不運からの最強男

 季節がいくつ巡ったのか、もう数えることすらしなくなっていた。
 その間に、ゲルトは魔術学校へ特待生として迎え入れられ、アーベル侯爵家との距離は、気づけば静かに開いていた。
 そして、リアの体は、ゆっくりと、しかし確実に衰えていった。
 かつて光を宿していた銀の髪は、ところどころ抜け落ち、枕の上に細い糸のように散っている。
 頬はこけ、皮膚は薄く、骨の形が浮かび上がるほどに痩せていた。胸の上下は微かで、息をしているのかどうか、一瞬わからなくなるほど静かだった。
 ギルベルトはベッドのそばの椅子に腰を下ろし、リアの手を両手で包み込んでいた。
 その手は、もう羽のように軽い。
 ふと、医師の言葉が脳裏をかすめる。

『……もって、数週間でしょう。覚悟を……』

 覚悟など、とっくに決めていた。それでも胸の奥は軋んでいた。

「……ギル」

 リアが、かすれた声で名を呼んだ。
 瞼を開けるだけで精一杯なのか、まつげが震え、ゆっくりと持ち上がる。

「ここにいる」

 ギルベルトは、できるだけ穏やかな声で答えた。
 リアは微笑み、弱りきった紫の瞳でギルベルトをまっすぐ見つめる。

「……お願いが、あるの……」
「なんだ?」

 ギルベルトが身を寄せると、リアは細い息を整えながら、かすかに唇を震わせた。

「……ギル。私を……愛して」

 その声は、消え入りそうなのに、どこか必死で縋るようで、リアの残された力のすべてがそこに込められていた。
 ギルベルトの指が、わずかに力を帯びる。

「リア。今は──」

 拒むというより、ただ彼女を守りたい一心の言葉だった。
 だがリアは弱く首を振り、その言葉を遮った。
 その動きだけで胸が苦しげに上下し、細い息が途切れそうに震える。

「お願い……最期に……あなたが欲しいの……」

 骨ばった手が、ギルベルトの衣を弱く掴む。
 その力はあまりにも軽いのに、ギルベルトの胸の奥を深くえぐった。

「こんな醜い私じゃ……愛せない?」

 その問いに滲んでいたのは、弱さではなく、最期まで妻でありたいという想いだった。
 ギルベルトは息を吸い、その震えを押し殺すように言った。

「そんなことはない」

 迷いのない声だった。
 そのひと言に、ギルベルトの愛のすべてが宿っていた。
 リアの紫の瞳に、光が差した。愛されているという確信が満ちていった。
 しばらくの沈黙が落ちる。
 互いの想いが満ちていく時間だった。
 やがてギルベルトはリアの手をそっと包み込み、額を寄せた。

「……わかった」

 折れたのではない。リアの望みを、最期まで守ると決めた男の声だった。
 ギルベルトはリアを抱き上げ、負担にならぬよう細心の注意を払いながら、ふだんと変わらぬように、彼女を愛した。
 リアは痛みをこらえるように息を震わせながらも、ギルベルトの名を何度も呼んだ。
 その声は弱く、しかしたしかに生きていた。

 夜が明け、薄い光が部屋に差し込む頃、ギルベルトはリアの頬に指を触れた。

「……赤い」

 昨日よりも、ほんのわずかに血色が戻ったように見えた。
 そんなはずはないのに。
 医師の言葉が脳裏をよぎる。

『──もって、数週間』

 それでも、ギルベルトには、リアが少しだけ元気になったように思えてしまった。

「リア、愛している」

 ささやくように言いながら、ギルベルトは頬に触れた指を離さず、静かに目を閉じた。