不運からの最強男

 ゲルトをアーベル家の四男として迎え入れてから、二年が経った。
 中庭には柔らかな陽が差し、子どもたちの笑い声が響いている。
 アルベルトが、転びそうになったゲルトの手をそっと支えた。

「大丈夫だ。ゆっくりでいい」

 落ち着いた声は、幼い弟妹たちを見守ることに慣れた兄のものだった。
 ゲルトもその声に導かれるように、小さな足を前へ運ぶ。

「ゲルト、こっち向いて」

 マリアンネは花冠を編み終えると、満足げにゲルトの頭へ乗せた。

「可愛いわ、ゲルト」
「……かわいい?」

 不思議そうに見上げるゲルトに、マリアンネはくすっと笑い、冠を指先で整えた。

「そうよ。とっても似合ってるの」

 ゲルトは照れたように頭を押さえながらも、まんざらでもなさそうだった。

「ゲルトー! こっちだよ!」

 テオバルトが走り回りながら手を振る。
 ゲルトがとことこ近づくと、テオバルトはその手を引き、勢いよく走り出した。

「わっ……!」

 案の定、ゲルトは前のめりに転んでしまう。

「あっ、転んだ」
「てお……」

 泣きそうになる前に、テオバルトが慌ててしゃがみ込んだ。

「ごめん、大丈夫? 立てる?」

 ゲルトは小さくうなずき、よろよろと立ち上がる。

「さすが、ゲルト! 強いね」

 ゲルトは胸を張るようにして歩き出した。
 痛みなんてすぐに消えてしまうほど、兄に褒められたことがうれしかった。
 子供たちの輪は、気づけば自然に形をつくっていた。
 誰かが笑えば、全員がつられて笑い、手を伸ばせば必ず誰かが受け止める。
 四人がそろっているだけで、庭の明るさがいっそう増すようだった。

 その光景を、リアとギルベルトはテラスから静かに見守っていた。
 リアは微笑んでいたが、ふと胸もとに手を当て、息を整えるようにわずかに肩を震わせる。
 その震えはほんの一瞬だったが、ギルベルトの目には確かな異変として映った。

「……リア、大丈夫か」

 リアは首を振り、いつものように穏やかな笑みを浮かべた。

「ええ、少し疲れただけよ」

 その声は柔らかいのに、どこか遠く、薄い影が差していた。
 ギルベルトは、その影の正体を知っている。

 ──二年前の、あの夜から続いているものだ。


 ***


 リアの胸もとの光が消え、ようやく呼吸が落ち着いた頃。
 屋敷の別館では、ヴィリバルトが怯えたフラウに寄り添っていた。
 いつもは気ままに風に乗っている精霊が、怯えたように震えている。

「フラウ、説明できる?」

 ヴィリバルトの問いに、フラウは胸のあたりを指すように風を揺らした。

「ヴィリバルト……リアの中に、この世界では存在してはいけないものが入ったの……」
「存在してはいけない……?」

 意味をつかめず、ヴィリバルトは言葉を止めた。

「真実の眼が教えてくれた。あれは、人知を超えたもの……神の呪いよ」

 その言葉に、ヴィリバルトは息をのんだ。

「神の……呪い?」
「魂をも消し去る、呪いよ……触れたら、私の存在も消えちゃう……そんな力」

 フラウの声はか細く震え、今にも消えてしまいそうだった。

「なぜ義姉さんが……?」
「わからない。でも、リアが今も無事なのは、『アーベル家の仮至宝』だから……あいつの欠片が、リアの魂を包んでる」

 ヴィリバルトの喉が鳴った。
 全身から血の気が引き、足もとが微かに揺らいだように感じた。

「じゃあ……義姉さんは……」

 フラウは目を伏せて、静かに首を振った。

「呪いは成就されるわ。どれだけ遅くても……必ず」

 その言葉は、夜の静けさよりも深く、重く響いた。


 ***


 そして今。二年後のテラスで、リアは子どもたちの笑い声を聞きながら微笑んでいる。
 ギルベルトはその横顔を見つめた。
 あの日、ヴィリバルトから告げられた言葉は、胸の底で重く沈んでいる。
 その重さを、誰にも悟らせるわけにはいかなかった。

「母上ー! 父上ー!」

 アルベルトが声を上げると、マリアンネとテオバルトがつられるように手を振った。
 三人の頭には、編みたての花冠が揺れている。
 少し遅れて、ゲルトも小さく腕を上げた。小さな花冠が、陽に透けてきらりと光った。
 マリアンネはもうひとつ、小さな花冠を手に持っていた。

「お母様、見て! これ、あとで渡すわ!」

 花冠を揺らしながら笑うマリアンネの姿は、陽の光を受けていっそう明るかった。
 リアは隣で「うふふ」と小さく笑い、子どもたちに手を振り返した。

「みんな、とても似合っているわ」

 ギルベルトも隣でうなずき、目もとをやわらげた。

「そうだな」
「母様ー! ゲルト、今日すっごく走れたんだよ!」

 テオバルトが誇らしげに叫ぶ。

「はーいっ!」

 ゲルトは言葉にならない声で、それでも一生懸命に手を振った。
 花冠が陽光を受けて揺れ、笑い声が風に溶けていく。
 ギルベルトは、その光景を胸に刻むように目を細めた。
 あまりにも穏やかで、幸福に満ちた光景だった。
 この瞬間だけが、現実の重さから離れているように見えた。
 そのとき、リアの手の動きが緩んだ。
 振っていた手が、ふいに止まった。
 指先が微かに震え、力が抜けていくのが、ギルベルトにははっきり見えた。
 次の瞬間、リアの体がギルベルトの肩へもたれかかった。

「……リア?」

 呼びかける声は落ち着いていたが、胸の奥では心臓が跳ねていた。
 リアは薄く笑おうとしたが、息が整わない。

「……大丈夫よ、ギル。お願い……子供たちには、気づかれないように……」

 言葉を紡ぐたびに、微かに呼吸が途切れた。
 ギルベルトはリアの肩を抱き寄せ、姿勢を崩さないよう支えながら、子どもたちのそばにいたアンナへ目配せを送った。
 アンナは一瞬だけ目を見開き、すぐに表情を整える。

「皆様、こちらへいらっしゃいませ。奥のお庭のお花が、ちょうど見頃でございますよ」
「えっ、お花?」

 マリアンネがぱっと顔を輝かせた。

「花……?」

 アルベルトも興味深そうにそちらを見た。

「行く!」

 テオバルトが勢いよくうなずいた。
 ゲルトもつられるように、小さく「……んあ」と声を漏らす。
 アンナは子どもたちの反応に合わせて、笑顔を保ったまま歩き出した。

「さあ、こちらですよ」

 その動きを見て、ハンスが素早く扉へ回り込み、扉を開けて待っていた。
 ギルベルトはリアの体温を確かめるように腕を回し、ゆっくりと立ち上がる。
 リアの呼吸は浅く、胸もとが微かに震えていた。

「行こう、リア」

 テラスを後にするその背中に、子供たちの笑い声が追いかけてきた。
 その明るさが、今はひどく眩しく、痛かった。