朝の光が、カーテンの隙間から細い線になって差し込んでいた。
鳥の声も、廊下を行き交う足音も、どこか遠くの出来事みたいにぼやけて聞こえる。
目が覚めてからずっと、胸の奥に沈んでいる違和感が消えなかった。
いつもの直感とは違う。鋭さもなく、輪郭も曖昧で──ただ、なにかが起こる気がする。
そんな霧のような不安が、胸の底に居座っていた。
「……やめておくべきか」
小さく漏れた声は、自分の中に沈んでいく。
〈ジークベルト、なにか言った?〉
ハクが俺の膝に前足をかけ、きょとんとした顔で見上げてくる。
〈主?〉
スラもぷるりと揺れながら膝に乗ってきた。
「うん、今日の野外学習さ……」
〈ハク、楽しみ!〉
〈スラも、わくわく!〉
ふたりは、いつも以上にテンションが高い。
その無邪気さを見ていると、胸の奥の不安を言い出す気にはなれなかった。
「そうだね、楽しみだね」
俺は言葉を飲み込んで、制服のマントを肩にかける。
指先はわずかに迷いながらも、腰のホルダーへと伸びていた。
ゼレムを呼び出すための魔道具を装着する。その重みが、不安を現実へ引き戻す。
「きっと、今回も大丈夫だ」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、扉に手をかける。
背中にハクとスラの気配を感じながら、俺はそっと部屋を出た。
***
「スラ、右!」
俺の声に反応して、スラの体がしなる。鋭い毒針が放たれ、ホワイトラビットの急所、一角の根元に突き刺さった。
魔物は一瞬硬直し、そのまま崩れ落ちる。
「ピッ〈やった〉」
肩の上でスラが跳ねる。
「命中率がまた上がったね、スラ。ハクもさすがだね」
視線の先では、ハクが風を裂くような動きで二体のゴブリンを薙ぎ払っていた。
一拍遅れて、二体の魔物が倒れ込んだ。
その奥から、オークの咆哮が地鳴りのように響き渡る。
ディアーナとセラは距離を保ち、円を描くように動きながら相手の隙を探っていた。
セラが光魔法の『守り』を展開し、光の盾が前方に浮かび上がる。
直後、棍棒が叩きつけられ、鈍い衝撃音とともに弾かれた。
すかさずディアーナが風魔法の『拘束』を放つ。渦巻く風が脚に巻きつき、オークの動きを止める。
その一瞬を逃さず、スニが跳ね上がり、体を震わせて毒針を一斉に撃ち放った。
針は拘束されたオークの腕や胸に次々と突き刺さり、巨体がびくりと痙攣しながら土へ沈んでいく。
ふたりとスニの動きは淀みなく、実戦で磨かれた呼吸が自然と連携を生んでいた。
「華麗な連携プレーだったね。……さて、ジークベルト、俺たちの見せ場は残ってるかな?」
「さあ、どうだろうね」
レオポルトの軽口に、俺は肩をすくめて笑った。
戦闘を終えたふたりのもとへ、親衛隊が駆け寄っていく。
「ディアーナ様、見事な拘束でした!」
「セラさんの光盾も完璧でした」
「スニちゃんの毒針もすごかったです!」
「ポッ!〈えっへん!〉」
褒め言葉に、スニが黄色い体を誇らしげに揺らした。
「レオ様も負けていられませんね」
「もちろん。レディたちを満足させる活躍をしないとね」
「キャー、レオ様!」
気づけば、レオポルトは輪の中心に立っていた。
自然と視線が集まり、場の空気を掌握している。さすがの行動力だ。
「アーベル、君の倒した魔物は回収しておいたよ」
「ありがとう。助かるよ」
ドミニクは魔法袋に魔物の残骸を収め、俺たちの分まで片づけてくれていた。
こういう気遣いを、俺も自然にできるようになりたい。
今回の野外学習は、討伐した魔物の数と質で成績が決まる。
俺の班は、いつものメンバーに、レオポルトとドミニク、親衛隊三人が加わり、少し賑やかだ。
レオポルトの親衛隊からは、例によって事前に開催された『レオ様と一緒に野外学習に参加する杯』の上位三名が選ばれ、同じ班になった。
「そろそろ、拠点に戻らないと日が暮れるかな」
「うん、いい判断だ。この森は魔術学校の監視魔法が施されているエリア内とはいえ、夜は危険だ」
ドミニクが地図を広げる。
「戻りながら、無理のない範囲で魔物を狩ろう」
「了解。気を抜かずにいこう」
俺たちは隊列を整え、森の奥から拠点へと歩き出した。
ここは魔術学校が管理する訓練区域のひとつ。野外学習のため、俺たちは校舎内の移動門を通って転移してきたのだ。
俺は隣を歩くドミニクに、ふと気になっていたことを口にする。
「そういえばさ、魔術学校の中に移動門があるなんて、ちょっと意外だったよね」
「マンジェスタ王国には、二つの移動門がある」
「えっ、二つ? 三つじゃない?」
「三つあるのか。俺が知っているのは、魔術団の移動門と、魔術学校のやつだけだ」
《ご主人様、コアンの下級ダンジョンにある移動門は未だ発見されていません》
そうなのか。あの地底湖の移動門、まだ見つかってなかったのか。
てっきり、もう確認されているものだと思っていた。
「あははっ。僕の勘違いだったみたい」
俺は肩をすくめてごまかす。
そういう情報は先に教えておいてよ。怪しまれるじゃん。
《失礼しました。ちなみに移動門は、世界に未発見を含めて、十二あります》
えっ、そんなに少ないんだ。
《あれは偶然の産物でした。ご主人様がスキルポイントで『地図〈極〉』を取得されたことで、たまたま発見されたにすぎません。現在、その貴重なポイントはすべてダンス系スキル『舞踏』に消費されていますが》
それ、前から思ってたんだけど、おかしくない?
舞踏スキルの取得ポイントが異常に高すぎる問題。
《おそらくですが、ご主人様のダンス適性が低いため、スキル取得に必要なポイントが相対的に高くなっているものと思われます》
ひどくない?
俺、けっこう頑張ったんだけどな。
一応言っておくけど、舞踏スキル取得は自力だからね。
《承知しております。アンナの超絶スパルタ特訓の成果により、ご主人様は舞踏スキルを取得されました。現在、スキルポイントはすべて『舞踏』に使用済みです》
まあね。初級からずっと停滞してて、スキルポイントを全振りして、やっと中級……。
俺のダンス適正って、そんなに絶望的?
《現在、舞踏スキルはレベル3で中級相当です。今後も引き続き、同スキルへのポイント投入が継続される見込みです》
あっ、はい。お願いします。
鳥の声も、廊下を行き交う足音も、どこか遠くの出来事みたいにぼやけて聞こえる。
目が覚めてからずっと、胸の奥に沈んでいる違和感が消えなかった。
いつもの直感とは違う。鋭さもなく、輪郭も曖昧で──ただ、なにかが起こる気がする。
そんな霧のような不安が、胸の底に居座っていた。
「……やめておくべきか」
小さく漏れた声は、自分の中に沈んでいく。
〈ジークベルト、なにか言った?〉
ハクが俺の膝に前足をかけ、きょとんとした顔で見上げてくる。
〈主?〉
スラもぷるりと揺れながら膝に乗ってきた。
「うん、今日の野外学習さ……」
〈ハク、楽しみ!〉
〈スラも、わくわく!〉
ふたりは、いつも以上にテンションが高い。
その無邪気さを見ていると、胸の奥の不安を言い出す気にはなれなかった。
「そうだね、楽しみだね」
俺は言葉を飲み込んで、制服のマントを肩にかける。
指先はわずかに迷いながらも、腰のホルダーへと伸びていた。
ゼレムを呼び出すための魔道具を装着する。その重みが、不安を現実へ引き戻す。
「きっと、今回も大丈夫だ」
自分に言い聞かせるようにつぶやき、扉に手をかける。
背中にハクとスラの気配を感じながら、俺はそっと部屋を出た。
***
「スラ、右!」
俺の声に反応して、スラの体がしなる。鋭い毒針が放たれ、ホワイトラビットの急所、一角の根元に突き刺さった。
魔物は一瞬硬直し、そのまま崩れ落ちる。
「ピッ〈やった〉」
肩の上でスラが跳ねる。
「命中率がまた上がったね、スラ。ハクもさすがだね」
視線の先では、ハクが風を裂くような動きで二体のゴブリンを薙ぎ払っていた。
一拍遅れて、二体の魔物が倒れ込んだ。
その奥から、オークの咆哮が地鳴りのように響き渡る。
ディアーナとセラは距離を保ち、円を描くように動きながら相手の隙を探っていた。
セラが光魔法の『守り』を展開し、光の盾が前方に浮かび上がる。
直後、棍棒が叩きつけられ、鈍い衝撃音とともに弾かれた。
すかさずディアーナが風魔法の『拘束』を放つ。渦巻く風が脚に巻きつき、オークの動きを止める。
その一瞬を逃さず、スニが跳ね上がり、体を震わせて毒針を一斉に撃ち放った。
針は拘束されたオークの腕や胸に次々と突き刺さり、巨体がびくりと痙攣しながら土へ沈んでいく。
ふたりとスニの動きは淀みなく、実戦で磨かれた呼吸が自然と連携を生んでいた。
「華麗な連携プレーだったね。……さて、ジークベルト、俺たちの見せ場は残ってるかな?」
「さあ、どうだろうね」
レオポルトの軽口に、俺は肩をすくめて笑った。
戦闘を終えたふたりのもとへ、親衛隊が駆け寄っていく。
「ディアーナ様、見事な拘束でした!」
「セラさんの光盾も完璧でした」
「スニちゃんの毒針もすごかったです!」
「ポッ!〈えっへん!〉」
褒め言葉に、スニが黄色い体を誇らしげに揺らした。
「レオ様も負けていられませんね」
「もちろん。レディたちを満足させる活躍をしないとね」
「キャー、レオ様!」
気づけば、レオポルトは輪の中心に立っていた。
自然と視線が集まり、場の空気を掌握している。さすがの行動力だ。
「アーベル、君の倒した魔物は回収しておいたよ」
「ありがとう。助かるよ」
ドミニクは魔法袋に魔物の残骸を収め、俺たちの分まで片づけてくれていた。
こういう気遣いを、俺も自然にできるようになりたい。
今回の野外学習は、討伐した魔物の数と質で成績が決まる。
俺の班は、いつものメンバーに、レオポルトとドミニク、親衛隊三人が加わり、少し賑やかだ。
レオポルトの親衛隊からは、例によって事前に開催された『レオ様と一緒に野外学習に参加する杯』の上位三名が選ばれ、同じ班になった。
「そろそろ、拠点に戻らないと日が暮れるかな」
「うん、いい判断だ。この森は魔術学校の監視魔法が施されているエリア内とはいえ、夜は危険だ」
ドミニクが地図を広げる。
「戻りながら、無理のない範囲で魔物を狩ろう」
「了解。気を抜かずにいこう」
俺たちは隊列を整え、森の奥から拠点へと歩き出した。
ここは魔術学校が管理する訓練区域のひとつ。野外学習のため、俺たちは校舎内の移動門を通って転移してきたのだ。
俺は隣を歩くドミニクに、ふと気になっていたことを口にする。
「そういえばさ、魔術学校の中に移動門があるなんて、ちょっと意外だったよね」
「マンジェスタ王国には、二つの移動門がある」
「えっ、二つ? 三つじゃない?」
「三つあるのか。俺が知っているのは、魔術団の移動門と、魔術学校のやつだけだ」
《ご主人様、コアンの下級ダンジョンにある移動門は未だ発見されていません》
そうなのか。あの地底湖の移動門、まだ見つかってなかったのか。
てっきり、もう確認されているものだと思っていた。
「あははっ。僕の勘違いだったみたい」
俺は肩をすくめてごまかす。
そういう情報は先に教えておいてよ。怪しまれるじゃん。
《失礼しました。ちなみに移動門は、世界に未発見を含めて、十二あります》
えっ、そんなに少ないんだ。
《あれは偶然の産物でした。ご主人様がスキルポイントで『地図〈極〉』を取得されたことで、たまたま発見されたにすぎません。現在、その貴重なポイントはすべてダンス系スキル『舞踏』に消費されていますが》
それ、前から思ってたんだけど、おかしくない?
舞踏スキルの取得ポイントが異常に高すぎる問題。
《おそらくですが、ご主人様のダンス適性が低いため、スキル取得に必要なポイントが相対的に高くなっているものと思われます》
ひどくない?
俺、けっこう頑張ったんだけどな。
一応言っておくけど、舞踏スキル取得は自力だからね。
《承知しております。アンナの超絶スパルタ特訓の成果により、ご主人様は舞踏スキルを取得されました。現在、スキルポイントはすべて『舞踏』に使用済みです》
まあね。初級からずっと停滞してて、スキルポイントを全振りして、やっと中級……。
俺のダンス適正って、そんなに絶望的?
《現在、舞踏スキルはレベル3で中級相当です。今後も引き続き、同スキルへのポイント投入が継続される見込みです》
あっ、はい。お願いします。
