不運からの最強男

 剣戟の音が、森に鋭く響き渡った。
 魔力の奔流が空気を裂き、木々の葉がざわめき、鳥たちが一斉に飛び立つ。

「スニちゃん!」

 呼応したスニが、セラの肩から毒針を放つ。
 だが仮面のひとりは無言のまま身をひねり、針の軌道を読み切ったように回避し、そのまま魔力循環を一気に高めていく。
 濃密な魔力が森を圧し、空間がゆがむほどに膨れ上がった。

「くそっ、こいつら……強すぎる」

 ドミニクが剣を構え、歯を食いしばる。背後では親衛隊の三人が必死に支え、彼の背を守っていた。
 その横では、レオポルトが仮面のひとりと激しく剣を交えている。
 一撃ごとに火花が散り、地を蹴るたびに水膜が揺れ、跳ねた土が足もとに飛び散った。
 ディアーナは風を読むように身を翻し、魔力の揺らぎを先取りして動く。仮面の一撃が空を切るたび、髪と尻尾が舞い上がった。
 一見拮抗しているようでいて、実際には押し返す余地すらない。
 力の差は歴然だった。
 俺の前にも三人の仮面が立ちはだかる。
 ひとりは後方で魔力循環を高め、『召喚』を放ち。森の陰から魔物が次々と姿を現す。
 もうひとりは剣を手に、無言で間合いを詰め、さらに補助役が魔弾を放ち、俺の動きを封じようとしていた。

「さすが、アーベル侯爵家の子息。剣の腕もなかなかのものだ」

 魔弾が目の前で弾け、視界を白く染める。

「ゼレム、本気出していい」

 黒い刃に魔力を注ぐ。赤が滲み、脈動が柄へと返り、手のひらが震えた。

「悠長なことを言っている余裕があるのか」
「だよね。ほんと、次から次へと湧いてくる」

 一方、ハクとスラは連携し、仮面たちが呼び出した魔物を次々と仕留めていた。
 白い糸が空を裂き、咆哮が森を揺るがす。
 本気を出せば、こんな連中などまとめて斬り伏せられる。
 だが今はそうもいかない。レオポルトたちがいる以上、俺の一撃が誰かを巻き込む恐れがある。
 人質を取られれば、その瞬間に終わる。
 みんな耐えているが、均衡がいつ崩れるかはわからない。
 だからこそ、速く、正確に、慎重にいく。
 ゼレムが赤く脈打ち、刃が空気を裂く。魔力が流れるたび、剣が軌道を変え、敵の剣をいなし、魔弾を断つ。
 仮面の三人は追いつめられていく。ひとりは膝をつき、もうひとりは距離を取ろうと後退した。

「……強い」

 仮面の奥から、押し殺した声が漏れる。
 あと一手。そう確信できるほど、戦況は優勢に傾いていた。
 その刹那、森の陰に潜んでいた仮面が飛び出した。
 親衛隊の背を突き、剣がドミニクの防御を打ち砕く。
 セラの補助も、わずかに間に合わない。

「ドミニク……っ」

 足が止まる。
 さらに混乱に乗じて、別の仮面が死角を這うように滑り込む。
 親衛隊のひとりを押さえ込み、喉元に刃を突きつけた。

「動くな」

 仮面が低く告げた。
 戦況は一気に覆された。俺は攻撃の手を止め、ゼレムを構えたまま動けずにいた。
 その時だった。
 森の奥が揺らぎ、黒衣の男が音もなく姿を現した。
 仮面たちが、一瞬、動きを止める。

「……誰だ」

 俺が問うより早く、仮面のひとりが呻くように声を漏らした。

「なぜ、貴様がここに……」

 黒衣の男は仮面たちを一瞥し、そして俺を見た。

「アーベル侯爵家の末っ子か。……なるほど。あのときの聖獣が、まだ生きていたとはな」

 ハクが牙を剥き、吠え立てる。

「ガウッ〈あいつ、ハク捕まえた悪いやつ〉」
「えっ?」
「聖獣だと? ブラックキャットの変異種ではないのか?」

 仮面のひとりが声を荒らげ、黒衣の男に詰め寄る。

「さあな……。どうだったかな」
「答えろ、フリード!」
「おい、やめろ。いちいちやつの言動に惑わされるな」

 別の仮面が仲間を制するように手を上げる。

「鑑定したが、あれはブラックキャットの変異種で間違いない」

 黒衣の男フリードは、仮面たちのやり取りに興味を失ったように視線を逸らした。
 倒れかけているドミニクと、刃を突きつけられた親衛隊を見やる。

「……随分と劣勢だな」

 その声に、俺は身構えた。ハクが毛を逆立て、低く唸る。

「ガウッ〈おまえ、悪いやつ〉」
「……嫌われたもんだな」

 フリードは無表情のまま、口元だけをわずかに歪めた。

「おい。今のままでは、ひとりは確実に落ちるぞ」

 振り返るまでもなく、誰のことかはわかった。

「なにが言いたい」
「俺が加勢してやってもいい。だが、条件がある」
「条件?」

 声が上ずり、俺は無意識にハクの背に手を置いていた。

「仲間の元へ連れていけ。三日前からはぐれた」
「はぐれたって……」
「急げ。そこの男が、持たないぞ」

 ドミニクは限界に近かった。
 迷っている暇はないのに、喉が固まり、声が出ない。
 俺が選ばなければ、誰も救えない。
 フリードの目は、俺の一挙手一投足を見逃さない。
 ハクの背に置いた手に、力が入る。

「……わかった。加勢を頼む」
「ガウッ〈しかたがない〉」

 俺たちの判断とともに、フリードが素早く動いた。

『漆黒』

 闇が地を裂き、黒い奔流となって森を呑み込む。
 仮面たちの動きが一瞬で奪われ、森そのものが息を潜めたように凍りついた。
 ドミニクへ伸びた刃は闇に触れた瞬間、影へと溶けて消える。
 闇を背負ったフリードが、冷然とドミニクの前に立ちはだかった。

「フリード、そちらにつくか」
「お前たちには、まだ返してもらっていない貸しがある」
「ちっ……ならば、最終手段だ」

 仮面の手に、闇そのものを封じ込めたような黒い玉が握られていた。

「あれはっ!」
「ジークベルト様!」

 ディアーナも黒い玉に気づき、鋭く声をあげた。
 あれは、ディアーナの元護衛で裏切り者となったダニエラが、ダンジョンで使った召喚の玉と酷似していた。

「一旦、下がれ!」

 黒い玉が砕け散り、血のにおいをはらんだ霧が森を覆う。
 肌を刺す冷気が走り、霧の奥に魔法陣が浮かぶ。

「……来るぞ!」

 魔法陣から獣の咆哮が轟いた。
 黒い影が凝り固まり、鎧を纏った魔獣デュラハンロードが姿を現した。

《ご主人様、Aランクの魔獣です。これまでの敵とは格が違います。油断なさらぬよう》
「おい、末っ子」

 フリードが低く呼びかけてきた。

「さっさと、始末するぞ」

 その声に、俺はゼレムを握りなおす。隣に並んだフリードの手のひらからは、黒い魔力が漏れ出していた。

「ガウッ〈おまえ、悪いやつだけど、いいやつだ〉」
「ピッ?〈どっち?〉」

 スラがハクの背中でぴょんと跳ね、ふたりも戦闘態勢を整える。
 少し離れた場所では、ディアーナの指示に従い仲間たちが次々と『守り』を展開していた。
 仮面の者たちの姿は、すでに森の奥へと消えている。
 これで思う存分戦える。

「ブルルルッ……」

 馬が不気味に鼻を鳴らすと、デュラハンロードが剣を振りかざす。
 斬撃波が空気を切り裂き、轟音とともに風圧が押し寄せた。

「来る!」

 俺はゼレムを振り抜き、迫る斬撃波を受け止める。火花が散り、腕に痺れが走る。

「遅れるなよ、末っ子」

 フリードの声と同時に、闇の奔流が俺の剣筋に重なる。
 赤を滲ませ脈打つゼレムと闇魔法が交錯し、二重の斬撃となってデュラハンロードへ走った。

「ガウッ!〈逃がさない!〉」

 ハクが横から飛び込み、牙で馬の首筋を狙う。

「ピッ!〈つかまえる!〉」

 スラは地面を這い、デュラハンロードの足元へ伸びる。
 馬が苦悶の声をあげ、甲冑が軋み、巨体がぐらりと傾いた。
 その隙を逃さず、俺とフリードの斬撃が重なり、黒い甲冑を裂く。
 破片が火花のように散り、轟音が森を震わせた。
 砂塵の中、巨体が崩れ落ちていった。


 ***


 拠点へ戻る道を進みながら、ようやく俺は息をついた。
 森の空気にはまだ戦いのにおいが残っていたが、足取りは確かで、みんなの表情には安堵が滲んでいた。
 デュラハンロードの残骸は、俺の『収納』に収めた。
 あのあと、レオポルトが気を利かせて負傷者の手当てを済ませ、俺たちはすぐに帰路についた。
 誰もなにも言わなかった。
 野外実習の最中に帝国の密偵に襲われ、さらに共闘していたとはいえ、デュラハンロードまで倒したのだ。
 その異様さを誰もが察しているはずなのに、何事もなかったように接してくれている。
 その沈黙が、俺にはひどく有難かった。

《良き友人たちに出会えましたね》

 本当にそうだと思う。
 並んで歩くその横では冗談が飛び交い、笑い声がこぼれていた。
 ハクとスラも時折じゃれ合い、声をあげている。
 そんな和やかな空気の中、不意にフリードが口を開いた。

「王女」

 呼びかけに、ディアーナは肩をわずかにこわばらせ、どこか緊張を含んだ声で答えた。

「はい」
「それはいいのか」
「えっ……あっ!」

 フリードの指摘に、ディアーナは一瞬きょとんとしたが、すぐに両手で髪を押さえ込み、獣耳を隠そうとする。
 けれど、尻尾は小さく揺れていて、隠しきれていない。
 俺はレオポルトたちへ視線を向けた。

「みんな」
「わかっているさ。ディアーナ様の可憐な姿は、俺たちだけの秘密にしておこう」

 レオポルトが代表して答える。

「それと──」
「そこのあいつのことも、襲撃にあったことも、秘密ってことだろう」
「うん、できればその方向で」
「アーベルたちと同じ班になったことで、成績は上位、いや一位で間違いない。気にすることはない」

 ドミニクが落ち着いた声でフォローする。

「ありがとう」

 ……えっ、妙に聞き分けがよすぎる気がする。

《慣れてきたのではないでしょうか》

 どういう意味?

《ご主人様と一緒にいると、非日常は当たり前ですし》

 その言葉に、確かにそうだと苦笑いしながら歩を進めた。
 こうして俺たちは拠点に戻り、野外実習は予定通り一泊二日で幕を閉じた。