理由があったのだろう。
 叔父が黒い剣の所持を黙認したということは、その余程の理由は、すでに解決済みか、もしくは解決の必要がなくなった可能性が高い。
 呪いの剣ではないようだし、半年間この剣と修練を共にしてきたのだ。愛着はある。それに今さら、ほかの剣を与えられても、しっくりこない。
 んーー。もうこの剣については、深く考えるのは止めよう。

 結論が出たところで、修練場に足を踏み入れる。
 叔父が、修練に集中しやすいようにと、わざわざ小部屋に近い広場を見つけて、土魔法で、修練場を作ってくれたのだ。
 どこまでも過保護でござる。
 俺が修練場に入ったことを確認して、伯爵と男騎士もそれに続く。男騎士も一緒に指導を受けるのだ。
 女騎士は……。察してほしい。
 行動を共にして数日経っているが、女騎士と会話した覚えさえない。協調性の欠片がも ないようで、移動や食事以外は、顔を見せない。
 最近、王女付きとなったため、王女たちも性格などを把握しきれていないようだ。ただ王女や伯爵の命令は、素直に従っているため、騎士としての問題はなく、自由にさせているようだ。ちなみに剣の腕前は、男騎士より上だ。
 さて、集中。
 腹の中心に力を入れ、精神を統一する。
 剣を構え、素振りを始める。

「ほぉー。剣の構えは、素晴らしいですな!」

 伯爵が、俺の構えを褒めてくれた。
 前世では、剣道を習っていた。
 高校時代は、インターハイにも出場した実力だ。
 ただ準決勝直前に食中毒を起こし、救急車で運ばれた苦い思い出もある。
 あれも不運値のせいだったんだろうな……。
 雑念で、素振りが乱れる。
 集中しろ。油断すると、素振りでも怪我をする。
 竹刀と剣では、当然重さも違うし、剣道はスポーツだが、剣術は命を殺めるものだ。
 その違いは明白だ。
 一瞬の隙で『死』とつながるのだ。

「では、そのまま素振りを二百。型や剣技は自由だ」

 伯爵の指示に、俺は小さくうなずき、素振りを続ける。幼い体だが、体力には自信がある。
 額に汗が、ジワジワと浮き出てくる。
 俺は目の前に魔物がいることを想定して、体を動かし始めると、剣を縦に横へと流し、仕留めていく。



 ***



「アーベル殿、ジークベルト殿は、剣の素質がとても高いですな。半年前から指導を受けた動きではありませんぞ」

 ジークベルトの剣筋を見た伯爵は、感心した声でヴィリバルトに伝えた。

「ジークは、天才ですからね。騎士たちの面目が立ちませんよ」

 微笑みながら肯定したヴィリバルトは、ジークベルトの評価を簡潔に述べる。
 その評価を聞いた伯爵は「ふむ」とひと言つぶやくと、腕を組み、眉をひそめて考えだした。

「あの動きで、剣スキルがないとは……。ふむ。体が小さいため、剣技の威力がなく決定打とならないのだな。こればかりは実戦で経験を積むしかない。本人も自覚して、サイクロプスで実戦を積んだのですな、ふむ」
「普通の思考サイクロプスではなく、オークで修練するのが妥当ですけど。そこがジークですね」

 ヴィリバルトが、ジークベルトの欠点を指摘する。

「そうですな。実戦で魔物を倒せば、スキル習得が早くなりますが……。あの動きならオークは倒せますな。ふむ。剣スキルより、短剣スキルなら、すぐに取得できるのではないですかな」

 伯爵もヴィルバルトの指摘にうなずき、短剣スキルの取得の可能性を示唆すると、ヴィリバルトがそれを肯定する。

「そうですね。ジーク自身は気づいてないようですが、身内びいきではなく、戦闘スキル系の潜在能力は、どの分野でも芽が出ると考えています」
「末恐ろしいですな」

 伯爵がその大きな体をわざと震わせる。その伯爵の態度を見て、ヴィリバルトが誇らしげに言った。

「自慢の甥ですよ」

 伯爵と叔父が、そのような会話をしていたとは露知らず、俺は剣の修練を淡々とこなした。



「ジークベルト様、素晴らしい戦闘でした!」

 両手を組み瞳を輝かせて、俺を賞賛する王女。
 その足元には、大量のオークのドロップ品が転がっている。
 まさに異世界。
 少し遠くから「危ないですよー。姫様ー。あわぁわぁー」と、心配するエマの声が途中で悲鳴に変わり、その姿は砂漠に埋もれていた。
 近くにいた男騎士カミルが、二次被害も考えずエマのそばにより、一緒に砂漠に埋もれた。

「あっ、ドジっ子発動中のエマに近づくのは、危険なのに」
「カミルは、学習致しませんね」

 その様子に、二人して苦笑いしつつ、魔法袋に戦利品を収める。
 エスタニア王国の面々との距離が縮まるぐらい、踏破が近づいていた。
 俺たちは、いま最下層手前の二十四階層にいる。

「これだけ倒しても、剣スキルは遠いか――」

 二十四階層に到達するまでに倒したオークの数は数百に及ぶ。
 伯爵から剣の指導を受けた翌日、叔父のスパルタ教育で、短剣スキルを取得するイベントがあった。
 たった一匹のオークで、短剣スキルを取得できたことにも驚愕したが、何よりも俺の欠点がわかった。
 俺はより強い魔物を倒すことで、修練が上がり剣スキルが取得しやすいと思い込んでいた。
 だが実際は違う。
 剣技でその個体にどれだけの決定打を与え、その身についたかだ。
 短剣は俺の体のサイズに合い、剣技を活かした威力とそれまで修練した剣の基礎、努力が身につき習得となった。
 レベルの概念で、数値や高レベルを追っていたが、ゲームの世界ではないと改めて認識した。
 俺が他の人より身体能力が優れていても、努力をしなければスキルを習得することは難しいのだ。
 気を引き締め、その後も伯爵から剣の指導を受け続け、いまのこの体を活かしてできる最大限の剣技を極めている。
 徐々にではあるが、剣の扱いも上手くなっていて、剣スキルまであと一歩のような気もしている。

 ――戦利品を集める手を休め、物思いに耽っていた俺に「ジークベルト様……」と、気遣わしげな声が聞こえた。
 はっとして顔を上げると、白い耳をペタンと下げ、その大きな瞳が心配そうに俺を見ていた。
 庇護欲をそそる姿に思わず手が伸びていた。

「心配かけて、ごめんね」

 とうとうやっちまったなとの本音とは裏腹に、王女の頭をなでる手は止まらない。
 素直で本当にかわいいんだよね。
 少しいい雰囲気に、お互い気恥ずかしさから動けないでいると「ジーク!」と俺を呼ぶ叔父の声に二人の距離があく。
 砂に埋もれた二人を救出した叔父が、砂まみれ男騎士を地面に放り投げると『報告』で俺たちに伝える。

「最下層の階段手前で、今夜は野営をするよ。だから早く帰っておいで」
「はい。アイテムを拾い終えたら合流します」

 俺も『報告』で、叔父に伝えると「了解」とすぐに返事がくる。
 ヴィリー叔父さん、俺を呼んだの、もしかしてわざとですか?
 とても助かりましたけど。

「ジークベルト様?」

 王女があざとく首を傾げながら俺を呼びかける。
 この仕草でまだ少女、末恐ろしいです王女様。

「最下層の階段手前で、今夜は野営をするそうです。アイテムを拾い終えたら、合流しましょう」
「はい。わかりました。ジークベルト様、なにかよそよそしくありませんか?」
「気のせいですよ」

 王女の問いに素早く反応して返す。
 俺のその態度に、王女はなにか言いたげな表情を一瞬するが、足元にあるアイテムを拾いだした。
 無言でアイテムを拾う王女に、冷たい態度でごめんねと心で謝罪する。
 王女との距離が近づきすぎたと反省した俺は、あと少しで別れる彼女の姿を目に焼きつける。
 もうすぐ特別な時間は終わる。
 適切な距離に。
 このお方は王女。エスタニア王国の第三王女なのだから。
 そして俺は、王女が発した小さなつぶやきを聞き逃した。

「いまは我慢のとき。今夜が勝負よ、ディアーナ・フォン・エスタニア」



 砂漠地帯に突如現れた階段を前に、やっとここまでたどり着けたかという安堵と、不気味なほど静寂した空気に緊張がはしる。
 その様子を察した叔父が、俺の肩を静かに叩いた。
 ぐっと手のひらに力をこめ、階段を見すえた。
 ここまでの道のりが、走馬灯のように駆けめぐる――。
 エスタニア王国一行と行動を共にしてから、ジークベルトの人生で、はじめてアーベル家以外の他人と触れ合った貴重な旅だった。
 国が変われば価値観も違うし、俺がいかに異端(イレギュラー)なのか、また|生家がいかに俺にとって過ごしやすい場所だったのか、周囲の気配りはもちろん家族に守られていたんだと改めて実感した。
 ――砂漠の砂が頬をかすめる。後方で最後の野営準備をしている王女たちの元へ足を向けた。
 二十四階層は砂漠地帯で、最下層手前の砂漠は体力的にも辛く、行動スピードが極端に下がった。
 特にエマの疲れが色濃く、話合いの結果、無理をせずエマのペースで進むことになった。
 エマはとても恐縮していたが、食事面をサポートしているエマが倒れては大変だと、俺と王女が助言したことで、全員が納得した。
 それ以前に全員疲れのピークがきていたのもある。そもそも二十一階層の洞窟からここまで七日を要した。
 特に二十三階層は、広大な草原地帯で、叔父の『索敵』の範囲内に正しい階段が見つからず、俺の『地図』で誘導をしても、最長の四日もかかった。
 肉体的疲労より精神的疲労が強い。
 慣れた手つきで、砂を使った家を土魔法で形成する。
 砂漠地帯は、昼夜での気温が急激にちがう。体温調整するマントなどの魔道具がなければ、砂漠の夜を外で過ごすことは難しい。
 そこで俺は、本で得た知識を活かし、砂を使った家を作ってみた。
 はじめは驚かれたが、事情を説明すると感心していた。
 完成した砂の家は、中々の硬度を保ってはいるが、一応、叔父に『守り』を使用してもらう。
『魔テント』を使用している王女が、物珍しさから泊まりたいとのリクエストがでるほど、砂の家はとても好評だった。
 もちろん王女の願いは叶えられることなく、あえなく却下されていた。
 今日の出来栄えに満足していると、頭上から男騎士の感心した声が聞こえた。

「いつみても、おまえの魔法はすごいな」
「カミル殿。これは初期の土魔法『土塊』です。イメージさえ固めれば簡単に作れますよ」

 魔力と魔力制御も必要ですけどと、心の中でつぶやく。
 男騎士もといカミルは「俺でも修練すれば作れるのか」と、俺の言葉に素直に反応している。
 カミルとは、この七日で剣を幾度となく交え親交を深めた。手合わせすることで人となりをより深く把握できた。
 根は悪い人ではないが、単純で無駄に熱く嫉妬深い、総じて単細胞なのだ。単なる筋肉バカでもあるけどね。
 剣の指導を同じ伯爵から受けているので、徐々にカミルの態度が軟化されていき、今では軽い雑談を交わすまでになった。
 俺にとって兄弟子にもあたるわけで、邪険には扱いません。
 カミルと土魔法について語っていると、俺の名を呼びながら走ってくるエマの姿が見えた。

「ジークベルトさまー。こちらにきゃあっ」

 危ないなぁーと思っていたら、頭から砂に突っ込んでいます。
 相変わらずのドジッ娘侍女ぶりに苦笑いになる。

「大丈夫? エマ?」
「あぃ、だいじょうぶでっず」

 エマは、砂が口の中に入ったようで舌足らずな話し方で俺に答えた。
 どう転んだら全身砂まみれになるのか、一度実践してみたい。
 全身の砂をせっせっと払い、身だしなみを整えているエマに俺は声をかけた。

「エマ、ぼくになにか用事があったんだよね」

「あっ、はい!」と、元気のいい返事をして、エマは砂をはたくのをやめる。
 そして俺に顔をむけると、遠慮がちにうかがってきた。

「本日の夕食はスープだけを作るようにとのことでしたが、他に何かお手伝いすることはありませんか?」
「有難い申し出だけど、すでに夕食は完成しているものがあるんだ。この中にね」

 俺は魔法袋を指して応えると、エマは納得したようで「そうなのですか」とうなずいた。
 ダンジョン最後の晩餐なので、料理長が再現してくれた天ぷらや揚げ物をだす予定なのだ。もちろんデザートのプリンも準備している。
 エマの料理の腕は素晴らしいが、やはりシンプルなのだ。
 素材本来の味を上手く調理しているともいえるが、あと少し手を加えれば、また違った味になるのに、その一歩の創作が思いつかないようだ。
 料理人たちのくいつぎ具合から探究心がないのではないことはわかる。
 この世界の料理の基礎が焼くなのだ。揚げるや蒸すなどと言った調理法がほぼ確立されていないため、焼くだけの料理となる。
 すると答えはでる。

「お前が作ったのか?」と、カミルが興味深そうに聞いてくる。

「いえ、我が家の料理人が作ったものなので、安心してください」

「そういう意味じゃなく」と、カミルの弁明に重なるようにして、エマの感激した声が響いた。

「わぁー。アーベル侯爵家の料理人様の料理を食すことができるんですね! 感動です!!」
「それほどのものなのか?」

 カミルの素朴な疑問に、エマが興奮した様子で勢いよく話しだした。

「カミル様、なにをおっしゃっているんです。いいですか、アーベル侯爵家と言えば『アーベルレシピ』の大元ですよ! 私の料理も『アーベルレシピ』を基礎にアレンジしているぐらいなのです。特にスープ! 骨からうま味成分が取れるなんて誰が思いつきますか! もう革命ですよ。革命です!!」

 俺はエマたちから、少し距離をとりそれを静観していた。
 どう考えても、テンプレが起きそうな予感がする。
 しばらく『アーベルレシピ』について熱弁していたエマは、気づかないうちにカミルのすぐそばにまでいた。
 それに気づいたカミルが少し距離をとろうとするが、興奮しているエマがさらに近づく。
 
「あっ」
「きゃっ」
「わぁー」

 三者三様の立場で声があがる。
 エマが、カミルに詰め寄ろうとして砂に足を取られ、カミルを巻き込んで盛大にこけた。
 その様子を離れた場所から見ていた俺は「ほら、やっぱり……」と、呆れた声がでる。
 興奮状態のエマに近づくのは危険。本当に危険。
 エマの下敷きになったカミルは……。
 チッ、リア充野郎め! 
 どう転んで巻き込んだらそうなるのか、エマの胸の下敷きとなって身動きが取れなくなっているようである。
 じょじょにカミルの頬から耳が赤くなっていく。状況を把握したようだ。
「カミル様、すみません!!」と、エマが両手を砂に伸ばし、体制を立て直そうとする。
 それは悪手だエマ! との俺の心の叫びはエマには届かず、砂に手を取られ、さらに深く胸をカミルに押し潰す体制となる。
「ふぐっ」と、エマの胸の下から蛙が踏みつぶされたような声が聞こえた。
 俺は二次被害を避けるため気配を消して、二人の行動を見守る。
 むやみに手助けをして巻き込まれたら、恐ろしい。ドジッ娘侍女の本領を侮ってはいけません。
 そうこうするうちに、カミルが負の連鎖からやっと抜けだす。
 エマは立ち上がるとすぐに頭を下げた。

「カミル様、ご迷惑をお掛けして申し訳ありません」
「うん、いい、わかった。だから動くな」

 カミルは額に左手をあて右手を前にだして、動こうとしたエマを静止させる。
 その行動に心で拍手する。
 脳筋も学んだようである。
 いまエマに近づくと、おそらく第三弾が始まるはずだ。
 二度あることは三度ある。ことわざ通りです。
 エマは首を少し傾げながらも「はい」と返事して、謝罪が受け入れられたことに安堵していた。