不運からの最強男

「これは絶景だな」

 アル兄さんがリーリアの花畑を前に感嘆の声を漏らした。

「ゲルトの魔力で作られている空間なんだよね?」

 テオ兄さんがそう尋ねると、ゲルト兄さんは静かにうなずく。

「さすが、ゲルトだな!」

 アル兄さんがゲルト兄さんの頭をなでると、ゲルト兄さんは若干うざったそうに手を振り払った。

「アル兄さん、やめてください。もう小さな子供ではありません」
「すまない。ついな」

 頬をかきながら謝るアル兄さん。その自然なやり取りに、兄たちの距離感が伝わってきて、俺は少し安心した。

「アル、なにをしているんだい? 時間がないんだよ」

 叔父が口元をゆるめて声をかけると、アル兄さんはハッと姿勢を正し、小走りで叔父の元へ向かった。

「叔父上、すみません」
「テオ、今の位置は把握できてるかい?」
「はい。影の報告通り、花畑の南西――あそこの旗が立っている箇所が、地下通路と繋がるようです」
「うん、了解」

 叔父はゲルト兄さんに視線を向けた。

「ゲルト、いいね?」
「はい。叔父上」
『崩解』

 空気がわずかに震えた。
 次の瞬間、世界そのものが軋むような低い音が響き、空間に亀裂が走る。
 俺と戦った時には傷ひとつつかなかったリーリアが、無残にも崩れ落ちていく。
 ゲルト兄さんの箱庭が壊れていく光景に、胸が痛んだ。
 そのとき――叔父が不意に魔法を放つ。

『固定』

 亀裂の広がりがぴたりと止まり、散りかけていたリーリアが空中で静止した。
 崩れかけた空間がゆっくりと形を取り戻し、南西の旗の位置へ向かって一本の道が伸びていく。
 空間と空間がつながり、地下通路へと続く細い裂け目が導くように開いた。

「さすがヴィリー叔父さん!」

 思わず声が漏れた。

「叔父上……」

 事前に花畑の崩壊を了承していたゲルト兄さんが、驚いたように叔父を見つめる。

「君が大事にしていたものだ。壊すのは、さすがにね」

 叔父は軽くウィンクしてみせた。
 ヴィリー叔父さんって、こういうところが最高にかっこいいんだよな。

《少々気障ではありますがね》


 ***


 地下は、思った以上に広かった。
 古い石造りの壁には魔術の術式が刻まれ、淡い光を放つ魔法灯が一定間隔で並んでいる。

「叔父上、この先に目的の場所があります」

 ゲルト兄さんの声音には、この地下通路を熟知している者だけが持つ確信があった。

「ゲルト、ここの監視は?」
「監視用の魔道具があります。ですが今は作動していません。誰かが意図的に止めた形跡があります。……警戒が必要です」
「叔父様、魔力の流れが不自然です……誰かが先に通った痕跡があります」
「なるほど」

 叔父がにやりと笑う。
 状況を楽しんでいるような、余裕を含んだ笑みだった。

「これはいい時に潜入したね」
「叔父上、それは……つまり、一度に片づけられるということですね」

 アル兄さんが目を輝かせる。
 緊張よりも期待が勝っているらしく、声にわずかな高揚が混じっていた。

「そういうことさ、アル。魔術学校の関係者以外が、目的の場所にいるってことだね」
「それは……」

 テオ兄さんが息を呑む。

「おそらく魔術省の者だと思います」

 ゲルト兄さんが静かに補足した。

「僕が以前その部屋に入った時は、帝国の者と魔術省の者がいました。しかし、皆マントで顔を隠していて……誰なのかまでは判別できませんでした」
「なぜ、魔術省の者だとわかるんだい?」

 叔父が問いかける。

「帝国人は、直接その部屋に転移していました」
「帝国側には移動魔法の使用者がいるってことだね」
「はい」

 叔父がほんの一瞬だけ目を細めた。
 敵側に移動魔法を使える魔術師がいるのは脅威のはずなのに、ヴィリー叔父さんのこの余裕はいったいなんなんだろう。

《世界最強の赤の魔術師だからではないでしょうか》

 えっ、ヘルプ機能がそう判断するの?

《事実を述べただけです。なにか問題がありましたか》

 いや、間違ってはないけどさ……。

《ヴィリバルトが世界最強の魔術師であることは、私のデータ上確定事項です。なお、ご主人様は規格外のため比較対象外です》

 おいこらっ、今のは聞き捨てならないぞ。

《ご安心ください。規格外は褒め言葉です》

 どこがだよ。
 そんなやり取りをしているうちに、通路の先に重厚な扉が姿を現した。
 古い石造りの壁とは対照的に、その扉だけは新しく術式で補強されている。
 刻印の隙間から淡い光が漏れ、内部に強い結界が張られていることを示していた。

「ここが目的の場所だね」

 叔父の言葉を合図に、ゲルト兄さんが扉に手をかざす。

「解除します」

 術式が淡く反応し、複雑な紋様が浮かび上がる。
 ゲルト兄さんは迷いのない動作で、刻まれた術式のいくつかに指先で触れていく。
 カチリ、と小さな音が響いた。

「……解除しました。開けます」

 扉の結界が静かにほどけ、重い扉がわずかに隙間を開けた。
 ひやりとした空気が流れ出す。

「……誰か、いますね」

 テオ兄さんが小さくつぶやく。

「入るよ」

 叔父が短く告げ、扉を押し広げた。
 部屋の奥に鎮座する大きな魔道具らしき装置。
 その前に、ひとりの人物がこちらに背を向けて立っていた。
 深い緑のマント。肩には家紋のような印が刻まれている。
 その人物がゆっくりと振り返った。

「あなたが関わっていたとは、驚いたよ」
「アーベル伯爵……」

 そこに立っていたのは、壮年の男性だった。
 鋭い眼光と、長年権力の中枢にいた者だけが持つ、重みのある威圧感をまとっていた。

「いや、アーベル家総出ですか」

 男は俺たちを一瞥すると、皮肉めいた笑みを浮かべた。

《風魔法の名門、ヴィンデン伯爵家の当主クラウス・フォン・ヴィンデンです。古くからマンジェスタ王国に仕える名家の一つでもあります》

 そんな人物が、どうしてここに?

《ゲルトが五歳で特待生に選ばれた件には、クラウスが深く関わっていたようです》

 まさか、ゲルト兄さんが家族と離れ離れになった、あの『お属初め』の結果まで?

《魔術省の副官という立場を利用し、クラウスが鑑定士を買収した形跡があります》

 父上たちは、そのことを知っているの?

《最近になって情報を得たようです》
「……さて、アーベル伯爵」

 クラウスが低く、しかしよく通る声で口を開いた。

「なぜあなた方が、魔術学校の地下施設にいるのでしょう」

 探るような視線が叔父へ向けられる。

「おや、ゲルト殿ではないですか」

 今度はゲルト兄さんのほうへ視線を移し、口元だけで笑った。

「あなたが、家族を連れてきたのですか。それはいけませんね、規約違反です」

 パチン、とクラウスが指を鳴らした。

「……っ、あ……」

 ゲルト兄さんの顔がみるみる青ざめ、胸を押さえて前のめりになる。
 呼吸が乱れ、苦しげな息が漏れた。

「ゲルト兄さん!」
「「ゲルト!」」

 俺たちが駆け寄ろうとした瞬間――

「ヴィンデン伯爵、私の甥に悪戯はやめていただきたい」
 叔父の声が鋭く空気を裂いた。
 足元から淡い赤光が走り、ゲルト兄さんを縛っていた見えない力がふっと解ける。

「アーベル伯爵……あなたも神力を使えるのですか?」

 クラウスが驚愕の目で叔父を見る。
 叔父は無言のまま、クラウスを睨み返す。
 神力……? それって、シルビアのあの厄介な力のことだよな。

《クラウスが使用した力は神力ではありません。それを模倣したまがいものです》

 まがいもの……?

《ご主人様、クラウスの腕にあるあの魔道具を媒介として、神力に似た干渉力を発生させているようです。精神や意識に干渉する力を人工的に再現したものです》

 そんなもの……どうやって、作ったんだ。

《……わかりかねます》
「ヴィンデン伯爵、魔術省の副官であるあなたが、魔術学校の地下施設にいる理由を説明していただきたい」

 アル兄さんが一歩前に出た。
 クラウスはゆっくりと視線を向け、薄く笑った。

「アルベルト殿……我々は神に会ったのだ」
「……なにを言っているのです」

 アル兄さんの眉が動く。

「そのうちわかる」

 クラウスは恍惚としたような目で天井を見上げた。

「偉大なる神の御前では、我々の力など取るに足らぬものだ」

 その異様な気配に、アル兄さんがわずかに息を呑む。

「……叔父上」

 アル兄さんが低く呼びかける。
 叔父はクラウスから視線を外さず、静かにうなずいた。

「もう精神に異常が発生しているようだね」
「アーベル伯爵、なにを言っている?」

 クラウスがゆっくりと首を傾ける。
 その表情は笑っているのに、目だけがどこか焦点を失っていた。
 叔父は目を細め、クラウスの腕の魔道具を見据える。

「いつからその腕の魔道具を使用したんだい? まさか今日が初めてなのかい」

 クラウスの口元がわずかに引きつり、笑みとも痙攣ともつかない形に歪んだ。

「そうだと……言ったら、どうなんだ」

 声は笑っているのに、語尾だけが妙に震えていた。
 そして、まるで自分に言い聞かせるように続けた。

「私は……神の御心に従っただけだ。ゲルト殿への制裁も……神が望まれたことだ」
「やはり……魔道具に精神を侵されているね」

 叔父がそう告げると、アル兄さんがすぐに反応する。

「叔父上、どうしますか」
「捕縛が妥当だろうけど……もう彼から言葉で情報を得るのは難しい。視るしかないね」
「承知しました」

 アル兄さんは短く答えると、音もなくクラウスの背後に回り、その意識を一瞬で刈り取った。
 倒れたクラウスを一瞥し、叔父は装置へ視線を移す。

「テオ、装置の解析はできそうかい」

 テオ兄さんは腰の魔法袋から小型の魔道具を取り出し、装置の表面に触れさせた。
 魔道具が淡い光を放ち、内部構造を読み取るように微かな振動を発する。

「叔父様……この装置、すでに抜け殻です。中枢の魔力回路が完全に焼き切れています」
「……また一歩、遅かったか」

 叔父が低くつぶやく。

「ただ」

 テオ兄さんは魔道具を握ったまま、装置の奥を覗き込むように目を細めた。

「ごくわずかですが……魔力ではないなにかの残滓が残っています。魔力回路は焼き切れていますが、この反応だけは消えていません」

 叔父の表情が強張る。

「神力に近いものを媒介にしたか。あの魔道具と同じだね」
「断定はできません。ただ、魔力では説明できません。魔道具の解析が弾かれる種類の力です」
《ご主人様、あの反応……神力に近い波長です。魔力とは根本的に異なるため、通常の解析では読み取れません》

 やっぱり、神力が関わっているのか。

《創造主の魂の欠片は、ご主人様に宿るアーベル家の至宝と、ゼレムが所持しています》

 そうだったね。じゃあ今回の神力も、その欠片が関係しているの?

《いえ、今回の神力は創造主の欠片とは別のものです。……ご主人様、申し訳ございません。これ以上の情報提供は制限されています》

 また制限……?
 ヘルプ機能、君は、どこまでなにを知っているんだ。

《ご主人様。精霊の森へ向かいましょう。すべては、そこで明らかになります》

 君の秘密が……いや、違う。
 この世界の根幹が、そこにあるんだね。

《……はい。すべては、精霊の森です》