不運からの最強男

 家族会議から数週間。
 魔術書のページをめくる指がふと止まった。どうしても集中できない。

「やっぱり精霊の森の許可は下りないよね」

 椅子にもたれたまま深く息を吐く。
 父上たちの判断は理解している。
 理解しているけれど──今動くべきだと、俺の直感が告げていた。
 過去の話はあまりにも重い。
 母上に神の呪いをかけた黒幕について、アーベル家は長い年月をかけて追い続けてきた。
 ようやく手がかりが見え始め、家中が総力をあげて調査にあたっている。
 それでも、今動かなければ取り返しのつかないことになる。
 胸の底に、妙な焦りだげがあった。
 いつもなら賛成してくれる叔父でさえ手が離せない状態だし、神力に詳しいシルビアやゼレムも駆り出されている。
 ヘルプ機能も、あれ以来は余計なことを言わなくなった。

「ああ……どうしたらいいんだ」

 思わず魔術書に額を寄せるようにしてうつむいた。
 紙の匂いが近い。

〈元気だして〉

 足もとでハクが前足をそっとのせてくる。
 その体温がじんわり伝わり、肩の力が抜けた。

〈どんまい〉

 スラが机の端で跳ねる。
 慰めなのかノリなのか、どちらでもよくて笑ってしまった。 

「ありがとう。ふたりとも」

 ハクの尻尾が揺れ、スラは得意げにぷるっと震えた。
 魔術書をそっと閉じたところで、扉がノックされた。

「ジークベルト様、ベルク伯爵家のレオポルト様から魔手紙が届いております」
「ありがとう、ハンス」

 受け取ると、ハンスはわずかに目を細めた。

「最近、レオポルト様とのやり取りが頻繁ですね」
「あっはは……魔術学校が休校になったから、暇なんじゃないかな」

 苦笑いしながら答えると、ハンスは「なるほど」とだけ言って軽く頭を下げた。
 その表情は相変わらず穏やかで、どこか含みがあるようにも見える。

「あまり無理はなさらないように」
「あっ、はい」

 やっぱり、バレてる。
 レオポルトが律儀に侯爵家へ魔手紙を送ってくるせいだ。
 魔手紙なら、直接俺に送ればいいのに。
 まあ、レオポルトらしいけど。

〈派手な人からの手紙?〉
「うん。そうだよ」
〈肉?〉
「あっ、迷宮には行かないよ」
〈無念〉

 魔手紙を開くと、華やかな筆跡でこう書かれていた。

【ジークベルト。実は今年、領地に戻ることになった。来年の成人に向けて準備が必要でね。ちょうど我が領地では『水鏡祭』が開かれる。退屈しているなら、ぜひ共に来てほしい。もちろん、レディたちも歓迎するよ】

 表向きはただの誘いだ。
 けれど、ベルク領は沈黙の森に近い。父上たちに怪しまれずに動ける距離でもある。

「そういうことか。だから侯爵家宛てに送ってきたんだな」

 レオポルトの機転に感謝した。

「助かったよ、レオポルト」

 この誘いなら自然な形で外へ出られる。
 ベルク領まで行ければ、あとは自分で動けばいい。


 ◇◇◇


 執務室の扉が二度ノックされた。

「ギルベルト様、失礼いたします」

 書類から顔を上げたギルベルトの前に、ハンスが静かに進み出る。

「先ほど、ジークベルト様たちがベルク領へ向かわれました」
「そうか」
「念のため、ジークベルト様専属の影に加え、ほかの影も数名増員しております。道中の監視と護衛は、すでに配置済みです」
「抜かりはないな」
「はい。ジークベルト様には気づかれておりません」

 ハンスは一拍置き、声を落とした。

「テオバルト様が、ニコライと共にのちほど合流される予定です」

 ギルベルトの眉がわずかに動く。

「ヴィリバルトの指示か」
「はい。カミルも派遣してくださり、護衛としてお供につけておりますが……やはり気になったようです」

 ギルベルトは地図に視線を落とした。
 ベルク領は、沈黙の森に近い。

「あの子は、必ず動く。止めても無駄だ」
「承知しております」

 ハンスは深くうなずいた。

「ジークベルト様の目的がどこにあるかは、申し上げずとも」

 ギルベルトは目を閉じ、ほんの一瞬だけ眉を寄せた。

「……見守るしかないか」
「必ず、お守りいたします」