不運からの最強男

 地下施設での一件から、数日が経った。
 アーベル侯爵家の執務室には、家族全員が顔をそろえていた。
 重厚な扉は固く閉ざされ、外の喧騒とは隔絶された静寂が満ちている。
 普段は姿を見せない祖父母まで同席しており、この場がただ事ではないことを物語っていた。
 父上は机の前に立ち、ゆっくりと俺たちを見渡す。
 その表情には、家長としての厳しさが宿っていた。

「今回の地下施設の件、そしてヴィンデン伯爵の捕縛。アーベル家として無視できない事態だ」

 腕を組んだまま、叔父が口を開く。

「ヴィンデン伯爵の記憶を視たけどね。我々が知りたい肝心な部分だけ、綺麗に消されていたよ」
「……うむ」

 父上が低くうなずいたところで、アル兄さんが資料を軽く持ち上げる。

「王城ではすでに調査が始まっています。過去五十年に及ぶ魔術省と魔術学校の癒着、帝国への情報提供と技術流出で、ユリウス王太子殿下も巻き込まれて、てんてこまいですよ」

 軽い口調とは裏腹に、内容は笑えないほど重い。

「ギルベルト。ヴィンデン伯爵がゲルトの特待生を強制したという話は誠か」
「はい、父上。先日、確かな情報筋からその事実を得ました」
「そうか……。ヴィンデン伯爵家は風の名門だが、我々に歯向かった以上、援護はできぬな」

 祖父の言葉に、叔父が肩をすくめる。

「父さんは極端だね」
「ヴィリバルト。アーベル家はこの国……いや、この世界で最強でなければならないのだ」
「それは、創造主に守護されてるなんて、まがいごとをいくら父さんでも言わないでよ」
「ヴィリバルト」

 祖父の声がわずかに低くなる。叔父は鼻で笑った。

「あいつは、単純に逃げ回っているだけさ」
「そうよ! ヘルベルト!」

 フラウが、祖父の顔面すれすれまで飛び寄り、ぷりぷりと怒りをあらわにする。

「フラウ様、お怒りは静めてくださいませ」

 祖母が慌てて間に入り、両手を広げてなだめた。

「もう、ラウラはヘルベルトに甘いんだから」

 フラウが頬をふくらませ、祖父は気まずそうに咳払いをする。
 そのとき、俺の隣に座っていたゲルト兄さんがぽつりとつぶやいた。

「……風の精霊がいる……?」

 現実感が追いついていないような、呆然とした声だった。

「あら? 初めまして、ゲルト!」

 フラウがくるりと振り返り、勢いよくゲルト兄さんの目の前まで飛んでくる。

「は、初めまして……?」

 完全に固まるゲルト兄さん。

「私は風の精霊フラウよ! ヴィリバルトとお友達なの! もう会いたくて会いたくて仕方なかったんだけど、神の呪い(・・・・)のせいで近寄れなかったのよ!」

 言うが早いか、フラウはゲルト兄さんの顔面に抱きついた。

「ちょ、ちょっと……⁉」

 ゲルト兄さんは目を白黒させ、どう反応していいのかわからないようだ。

「フラウ、今日は大事な話があるからね。少し黙っていようか」

 叔父が軽くたしなめる。

「えー、いやよ! せっかくみんなに会えたんだもの!」
「風よ、少し空気を読まぬか」

 低く響く声が部屋に落ちた。

「えー、ゼレムまでそんなこと言うわけ?」

 フラウが振り返ると、俺の腰に下げた黒い剣ゼレムの深紅が淡く光を帯びていた。

「……剣が喋っている……?」

 ゲルト兄さんは今日いちばんの衝撃を受けた顔で固まる。
 まあ、そうなるよね。

「ゲルトでもそんな顔をするのね」

 マリー姉様が嬉しそうに微笑む。

「姉様、それはひどいんじゃ……」

 テオ兄さんが小声で突っ込むが、マリー姉様はまったく悪びれた様子がない。

「だって、テオ。ゲルトがあんな顔するなんて珍しいじゃない」

 マリー姉様は楽しそうに肩をすくめると、ゲルト兄さんはまだ固まったまま、ゆっくりと瞬きをした。
 小さなざわめきが一段落し、執務室に再び静寂が戻る。
 その静けさの中で、父上がゆっくりと息を吸った。
 空気がぴんと張りつめる。

「まずは……お前たちに話しておかねばならないことがある」