マリアンネは不測の事態に困惑していた。
 可愛い末弟ジークベルトが、マリアンネの私室を訪れると、突然、頭を下げたのだ。

「マリー姉様、ごめんなさい」

 ジークベルト付きの侍女たちは、困惑した様子でマリアンネを見ている。
 その侍女たちに目配せし、状況を確認するが、要領を得ない。
 アーベル家の中でも屈指の侍女たちが、対処できない事態なのだろうか。
 一瞬、脳裏にあの残像が蘇る。
 あれは過去の出来事よ。もう決して傷つけはさせない。
 残像をかき消すように頭を振り、目の前の無傷なジークベルトを見る。
 大丈夫、ジークベルトは生きているわ。

「姉様?」

 普段と異なるマリアンネの様子に、母譲りの紫の瞳が、心配げに問う。
 そう、この子は、人の感情に敏感で繊細なのに、無視ができない心優しい子。だから私たちが守るの。
 気持ちを持ち直し「なんでもないわ」と、強く発して微笑む。
 マリアンネの返答にジークベルトは、訝しげな表情を見せ、何度か口を開こうとするが、諦めたように口を噤んだ。
 その様に安心したマリアンネは、本来の話へ戻すため、努めて冷静に声をかける。

「ジーク、それで何がごめんなさいなの?」

 マリアンネの問いかけに、ジークベルトのマントの下から、白い動物? 白い魔獣? の赤子が顔を出した。

「元の場所に戻してきなさい!」

 マリアンネの声が屋敷中に響いた。




***




 数時間前に遡る。
 俺は『沈黙の森』へ出かけていた。もちろん家族には内緒でだ。
 沈黙の森は、帝国と隣接している場所で、馬車で十日ほどの距離がある。巨大な植物群落の森で、その範囲は未だ把握されていない。理由は、森全体を覆う濃い魔力である。奥に行けば行くほど、魔力は濃くなり、方向感覚がなくなる。これは地上だけではなく、空にも影響がある。
 そして、強い魔力を体内に浴び続けていると、脳が麻痺し、正常な判断ができなくなるのだ。また、魔力が濃いため、上位種の魔物や魔獣が生息し、噂では竜種を見たとの情報もある。
 別名『死の森』とも呼ばれ、生存率が低いことでも有名だ。
 ただ上位種が多いため、素材獲得依頼や一攫千金を狙った冒険者などがよく森を訪れている。

 俺は『移動魔法』を使用して、沈黙の森へ来た。
 四歳で移動魔法が使えるようになり、現在五歳となる。
 初めて移動魔法が成功した時は「あっできた」と、軽いものだった。
 表現が薄いのは許して欲しい。だって部屋の端に移動しただけなのだ。気持ちが高ぶる要素が全くなかった。成功したことは、本当に嬉しかったけれど、地味すぎてのれなかったのだ。
 なぜ部屋の中だったのか。それは移動魔法が、術者が訪れた場所しか転移ができないからだ。
 俺が四歳までに訪問した場所は限られており、また国家最高レベルの魔法が使用できると周囲にバレたら大変な事態となる。そうなると、おのずと修練の移動先は安全な場所となり、屋敷の中、俺の部屋となるわけです。
 ちなみに『沈黙の森』までは、徒歩と『飛行』の魔法を使用した。
 毎日少しずつ距離を稼ぎ、大体二ヶ月ほどかけて到着した。
 ただ『飛行』を使う際は、細心の注意を払った。飛行魔法は、風属性の上級魔法で、一般的には、風魔法Lv8ぐらいで使用可能だ。俺はスキルLvに関係なく純粋に魔力だけで使用できる。空を飛ぶ幼児なんて、ほぼほぼいないのだ。

 沈黙の森を目指したのは、人目を気にせず、効率よくレベルを上げるためである。
 近場で魔物討伐するにも限度がきたからだ。上位種がいないわけではないが、幼児の魔物討伐は、いかんせん目立ちすぎる。
 テオ兄さんたちと一緒の時は、周りを気にすることも遠慮することもなく討伐ができるが、月一と決めていた。本心は毎回同行したいが、マリー姉様に討伐がバレる可能性が高いため、すんなりとあきらめた。テオ兄さんとのお出掛けは、第三週の二日目が定番となっている。マリー姉様も、その日だけは特に何も言わず、屋敷から出してくれる。
 あの日からテオ兄さんとは、とても良い兄弟関係を築いている。

 沈黙の森に到着してから、約二ヶ月が経つ。
 一部ではあるが、森の中の位置も把握できつつある。方向感覚が麻痺している中、なぜ迷わないのか、それは前世の本での知識が役に立っているからだ。伊達に何年も家に籠っていない。引きこもりではない。友人もいたぞ。ただ不幸体質で、外に出ると迷惑をかけるから、極力外は避け、家に居てできることをしただけだ。その知識が活躍しているのだから、あの時間は、有意義なものだった。
 サバイバル知識を有効活用し、今日も森の奥へ進んでいく。
 林道を歩いていると、不審な気配を察し、足を止めた。

 んー……? なんだ? 何かいる。

 草の間から白い物体が眼に入る。
 すかさず、鑑定眼と念じた。


 **********************
 白虎 オス 0才
 種族:聖獣
 Lv:1
 HP:2/100
 MP:10/100
 魔力:100
 攻撃:100
 防御:100
 俊敏:100
 運:100
 魔属性:雷・氷

 身体スキル:炎耐性Lv1
 技能スキル:心眼Lv1

 状態:瀕死
 **********************


「白虎? えっ? 白虎! 聖獣!」

 鑑定結果に驚きの声を上げる。
 白虎は、俺の声に気づくと、ゆっくりと立ち上がり、ギラギラとした眼で威嚇する。
 全身は血だらけで、皮膚は焼け焦げている。

 その様に、昨晩の夕食時の父上との会話を思い出す。
 たしか、帝国の冒険者が白虎の赤子を捕まえたらしく、近々開催されるオークションに出品するとの情報だった。帝国主催のオークションのため、我が国は関与できないが、希少種の聖獣は各国で保護の対象とする動きがでていた最中だったと、父上は珍しく荒れていた。

 んー……? あれは!

 白虎をよくよく見ると、焼け焦げた皮膚から、僅かに魔法色が滲みでている。
 魔法色とは、高度な魔法を使用することで生じる魔力の色だ。魔法にも純度があり、魔力の量や質が高いほど、純度が高く高度な魔法となる。高度な魔法ほど色が残りやすい。
 魔法色を残すほどの魔術師は、国が重宝するぐらい貴重なのだ。
 白虎を捕獲する魔術師か……いや冒険者だな。
 この白虎は、おそらく件の赤子だろう。
 拘束した魔道具を破壊したのか、首回りに深い傷があり、胸の辺りまで血が流れて固まっている。
 瀕死状態の白虎は、フラフラになりながらも立って威嚇する。

「グルッルルル(ちかづくな!)」

 その言葉を無視し、白虎に近づいていく。
 白虎は、立つだけで精一杯なのか威嚇はするが、その場から動こうとはしない。
 手を伸ばせば、触れる距離まで近づくと、立ち止まり怪我の状況を窺い見る。

 んー……。これは、ひどい。
 遠目からでも、ひどい状態だと分かったが、近くで確認すると首回りの刺し傷は貫通しており、焼け焦げた皮膚は、感染して傷口が膿んでいる。
 この状態で、よくここまで逃げてこられたな。すごい生命力だ。
 よし。『癒し』『再生』『洗浄』でなんとかなるかな。

 これ以上、傷口を開かせないように、ゆっくりと白虎に手を近づける。
 治癒系や補助系の魔法は、相手に触れた方が効果が上がるのだ。
 白虎の皮膚に手が触れた瞬間「いっ」腕に激痛が走った。

『癒し』

 白虎の全身が淡い光に包まれる。
 俺の腕に噛みついたまま、白虎は驚いた声を上げた。

「ガウッ?(なんだ?)」
「まだダメか……『癒し』『癒し』『癒し』…………『癒し』」

 傷口が、徐々に癒えていくのがわかる。火傷の跡も綺麗になっていく。
 数十回の『癒し』で、ほぼ完治した。
 魔法色の残った傷を回復するのは、難しい。普段の四倍以上、時間と回数がかかった。

「よし次は『再生』」

 剥き出しの皮膚から、白い毛が生えてくる。
 よしよし上手くいった。お次はこれだ。

『洗浄』

 赤く染まった身体が、美しい白に染まる。
 うわーー。フワフワの毛! 真っ白! 素晴らしい! モフりたい!
 勝手にモフったらダメだよね。今は治療の一環で触っているけれど、撫でたらアウトかな。
 モフらしてって、あとで頼んでみよう!
 えっ、モフるの拒否されないよね。拒否されたら、めちゃくちゃ落ち込むけど……。
 一抹の不安を残しつつ、白虎に声をかけた。

「もう大丈夫だよ」

 すでに白虎からは、威嚇はなく、キョトンとした顔をして俺を見ている。
 しばらくすると、耳がペタンと下がり、慌てて腕から口を離し、傷口を舐めはじめる。
 その行動に愛しさが募る。
 まじ良い子。かわいい。
 噛まれた傷は痛いけれど、白虎の行動がとても健気で泣ける。
 白虎を安心させるために、『癒し』の魔法をかける。
  
「ほら、俺は大丈夫だよ」

 舐めていた傷口が、目の前で綺麗に治り、白虎は一瞬驚いた顔するが、次の瞬間、耳がピンと立ち、瞳が輝きだす。
 うわぁ。なにこの子。可愛すぎる。どうしよう。まじでかわいい。
 内心萌えつつ、白虎に俺が無害であることを説明して、その場に座り込む。

 腕の傷は、出血していたがたいしたことはなかった。
 白虎が瀕死状態だったため、本来の力を発揮できなかったのだろう。
 幼児の腕を噛み切るぐらいの力はあるはずだ。骨まで達していないこともよかった。
『癒し』一回で完治したことは、幸運だった。
 じつは、魔力をほぼ使い切ってしまったからだ。
 あぁーー。帰りどうするかな。
 あと数時間経てば、魔力は回復するけれど、遅くなりすぎるとまずい。
 俺が屋敷内にいないとなれば、マリー姉様、発狂するよね。
 あははっははは。まずいな……。
 それに、いま魔物が出没したら、相当厄介だな。
 悪目立ちするのを考慮して、MP回復薬の購入を避けたのもいたい。 
 あーー。行動が裏目裏目に出ているよ。

 物思いに耽っていると、突然、黄色い光が全身を覆う。


 ***********************

 白虎との契約が成立しました。

 ***********************


「はあぁーー!?」

 空気を読まない無機質な音とその内容に驚愕し、慌ててステータスを確認する。


 **********************

 魔契約:白虎

 **********************


 なぜこうなった!
 落ち着け俺! 落ち着け俺! 落ち着け俺!
 ここはひとまず深呼吸するのだ。
 スーハー。スーハー。
 落ち着くんだ俺!

 魔契約をする方法は二通り。魔力契約と真名契約のはずだ。

 真名契約は、真名を教えてもらい契約する方法だ。
 精霊との契約が主だ。稀に上級魔獣などもこの方法でできる。
 魔力契約は、契約者が従属魔法を発動し、従属側が契約者の魔力を受け入れる方法だ。

 その二通りのはずなんだが、他にも契約方法があるということか。
 犯人であるだろう俺の前に座っている白虎を見る。

「お前が……したのか?」
「ガウッ!(そうだ!)」

 嬉しいのか、もの凄い勢いで尻尾を振っている。
 その仕草に、かわいいと萌えつつ、現状の問題に目をむける。
 ほんの少し前に、瀕死状態の傷を完治させた。
 恩義を感じた。まぁわかる。
 なにか御礼がしたい。まぁわかる。
 喜んでくれるものがいい。まぁわかる。
 そうだ魔契約しよう。まぁわからない。
 
 俺は、一旦考えることを放棄した。




***




「聖獣との契約って、まずいよなぁ……」

 俺はそう呟きつつ、膝の上にいる白のモフモフを撫でていた。
 ゴロゴロと喉を鳴らす白虎。見た目はホワイトタイガーの赤ちゃんだ。
 んー……。モフモフは正義だ!
 考えることを放棄してすぐ、白虎に膝の上に乗るようお願いした。
 そして毛をモフることに了承してもらい、堪能すること一時間。そろそろ現実を見ることとした。
 頭を整理するには、癒しの時間も必要なのだ。

「マリー姉様に相談するしかないよな。魔獣の赤子でとおせるかな。いやそれしか選択肢はないね。外見上、魔物は無理だ。魔獣で押し通すとして、魔契約は隠すべきだね」
「ガルゥ?(マリー?)」
「俺の姉様だよ。とても優しくて、可愛い人だよ。ただブラコンが異常だけどね……」
「ガルゥ?(ブラコン?)」
「えーーと、俺のことが好きすぎることだよ。説明、間違ってはないはず」
「ガルゥ!(ジークベルト、好き!)」
「えっ、ありがとう。俺も好きだよ。そういえば白虎って名前あるのかな?」
「ガルゥ?(名前?)」
「じゃ、ぼくが付けていいかな」
「ガウッ!(いいぞ!)」
「よかった。じつはもう決めていたんだ。『ハク』ってどうかな」
「ガゥ!(ハクだ!)」
「気に入ってもらえてよかったよ」

 ハクは、尻尾をパタパタと動かして、俺の身体にすり寄ってくる。
 名前が相当お気に召したようだ。
 よかった。ボキャブラリーがないって否定されたらどうしようかと思った。
 真っ先に頭に浮かんだ名前だった。前世の記憶がよぎる。これも運命なのかな。

「ハク」
「ガルゥ?(どうしたの?)」
「ハクは、今日から俺の相棒だ」
「ガウッ!(相棒!)」
「ただ一緒に過ごすには、俺たちの世界のルールに合わせてもらうよ」
「ガウッ!(まかせろ!)」
「ありがとう。まず俺とハクの契約は秘密だ。そしてハクが白虎であることは絶対にバレてはいけない」
「ガルゥ?(どうしてだ?)」

 ハクにとっては思ってもいなかった言葉だったのだろう。
 上目遣いで俺を見ながら、コテンと首を傾けた。
 その仕草に、俺は悶絶する。
 なにこの子。あざとっ! めちゃくちゃかわいい! かわいすぎる! 
 あぁもう、かわいいも正義だ!

「ハクは、稀少な聖獣なんだ。聖獣だとわかれば多くの人がハクを求めてしまう。今回のように強い人がハクを無理矢理連れて行くかもしれない。今の俺の力では、守ってやることができないんだ」
「ガウゥ(ハクもよわい)」
「うん。だから二人で強くなろう!」
「ガウッ!(強くなる!)」
「それでね、ハクの見た目が魔獣のブラックキャットに似ているんだ。だからブラックキャットとして姉様たちに紹介するね。ただブラックキャットは、毛が黒いので、特殊変異で毛が白いってことにしようと思う」
「ガゥ!(わかった!)」
「うん。まずはマリー姉様の説得だよ。頑張ろうね、ハク!」
「ガウッ!(がんばる!)」






 ハクとの契約は、血契約だった。
 血契約とは、古の魔法の一種で、上級魔獣や聖獣などに限定された特殊魔法だそうだ。
 契約者の血を体内に入れ、絆を繋ぎ、支配を受けるとのことだ。生涯に一度しか使えない魔法でもある。
 この情報は、ヘルプ機能からです。


 **********************

 最近出番がなく、ご主人様に嫌われたかと思いました。

 **********************


 えー……。拗ねてました。
 出番って、いや鑑定はよく使っていましたが……。


 **********************

 そうではなく、ご主人様との会話です。

 **********************


 あっ、掘り下げのことですね。
 いやー……。最近は、鑑定の情報だけで満足していた。
 単に掘り下げるほど、興味を引くものがなかっただけなのだが、これからは定期的に掘り下げることにする。
 ヘルプ機能のご機嫌をそこねることだけはしたくないしね。まじ生命線だから。
 じつは、ハクにもヘルプ機能の声が聞こえている。
 魔契約したので、聞こえるようにしたとのことだ。
 さすがヘルプ機能、有能だ。そしてその能力が、摩訶不思議すぎる。
 もう、突っ込まないけどね。

「ガウー……?(なにこの声……?)」
「俺のスキルのヘルプ機能」
「ガウッ?(スキル。ヘルプキノウ?)」


 **********************

 はい。ヘルプ機能です。よろしくお願いします、ハク!

 **********************


「ガウッ!(よろしく!)」

 はじめは戸惑っていたハクだが、すんなりヘルプ機能を受け入れた。
 順応はやくねーー。もう少し動揺してもよくねーー。
 頭に知らない声が響くんだよ。会話してくるんだよ。俺ならプチパニックだ。
 ってか、ヘルプ機能、普通によろしくしていますよ。


 **********************

 待っていて下さい。あと少し魔力値が上がれば、自由にできます。

 **********************


 あっ! なんだか変な宣言をしている。しているよーー。
 俺は、なにも聞こえていない。聞こえていないからね。

 ヘルプ機能が暴走する前に会話を強制的に終え、部屋で寛ぐハクと向き合う。
 もちろん、毛をモフ……撫でることは忘れない。

「古の契約か」
「ガウッ!(すごいだろ!)」
「うん。すごいとは思うけど、もっと慎重に契約するべきじゃなかったのかな?」
「ガウッ。ガウガウッ(ジークベルトがいい。だからいいんだ)」
「生涯一度の契約に俺を選んでくれて、ありがとう」
「ガゥ(うん)」

 ゴロゴロと喉を鳴らしながら、返事をするハク。
 よほど毛を撫でられるのが気持ちいいのか、尻尾がパタンパタンと上機嫌に揺れている。
 ほんと、かわいいな。あぁ、幸せだ。
 この艶、毛の滑らかさ、文句のつけどころがない。
 それにしても、こんなにかわいい子を傷つけた冒険者許すまじ。
 
 ハク曰く、天気がよかったので、仲間たちから離れ、お気に入りの場所で昼寝をしていた。
 すると突然、炎魔法で攻撃を受けた。
 お気に入りの場所は、仲間の結界があり、周囲の警戒もせず無防備に寝ていたので、防御態勢をとることもできず、直接攻撃を受けてしまった。
 その威力に、一瞬にして気を失ったとのことだ。

 魔力色が残るほどの攻撃だ。
 おそらく生け捕りにするため、加減をしたはずだ。それができる実力を持ち合せているのだ。
 今の俺では、圧倒的に実力と経験が不足している。
 背筋が冷えた。
 ハクを助けたあの時、冒険者に出くわしていれば、逃げることもできず、完全に負けていた。
 口封じのために殺されていたか……。
 ハクの回復状況をみて有能と判断され、捕縛される。いや奴隷として売られる可能性もある。
 あぁーー。考えもなしに、MPをほぼ使い切った点は、反省だ。
 MP回復薬も、最悪の状況を考えれば、悪目立ちなどとは言っていられない。今後は必ず所持しよう。

 ハクの話に戻る。
 気づいた時には檻に入れられ、首に拘束具をはめられていた。
 檻の中は暗く、ゴトゴトと揺れていた。
 攻撃を受けた傷は、見た目よりもひどくなく、動ける程度には回復していた。
 ここからすぐに逃げないといけない。本能でそう思ったそうだ。
 檻と繋がっている鎖の拘束具を外すため、幾度となく身体を引っ張ると、繋がっていた鎖が切れ、その衝撃で檻の扉が開いた。

 よく見つからなかったねと聞くと、攻撃した男ではない者たちが、何度か様子を見に来ていたそうだ。
 ただ檻の扉が開いた際、外でも何かあったのか、強い揺れに襲われた。その隙に檻から逃げだし、全力で森の奥へ走ったとのことだ。
 逃亡途中に拾った刃物を木の幹の間に挟み、何度も首の拘束具にあてた。
 様子を見に来た男たちが「逃げても場所はわかる」と言っていたそうだ。
 まさか白虎が人語を理解しているとは、想像もつかないのだろう。
 ハクは、その言葉が首の拘束具を示しているのだと理解し、拘束具を外すため、必死に刃物を首へあてた。
 拘束具は丈夫で、なかなか壊れない。最後は、氷魔法で固め、刺したとのことだった。
 ただ必死すぎて、何の氷魔法を使ったかも覚えていないようだ。
 拘束具が外れたことを確認し、その場をすぐに後にした。
 この時には、意識が朦朧としていて、自身がどこを走っているかも分からない状況だった。
 もう走ることはできないと、身を潜めていた所で、俺に出会った。

 この話を聞いた俺は目に涙を浮かべ、ハクに抱きついた。
 状況はどうあれ、突然攻撃を受け、気を失ったのは同じだ。
 あの時の俺は、優秀な家族がそばにいて、すぐに処置をしてくれた。
 死の恐怖は残ったが、適切な対処でトラウマを残すこともなかった。
 だがハクはどうだ。
 傷ついた身体に鞭を打ち、知恵を絞り脱出。追跡の魔道具を外すため、自ら刃物を首に刺す……。
 助けてくれる人もなく、どれだけ怖い思いをしてきたのだろう。

 ハクは、俺と魔契約したことで、誰かに従属されることはなくなった。
 そのため、捕縛されることはない。逆に素材目当てで、狙われることはあるだろう。
 だが魔契約や調教している魔獣を狙うことは、犯罪となるので、そうそうないと思う。
 表向きハクは、ブラックキャットの変異種だ。貴重だが、わざわざ犯罪を犯してまで、狙う必要はないからだ。
 素材は購入すればいいし、なければ自身で狩りに行くか、冒険者ギルドへ依頼をすればいいのだ。
 それが、希少種の聖獣だとわかれば話が変わるが…………。
 ハクを撫でる手に力が入る。

「俺はいずれ冒険者になる予定だ。たくさんの世界をこの目で見るんだ」
「ガゥ?(どうしたの?)」
「ハクは、俺の相棒だから、もちろんついて来るだろう?」
「ガウッ!(行く!)」
「うん。だけど世の中には、俺たちより強い者が多くいる。同じことが起きないように、俺たちは強くなる!」
「ガウッ!(強くなる!)」

 俺の言葉を聞き、ハクは興奮して立ち上がり、叫んだ。
 その声はいささか大きく、侍女たちが慌てて部屋に来るほどだった。

「「「ジークベルト様、大丈夫ですか!」」」
「心配掛けてごめんね。ハクが興奮して声を出しただけなんだ」
「ガウゥゥー(ごめんなさい)」
「「「かっ、かわいい!」」」

 ハクの反省ポーズに黄色い声が上がる。
 侍女たちの黄色い声に、ハクは驚き、俺にすり寄る。
 そんな状態のハクを見て、侍女たちは一層興奮し、各々がしゃべりだす。

「きゃー。ジークベルト様に寄りかかっているわ。かわいい」
「ねぇ、ねぇ、この構図、すごくよくない。かわいすぎる!」
「あぁー。他の子たちが羨ましがるわ。かわいい! 自慢しよう! きゃー、かわいい!」
「これから毎日この光景が見られるなんて、至福だわ。ジークベルト様付きになったことに感謝するわ」
「アンナさんに報告しなくては!」

 かわいいのは否定しないが、最後のアンナへの報告とはどういうことだ。
 最後に発言した侍女に詰め寄ろうとするが、侍女の動きは素早くすぐさまこの場を後にした。

 くっそーー。逃げられた。
 あの侍女は、最近、俺付きになった新人だったはず。
 くっ、アンナの手下だったのか。報告が気になるぞ。
 俺たちさえ、巻き添えにされなければいいけど……。
 想像しただけで、背筋に寒気が走る。
 鬼教官再び。ガクブルッ。

 侍女たちの行動は、他の貴族家では考えられない不敬の状況だが、我が家、特に俺の前ではこれが当たり前なのだ。
 以前、侍女たちに畏まった感じは嫌だ。自然がいいと訴えた。
 初めは躊躇したが、なんとあのアンナが許可した。度が過ぎるとアンナの説教と言う名の教育がはいる。
 だが優秀な侍女たちだ。場所や場面を考慮して対応している。そこらへんの抜かりはない。

 ハクは、屋敷に馴染みはじめている。
 まぁ、すごくかわいいので、屋敷の人たちも、魔獣だからだと怯えることもなく、受け入れてくれた。

 マリー姉様には、怪我をした魔獣の赤子の手当をしたら懐かれてしまった。
 なぜ魔獣の赤子がいたのかはわからないけれど、このまま放置することもできず、連れて帰って来てしまった。
 人(悪人以外)は、襲わないように育てるから、飼っていいよね。
 ごくごく簡単な説明をした。
 魔契約は高度な技術のため、調教することを全面に出した。
 調教師などが、魔獣の赤子を調教することは、一般的ではある。なかには懐かれて、調教師でもないのに、魔獣を飼っている人もいるのだ。
 調教自体は、珍しいことではない。ただ、飼っている人は少ないけどね。

 俺は、姉様に最大限のお願いをした。
 子供ができる最上級の仕草で、ノーとは言わせない可愛さをただよわせる。
 俺の行動をハクも理解したのか、上目遣いキラキラの瞳で「ミャァー」と鳴いた。
 ハク! その仕草で『ミャァー』だと、グッジョブ!
 それにしても、なんてかわいい声が出せるんだ。かわいい、俺の聖獣が可愛すぎる!

「もぅ……。私がジークのお願いを断れるはずがないじゃない。はぁーー。わかったわ。お父様には私から伝えておくわ」

 二人の協力タッグで、マリー姉様は不承不承ながら了承してくれた。
 ただ父上は甘くなかった。
 夕食後すぐに、執務室へ呼び出された。
 マリー姉様が上手く説明してくれたおかげで、ハクが白虎であることはバレなかった。
 だけど、ハクと遭遇した場所の追及が強く、危うく『沈黙の森』に行ったことがバレそうになった。
 ブラックキャットが『白の森』に生息していることは、ほぼないのだ。
 大きな怪我をしていたことを説明し、捨てられた、もしくは捕縛されかけ逃げたのではないかと意見した。
 父上は、俺の言葉に納得はしていないようだったが、一人で『白の森』へ入ったことは、すごく怒られた。
 これからは誰かを伴って入ることを約束し、二週間の謹慎を言い渡された。






 ギルベルトは、自室で酒をあおるように飲み、最愛の妻を想う。

「リア、君との約束を守りきれないかもしれない。ジークベルトは……おそらく……」

 その言葉は闇に包まれ、続くことはなかった。


 数時間前に遡る。
 帰宅後すぐにマリアンネが自室に訪れた。
 珍しいことがある、屋敷内でなにかあったかと思案し、入室の許可をする。

「お父様、マリアンネです」
「入れ」
「お疲れのところ申し訳ございません。ジークのことでお話があります」
「どうかしたのか」
「ジークが、魔獣の赤子を拾って参りました」
「魔獣の赤子? テオバルトは一緒ではなかったのか」
「はい。屋敷から抜け出し『白の森』へ一人で入ったようです。申し訳ございません」
「一人でか……」

 責任を感じているのかマリアンネの態度はひどく萎縮している。
 ギルベルトはマリアンネの頭を優しく一度撫でる。

「マリアンネが、気にすることはない」
「お父様……。お気遣いありがとうございます。ですが屋敷を管理する代理の者として、ジークが屋敷から抜け出したことの責任はあります」
「マリアンネが屋敷を管理してくれて大変助かっている。男の子だ。アルベルトもよく屋敷を抜け出していた。よって今回は不問とする」

 おそらくジークベルトは、屋敷をよく抜け出しているのだろう。
 それをいまさら止めることはできない。
 マリアンネは、ギルベルトの判断に、不服そうな顔を一瞬したが、すぐに正す。
 家長が下した決断である。マリアンネがいくら不服に思っても覆すことはないのだ。
 この件は、もう終了したのだ。

「ありがとうございます。それでジークが連れ帰った魔獣の赤子ですが、屋敷で飼いたいとのことです」
「なんの魔獣だ」
「ブラックキャットの変異種らしく毛は白です。とてもジークに懐いていて、怪我をしたところを助けたとの話でした。私も世話をいたしますので、屋敷で飼ってもよろしいでしょうか」
「あぁ、かまわない。ただし責任を持って世話をするように」
「お父様! ありがとうございます!」

 マリアンネが、両手を組みながら喜ぶ姿に、マリアンネも年頃の娘なのだと改めて思った。
 それとは別に胸中は荒れていた。
 白の森には、ブラックキャットは生息していない。
 これが何を意味しているのか……。
 ジークベルトは、どこへ行き、魔獣と遭遇したのか。

 夕食後、ジークベルトを執務室へ呼び出した。

「ジークベルト、呼び出した理由はわかっているな」
「ハクのことですよね」
「ハク? あぁ魔獣の赤子のことか。それに関しては、マリアンネから話は聞いている。責任を持って世話をするんだぞ」
「父上! ありがとうございます!」

 無邪気に喜ぶジークベルトを見て、心底安心する。
 まだ五歳児なのだ。この子は聡明だが、まだまだ手のかかる幼い息子だ。
 ジークベルトの態度は嬉しい誤算だった。頬が緩みそうになり、慌てて気を引き締める。
 いまは問い質すことに集中するのだ。

「さてその件で、一つ質問がある」
「はい?」
「魔獣の赤子、ハクだったな。どこで拾ってきた」
「『白の森』です」
「白の森には、ブラックキャットは生息していない」
「……ですが、白の森にいたのです」
「白の森は、ホワイトラビット・ゴブリン以外の魔物は、ほぼ生息していない。またブラックキャットの首都付近での生息は、ほぼ確認はされていない。ジークベルト、どこで拾ってきた」
「白の森です。すごく傷ついていて、捨てられたのか、捕まって逃げてきたのかわかりません。何度も回復魔法をかけて助けました」
「……真に『白の森』なんだな」
「はい……」

 ジークベルトの眼は、どこか視点が定まっておらず、何かを隠しているのは、明瞭だった。
 そんな息子をこれ以上問い詰めるのは、得策ではない。
 ここは折れるしかない。

「そうか。だがジークベルトなぜ『白の森』に一人で入った」

 ギルベルトが、矛先を変えたことに、ジークベルトは、一瞬戸惑った表情を見せる。
 だがすぐに表情を引き締め、ギルベルトの問いかけに回答する。

「それは……ホワイトラビットなら、ぼくでも倒せるからです」
「ジークベルト、お前はまだ五歳児だ。倒せるからと言って、わざわざ危険な場所に一人で行くことは、褒められたものではない。白の森には、ゴブリンも生息する。極僅かだが他の魔物もいるのだ。万が一があったらどうする。己の傲慢と油断は、死を早めることを忘れるな」
「ごめんなさい、父上」

 ジークベルトは、神妙な顔つきで反省の言葉を発した。
 なにか思い当たることがあったのだろう。素直に反省している点は心証が良い。

「森に入る時は、必ず誰かを伴って入ることを約束しなさい」
「はい! 父上!」
「二週間の謹慎だ」
「はい! 父上! ありがとうございます!」
「ジークベルト、謹慎だからな。二週間大人しく屋敷で過ごすんだぞ」
「はい! わかっています!」

 やはり俺はジークベルトには、甘い気がする。
 森に入るなとは、言えなかった。
 言えるはずもない、俺も父上に内緒で魔物討伐に出ていたのだ。
 ジークベルトよりも上の八歳だったが、約束はさせた。
 一人では、もう入ることはないだろう。

 ジークベルトが退室すると「父上」と執務室の内扉からアルベルトが現れた。

「アルベルト、聞いての通りだ。ハクとは『白の森』では出会っていない。ジークベルトは何らかの方法で別の地域に赴いたのであろう」
「別の地域……」
「テオバルトと魔物討伐に出掛けているのは、認識しているな」
「はい。冒険者ギルドでの聞き取り調査によりますと、冒険者ランクCのニコライ・フォン・バーデンと共に行動をしています。魔物がほぼ無傷で買取される日があり、その傷跡は高度な魔法が使用されていると、噂を呼んでいます。その魔術師は誰だとバーデンに詰め寄った冒険者がいたようですが、一笑に付したとの報告を受けています。その買取日ですが、ジークがテオ達と魔物討伐する日とほぼ一致します。最近は討伐後、数日時間をあけて、買取依頼しているようです。おそらくテオに指摘されたのでしょう」
「そうか、その噂消せるか」
「はい。既に叔父上と協力の上、口の堅い冒険者に叔父上の狩った魔物を数度買取に行かせています」
「さすがだな」
「いえ、ジークを守るためです」
「その討伐で得た資金で『移動石』いや『倍速』を使用した魔道具を手に入れた可能性がある」
「行動範囲が広がりますね」
「あぁ、厄介だ。大人しくしてくれればいいのだが……」
「それは難しいでしょう。父上の息子ですよ」

 ギルベルトの嘆きに、アルベルトは笑顔で回答する。

「そうだな、お前にも手を焼かされたな」
「えぇ。アーベル家の男は、何かと問題を起こします。血筋です。諦めてください」
「ジークベルトを守るために、これからも頼むぞ、アルベルト」
「もちろんです。俺の可愛い末弟ですから!」






 貴族は『白狩り』でLvUPを終えた後、週に数度、講師を迎え、魔法の基礎、初級魔法を習う。
 もちろん俺も白狩りの後、講師を迎えることになった。
 俺の白狩りを早めた理由は、俺の魔力値を誤魔化すためである。
 Lv3なので、誤魔化せてはいないんだけどね。平均に少しでも寄せたいと思っているんだろうな。
 俺が基本値MAXUP+100とは、考えもしないのだろう。知らぬが仏ですな。うんうん。
 
 アーベル家の講師は、叔父ヴィリバルトだ。
 チート叔父である。普通の講師を雇うより、何十倍も有能であるのは間違いない。
 ゲルト以外の兄姉は、叔父ヴィリバルトを師事している。
 ゲルトは、魔術学校の講師だ。

 謹慎中であっても、魔法の修練はできるわけで、今日は週一回の叔父の授業日なのだ。
 屋敷の庭で、魔法制御を中心に鍛えること一時間、一旦休憩に入ったところで、叔父が切り出した。

「ジーク、魔獣の赤子を拾ったんだってね」
「はい。ブラックキャットの変異種を拾ってきました」
「変異種? またすごいのを拾ったね」
「たまたま懐かれたのが変異種だったんです。変異種といっても毛が白いだけです。すごくかわいいんですよ! ヴィリー叔父さん、ハクを紹介したいのですが、いいですか?」
「ハク? 魔獣の名前かい。もちろんだよ」
「ありがとうございます! 呼んできます!」

 叔父の許可がでたので、屋敷にかけ走る。
 よしこれでなんとかなるはずだ。叔父がハクの話をしてくれて助かった。
 いつ話そうかと様子を窺っていたのだ。
 俺は部屋に入ると、ソファの上で寛いでいるハクを呼ぶ。

「ハク、おいで!」
「ガゥッ?(呼んだ?)」
「うん。屋敷の庭へ行こう! そこでヴィリー叔父さんを紹介するよ!」
「ガルゥルル! ガルゥ?(外に出ていいの! ヴィリー?)」

 ハクは外に出られると喜び、ソファから飛び降りると、一目散に俺に近づいてきた。
 その姿を見て、窮屈な思いをさせて、ごめんなと、心の中で謝る。
 頭を優しく撫でながら、事情を説明する。

「そうだよ。ヴィリー叔父さんは、最上級の魔術師だ。だからハクにも魔法を教えてもらえるように交渉しようと思うんだ」
「ガゥ!(いいの!)」
「うん、魔法の使い方がわからないんだよね」
「ガゥー(そう)」

 実はハク、魔法が使えないのだ。
 逃走中に使った氷魔法は、たまたま発動したようなのだ。
 そんなことあるのか? と疑問に思ったが、聖獣は生態がほとんどわかっていない。
 残念ながら、我が家の書庫にもなかった。
 一応、魔力循環の方法などを説明したが、ダメだった。
 そこでチート叔父だ。