松明の揺れる光がトビアスの顔を照らし出す中、彼の鋭い目が一瞬だけグレンツを捉えた。
「すべての準備が整いました」
「いいだろう」
トビアスが深くうなずいた。
彼は一瞬の沈黙の後、革命の光の同胞千数百人を前にして、力強く声を張り上げた。
「革命の光の同胞たちよ、我々は長い間苦しんできた。しかし、今こそ新しい時代を切り開く時だ。エスタニアに新しい風を起こすために、共に戦おう!」
その言葉に呼応するように、革命の光の同胞たちは一斉に松明を掲げ、力強い足取りで王城へと進んでいった。
夜の闇に包まれた王城が、ぼんやりと浮かび上がっていた。
その時、闇の中から静かに、しかし確実に姿を現した者たちがいた。彼らは皆、アーベル家の家紋を付けた影の者たちだった。黒いマントをまとい、鋭い目つきで革命の光の同胞たちを見据えている。
彼らの登場により、空気が一瞬にして張り詰めた。
「アーベル家がなぜ他国の王城にいる。これは侵略だ!」
トビアスは驚きと怒りを隠せず、声を荒げた。
彼らは無言のまま、冷たい視線をトビアスたちに向ける。その存在だけで圧倒的な威圧感を放っている。
「いいえ、侵略などではありません」
テオバルトが影たちの間から静かに姿を現し、白い紙を高々と掲げた。
「マティアス王太子殿下からの協力要請です」
暗闇の中でも光る白い紙には、王印が鮮明に押され、遠くからでもはっきりとわかるほど強く輝いていた。
それを見たトビアスは目を見開き、呆然と立ち尽くした。
「それは王にしか扱えない王紙と王印だ」
トビアスの声が静かに闇夜に響く。
「なぜだ? まだ王でないマティアスが使用できるはずがない! 偽物か!」
トビアスは混乱と怒りで声を震わせ、拳を握りしめた。彼の心臓が激しく鼓動し、頭の中は混乱していた。
テオバルトは一瞬の沈黙の後、冷静な表情で応じた。
「いいえ、本物です。王の資格を受け継いだ方に書いていただきました」
「王の資格を受け継いだ方だと? それは一体誰だ?」
トビアスは問い詰めるように叫ぶ。しかし、テオバルトはそれには答えず、冷たい視線をトビアスに向けたままだった。沈黙が場を支配し、トビアスの焦りが募る。
その時、静寂を破るようにマクシミリアンの声が周囲に響き渡った。
「同胞たちよ、怯むな!」
その声に応じて、革命の光の同胞たちは一斉に動き出し、次々にアーベル家の影を襲った。剣が交わり、叫び声が響き渡る中、戦いの激しさが増していった。
トビアスは剣を抜き、戦いの中に飛び込んだ。彼の動きは素早く、力強かったが、アーベル家の影はその全てを巧みにかわし、攻撃の隙を与えなかった。焦りと怒りが彼の胸に渦巻き、汗が額を伝った。
一方、テオバルトは冷静に戦況を見守っていた。彼の目は鋭く、まるで全てを見通しているかのようだった。彼は一歩も引かず、冷静に指示を出しながら、革命の光の同胞たちの動きを注視していた。
影のひとりが戦況を離れ、静かにテオバルトの背後に現れた。
「テオバルト様、この者たちおかしいです」
「うん、そうだね。見ていたからわかるよ、動きが異常だ。帝国の新薬だね」
テオバルトは冷静に答えたが、その目には深い哀れみの色が浮かび、口元がわずかに歪んだ。
そこへ戦闘に参加していたニコライが駆け寄ってきた。
「テオ、どうするんだ? 意識を落としても効果がない。ゾンビみたいに復活するぞ」
ニコライは戸惑いの表情を浮かべ、息を切らしながら進言した。
テオバルトは一瞬目を閉じ、深く息を吸い込んで決断した。
「殺傷を許可する。だが、できるだけ殺すな」
「御意」
影のひとりはうなずき、再び戦場へと戻っていった。
***
「トビアス殿下、後宮に進軍していた帝国の奴隷たちが次々と解放されています!」
「なに? 一体どういうことだ!」
トビアスは眉をひそめ、驚きと困惑の表情を浮かべた。
その頃、カミルはヴィリバルトから託された魔道具を使い、帝国の奴隷たちを次々と解放していた。魔道具の光が淡く輝き、体に刻まれた奴隷紋が消えていく。
「すぐにここから離れるんだ」
カミルが優しく促すと、解放された奴隷のひとりが涙を浮かべながら感謝を伝え、うなずいて走り出した。
それを皮切りに、解放された奴隷たちは次々と薄暗い森の中へと駆け込んでいった。木々の間から差し込むわずかな月明かりが、彼らの逃げ道をかすかに照らしていた。
しかし、その静寂を破るように、突然、鋭い悲鳴が響き渡った。ひとりの奴隷が首から血を噴き出しながら地面に崩れ落ちたのだ。
その場には、冷酷な笑みを浮かべたグレンツが立っており、血の付いた刃物を愛おしそうに眺めていた。
「グレンツ……」
カミルは低く唸るように彼の名を呼び、怒りを抑えながら魔道具から手を放し、奴隷たちをうしろに下がらせた。そして、グレンツに向き合い剣を抜いた。
「カミル、お前が裏切るとは思っていたが、やはりな」
グレンツの声はどこか喜色に溢れていた。
「俺が裏切るとわかっていて、なぜトビアス殿下に進言した?」
「さあなぁ、トビアス殿下に進言した理由なんて、お前にはわからないさ。お貴族様にはなっ」
グレンツが冷笑を浮かべながらカミルに攻撃を仕掛けると、カミルは素早くそれを受け止めた。グレンツの短剣は鋭く、致命傷を狙ってくる。その技量にカミルは一瞬押され、『土壁』を使い一旦下がった。
「ちっ、魔法で交わしたか」
グレンツは舌打ちしながらも、次の一手を繰り出す隙を狙っていた。その目には狂気が宿り、殺しの喜びが滲み出ていた。彼は人を殺すことに無上の快感を覚え、その瞬間を楽しんでいるかのようだった。
カミルはその狂気に戦慄を覚えながらも、激しい攻撃に息が上がっていた。
「あまり魔力を消費したくはないんだが」とつぶやきつつ、自身に身体や魔法の能力を一時的に上げるオリジナル魔法『補助』をかけ、次の攻撃に備えた。
再びグレンツの短剣がカミルを襲うも、カミルは巧みにそれを交わした。『補助』の効果で動きが格段に速くなったカミルの変化に気づいたグレンツは、一瞬目を見開いたが、すぐに口角を上げた。
「支援系の魔法か。さすがお貴族様、魔法を上手く使って、俺たち魔属性がない屑とは違うなぁ」
グレンツの挑発にカミルは顔を顰めたが、冷静さを保ち続けた。彼はグレンツの次の攻撃を予測し、剣を構え直した。
「魔属性がなくとも、生きてはいけるだろう!」
「これだからぬくぬくと育ったお貴族様はっ」
グレンツは再び短剣を振りかざし、カミルに向かって突進した。カミルはその動きを見極め、素早く横にステップを踏んで避けると同時に、剣を振り下ろした。鋭い金属音が響き、ふたりの武器が激しくぶつかり合った。
「なあ、カミル、知っているか? 革命の光の同胞たちのほとんどは、スラムで育ったんだぜ」
「それがどうした? 生まれや育ちがどこであろうと、なにも変わらない」
カミルの言葉に一瞬動きを止めたグレンツは、「あははっは」と突然声を上げた。そして、短剣を引き、ゆっくりと後退した。
「カミル、お前、ちゃんと寝たことあるか?」
カミルは脈絡のない突然の質問に驚きと疑念の表情を浮かべ、「なにをっ」と返した。グレンツは苦笑いしながら続けた。
「俺は数分だって、寝るのが怖えんだ」
カミルの眉間には深い皺が寄り、その目は困惑と緊張で揺れていた。グレンツがこの戦闘の場でなにを伝えたいのかその意図を読めなかったからだ。
「お前にはわかんねぇだろ。いつ誰にどこで暴力を振るわれ、油断したら殺される、そんな世界だ」
グレンツは吐き捨てるように言い、その目は怒りと絶望で暗く光っていた。
「裏切りは当たり前。飢えと死が隣り合わせ、俺たちは殺すしかねぇんだよ」
そう言うと、グレンツは短剣を高く掲げ、一瞬の隙を突いてカミルに向かって突進した。カミルは一瞬の油断で反応が遅れ、頬に鋭い痛みを感じた。薄っすらと血が滲んでいた。
「俺に同情でもしたのか?」
グレンツが嘲笑しながら問いかけた。
カミルはその言葉に反応せず、ただ鋭い視線を返した。ふたりの間に一瞬の静寂が訪れたが、次の瞬間には再び激しい戦いが繰り広げられた。
「はぁ、はぁっ、なかなかやるじゃねぇか」
グレンツが息を切らしながら言った。
カミルも同様に息を切らし、額には汗が滲んでいた。彼は一瞬、剣を握る手を見つめ、深く息を吸い込んだ。
「グレンツ、これで最後にしよう」
カミルが全身に魔力を込める。彼の体を纏う空気が白く輝き、まるでオーラのように揺らめき始めた。
この技は、カミルが『やはり俺は無能だ』と挫折を再認識したダンジョンでの出来事から始まった。ジークベルトの戦いを間近で観察していたカミルは、その圧倒的な力に感銘を受け、自分も同じ技術を習得したいと強く願った。そこで、彼はこの数か月間、ヴィリバルトに師事を仰ぎ、厳しい訓練を積んできたのだ。
『どうして私なんだい?』とヴィリバルトは戸惑いながらも、『姫様の力になりたい』とのカミルの想いを尊重し、誓約魔書を結び直してそれを受け入れてくれた。この恩は一生感謝してもしきれない。
カミルは剣を握りしめ、全身に込めた魔力を解放した。彼の剣は白く輝き、まるで雷のように閃いた。
グレンツはその光に一瞬目を眩ませたが、すぐに構え直した。しかし、カミルの動きは速く、力強かった。彼の剣はまるで風のように舞い、グレンツの防御を次々と打ち破っていった。
「これで終わりだ!」
カミルは叫び、最後の一撃を繰り出した。グレンツはその一撃を避けようとしたが、間に合わず、剣が彼の防御を突き破り、地面に倒れ込んだ。
グレンツは地面に倒れたまま、かすかに笑った。
「やっと、寝れる……」
そう言ったきり、グレンツの瞳が開くことはなかった。