ディアーナが落ち着いたことを見計らって、俺は彼女の手を再び握った。

「ディア、君に話さなければならないことがあるんだ」

 俺の声は震えていた。ディアーナは俺を見つめ、その瞳には混乱と不安が宿っていた。

「これは、君が知るべき真実だ。王家の真実だ」

 俺は深呼吸をして、握っている手に力を入れた。

「君は本来、王位継承権第一位なんだ」
「特例である先祖返りのことをおっしゃっているのですね。それはお父様が公表されておりませんので、私の王位継承権は第四位です」
「それが違うんだ。王が公表せずとも王位継承権第一位は君にある。エスタニア王家の秘密。それは建国時にある。君の先祖返りには初代エスタニア王の血縁が関係しているんだ」

 ディアーナは驚きで口を開けたまま、俺を見つめていた。
 彼女の深い金色の瞳は困惑と驚きで広がり、その美しい顔は驚愕で硬直した。その瞬間、俺の心は複雑な感情で満たされた。
 彼女に真実を告げることの重さと、彼女がそれを受け入れるかどうかの不確実さによる緊張感。

「ジークベルト様? 初代エスタニア王の血縁?」

 彼女の声は震え、その言葉には混乱と不信感が込められていた。
 俺は極めて冷静に言葉を続ける。

「エスタニア王国には、有名な昔話があるね。『白狼と少女の約束』」
「まさか」

 何かに気づいたディアーナが、そうつぶやいた後、俺は同意するように言った。

「そうそのまさかだよ。初代エスタニア王は白狼と人間との間に生まれた子供だ」
「待ってください。私の先祖返りは数十代前に起因します。後宮に獣族の妃がおり、その妃の子孫からです。王家は現在近親婚を禁止しておりますが、昔はそれがございました」

 ディアーナは一瞬、言葉を失った。
 彼女の瞳は驚きと混乱で広がり、何度か口を開け閉めした。そして、彼女は深呼吸をして、自分の思考を整理しようとした。
 俺はそれを尻目に確信を告げる。

「おかしいと思わない。獣族の妃の子孫を特例で王位継承権第一位とするなんて。それに獣族の妃には子はいたけど、残念ながらその子は成人前に亡くなっているよ」
「それはっ……どういうっことで……しょうか」

 ディアーナの声は震え、その瞳からは信じられないという感情が溢れていた。

「エスタニア王家には、公に知られている『表の王家の系図』と、秘密裏に保管されている『真実の系図』という二つの系図が存在する。『表の王家の系図』には、獣族の妃の子孫が現王家の血筋に受け継がれていることが記載されている。だけど『真実の系図』にはないんだよ。後の王が隠蔽するために二つの系図を作成した。代々エスタニア王には、真実が告げられる。初代エスタニア王は白狼の血が半分流れている。その子孫が現王家である。先祖返りをした子が誕生した場合、エスタニア王とすることも」

 ディアーナは驚きと混乱が交錯する表情で、俺の言葉を消化しようと目を閉じた。
 彼女の唇が何度も開いたり閉じたりする様子から、彼女がどれほど動揺しているかが伝わってきた。
 その様子を俺は静かに見守っていた。

「ジークベルト様は、何をご存じなのですか」

 ディアーナが戸惑いを隠せずに問いかけた。その瞳には、答えを求める強い意志が宿っていた。
 俺は彼女の目を見つめ、ゆっくりと口を開いた。

「昔話に登場する白狼は千年以上生きていて、獣族に近い姿へ変えることができたんだ」
「それはどういうことですか?」

 驚きや不安が声に滲みながら、ディアーナがさらに問い詰める。

「白狼は神獣だった。白狼は神化に近い力をつけていたんだ。人に興味があった白狼はひとりの女性と出会い恋に落ち、息子が誕生した。息子は成長すると共に人に興味を覚えたんだ。その時期、この国は荒れていた。彼はその動乱の中に身を寄せ、そしてエスタニア王国を作った。父親である白狼は息子に加護を与えた。この国の繁栄と息子の未来を願って。それが初代エスタニア王だ」

 俺がその事実を明かすと、部屋は一瞬で静寂に包まれた。空気が凍りつくような、それほどの衝撃がそこにあった。
 ディアーナはその事実をある程度予測していたのだろう。
 彼女の瞳は驚きよりも理解を示していた。彼女は深呼吸を一つし、落ち着いた様子でうなずいた。
 その後ろで、いままで静かに息を殺していたエマが、驚愕の色を浮かべていた。彼女の顔色が青ざめ、目が見開かれ、口元がわずかに震えていた。
 これから起きるであろう事柄を含めると、エマにも事実を伝える必要があった。
 一呼吸おいてから、俺は淡々と告げる。

「代々エスタニア王に告げられる真実。それが王以外の王族の人間に漏れていたらどうなる」

 ディアーナが「……っ」と、言葉にならない声を上げた。
 彼女の瞳は驚きと恐怖で広がり、その深さには信じられないほどの恐怖が宿っていた。
 息を呑む音が部屋に響いた。
 彼女の想像を肯定するように、「そうだよ。ディア」と俺が静かに彼女の名前を呼ぶと、彼女はぎくっと体を震わせた。

「君を囲む。もしくは、君を殺すよね」

 俺の言葉が部屋に響き渡ると、ディアーナは息を止め、目を見開いた。
 その様子を確認した俺は、おどけた口調で、「信じられないよね」と言った。

「いいえ、ジークベルト様は嘘はおっしゃいません。私が襲われた理由が王位継承権であるとは予想しておりましたが、そのような背景があるとは信じがたく、いえ、ジークベルト様を疑っているわけではないのです」

 ディアーナはそう言った後、彼女の顔色は一瞬で青ざめた。
 俺は彼女の反応を静かに見つめていた。そして、ゆっくりと口を開き告げる。

「ディアのステータスを『鑑定』した時、一部が見えなかったんだ。それは『白狼の加護』によって覆い隠されていた部分だ。だけど、ぼくにはそれが見えるんだ。なぜなら、ぼくには『鑑定眼』があるからね。この特別な能力により、他の人々が見ることのできない真実まで見えるんだ」

 俺の言葉に、ディアーナの目が驚きで見開かれ、一瞬の間、時間が止まったかのような静けさが部屋を包んだ。
 そして、その静けさを切り裂くように、俺は言葉を続けた。

「ディアは『白狼の加護』と『覚醒』を持っているんだ。それは普通の『鑑定眼』でも見抜けないほどの強力な加護だ。ディア自身が成人した時、その加護はステータスに表示される。その瞬間、君の能力は開花され、王としての器が備えられるんだ」
「王としての器……」

 ディアーナが自分自身に問いかけるような小さなつぶやきを、俺は聞き取った。

「白狼がどのような思いで、初代エスタニア王に加護を与えたのかは、わからない。その加護の一つとして、『王の器』が成人とともに、付与される。あとは……」

 部屋の扉をノックする音が響き渡り、ディアーナたちは息を呑んだ。
 一旦、俺は言葉を止め、部屋に入ってくる人物を静かに待った。



「呼んだかえ」

 部屋に入ってきたシルビアが、だるそうな声で尋ねた。
 彼女は頭にスラを乗せ、ハクを引き連れて、ゆっくりと部屋に入ってきた。

「ガゥ!<起きた! ジークベルト!>」
「ピッ!<主、仕事した!>」

 二匹が、俺のベッドに飛び乗ると各々に報告してくる。
 スラの体が一回り小さくなっていることに気づいた俺は、驚いて彼を見つめた。

「スラ、お前……どうしたんだ?」
「ピッ<ユリウス、心配。体分けた>」

 スラの言葉に俺は驚き、しばらく言葉を失った。
 セラの時の行動もそうだったけど、スラはどうやら感情移入しやすい性格のようだ。
 俺が注意しないと、次から次へと体を分けてしまい、スラ自身が危険にさらされるかもしれない。

「ガゥ?<スラ、大丈夫?>」

 俺の表情を読み取ったハクが、俺に問いかけてきた。
 俺は苦笑いして、「大丈夫だよ」と、安心させるように二匹の頭をわしゃわしゃと優しくなでた。
 一方、ディアーナは、突如として現れたシルビアの登場に困惑を隠せない様子でいた。

「ジークベルト様?」
「なんじゃ、小娘」

 ディアーナが俺へ助けを求めて呼びかけるも、シルビアがそれを阻止する。
 その攻防をもうしばらく見ていたい気持ちだったが、時間が差し迫っている現実との間で、俺は終止符を打つべく声をかけることにした。

「シルビア、『白狼の加護』について、ディアに説明してほしいんだ」
「むっ。妾がかけた加護ではないからのう。予測になるのじゃが?」

 俺のお願いに、シルビアは一瞬、戸惑った表情を浮かべる。

「俺よりも適任だと思うんだけど」
「ジークベルト様、私、お話についていけません。どうして、シルビア様が適任なのでしょう」

 そう問いかけたディアーナの金の瞳は疑問で満ちており、彼女の口元は固く結ばれている。
 ディアーナが俺たちの会話の意味を理解できない様子を見て、シルビアは呆れた口調で言った。

「お主、まだ話してないのかえ」
「話す途中で、シルビアが来たからね」

 俺はなんとも言えない表情で、シルビアに答え、ディアーナに向き合う。

「えーと。なんていうのかな、シルビアは、神話にでてくる白狼の妹なんだ。血縁者が話した方がいいと思ったんだ。僕の『鑑定眼』も不安定でね。すべてを見通せるわけじゃないんだ」
「むっ。まだ、主様の干渉が続いておるのかえ」

 シルビアが驚愕した様子で、俺に問いかけたので、俺はそれを肯定するように深くうなずいた。
 その真横でディアーナが、「えっ、あのっ。えっ……」と驚き混じりの声を上げていた。
 彼女の金の瞳が広がり、シルビアを見つめると、「シルビア様が、白狼の妹?」とささやく。
 ディアーナは一瞬考え込んだ後、金の瞳を見開いて言った。

「つまり、初代エスタニア王の叔母ということですか。そうとなれば、私とシルビア様は、先祖が同じ……」

 しかし、ディアーナの驚きはそこで止まらない。「えっ、でも、白狼の妹……」と彼女はつぶやいた。
 そして再びシルビアを見つめて、彼女は考え込んだ。

「シルビア様は、白狼になるのかしら。あら、シルビア様は、いつジークベルト様から呼び出しをされたのかしら。これは聞いてはいけないことなのかしら」

 ディアーナの独り言に、シルビアは眉をひそめて指摘する。

「小娘、言いたい放題じゃな」
「私、声に出してっ」

 ディアーナは頬を赤くして口元を覆った。
 その慌てようを見て、シルビアが口元をゆるめ、微笑んだ。
 そして、誇らしげに胸を張り、力強く宣言する。

「妾は、いろいろあって、本来の姿を封印されておるのじゃ。本来は神獣である白狼であり、小娘より偉いのじゃ!」
「シルビア、本来の姿を封印されている理由を『いろいろあって』とか、言い訳が見苦しいよ」

 ジークベルトは苦笑いしながら、興奮状態のシルビアに言った。

「むっ。お主は黙っておれ! 本来なら人と交わることのない高貴な身分である妾は、ぐふっ」
「はいはい。少し黙ろうね」

 シルビアが口うるさくなるのが目に見えてわかったので、俺は『遠吠え禁止』を発動し、彼女の口を封じた。
 ディアーナは、口をパクパクと動かすシルビアを見つめ、一瞬だけ俺に視線を向けた後、再びシルビアに視線を戻し、同情するような眼差しを送った。
 それに気づいたシルビアは、涙を浮かべながら俺に訴えてくるが、俺はそれを無視する。
 余計なことに時間を費やす余裕はないんだよ。時間がね。
 俺の圧力を感じ取ったのか、シルビアは一瞬、顔を歪めた。そして表情を抑えると静止した。



「兄上の『白狼の加護』は、一族の繁栄が主体となる加護じゃ。先祖返りの副産物として、王の器が生じたのじゃろ」

 シルビアが、ディアーナを見つめながら深刻な表情で告げる。
 その声は静かでありながらも、重みを感じさせた。
 俺はそれを聞いて「いらない副産物だよね」と、内心の複雑さを隠すために皮肉っぽく笑う。
 それに対抗するように、シルビアが俺を見つめ真剣に言う。

「そうかのう。妾は、必然的に必要なものではと思うのじゃが」
「必然的に?」

 シルビアの言葉に、俺は思わず反応してしまった。

「そうじゃ。考えてみてみ。先祖返りが突然王になるのを周囲が認めるかえ。王の器があれば、それを肯定しやすい」
「なるほど」

 納得する俺に、シルビアは一瞬微笑むも、すぐにうなずきながら真剣な表情に戻って話を続ける。

「おそらく兄上は、エスタニア王家が治める土地には、天災や飢餓がないよう結界のような加護を与えたのじゃろ。それを代々の王に継承させ維持させる。じゃが、兄上の血が薄くなれば、その加護も徐々に弱まっていく。おそらくじゃが、甥っ子は、人として生をまっとうしたのだろう。じゃから、兄上の血が濃く出た先祖返りが王になるよう助言したのだろうて」
「それは結界を守るためですね」

 話しを黙って聞いていたディアーナが、理解したように言った。
 その声からは、彼女がこの問題の深刻さを自身の心で感じ取っていることが伝わった。

「そうじゃ、おそらく兄上は、王の継承の際、これらの記憶と加護を与えておる。先祖返りは加護もあるが、神獣としての能力の覚醒もある」
「神獣としての能力?」

 シルビアの言葉に、ディアーナは目を見開き、息をのんだ。その驚きは彼女自身でも予想外だったことを示していた。
 そんなディアーナに対して、シルビアは皮肉を込めながらも優しく言った。

「うむ。神獣としての能力は個体差があるゆえ、小娘がどのような能力に目覚めるかは、妾も予想はできぬ。とはいえ、真の神獣である妾よりは能力は落ちるゆえ、気にすることはないかえ」
「ディアーナ、気になるのはすごくわかるけど、『覚醒』は成人後に開花されるから、まだ考える時間はたっぷりとある。今は『白狼の加護』について話し合おう」

 ディアーナは、俺の提案に「はい」と、安堵の表情でうなずきながら素直に応えた。
 そして、シルビアに向き合うと戸惑いながらも質問をする。

「あの、シルビア様は、シルビア様のお兄様である白狼様が、その後どうなられたかご存じですか」
「妾は、神殿に数百年、人間の数回分の生の時間を過ごしたのじゃ。兄上がどうなったのかは知らぬ。今は本来の力も出せぬし、気配も察知できぬからのう」

 シルビアはディアーナにそう答えながらも、なぜか視線を俺に向けた。
 なにかを感じ取ったシルビアが俺に訴えかけている。
 さすが兄妹。
 俺の微妙な変化に気づいたようだ。
 しかし、俺はその訴えを笑顔で交わし圧をかけた。
 一方ディアーナは、始祖である白狼の生死や行方がわからないと説明を受け、俺が危惧していた結論を導きだした。

「私が王位につけば……」

 その決意を耳にしたシルビアが一瞬沈黙し、厳しい眼差しをディアーナに向けた。

「小娘が生まれた時に下した王の決断が、この国の運命を決めたのじゃ」

 シルビアは、深呼吸をひとつした後、重々しく告げた。

「もはや、小娘がこの国の王になることは、情勢を踏まえてもない。この国は『白狼の加護』を失くすだけじゃ」
「私が王位につけば!」

 それに対しディアーナは反論するように力強く叫んだ。
 彼女の目は決意で満ちており、その声は部屋中に響き渡った。

「難しい話じゃ。誰が小娘を支持する? エスタニア王国内でそれをするものはいるのかえ。それに小娘、アーベル家は協力してくれんぞ」
 
 ディアーナの考えを否定するかのように、シルビアは淡々と事実を告げた。
 ディアーナが動揺を隠せずに「えっ」とつぶやくと、シルビアは、畳みかけるように言葉を続けた。

「小娘が王になれば、アーベル家は手を引く。ジークベルトを王配などにはせん。ジークベルトが自分の意志でそれを望んだら別じゃが……」

 シルビアの言葉は俺の心にも重く響き渡った。
 王配か……。
 俺には、その重責を背負うほどの覚悟はない。
 ディアーナが王になれば、自然と婚約は消え、彼女の支えとなる王配を探す手伝いをすると思う。
 いち友人として、距離をとり、彼女が困っていれば手助けする。そのような関係が連想できた。

「もし、小娘がジークベルトに情を訴えでもしたら、アーベル家は必ずエスタニア王国を潰すじゃろうて、のう」

 シルビアが冷静に続け、俺に同意を求める視線を送った。
 ディアーナは言葉を失ったまま、呆然としていた。

「だから小娘よ、その選択は慎重になされんといかん。この国の未来がかかっておるのじゃから。小娘が王位を継がなくても、『白狼の加護』はすぐに消えるわけではない。長い年月を経て徐々に失われていくだけなのじゃ」

 シルビアの重い声が部屋に響き渡った。
 その後、部屋は息をのむような静寂に包まれ、その言葉の重みがまだ空気を震わせているかのようだった。
 ディアーナは、シルビアの言葉の意味を理解したのか、彼女の金の瞳からは、深淵へと落ちていくかのような失望が滲み出ていた。
 一方、シルビアは冷静さを保ち続け、彼女の視線は俺に向けられていた。
 彼女の視線は鋭く、まるで俺の反応を見透かそうとしているかのようだった。
 俺は心の中で、シルビアに『よくやった』と、賛美を送っていたが、表面上は落ち着きを保っていた。
 俺がディアーナへ言わなければならない事実を彼女が伝えてくれたからだ。
 俺は、ディアーナが王位につくことは望ましくないと考えている。
 たしかに『白狼の加護』は、エスタニア王国の今後を考えると維持しなければならないものかもしれない。
 しかし、それには弊害がある。それは血の濃さだ。
 白狼は神化に近い力をつけていたが、人と交わることでその力を徐々に失くしていた。
 その子孫であるエスタニア王家は、長い年月の中で、白狼の血を薄め続けてきた。
 いつかは消えるもの。永遠はなく、現在の状況は当時とは異なるのだ。

「ねぇ、シルビア」

 俺が静寂を破るように声を上げると、部屋にいる全員が俺に注目した。
 それに応えるように「なんじゃ」と、シルビアが応える。

「君のお兄さんは、永遠にこの加護を持続し続けたかったのかな」
「むぅ。兄上の意志がどのようなものであったかはわからぬ。じゃが、単純に人として生きる息子を子孫を不幸にさせたくなかったからかもしれぬ」

 シルビアは言葉を絞り出すようにそう言った後、ゆっくりと深く息を吸い込んだ。
 その瞳は遠くを見つめ、何かを思い出すような、しかし何も見えないような表情だった。

「シルビア様、私は……」
「小娘は、自分のことだけ考えればいいのじゃ。ジークベルトと添い遂げたければ、すべてを受け入れて忘れるのじゃ」

 ディアーナが気遣うように口を開いたが、それを打ち消すようにシルビアが断固とした言葉を重ねた。
 彼女の顔は一瞬、悲しみで曇ったが、すぐに元の生意気な顔に戻った。

「俺も、シルビアの意見に賛成かな」

 俺の意外な賛同に、シルビアとディアーナは驚きの表情を浮かべた。
 ふたりとも一瞬言葉を失ってしまったようだった。
 ディアーナの態度はわかるが、シルビアの驚きに、『おい、シルビア。なんでお前も驚いているんだよ』と、俺は内心突っ込んだ。

「ふむ。素直じゃと調子が狂うのう」
「私との添い遂げ……」

 シルビアは目を見開きながらも小さく笑い、ディアーナは頬を染めて口元を手で覆った。
 その後の空気は少し和んだ感じがした。



 エスタニア国王の死が国民に公表されたのは、国王の死後、十日以上経ってからのことだった。
 死因を未知の感染病による突然の死(・・・・)とし、王陵への埋葬当日に異例の公表をした。
 多くの国民が悲しみにくれる中、慣習から外れた国の対応に疑惑を向けるものもいた。

「トビアス殿下が姿を消してすぐに国王が崩御された。やはり、あいつの言っていたことは本当だったのか」
「どうするんだ、マックス。動くのか?」
「王の死因を巡る真実と、遅れた公表の背後に隠された意図を探る必要がある。あいつとはまだ連絡が取れるか」
「あぁ、大丈夫だ。すぐに手配する」
「頼む。エスタニアに栄光を!」

 雨が降りしきる中、棺桶がゆっくりと王陵に運ばれる様子を、黒い傘を差した参列者たちは頭を垂れながら、静かに見守っていた。
 空から降り注ぐ雨粒は、まるで天からの涙のようで、その一粒一粒が国王の死を悼んでいるかのようだった。


 ***


 時は国王の死去当日に遡る──。
 訃報を耳にした数時間後、俺とディアーナはエスタニア城にいた。
 俺たちの前には、憔悴した様子のマティアス王太子、その横に毅然とした態度をしたユリアーナ王女、彼らとは一線を引いたように少し距離をとったエリーアス王子がいた。

「国葬はできない」

 その言葉は、マティアスの口から静かに、しかし力強く放たれた。

「お兄様、それはなぜですか?」
「父上、いや、国王の遺体はすでに腐敗の兆しが見え始めている。国民に弔問を許す状態ではない」

 マティアスが告げる事実に「なっ」と、ディアーナが言葉を失った。
 険しくも鋭い目を保ったままのマティアスは、重い真実を伝えるため、再び口を開いた。

「宮廷魔術師の診断によると、強い呪いが国王にかかっているようだ。それが腐敗を早めている可能性がある」
「誰がそのようなことを!」

 ディアーナの声は驚きと怒りで震えていた。彼女の目は広がり、金の瞳には信じられないという感情が溢れていた。

「ディアーナ、気持ちはわかるけれど、落ち着きなさい」
「ユリアーナお姉様……」

 ユリアーナとディアーナの間には、言葉以上のものが交わされていた。それは、長い年月を共に過ごした姉妹の間だけに存在する、無言の理解と共感だった。
 ディアーナは言葉をぐっと飲み込み、うつむきながら手を強く握りしめ、口をかたく締めた。その金の瞳は涙で潤んでいた。
 俺はディアーナの隣で、かたく閉じられた彼女の手をそっと握り返した。その瞬間、彼女の手の力が少し緩んだことを感じた。
 しばらくして、ディアーナはゆっくりと顔を上げた。金の瞳は涙で潤んでいたが、一滴も涙を流すことはなかった。
 そして彼女は、静かに頷いた。その小さな動作からは、彼女の内に秘めた強さと決意が感じられた。

「エリーアス兄上は、どうお考えでしょうか?」

 ふたりのやり取りを静かに見守っていたマティアスが、深い声でエリーアスへ問いかけた。彼の目は冷静で、その言葉には重みがあった。
 マティアスの意外な問いかけに、一線を引いていたエリーアスが、ゆっくりと顔を上げ、彼らの方に向き直った。
 エリーアスは一瞬言葉を探し、その間、部屋は一瞬の静寂に包まれた。そして、彼は静かに口を開き、自身の見解を述べた。

「慣習に則り、葬式はする。ただし、国民の弔問などを省き、王陵への埋葬当日に国民へ公表する」
「極秘で葬式を執り行うのね。いい案だと思うわ」

 ユリアーナがエリーアスの考えに同意すると、エリーアスが続ける。

「死因は感染病による病死とする」
「そうね、それなら国民も納得するでしょう。突然の死に対する彼らの混乱や不安を、少しでも軽減することができるわね」

 ユリアーナはそう言いながら、表情を和らげた。しかし、その瞳はエリーアスをじっと見つめ、不安と期待が混ざった複雑な感情を映していた。

「エリーアス、トビアスの処置については、どう考えているの?」

 ユリアーナの問いかけに、部屋の空気が一瞬で凍りついた。

「私が兄上の処置について、何かを決められる立場ではありません。臣下たちの議論の結果を尊重するつもりです」
「そうよね、ごめんなさい。今はその話題を持ち出すべきではなかったわ」

 微妙な空気が漂う中、マティアスがユリアーナに声をかけた。

「姉上、お怪我の具合はどうですか?」
「光の精霊のおかげで、一切の傷跡もないわ」

 ユリアーナが安心させるように微笑むと、マティアスが複雑な表情を浮かべる。

「光の精霊……。やはり姉上は光の精霊と契約をしたのですね」
「あっ、その、契約というか、友情を育んでね。助けてくれたのよ。光の精霊との親密さは決して公にするつもりはなかったの」

 ユリアーナは微かに困惑した表情を浮かべた。
 その場は重苦しい雰囲気に包まれ、ユリアーナが国民たちの間にささやかれている新たな噂を耳にしていることは、彼女の様子から察することができた。
 叔父がにらんだ通り、ユリアーナは光の精霊と深いつながりを持っていた。
 アルベルト兄さんが受けた闇魔法と精霊魔法の混合魔法は、ユリアーナが関与している精霊の魔法なのだろうか。
 そうなると、彼女が真の黒幕?
 だとすれば、このように明らかにするような言葉を紡ぐのか。
 とても不自然に感じる。
 一連の流れを見守っていた俺は、ゆっくりと目を閉じ、握っていた手の先に感じる温もりを深く感じ取ったのだった。



 帰り道の馬車内は、静寂と重苦しさが混ざり合った雰囲気で包まれていた。
 俺とディアーナは、一言も交わすことなく、沈黙を続けながら伯爵家へと戻った。
 王城から戻った俺たちは、すぐに応接間へと向かい、叔父たちに王城での出来事を報告した。

「密葬、それは妥当な判断だね。他にはなにがあった?」

 俺たちの間にただずむ雰囲気を察知した叔父の問いかけに、俺は一度視線を隣にいるディアーナへ移してからその情報を口にした。

「ユリアーナ殿下が、光の精霊との関係を公言しました」
「それは本人が直接言ったのかい?」

 意外そうな顔して叔父が尋ねた。

「はい。マティアス殿下が怪我の具合を聞いて、自然と口に出たようです。ただ……」
「ただ?」
「自然に出てきたように見えましたが、これまで機会がなかったとは思えませんでした」
「なるほど。ジークはそれが少し不自然に見えたんだね」
「はい。意図的に光の精霊との関連性を示唆したように思えました」

 俺が叔父の目を見つめ、はっきりとそう告げると、部屋に緊張が走り、誰かの喉が鳴る音が響いた。
 その緊張を遮るように、エトムントが声を発した。

「ジークベルト殿は、ユリアーナ殿下がこの一連の動きになにか関連性があるとお考えなのですね」
「エトムント殿、これはあくまで僕の主観です。だけど、そう見えたのです。僕が寝ていた二日間で、ユリアーナ殿下は国民の支持を得て、国民を味方につけたように思えます」
「しかし、それは、マティアス殿下の身を守ったため。それにあの方には王位継承権がない」

 エトムントが厳しい視線を送りながら、俺の意見に反論した。
 すると、叔父が「王位継承権ね」と、皮肉混じりの態度でつぶやいた。
 それに反応したエトムントが、不快感を隠そうともせずに、叔父を見る。

「アーベル伯、なにかご不満があるのですか?」
「バルシュミーデ伯もさすがに貴族だなと思いましてね」
「それがなにか」
「私も含め、我々は血筋に固執する。それは魔属性が一つの起因でもあるけどね。だが、エスタニア王家ほど血筋に縛られた王族はいないよ」
「それはどういう意味ですかな」

 ふたりの会話にパルが真剣な表情で割り込んだ。

「言葉の意味のままだよ。パル殿は心当たりがあるのでは?」
「ふむ。王家の秘密ですな」
「ご名答」

 叔父がパルの答えに満足げに頷くと、エトムントが混乱した表情でパルを見て問いかける。

「王家の秘密!? 父上、なにをおっしゃっているのですか」

 その問いかけに答えず、パルが黙って目を閉じた。
 叔父の視線が、俺の隣で静かに息を止めていたディアーナへと移る。

「王家の真実(・・)を伝えてもよろしいですね?」

 叔父の提案にディアーナが、ゆっくりと頷いた──。

「それでは、ディアーナ様が女王になれば!」

 王家の真実に対してエトムントが、自明の如く声を上げた。
 その声は部屋中に響き渡り、一瞬の静寂を生んだ。
 しかし、その静寂はすぐに叔父の冷たい言葉によって一掃された。

「そうなれば、我々は手を引くよ」
「なっ、ヴィリバルト殿!」

 エトムントが、驚きの声を上げた。

「ジークベルトが王配になることはない」

 叔父の断言に、俺は内心安堵する。
 俺の安堵に気づいた叔父が微笑みながら目配せするそばで、彼の眉が上がる。

「おや? ディアーナ様は納得されていないご様子だね」
「私は……」
「ジークから説明を受けたのだろう?」

 叔父の鋭い目がディアーナを見据えた。

「頭では理解しているのです。私が女王になったとしても……」

 ディアーナが言葉を詰まらせ、一瞬だけ彼女の金の瞳が揺れ動いた。
 叔父は彼女の反応を静かに見守っていた。

「君たちは、少し加護に甘えすぎたのかもしれない。エスタニア王国ほどの小国が千年近くも他国から干渉されず、大きな飢餓もなく魔物や魔獣の被害も少ない。これほどの奇跡が続いた国は他に例もない。しかし、永遠は存在しないのだよ。すでに綻びが見え始めている」
「えっ?」
「内乱の兆しだよ」

 叔父の指摘に部屋にいた何人かが息をのんだ。

「過去に王家がいかに横暴でも、エスタニア国民は反感を持たなかった。しかし現状その芽が出始めている。例え、ディアーナ様が女王に即位しても、その綻びはゆるやかに拡大していく。元に戻ることはない。そうだよね、シルビア?」

「うむ。兄上の加護を修復するには、兄上の力が必要じゃが……」

 じっとなにか言いたげな視線を俺に投げかけるシルビアに、俺は曖昧に笑う。

「兄上しかできんのじゃ!」

 シルビアが大声でそう叫んだ。

「「兄上?」」

 パルとエトムントが疑問げに言った。

「あっ、もう一度紹介するよ。彼女は神獣のシルビア。今はジークベルトと一時的な契約をしているんだ」
「「「「神獣!」」」」

 シルビアの正体を知らなかった者たちが、一斉に驚愕の声を上げる。

「なんと、ジークベルト殿は神の使いでしたか」
「私は神の使徒と剣を交えたのか。これは名誉なことだ」
「チビ、また厄介事を……」
「叔父様、また報告を怠っていましたね」

 それぞれの発言が興奮した部屋の空気に溶け込んでいった。
 しばらく、その場は静寂に包まれた。
 神獣の存在、俺の契約、そしてそれぞれの反応。それら全てが部屋の空気を濃密なものにしていた。



「やっと、解放された」
〈大丈夫、ジークベルト?〉
〈主、お疲れ〉

 ハクの毛に顔を埋め、スラの冷たい体を抱きしめながら、俺はベッドに体を落とした。
 応接間での怒涛の質問を適当にかわして、部屋に逃げてきた。

「あー、癒される」
《ご主人様、お疲れのところ、申し訳ございません。ヨハンに移動石を渡した人物が判明しました》
「さすがだね、ヘルプ機能!」
《いいえ、ご主人様。私の能力を考えれば遅すぎる調査結果です。不甲斐なく……》
「仕方ないよ。ヘルプ機能は未だに能力を抑えられているんだからね」
《優しいお言葉……、報告に戻ります。彼の名はマクシミリアン、自称革命家です》
「自称革命家?」
《はい。以前から大衆の前で演説を行っていましたが、ほとんどの人が彼を相手にしませんでした。しかし、ある日を境に彼の演説に賛同する人が増え、今では民衆を扇動する力を持っています》
「それは不可解だね、無属性の魔法か、なにか強力な魔道具を手に入れたのかもしれないね」
《ご主人様の推測通り、マクシミリアンはオリジナル魔法『扇動』を使えます。また、トビアスの配下の者と繋がりがあります》
「なるほど」
《彼は現在、王の死因に対して疑問を呈し、民衆を扇動しています》
「内乱の火種になるよね」
《そうなります》
《実はその賛同者の中に──》
「どうして彼が?」
《おそらく我々の協力者かと思われます》
「ヴィリー叔父さんかな?」
《推測となりますが、おそらく……》


 ***


 エスタニア王国の王都の外れに位置するスラム街。
 そこは『革命の光』の本拠地であった。

「マックス、これだけの同胞が集まった。エスタニアに新しい風を起こそう!」
「まだだ」

 マックスと呼ばれた男、マクシミリアンは病的なほど不健康な顔で否定した。

「我々にはまだ準備が足りない。あの方(・・・)の指示を待たなければならない」

 その言葉に、部屋の中の空気が一瞬で張り詰めた。
 誰もが『あの方』の存在を知っていたが、その名を口にすることはなかった。
 マクシミリアンは続ける。

「あの方が動き出す時が来たら、我々も一斉に行動を開始する。それまでは、各自の任務を遂行し、準備を整えておけ」

 部屋の中に静寂が訪れ、誰もがマクシミリアンの言葉の重みを感じ取っていた。
 彼の指示に従うことが、成功への唯一の道であることを理解していたのだ。
 マクシミリアンはひとりひとりの顔を見渡し、続けた。

「我々は一つの目的のために集まった。エスタニアに新しい風を起こすために。皆の力が必要だ。共に戦おう」

 その言葉に、部屋の中の者たちは一斉にうなずいた。彼らの目には決意の光が宿っていた。
 マクシミリアンはその様子を見て、微かに微笑んだ。

「では、各自の持ち場に戻れ。準備が整い次第、再び集まる」

 人々は静かに立ち上がり、それぞれの任務に向かって散っていった。マクシミリアンはひとり、部屋に残り、窓の外を見つめた。
 遠くに見えるエスタニア城を眺めながら、彼はつぶやいた。

「必ずや、新しい時代を築き、俺を馬鹿にしていたやつらを見返してやる」

 その時、部屋の隅で影が動いた。
 マクシミリアンの復讐心に満ちた表情を密かに見ていた人物がいたのだ。
 影は静かにその場を離れた。


 ***


 数日後の革命の光本拠地。

「お前、伯爵家の次男なんだってな」
「それをどこで」

 左目から右頬に傷がある男が、金髪の青年剣士に声をかけた。

「おいおい怖い顔をするなよ。俺たちは同じ志を持った仲間だろ? それともなにかあるのか?」

 傷の男が鋭い目つきで青年に問いかける。

「ここの連中は、過去のことを詮索しないと聞いた」
「まぁな、お天道様に顔向けできねぇやつが多いけどなぁ。しかし、お貴族様であったのなら話はちげぇよ」

 傷の男は言葉を終えると、突然青年に向かって刃物を振りかざした。
 青年は驚き、反射的に身を引いてその攻撃をかわす。

「なにをする!」

 傷の男はニタニタと厭らしい笑みを浮かべ、青年を挑発するように言った。

「ちょっと面かせや。抵抗するとお綺麗な顔に傷がつくぜ」

 青年は一瞬、反抗しようとしたが、刃物の鋭い光を見て思いとどまった。彼は仕方なく傷の男に従うことにした。

「そうそう、大人しくついてこいよ」

 傷の男に連れられ、青年は薄暗い廊下を進んでいった。
 重厚な扉の前に立ち止まると、傷の男は鍵を取り出し、静かに扉を開けた。
「入れ」と傷の男が命じると、青年は恐る恐る部屋の中に足を踏み入れた。
 部屋の中には、薄暗い明かりの中で三人の人物が待ち構えていた。
 そのうちのひとりが、青年に向かって威厳に満ちた声で話しかけた。

「久しぶりだな、カミル・フォン・シラー」
「トビアス殿下!」

 カミルと呼ばれた青年は目を見開き、驚きの表情を浮かべる。
 まさかここでトビアスに会うとは思ってもみなかったのだ。

「ほぉ、新鮮な反応だな」
「なぜ殿下が、このような場所にっ……」
「言葉を慎め、ディアーナの元護衛騎士、近衛騎士カミル・フォン・シラー」

 トビアスが厳しい声でいさめた。
 その瞬間、傷の男が素早く動き、カミルの腹部に一撃を加えた。
 カミルは「ぐっ」と苦痛の声を漏らし、膝をつく。
 トビアスは冷ややかな目でカミルを見つめ、隣にいるビーカーに声をかけた。

「近衛騎士も元になるのか? ビーカー?」
「まだそのような情報は入っておりません。しかし、シラー家は、マティアス殿下の派閥。その子息が『革命の光』に賛同していたとなれば、問題となるでしょう」
「だそうだが?」
「かまわない。シラー家がどうなろうと、俺は俺の意志でここにいる!」

 トビアスの挑発にカミルは拳を握りしめ、声を震わせながら言った。

「ほぉ、面白い!」

 トビアスはカミルの反応を見て、目を細め、口元に薄い笑みを浮かべた。
 その笑みには、カミルの感情を弄ぶような冷たい光があった。

「殿下、たしかシラー家の嫡男は優秀な人物だと噂されていますが、弟は」
「兄さんは関係ない!」

 カミルはビーカーの言葉を遮るように叫び、目を逸らした。
 その反応に「なるほどな」とトビアスがつぶやいた。彼にはカミルが兄に対する劣等感と嫉妬が見て取れた。
 トビアスはその様子を楽しむかのように、さらにカミルを追い詰めるような視線を送りながら、彼のうしろで待機していた傷の男の名を呼んだ。

「グレンツ」

 傷の男ことグレンツは淡々と状況を説明する。

「この男の帰国後、見張っておりましたが、怪しい動きはなく、我々と行動を共にするのは問題ないかと」
「殺し屋のお前の証言は信用できるな」
「トビアス殿下、彼の処遇はどうされます?」
「ビーカー、俺は復讐心がある者は嫌いではない。命拾いしたな、カミル・フォン・シラー、俺に忠誠を誓え!」

 トビアスがカミルに命じた。その声には王族の権威が宿り、部屋全体に緊張が走った。
 カミルは冷や汗をかきながらも、決意を固めた表情を浮かべていた。
 そんな様子のカミルをトビアスは冷ややかな目で見つめ、まるで彼の運命を決める瞬間を楽しんでいるかのようだった。

「我が剣と命をもって、トビアス殿下に忠誠を誓います」

 カミルは一瞬ためらったが、すぐに膝をつき、頭を垂れた。

「悪くない。お前は俺の手足となれ、そして俺が王となる姿をそばで見せてやろう」

 トビアスは満足げに頷き、冷ややかに微笑んだ。



 エスタニア王国は、国王の死が発表されてから四日後、混乱と不安に包まれていた。
 王宮前の広場には、革命の光の面々を従えたトビアス・フォン・エスタニアが立ち、国民に向けて声明を発表した。

「国民よ、聞いてくれ! 俺はトビアス・フォン・エスタニアだ。今日は、お前たちに真実を伝えなければならない。前国王が亡くなったのは、神獣の怒りを買ったからだ。彼は金の瞳を持つ者が真の王位継承者であるという事実を覆し、その結果、呪いにより命を落とした」

 突然現れたトビアスに国民はざわめき、その内容に困惑と疑念の声が広がった。
 人々は顔を見合わせ、ささやき声が広場を満たした。

「俺たちは長い調査の末にその証拠を掴んだが、王太子であるマティアスに阻止されたのだ。さらに、武道大会で俺がマティアスを襲ったのは、彼の側近から手渡された魔剣に意思を乗っ取られたからだ。俺は無様にも罠に嵌まったのだ」

 トビアスは拳を握りしめ、目に涙を浮かべながら続けた。
 彼の声は震え、国民に向けた訴えは心の底からの叫びのようだった。

「俺は王子として、皆のために戦ってきた。しかし、あの魔剣に操られた瞬間、俺の意志は奪われ、無力だった。俺の過ちを許してくれ。俺は再び立ち上がり、真実を明らかにし、エスタニアを守るために戦う!」

 彼の言葉に国民は静まり返り、トビアスの真摯な姿に心を動かされた。
 彼の熱意と苦悩が伝わり、同情と共感の声が広がっていく。
 すると、トビアスのうしろの控えていた左目から右頬に傷がある男が小型の物を手に掲げた。

「武道大会では何者かによる策略で多数の小型の爆弾が会場内に設置されていたが、我々はそれを解除した」

 国民がそれを見て、驚きと恐怖の表情を浮かべた。
 ざわめきが再び広がり、誰もがその小型の爆弾に目を奪われた。

「見てくれ、これがその証拠だ!」と傷の男は声を張り上げた。

「我々は皆の命を守るために戦っている。トビアス王子は真実を語っているのだ!」

 トビアスは深く息を吸い込み、再び国民に向き直った。

「信じられない者もいると思う。だが俺は、王太子に刃物を向けたにも関わらず、国から容疑者として指名手配されていない」

 国民の間に再びざわめきが広がった。人々は互いに顔を見合わせ、トビアスの言葉の意味を考え始めた。

「これはなにを意味するのか?」とひとりの男が声を上げた。

 トビアスはその声に応えた。

「それは、俺が真実を語っているからだ。王太子マティアスは、俺を罠に嵌めようとしたが、真実を隠しきれなかった。俺は皆のために戦う。エスタニアの未来のために! そして、金の瞳を持つ真の王であるユリアーナ・フォン・エスタニアを王にするために!」
「ユリアーナ殿下が真の王!?」
「あの噂は本当だったのか!」

 ユリアーナの名を挙げた瞬間、国民たちの間に熱気が広がった。
 人々は驚きと興奮の表情を浮かべ、互いにささやき合った。
 広場全体がざわめきに包まれ、期待と希望の声が次第に大きくなっていった。

「ユリアーナ殿下を王に!」と一人の若者が叫び、その声に続いて次々と賛同の声が上がった。トビアスの言葉が国民の心に火をつけ、広場は一体感に満ちていった。

 トビアスはその光景を見つめ、深くうなずいた。

「皆の力を貸してくれ。共にエスタニアの未来を築こう!」

 国民の中から賛同の声が次々と上がり、広場全体がトビアスとユリアーナを支持する声で満たされたのだった。


***


「マティアス王太子殿下、大変です」

 マティアスの側近が慌てた様子で王太子室へ駆け込んできた。息を切らしながら、汗を拭い、事の経緯を説明する。

「トビアス兄上が、国民の前で声明を発表した?」

 マティアスは驚きと苛立ちを隠せず、拳を握りしめ、眉をひそめた。

「私がトビアス兄上を罠に嵌め、ユリアーナ姉上から王太子の座を奪ったなどと、そんなこと、絶対にありえない!」
「しかし、国民の賛同が多く、我々の手には負えません」

 困惑した表情で、目を伏せ、肩をすくめながら、声を震わせてマティアスに言った。
 マティアスはその言葉に一瞬、言葉を失った。
 部屋の中には緊張が漂い、重苦しい沈黙が続いた。
 その時、エリーアスが静かに部屋に入り、マティアスの興奮を抑えるように肩を抱き寄せ、優しく背中を叩いた。

「冷静になるんだ、マティアス。焦ってはいけない。今は冷静に対処する時だ。感情に流されてはいけない」
「エリーアス兄上!」
「兄上の声明を聞いたよ。まるで真実を知っているかのような、馬鹿げた話だ。民衆を煽り正統性を強調しようとしているのはわかる。姉上を真の王だと巻き込むなんて、浅はかだ」

 マティアスは深く息を吸い込み、冷静さを取り戻そうと努めた。

「どうすればいい、エリーアス兄上?」

 エリーアスは少し考え込んだ後、静かに答えた。

「まずは、兄上の主張を徹底的に調査し、矛盾点を見つけることだ。そして、姉上と直接対話し、彼女の意見を聞くべきだ。ユリアーナ姉上が真の王でないことを証明するためには、彼女自身の協力が必要だ」

 マティアスはうなずき、決意を新たにした。

「わかった。すぐに行動に移そう。臣下たちを呼び集め、そこでトビアス兄上と対峙する」

 エリーアスは微笑み、マティアスの肩を軽く叩き、励ますように背中を押した。

「その意気だ、マティアス。共に戦おう」

 ふたりは部屋を出て、次の一手を考えるために作戦会議を始めた。
 エスタニア王国の未来は、彼らの手に委ねられていた。


 王宮の大広間には緊張感が漂っていた。
 豪華なシャンデリアが輝き、壁には歴代の王の肖像画が並んでいる。その中には、真新しい前国王の肖像画も含まれていた。大広間の中央には、重厚な木製のテーブルが置かれ、その周りにエスタニアの重臣たちが集まっていた。
 トビアスとマティアスが対峙する中、ユリアーナ、エリーアス、そして俺とディアーナもその場に座っていた。
 俺は息を呑み、緊張感が一層高まるのを感じていた。
 大広間には張り詰めた静寂が漂い、誰もが次の言葉を待ちわびていた。
 その静寂を打ち破るように、トビアスが椅子から立ち上がり、力強い声で言った。

「臣下たちよ、聞いてくれ。俺は真実を語るためにここに立っている。前国王の死は、神獣の怒りによるものだ。前国王は長年にわたり国を治めてきたが、その行いが神獣の逆鱗に触れ、命を落とした。金の瞳を持つ者こそが真の王位継承者であるという事実を覆したことで、呪いが降りかかったのだ」

 トビアスの言葉が大広間に響き渡ると、重臣たちはざわめき始めた。中には不安げに顔を見合わせる者や、眉をひそめる者もおり、その表情には明らかな動揺が見て取れた。
 彼らの顔には動揺と不信感がはっきりと浮かび、まるでその感情が大広間全体に広がっていくかのようだった。
 王家に対する信頼が揺らぎ、重苦しい空気が一層濃くなっていくのを俺は肌で感じた。隣にいるディアーナと目を合わせ、彼女の顔にも不安の色が浮かんでいるのに気づいた。
 ディアーナは唇を噛みしめ、手をぎゅっと握りしめていた。彼女は兄であるマティアスを心配している様子で、その視線はすぐに彼に向けられた。
 マティアスは周囲のざわめきを感じ取りながら、一度目を閉じて深呼吸をした。彼はゆっくりと目を開け、重臣たちの視線を一身に受けながら、冷静な表情を保ちつつ淡々と口を開いた。

「トビアス兄上、そのような話は信じがたい。私たちは皆、前国王が病に倒れたことを知っている。あなたの言葉には証拠がない」

 トビアスは一瞬驚いたように目を見開いたが、すぐにその表情は焦りと怒りに変わった。彼は拳を握りしめ、声を荒げて叫んだ。

「証拠? じゃあ、どうして俺はここにいるんだ。真相を確かめるために呼ばれたんじゃないのか? 国の王太子に刃物を向けたのに、なぜ俺は指名手配されていないんだ? それこそが、俺の言葉の正統性を証明しているのだ!」

 トビアスの主張に、重臣たちは一斉に息を呑んだ。
 彼の言葉が真実味を帯びていると感じたのだろう。重臣たちは互いに顔を見合わせ、不安げにささやき合った。
 大広間全体が静まり返り、緊張感が張り詰めた。次の言葉を待ち構える空気が漂う中、視線が再びマティアスに集まった。
 彼は毅然とした態度でトビアスに向き合った。

「トビアス兄上、あなたがここにいるのは、我々が真実を求めているからだ。しかし、証拠がなければ、あなたの言葉はただの憶測に過ぎない。国の対応についても、我々は慎重に判断している。あなたの言葉が真実であるならば、確固たる証拠を示してほしい。それがなければ、我々は前国王の死因を病とする公式見解を覆すことはできない」

 トビアスは怒りを抑えきれず、拳を震わせながら声を荒げた。

「よく言う、お前が俺を陥れたのだろう! 俺が武道大会でお前を襲ったのは、魔剣に意志を奪われたからだ。お前の側近が仕組んだ罠に嵌まったのだ。俺は知っているぞ、お前が武道大会の裏で小型の爆弾を設置し、混乱を引き起こそうとしたことをな!」
「なぜ王太子の私がそんなことをする必要があるのです?」
「金の瞳を持つ者こそが真の王位継承者であると知り、姉上を消そうとしたからだ!」

 トビアスは怒りを込めて言い放った。彼の目は怒りで燃え、手は震えていた。そして魔法袋から小型の黒い装置を取り出し、高々と掲げながら続けた。

「革命の光のメンバーたちが、武道大会での陰謀を暴いたのだ。これがその証拠だ!」
「兄上、それこそ茶番だ。兄上が仕掛けた爆弾であることを、兄上が王にと掲げている姉上が証言している」

 今まで黙って事の成り行きを見守っていたエリーアスが冷静に、しかし鋭く反論した。
 一方で、当事者のユリアーナは静かに立ち上がり、トビアスに向かって一歩踏み出した。

「トビアス、あなたの目的はなに?」

 彼女の目は鋭く、声には冷たい怒りと揺るぎない決意が込められていた。

「姉上、どうして?」

 トビアスは眉をひそめ、ユリアーナの言葉に戸惑った。彼の目は揺れ動き、声には困惑と恐怖がはっきりと滲んでいた。
 その瞬間、俺はユリアーナの行動と態度がトビアスの予想を完全に裏切ったことを確信した。
 彼女の鋭い視線の裏に隠された真の意図が、冷たく感じられた。冷静を装う彼女の金の瞳には、計り知れない秘密が潜んでいるように見えた。
 俺はその狡猾さに気づき、背筋が凍りついた。
 彼女の予期せぬ反応が、トビアスの計画を狂わせているのは明らかだった。まるで蜘蛛の巣に絡め取られた獲物のように、俺たちを逃れられない罠に引き込んでいるようにも思えた。

「まさか、あなたの出生を隠すために、私を王に担ぎ上げ、傀儡にしようと企てているの?」
「姉上、なにを言っているのだ!」

 トビアスは慌てた様子でユリアーナに詰め寄ろうとしたが、近衛騎士に阻まれ、その場に立ち止まった。
 俺の目には、トビアスの顔に浮かぶ動揺と焦り、不安がはっきりと映った。彼の顔は蒼白になり、唇は震え、額には冷や汗が滲んでいた。
 ユリアーナのまさかの発言に、重臣たちはざわつき始め、互いに不安げな視線を交わした。

「王の子ではないとの噂は本当だったのか」
「だから、王太子の座を追われたのか」

 重臣たちの間に動揺が広がる中、トビアスは頭を抱え、必死に否定していた。

「ちがう。俺は王の子だ!」
「いいえ、トビアス。あなたは王の子ではありません」

 ユリアーナの声は冷たく、決然としていた。

「なにを言っているんだ、姉上!」

 トビアスは叫び声を上げ、ユリアーナの裏切りに驚愕し、焦りと絶望がその顔に浮かんでいた。

「私はあなたが悩み苦しんでいた姿をそばで見てきました。王太子としての重圧と、王家の血筋ではない事実を知り苦悩していたことも。だから私を担ぎ上げ、実権を握ろうと画策したのですね」

 ユリアーナの言葉は鋭く、トビアスの心を突き刺すようだった。
 大広間の空気が一瞬凍りついた。

「姉上!」

 エリーアスは椅子から立ち上がり、感情を抑えきれずに声を上げた。ユリアーナの発言を非難するように厳しい視線を向ける。

「エリーアスも耳にした覚えがあるはずです。トビアスが王の子ではない不義の子だとの話を」

 エリーアスは一瞬言葉に詰まり、視線を落としたが、すぐに顔を上げて反論した。

「それは、ですがトビアス兄上は、父王が実子と認め王太子として教育されたはず」

 ユリアーナは冷たく微笑みながら、さらに言葉を続けた。

「それが罰だとしたら?」
「えっ?」
「生きていく上での贖罪だとしたら?」

 エリーアスは言葉を失い、視線をユリアーナからトビアスへと移した。
 ユリアーナはその視線の動きを見て、一瞬ためらった後、静かに口を開いた。

「私は真実を知っています。トビアスが王族ではなく、不義の子であることを、私たちの母エレオノーラ・フォン・エスタニアから知らされたのです」

 場の空気が騒然とし、重臣たちは動揺の色を隠せなかった。誰もがこの衝撃的な告白に動揺していた。

「嘘だ!姉上、なぜそんなことを言うんだ!」

 トビアスが震える声で反論すると、ユリアーナは冷たい視線をトビアスに向けた。

「トビアス、あなたも知っているはずです。あなたが王の子ではないことを」
「そんなはずはっ、うわぁぁぁぁぁぁぁ」

 声にならない雄叫びを上げ、トビアスはその場に崩れ落ちた。
 彼の心の中でなにかが崩れ落ちる音が聞こえるようだった。
 ビーカーがトビアスに駆け寄り、ユリアーナを非難するように訴えかけた。

「ユリアーナ様、そのような根拠のない話をこの場で発言するとは、何を考えているのですか! エレオノーラ様が陛下を裏切るはずがありません」

 ユリアーナはビーカーを侮視し、冷たく吐き捨てた。

「口を慎みなさい、ビーカー侯爵」

 その目には、噂を信じ込んだかのような冷たさが宿っていた。
 エリーアスはそのやり取りを見て、真意を確かめるようにユリアーナに問いかける。

「姉上、それは本当なのですか?」

 ユリアーナはゆっくりとうなずいた。

「ええ、エリーアス。私は長い間、この事実を隠してきました。しかし、今こそ真実を明らかにする時です」

 ユリアーナは深く息を吸い込み、重臣たちに向かって毅然とした声で言った。

「ユリアーナ・フォン・エスタニアの名にかけて、トビアス・フォン・エスタニアが王族ではないことをここに宣言します」

 重臣たちは一瞬凍りつき、次いで互いに顔を見合わせ、困惑の表情を浮かべた。

「そして私は女であり、王位にふさわしくありません。マティアス王太子こそが、この国を導くべき人です。彼にはその力があります」

 ユリアーナの突然の王位継承権辞退の発言に、大広間は一瞬で静まり返った。
 重臣たちは驚きと困惑の表情を浮かべ、再びざわめきが広がっていく。
 彼らの視線がユリアーナに集中する中、マティアスがゆっくりと立ち上がり、重々しい声で言った。

「本日の会議はこれにて終了とする。皆、退席せよ」

 解散を宣言したマティアスはすぐさま、大広間から去り、エリーアスやユリアーナもそれに続いた。
 重臣たちもひとりまたひとりと退出していった。
 大広間には、いまだショックで立ち上がれないトビアスと、それに付き添うビーカーだけが残った。
 その光景は、彼の生涯を象徴するかのように、物悲しさに満ちていた。

 俺たちが大広間を出た瞬間、ひとりの青年が駆け寄ってきた。
 護衛として同行していたニコライが一瞬警戒するも、すぐにその表情を和らげた。

「ルイス、どうしたんだ?」
「作戦Aです」
「了解! チビ、姫さん、行くぞ!」

 ルイスの告げた言葉にニコライは親指を立て、自信に満ちた笑顔を見せると、俺とディアーナを両脇に抱え、軽やかに走り出した。

「えっ?」
「きゃあっ」

 貴族たちの間を縫うように駆け抜ける俺たち。ディアーナは驚きと楽しさが入り混じった表情で、目を輝かせながら笑っていた。

「ニコライ殿、待ってください! 場所、わかっているんですか?」

 ルイスが慌てて後を追いかけてきたが、その声にはどこか困ったような楽しげな響きがあった。


 ***


 ルイスの案内で、ニコライに抱えられながら王宮の一室に入った。
 重厚な扉が音を立てて閉ざされると、外の喧騒が遠のき、部屋は重苦しい雰囲気に包まれていた。
 壁には魔法陣が張り巡らされ、おびただしい魔力が充満している。一カ月前にマティアス王太子と面会した部屋に似ていた。

「ルイス、作戦Aじゃなかったのかよ。どうしてこんなことに……」
「私に言われても……」

 二コライは俺たちをしっかりと抱えたまま、ルイスと共に扉の前でこそこそと立ち止まった。
 周囲を確認すると、ヴィリー叔父さんをはじめ、アーベル家の面々が揃っていた。パルやエマ、そしてハクとスラもその場にいる。
 対面にはマティアス王太子とエリーアス殿下、そして見知らない女性がふたり立っていた。
 ひとりの女性が怒りを露わにし、マティアスに詰め寄っている。

「トビアス様が、不義の子どもなんてありえないことだわ!」
「お母様!?」

 ニコライの脇から、ディアーナの驚いた声が響いた。
 その声に反応した王妃が、マティアスに詰め寄るのを一瞬止め、うしろを振り返った。

「あら? ディアーナ!」

 王妃の表情が一瞬で柔らかくなり、彼女の目には喜びが浮かんでいる。

「うふふ、大きくなったわね! 私に成長した姿を見せてちょうだい!」

 王妃の優しい声が、部屋の緊張を少しだけ和らげた。

「あなた、ディアーナを下ろしなさい」

 王妃の命令に、ニコライが畏まりながらも、俺とディアーナをそっと下ろした。
 ディアーナは地面に足をつけると、すぐに王妃の元へ駆け寄り、その腕の中に飛び込んだ。

「まぁディアーナ、はしたないわよ」

 王妃はディアーナの行動を咎めつつも、その声は優しく慈愛に満ちていた。
 彼女はディアーナの顔を両手で包み込み、その成長を確かめるように見つめた。

「お母様、ご無事でなによりです」

 ディアーナの金の瞳には涙が浮かび、その声には安堵と喜びが混じっていた。

「あら、私の心配をしてくれるのね。なんて優しい子なの」

 王妃はディアーナの言葉にいたく感動している様子だった。
 しかし、俺の存在に気づくと、その表情は一瞬で厳しくなった。

「あなたが私のかわいいディアーナと婚約したジークベルト・フォン・アーベルね」

 親子の久々の再会に、微笑ましい姿を見て頬を緩めていた俺だったが、王妃の品定めをするかのような厳しい視線に気づいた瞬間、思わず背筋が伸びた。

「お母様! ジークベルト様にそのような不躾な視線は失礼です!」
「んっまぁ、ディアーナ! 言うようになったものね」

 ディアーナがすかさず抗議したことに、王妃は驚きつつも、少し誇らしげに微笑んだ。

「シャルロッテ様、本日の目的はディアーナ様を愛でることではございませんよ」

 王妃の隣にいる女性が冷静に指摘する。

「あら? 私としたことが、アグネス様、ありがとうございます」

 もうひとりの女性、アグネス側妃が王妃を咎めると、王妃は再びマティアスに視線を向け、厳しい口調で問い詰めた。

「マティアス、私の質問に答えなさい。なぜトビアス様の出生を否定せず、会議を打ち切ったのです」
「母上、それは何度も申し上げました。姉上が名をかけて宣言したのです。確たる証拠もなく否定すれば、姉上の名誉に傷がつきますし、王族全体の信頼も失われます。あの場では、それしか選択肢がありませんでした」

 マティアスは冷静に答えていたが、その声には微かな苛立ちが感じられた。

「あの女狐!」

 王妃は怒りと苛立ちを抑えきれず、顔を真っ赤にし、声を震わせながら叫んだ。

「シャルロッテ様、どうか落ち着いてください」

 側妃が冷静に諭すと、王妃は我に返り、深いため息をついた。

「私ったら、本当に情けないわ。すぐにかっとなってしまうなんて。もう、あなたたち全員、あの女狐の手のひらの上で踊らされているのがわからないの?」

 王妃の態度とその内容が意外だったのか、マティアスはひどく驚いた様子で問いかけた。

「女狐とは、姉上のことを言っていますか?」
「そうよ、なにか問題でもあるかしら?」

 王妃が冷たい視線を向け、マティアスに答えた。
 王妃たちの会話が途切れると、部屋の隅で交わされる叔父たちの会話が耳に入ってきた。

「テオ、事前の報告とだいぶ違うようだが?」
「影に強く抗議を入れます」とテオ兄さんが低い声で答えていた。
「そこっ! 私の悪口は許さないわよ」

 王妃の鋭い指摘に、叔父は一瞬驚いたが、すぐに紳士的な態度を取り、微笑んだ。

「シャルロッテ王妃は、なにかご存じのようですね」

 叔父の声には、どこか挑戦的な響きがあった。

「あら、あなた、いい男ね」

 王妃は叔父の挑戦的な態度と溢れんばかりの色気に、一瞬心を奪われたようだったが、すぐに我に返った。
 アグネス側妃がすかさず注意する。

「シャルロッテ様」
「あら? 私ったら子供たちの前ではしたないわ」

 王妃は恥ずかしそうに頬に手をあてた。
 その姿を見て『本当にディアーナの母上なのか?』と、俺は強く疑問が沸いた。
 ディアーナは王族である自身の立場を理解して、最近まで感情をあまり表に出さなかったが、王妃は感情豊かで、その起伏が激しい。
 彼女たちが親子だとは思えなかった。
 しばらくすると、王妃の顔付きが変わり、纏う雰囲気に威厳が漂い始めた。
 彼女は再びその場の中心に立ち、全員の視線を集めた。

「エレオノーラ様が陛下を裏切るはずがありません。あの方の献身、いいえ、狂愛と称した方が適切かしら、あの方が陛下に向けた愛と執着は異常なほどでした」

 王妃の言葉にアグネス側妃が同意するようにうなずいた。

「私たちはそばで見ていたからわかります。今は幼き子のようだけどね」
「幼き子?」

 叔父は眉をひそめ、疑問の表情を浮かべた。

「あら、そのようなわざとらしい反応をしなくても、もう調べはついているのでしょう、ヴィリバルト・フォン・アーベル伯爵」

 王妃は冷ややかな笑みを浮かべ、叔父を見つめた。
 叔父は余裕のある微笑みを返しながら、「いえ、詳しくはまだ調査中です」と答える。

「あら? 天下の赤の魔術師をも欺けるの? あの女狐は」

 王妃は軽く肩をすくめ、皮肉を込めた口調で言った。

「ユリアーナ殿下には、この部屋のように高度な魔術が施されているようです」

 叔父は一瞬目を細め、慎重に言葉を選んだ。

「まぁ、なんて贅沢なのかしら」

 王妃は軽く笑いながら、部屋の装飾を見渡した。
 その視線の先がアグネス側妃に移ると、彼女は静かに口を開いた。

「エレオノーラ様は陛下が病に伏せられる直前に、突如として退行されたのです。今ではお人形遊びが日課です」

 アグネス側妃が、王妃の情報を補足するように付け足した。

「母上は、トビアス兄上が主張する金の瞳が王位継承者であるとの主張をどう思われますか?」

 マティアスが王妃に尋ねると、王妃は目を伏せ、少し考えた素振りを見せたあと、真顔となった。

「金の瞳は王家にとって吉凶なの」
「私どもにそれを教えてくれませんか」

 叔父の問いかけに、王妃が静かにうなずいた。

「少しだけ、昔の話をしましょう──」